2023年8月11日/アイスコーヒー

土曜日と日曜日の午前中に連続で屋外のランニング兼散歩をしたところ、翌日に疲れを持ち越してしまった。最近は日焼けで顔にシミが出きるようになったため、キャップを被っている。年齢によって物事のやり方は変わるものである。

7月末から客先がお盆休みに入ったのか、大雨の影響なのか、事務所の電話が鳴らなくなった。冷房の効いた静かな空間は良いものである。処理しなければならない仕事は多くあるが、とりあえず連休の素晴らしさを感じている。

朝の出勤の際、住宅街にある相撲部屋の前を通っている。最近は道路でまわしを付けた力士がホースの水を身体に浴びている。

セブンイレブンとファミリーマートのアイスコーヒーを美味しく飲む。最近はエチオピアがトレンドなのだろうか。自宅ではホットしか淹れないつもりだったが、我慢できずに氷をつくってアイスコーヒーやアイスカフェオレを飲むようにした。生き方のクオリティが少し上がった。一方、冷たいものの飲み過ぎで腹を下した。

セブンイレブンのカレーフェス、全ての種類のカレーを食べた。今回のエリックサウスと魯珈は以前より美味しく感じた。カシミールカレーは辛かった。

今月はBandcamp Fridayがあったので音源をまとめて購入する。今回はクラシックの声楽に興味を持ちソプラノ歌手の音源を購入してみた。声の高さがヒンヤリとした印象で夏に合う。

勝田文のホットでクールなグルーヴィン・ラブコメディ「バードランドの皿」を第2話をクッキー2023年9月号にて読む。雑誌の表紙はときめきトゥナイト(りぼんに連載をしていたことは知っているが当時は読んでいなかった)。今回はフランス料理が登場し、秋生の本名も明らかに。今更気が付いたが、主人公の名前はサラで題名に掛かっていた。話の流れはファジーに感じるものの、わかりやすい絵とディテールが相まって何とも言えない世界観が表現されている。

岩本ナオ「マロニエ王国の7人の騎士」8巻を読む。ハラペコ編のクライマックス。ハラベコのみ他の兄弟と比較して異形が過ぎるのではないかと思ったものの、そもそも眠くないは夜そのもので、獣使いは動物的な冷酷さと孤独を併せ持っていた。今後の兄弟もどのような変化を見せるか判らず、驚くほどのことではないのかもしれない。

絹田村子「数学であそぼ。」10巻を読む。流し読みになったので改めて再読したい。

ルーヂン/ビガーソフ

夏の暑さとつまらない仕事に追われ、帰宅後に椅子に身を任せていた。気分を変えようと、枕元から片付けてサイドテーブルに積んだ本と雑誌の中からからツルゲーネフの『ルーヂン』を手に取った。『ルーヂン』はSNSの復刊情報を下に購入した。岩波文庫表紙の概要は以下の通り。

二葉亭四迷訳「うき草」の題名によって明治以来わが国に知られてきた名作。女地主ダーリヤの邸に現れた一人の男ルーヂン。人々の前では博学多識をふり廻すが、しょせんは意志の弱い冷淡な知識人に過ぎず、のちに革命の理想だけを抱いてあえなくも死んでゆく。今日でもなお見られる知識人の一タイプを示す。1855年作。

本書の購入後、村上春樹の著作群を読み直していたところ、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のハードボイルド・ワンダーランドの章において『ルージン』が言及されていた。主人公は拷問を受けて傷付いた体で、ツルゲーネフの『春の水』を読もうと思いつつ、代わりに破壊された廃墟のような部屋で見つけた『ルーヂン』を読み、こんな感想を語る。

私が『ルーヂン』をこの前読んだのは大学生のときで、十五年も前の話だった。十五年たって、腹に包帯を巻きつけられてこの本を読んでみると、私は以前よりは主人公のルーヂンに対して好意的な気持ちを抱けるようになっていることに気づいた。人は自らの欠点を正すことはできないのだ。人の性向というものはおおよそ二十五までに決まってしまい、そのあとはどれだけ努力したところでその本質を変更することはできない。問題は外的世界がその性向に対してどのようの反応するかということにしぼられてくるのだ。ウィスキーの酔いも手伝って、私はルーヂンに同情した。私はドストエフスキーの小説の登場人物には殆ど同情なんてしないのだが、ツルゲーネフの小説の人物にはすぐ同情してしまうのだ。私は「87分署」シリーズの登場人物にだって同情してしまう。たぶんそれは私自身の人間性にいろいろと欠点があるせいだろう。欠点の多い人間は同じように欠点の多い人間に対して同情的になりがちなものなのだ。ドストエフスキーの小説の登場人物の抱えている欠点はときどき欠点とは思えないことがあって、それで私は彼らの欠点に対して百パーセントの同情を注ぐことができなくなってしまうのだ。トルストイの場合はその欠点があまりにも大がかりでスタティックになってしまう傾向がある。

『ルーヂン』の冒頭を読み進めたところ、古典によくあるようになかなかルーヂンその人は登場せず、その他の人物の描写が進む。翻訳調の文章の心地良さを味わいつつ、女地主ダーリヤのサロンの客の一人アフリカン=セミョーヌイチ=ビガーソフの紹介に大笑いした。

このビガーゾフ氏というのは妙な人物だった。世の中のことがなんによらず癪にさわり、とりわけ女が眼のかたきで、朝から晩まで人と口論ばかりしているという男で、なかなかうがったことを言うかと思うと、かなりいい加減なこともあったが、それで当人は結構いつも楽しいのである。彼の怒りっぽさは児戯に類するほどのもので、その笑いも、声の響も、その存在そのものまでがまるで癇癪で育ったかと思えるほどだった。ダーリヤが好んでビガーゾフを寄せつけていたのもこの男の奇人振りがなぐさみになっていたからのことで。その突飛な言行はたしかに結構なぐさみになった。なんでも大袈裟に誇張したいのがこの男のやむにやまれぬ情熱というもので、たとえば眼の前でなにか災難の話でも出て、落雷で村が焼けたとか、水車が水びたしになったとか、百姓が斧で片手を切断したとかいう話を聞くと、彼はいつも必ずただもう頭から憎しみをこめてこう訊ねるのだった―で、その女はなんという名前なんです?―つまり、その災難をひきおこした女は誰だということなのだが、彼の確信するところによると、すべて災難というものは必ず女が原因をなしているのだから、これだけはとくと究明してみなければいけない、というのだった。ある時なども、彼は是非ご馳走をしたいからと招いてくれたほとんど面識もない貴婦人の前にいきなりひざまずくと、涙まで浮かべて、しかも満面に怒気をおびて、自分はなにもあなたに悪いことをした覚えはないからどうか参上することはゆるして頂きたいと懇願し、これからは決してお宅へは伺いませんからなどと言い出したりした。

仮面の告白/マチネの終わりに

三島由紀夫の「仮面の告白」を読み進めようと試みるものの上手くいかない。しかし、最初から2~3度読み返したところ、ようやく判るところが増えてくる。脚注があるものの、教養が無いため比喩を理解できない。とはいえ、そろそろ意欲が湧き始め、先に読み進めることができそうだという手応えを持っている。
そんななか、全く活字に触れないのも気分が良くないため、リハビリで平野啓一郎の「マチネの終わりに」を再読した。何度目の再読かわからない。しかしながら、自分の年齢が登場人物に近しくなり、共感するところも増えた。本作には《ヴェニスに死す》症候群という言葉がある。その定義は「中高年になって突然、現実社会への適応に嫌気が差して、本来の自分へと立ち返るべく、破滅的な行動に出ること」である。いわゆる中年の危機を本作の登場人物の行動に落とし込んだ言葉である。さて、ここで先程、三島の比喩を教養が無いため判らないと言った。しかしながら、「ヴェニスに死す」を読んだことの無い私は本作においてそれを苦にしていない(なお、作中にヴェニスに死すのあらすじは説明される)。結局、教養の無さといったものが必ずしも読書に弊害をもたらす訳では無いのだ。

2023年6月18日/サラのスキャット

帰宅途中にYOASOBIのアイドルのピアノの旋律が聴こえた。


仕事で秩父に行き、秩父と言えば『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』だと思いアニメを観た。めんまが蘇った理由は主人公のためであったことに複雑な気持ちになった。私が観た仕様だとオープニングがGalileo Galileiのサークルゲームになり、爽やかで良かった。


町田洋の『砂の都』『日食ステレオサウンド』を読んだ。『惑星9の休日』が気に入って以来、著者の作品は楽しみにしている。


『ボロボロのエルフさんを幸せにする薬売り』という漫画を読んだ。無料である。1枚絵の情報量が多く、読み難さがあるものの、面白かった。


『その着せ替え人形は恋をする』の影響で魔法少女ものの作品を楽しんだことがあるのかと思い、過去にアニメを観ていたCLAMPの『カードキャプターさくら』を読んだ。現在も続編が連載されており、一先ず「クロウカード編」「さくらカード編」を読んだ。安心して読める王道の展開が素晴らしいと思った。


勝田文の新作『バードランドの皿』を読んだ。連載雑誌は「クッキー」。勝田文らしい展開のようだが題名の通りジャズが盛り込まれており、絵の雰囲気も含めてクールな印象である。なお「クッキー」にはいくえみ綾『ローズ ローズィ ローズフル バッド』が連載されている。また、日高ショーコ『日に流れて橋に行く』が面白かった。

2023年5月のコンテンツ

福田晋一『その着せ替え人形は恋をする』を読んだ。着せ替え人形と書いてビスク・ドールと読む。適度な伏線をきちんと回収していく小気味良さがある。主人公の海夢(まりん)は前向きだが恋に臆病になるオタクなギャル。すっかり夢中になり、アニメも全話観た。期末テスト後に行く海や最終話の花火のシーンは圧巻だった。なお、動きが多い回の前後に止め絵が多くなるのは予算の影響だろうか等と友人に勧められて読んだ東洋経済のアニメ特集を読んで考えた。マンガの続きとアニメの続編が楽しみである。



ゴールデンウィーク後、仕事に追われることになり、アニメやゲームの音楽を聴いてやり過ごすことになった。NES BAND/SUPER NES BANDの演奏が良い。また、FF4とFF6のピクセルリマスターのサウンドトラックも聴いた。FF6の「仲間を求めて」が好きなのだが、歌詞付きがあることは知らなかった。





推しの子はアニメの第1話を観た。きちんとYOASOBIを聴いた。スキップとローファーのオープニングの須田景凪を含めて、ボカロの影響を受けた音楽をアニメを通じて聴けたと感慨深い。




2023年5月16日/コーヒー・余生・青春・慰め

コーヒー豆を購入して飲むようになり、約5ヶ月が過ぎた。別に数えている訳ではないのだが、コーヒーフィルターの使用量からコーヒー200杯を飲んでいることが判っている(喫茶店で飲むこともあるから200杯以上だ)。さて、職場や自宅の近くの焙煎所、喫茶店等でコーヒー豆を買うようになり、最初に困ったのは浅煎りのコーヒーの強烈な渋みだった。喫茶店店主の友人に相談したところ、お湯を通常より多めに使用すると美味しく飲めるとのアドバイスを貰った。確かにお湯を多め、もしくは豆の量を少し減らすと飲みやすい。


ゴールデンウィークは読書とランニングと動画鑑賞(仮面ライダー)で終わった。素晴らしい時間だったのだが、これを友人に話したところ、「まるで余生じゃん」との指摘を受けた(その直後に友人は「失礼な発言で申し訳ない」と謝罪した)。むしろ私は友人の発言に納得してしまった。


初代仮面ライダーを14話まで観た。途中から本郷猛の出演が無くなった。これは本郷猛を演じる藤岡弘が怪我で出演ができなくなったためらしい。なお、仮面ライダーのスタントも藤岡弘がしていたという。シン・仮面ライダーはそういった点も踏襲しているのだろうか?ワンクール(13話)が終わると本郷猛はショッカーを追って国外へ、緑川ルリ子も本郷を追って国外に赴いたとの説明がなされる。そして登場するのが仮面ライダー2号である。また、取り巻きの1人に山本リンダが演じる女性が登場、非常にクネクネとして動きを見せる。


友人からスキップとローファー、推しの子、PSYCHO-PASS劇場版を観たとの報告を受ける。その中でお勧めとして紹介されたのがスキップとローファーである。試しに観たところ、高校生たちの感情の機微が丁寧に描かれており、非常に面白かったため、アニメを全話観て原作の既刊も全て読んでしまった。青春は束の間である故に描かれるべきである。


三島由紀夫の著作を適当に購入し、まずは仮面の告白を読んでみたものの、興が乗らない。そのため、久しぶりに平野啓一郎の日蝕を手に取ったものの、やはり、そこまで読む気にならない。こういうこともある。


子供の頃、自宅に小さなシンセサイザーがあった。シンセサイザーには楽曲が収録されており、その中で非常にノリの良い面白い音楽があった。それは後に気が付くことではあるが、YMOのRYDEENだった。その後、リゲインEB錠のCMで流れるenergy flowを何度も聴いた(当時は音源を購入するお金が無かったため、テレビ等で能動的に聴いたのだと思う)。energy flowのヒットに際して、当時のメディアでは癒やしという言葉がよく使われていたと思うのだが、矢野顕子はenergy flowを癒やしでなく慰めだと評したという(ただし、今となって矢野顕子の発言の出典は不明である)。


4月に聴いた音楽について調べ始めたところ、全く終わる気がしない。今後は個別に記事化した方が良いのかもしれない。

『「かっこいい」とは何か?』『サロメ』

平野啓一郎著『「かっこいい」とは何か?』、オスカー=ワイルド著、平野啓一郎訳『サロメ』を読んだ。

『「かっこいい」とは何か?』

著者の『三島由紀夫論』を読むにあたり、まず本書を読んだ。
本書は書名の通り「かっこいい」を論じており、その基準は「しびれる」という体感になるという。しかし、本書の面白さは「かっこいい」を論じるにあたり、著者自身がこれまでの作品やエッセイ、評論等で言及したきた三島由紀夫、マイルス=ディヴィス、ドラクロワ、ワイルド、ジャズ、ロック、モード等の多岐に渡る話題を扱っている点にある。2010年代中盤まで著者の話題をフォローしていたつもりだが、台詞を諳んじることができるほど映画「仁義なき戦い」が好きなことは知らなかった(平野啓一郎の「仁義なき戦い」論を読めるのは本書だけ?)。著者の思想は「分人主義」を論じた『私とは何か「個人」から「分人」へ』(2012年)にまとめられているが、文化論は本書が重要な役割を担っていると思う(「かっこいい」という観点からにはなるものの)。


『サロメ』

『「かっこいい」とは何か?』が面白く、同書でも論じられているオスカー=ワイルドの本書も読んだ。
本書は宮本亜門が舞台演出をするにあたり、格調高い旧訳の扱いが困難と考え、依頼を受けた平野啓一郎が現代語訳を手掛けることになったという。宮本亜門が演出した「サロメ」(2012年)の主演は多部未華子。
本書は聖書マタイ伝の領主ヘロデ王とヘロディアの結婚(近親相姦)を非難した洗礼者ヨハネ(本書ではヘブライ語表記の「ヨカナーン」)の斬首を題材としており、ヘロディアの娘のサロメがヨカナーンに恋するも拒否されたためにヘロデ王の前で踊る代わりにヨカナーンの首を欲して斬首に至るまでが描かれる。
私は国際芸術祭「あいち2022」でオペラのサロメをモチーフにした百瀬文「Jokanaan」を鑑賞して「サロメ」に興味を持った。「Jokanaan」は映像が左右2つある。左の映像ではモーションキャプチャーを付けた男性がオペラに合わせて歌い踊るように振る舞う。そして、右の映像ではCGの女性が男性のモーションキャプチャーのデータを元に歌い踊るように振る舞う。男性とCG女性が呼応しているように見えて呼応していない。高らかにオペラが歌い上げられるなか作品の理解に努めようと試みるものの、生身の男性の振る舞い、滑らかな質感のCGの女性がヨカナーンの首の血に染まる映像が先に展開してしまう。リアルタイムで作品の生成と事後を味わう得難い体験だった。

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2023年5月1日/ゾゾの町・令和4周年

『ファイナルファンタジー6 ピクセルリマスター』をプレイしている。コーリンゲン村でシャドウを発見。ここでパーティーに空きがあれば仲間にできるようだ。ロックのレイチェルのイベントが発生。ロックがやたらと「守る」と連呼するのはここに理由があるらしい。ジドールを経由してゾゾに到着。過去のプレイではここで長居していたのだがあっという間にボスのダダルマー戦になった。時計の謎解きは一から行った。てっきり嘘つきの住人の話をまとめると時計の時刻が判るのかと思いきや消去法で複数の答えが残った(俺が馬鹿なだけで住人の回答で1つの回答を導き出せるのかもしれない)。ノートに住人の説明と時計の選択肢をまとめ、残った選択肢をしらみつぶしに答えていき、回転のこぎりを手に入れた。今までは特に気にしなかったが、魔石が手に入ったため、ここから各キャラクターの育成が可能になる。セリスとロックの固定枠があるものの、ナルシェまで戻ってカイエンとガウ、あとはシャドウの育成をしても良いのかもしれない。

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FINAL FANTASY VI

FINAL FANTASY VI

  • SQUARE ENIX
  • ゲーム
  • ¥2,600


三島由紀夫の著作がKindleにあるのかと思いきや電子書籍化されていないことを知った。インターネット上で調べた限り、TPPによる著作権の期間延長の影響もあるらしい。これから文庫本を買い集めることにする。


佐賀崎しげる (原作), 鍋島テツヒロ (イラスト), 乍藤和樹 (漫画)『片田舎のおっさん、剣聖になる~ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件~』の漫画版を読む。原作も少し読んでいるものの、漫画版には絵の表現によるテンポの良さがある。


令和5年5月1日、令和が始まってちょうど4年が経過した。別に令和にこだわりは無く、この日は友人が喫茶店を開店した日になるため覚えている。友人に開店5周年おめでとうとメッセージを送ったら4周年だと訂正があった。友人の店の情報は以下のInstagramを参考にして欲しい。

2023年4月30日/ECM・三島由紀夫・スタートレック

外出の休憩がてら喫茶店に寄り、同店で販売していた稲岡邦彌『新版 ECMの真実』を購入して読む。冒頭のECMオーナーのマンフレート=アイヒャーに関する文章を読んでいたところ、店主から村上春樹のエッセイ広告も載っているという話があった。確認したところ、村上春樹の他、津島佑子、村上龍等のものもあった。その他にもECMに関わった人々の証言の中に短いながらもニック=ペルチュのものがあった。本書を1時間程パラパラと捲っただけだが充実した時間になった。


平野啓一郎「三島由紀夫論」を購入して目次と序論を読む。平野啓一郎が構想から実現までに二十余年が掛かった大著になり、登録している平野のメールレターを読んでいた限り、長らく本書の準備をしていた印象がある(平野のメールレターの冒頭のエッセイ調の挨拶文は割と楽しみにしている)。序論によれば、これまで発表した各論を本書にまとめるにあたって手を加えているという。私は平野の小説以外の作品に熱心ではないが、エッセイ集『モノローグ』に収録された「『英霊の声』論」は読んだ記憶がある。久しぶりに平野のまとまった文章を読むと明晰でありながら平易であり、これから読むのが楽しみである。問題は私が三島由紀夫の『金閣寺』しか読んでいないことである。これを機にまず平野啓一郎の『「かっこいい」とは何か』や三島由紀夫作品を読むことにした。


スタートレックをこれまで観たことがないと思い、J=J=エイブラムス『スター・トレック』(2009年)を観た。何でもありの娯楽作品で非常に面白く、ようやくバルカン人のスポックについてまとまった理解を得た。

2023年4月23日/神の子どもたちはみな踊る

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の次に「神の子どもたちはみな踊る」を再読した。「神の子どもたちはみな踊る」は何度か読み直している短編集になる(その他で再読している短編集は「女のいない男たち」)。本作は日常がその前とその後では否応なく変質してしまう悲しみやどうしようも無さ、つまり村上春樹作品のテーマの1つを阪神・淡路大震災という災害を軸に描いている。今回は本作が新海誠『すずめの戸締まり』にも影響を与えているとの言説から読み直した。以前読んだ際は上記テーマを素直に描いている「アイロンのある風景」を面白く思い、作品内で言及されるパール・ジャムの音楽も聴いた。しかし、今回はそこまで響かず、複数の設定が織り込まれた表題作「神の子どもたちはみな踊る」が面白かった。今後の予定は未読の『騎士団長殺し』、『一人称単数』から最新刊の『街とのその不確かな壁』を読むことになると思う。

2023年4月20日/ねじまき鳥クロニクル

村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」を二十数年振りに読み直した。複雑ではあるものの、手に負えない訳でもない。感銘を受けたのは間宮中尉の物語である。長命が予言される一方、恩寵を逃した敗北と呪いの生。それはどのような生なのかと他人事として想像を膨らませる。一方、恩寵を逃した敗北と呪いの生、それを認めずにただ生きることは、つまり我々の生であり、ありきたりな生だという考えに行き着く。
大きく誤解していたのは、謎の女と加納マルタと赤坂ナツメグを同一人物として理解していたことである。その事実だけでも当時の読みの浅さが判る。

2023年4月15日/変化

春の風はこんなに強いものだったか?シャツがバルコニーの床に散らばっていた。


スパイスを使用するカレーを作る一方、ルーを使用したカレーを食べたくなることもある。市販のルーだと最近はジャワカレーを食べている。よく行くチェーン店はカレーショップC&C。ここでカレーを食べると更に空腹になることが多い笑。先月はセブンイレブンのカレーフェスの新商品を色々と食べた。店舗で食べたことがあるものはエリックサウスのみだった。味に再現性があるかは判らなかった。しかし、スパイスの味わいを感じることができた。外出先のレンタカーでカレーを食べた際、トレイからこぼれたカレーの匂いが車内に満ち、食い意地を張るものでは無いと思った。


統一地方選挙の前半戦が終わる。維新が増えた印象を受ける。維新について色々と書こうと思い、ふと昔の選挙を調べたところ、以前から維新が議席を増やす度に話題が上がっていた。人はよく忘れるものである。一方、西田亮介氏の維新は政策ではなく雰囲気が支持されていることを示唆する発言を見掛けた。そして、ふと、出掛けた先の駅前で車椅子を使用した障害のある男性が維新のチラシを配っており、少なくとも彼にとって維新は支持すべき政党と認識されているのだなと意外に思ったことを思い出した。結局のところ、内実ではなく印象だけで物事を判断しているのは自分なのだと反省した。


新年度の慌ただしさに精神的な落ち込みの予兆を感じ、自分を慰めるため、『僕の奥さんはちょっと怖い』『年上エリート女騎士が僕の前でだけ可愛い』『アリスさんちの囲炉裏端』を読んだ。『アリスさんちの囲炉裏端』は以前に何話か読んでおり、ふと最新話を読んだところ、主人公たちの関係がかなり進んでいることに驚き、何があったのか物語を追うことになった。また、『黒と誠』の最新刊も読む。


仕事で外出したところ、ドタキャンがあった。時間を持て余したので本屋で帰りに購入しようと思っていた『本の雑誌 2023年5月 活字吹雪でお別れ号 No.479』を手に入れる。本号は目黒考二の追悼特集がある。「本の雑誌」を購入するのは初めてのことだ。レジに赴いたところ、村上春樹の最新作「街とその不確かな壁」が積まれており、今日が発売日だったことに気が付く。未だに『騎士団長殺し』や短編集を読んでおらず、直ぐに読む必要は無いと考えている。そして目下「ねじまき鳥クロニクル」を読み直そうと思っていたため、これを機に「ねじまき鳥クロニクル」のKindle版を購入して読み始めた。その他、藤田直哉の『新海誠論』を探すも在庫が無かったため、翌日の仕事の帰りに別の本屋に寄って手に入れた。


最寄りのジャズ喫茶で購入した本をパラパラとめくる。Chet Baker『Baby Breeze』収録「Born to Be Blue」が流れる。UA×菊地成孔以外の「Born to Be Blue」を聴くのは初めてだ。非常にセクシーな雰囲気である。ブルーは貧困を意味するらしい。勝手に悲しみや透明感を連想していた。


気分的な落ち込みから回復し、自分の中で変化を起こすことにした。まず、現状のTwitterに不満を感じたため、思い切ってSNSを辞めることにした。とりあえず、TwitterやInstagramのアカウントを削除した。その他、アカウントや閲覧サイトを整理して主体的な時間を取り戻そうと思う。

2023年4月2日/在りよう

3月に聴いた音楽をブログにまとめる時間が掛かった。


友人に勧められ「すずめの戸締まり」について話し合われている文化系トークラジオLife「文化系大忘年会2022 Part5」のポッドキャストを聴いた。数年振りの視聴になる。同番組の初期クルーである津田大介氏も久々に参加していたらしく「Lifeってこういう番組だったな」との発言に笑って共感した。今では毎回の司会をしていないらしいものの、Charlieこと鈴木謙介の話の切り分けやまとめる力に改めて感心してしまった。「すずめの戸締まり」は未だ考えることがあり、観て良かったと思う。
www.tbsradio.jp


絹田村子「数学であそぼ。」、wako「サチコと神ねこ様」、山田鐘人(原作)アベツカサ(画)「葬送のフリーレン」の新刊を読む。「葬送のフリーレン」は黄金のマハト編が長編になっている。本巻で終わると思っていた。


近藤康太郎「三行で撃つ」を読んだ。副題は「〈善く、生きる〉ための文章塾」。文章を書くことが生き方に繋がるという考えの下、文章の書き方が指南されている。本書を読み終え、意識してブログを書いている。お陰でこれまでの冗長な文章は減ったと思う。本書を念頭に紋切り型の言葉を選ばないようにするだけで考える時間が増えた。読了後に「百冊で耕す」が出版されていることを知った。


スティーブン=スピルバーグ監督「フェイブルマンズ」、庵野秀明監督「シン・仮面ライダー」を観た。どちらも作品に没入できず、自分の感性を疑うことになった。フェイブルマンズは映画を撮ること、撮らないではいられないことについて、スピルバーグの思想が明らかにされている。「シン・仮面ライダー」は面白く無いと思った。しかし原作を途中まで観てから臨んだ「シン・ウルトラマン」は面白かった。もしやと思い、You Tubeで無料公開されている初代仮面ライダーの1~2話を観た。やはり、原作を視聴の有無で印象が違う。仮面ライダーがそこに立ち、ジャンプをするとそこにいる理由、答えは初代仮面ライダーにあった。つまらないと感じた原因は教養不足だった。煩わしいと思われても言う。初代仮面ライダーの1~2話だけでも観て映画を楽しめ。私は4話まで観た。なお98話まである。


料理研究家リョウジのトマトパスタの作り方を参考にフライパン1つでスパゲティーを作っている。私は鷹の爪、にんにく(チューブ入り)、ひき肉、塩、カレーパウダー(ひき肉の臭みの除去を目的としている)、生姜(チューブ入り。これはお好み)、トマト缶のカットトマトを炒め、コップ2杯半程度の水を入れてパスタを煮詰めている。洗い物が少ない。パスタとソースが分離しない。味が染みる。美味い。


終わった仕事にクレームが2件連続で入る。悪いことは続くものである。これからも客の心をえぐり引き裂く仕事を心掛けて生きたいと思う。

『社史 本の雑誌』『一人が三人 吾輩は目黒考二・藤代三郎・北上次郎である。』

読書の習慣が付いたきっかけは、小学校高学年の時に姉が図書館から借りていた本を真似して読み始めたことになると思う。姉が借りていた本は椎名誠や村上春樹、神林長平の作品だった。当時の作家や作品に関する情報は、国語の授業の資料になる国語便覧や新聞の文化面や書評欄から得ており、既刊の情報を得ることがができなかった。そのため、題名が面白そうだという理由で、いきなり村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を読み始めるといった行動を取っていた。村上春樹作品の中で最も長い印象がある「ねじまき鳥クロニクル」だが分量的には必ずしも長く無いという。つまり、読み手の問題だったのだ。また、家族の間でもそれなりの性描写がある作品を読むことの議論があったらしい。幸か不幸か、家族が私の読書を批判することは無く、その後も村上春樹の小説を読むことによって性的な知識を得ることになった上、大学生になれば当たり前のように恋愛をして女性と性的な関係になる機会もあるのだろうと勘違いすることになった。一方で、村上春樹は読むことができるものの、どうやら作者の意図、作品の前提や暗黙の了解ができていないことも判っていた。神林長平の「戦闘妖精雪風」は端的に難しく、何が描かれているのかも判らなった。しかしながら、椎名誠の作品は非常にわかりやすくて面白く、図書館にあるエッセイや私小説、SF小説を読み進めることになった。当時の印象に残っているのは私小説の「岳物語」やSF三部作と言われる「武装島田倉庫」や「水域」、「アド・バード」になるだろう。椎名誠の作品を一通り読み終えると、芥川賞を受賞した平野啓一郎の「日蝕」といった純文学作品等を読むようになる等、興味が移り変わっていった。

昨年、椎名誠と目黒考二の「本の雑誌」の創刊を描いたカミムラ晋作「黒と誠」という漫画を読み、現在の椎名誠や目黒考二の活動等を知ることになった。以前から椎名誠が書評家である北上次郎こと目黒考二、イラストレーターの沢野ひとし、弁護士の木村晋介と「本の雑誌」の活動をしていたことは知っていたものの、小中学生の頃は椎名誠が興味の対象の中心になり、ここ数年はネットや雑誌の書評において北上次郎の文章を読むことの方が多かったかもしれない。昨年は村上春樹の作品の読み直し等をしていたこともあり、椎名誠やその周辺の作品を読み直すのも良いかもしれないと思い、まずは「黒と誠」で魅力的だと思った目黒考二の「一人が三人 吾輩は目黒考二・藤代三郎・北上次郎である。」をちまちまと読んでいた。そして今年に入り、目黒考二が肺がんで急逝したことを知った。そこで哀悼の意を込め、その次に読もうと思っていた目黒考二の「本の雑誌風雲録」が収録された「社史 本の雑誌」を注文して読むことにした。

目黒考二の「本の雑誌風雲録」は「本の雑誌」を書店に直接販売する際に配本をしていた配本部隊を記したものである。「風雲録」は実名の記載になり、登場する人々に対する敬意もあるのだろう、淡々としている。読みどころは、配本部隊を構成する学生たちとの交流や様々な思いが綴られている部分だ。椎名誠の「血風録」を再読して比較するとやはり「血風録」が面白く読めるものの、社史としての役割は「風雲録」が果たしているのではないかと思う。また、「1人が3人」を読む限り、目黒考二の気兼ね無い文章が読めるのは藤代三郎名義のギャンブルの話ではないかと思った。また、北上次郎名義の書評は、既に評価されている作品を意図的に選ばない等、色々と配慮があった。なお、1995年~1999年のエンターテイメント作品のベストは当時の資料として貴重で、椎名誠も「血風録」において同様の作品を言及している。

「社史 本の雑誌」には「風雲録」と「血風録」の他、付録があり、付録には現在の本の雑誌のスタッフの座談会や文章が掲載されている。こちらも面白く読んだ。

2023年2月19日/愛すべき存在

Fallout4をプレイしている。シルバー・シュラウドのクエストをクリアする。以前のプレイでは衣装を手に入れるところまでしか進めていなかったらしい。こんなに長いクエストだったかという感想。シンジンがケントを人質に取った戦闘では会話を何度も繰り返しようやくシンジンを一撃で屠ることができた。また、カボット邸の人々に由来するスペシャルデリバリーのクエストもクリアする。長生きをしているのは主人公だけでは無かったらしい。その後、ドッグミート以外のコンパニオンを連れて行動しようと思い、パイパーと共に行動を開始する。正直、口喧しい印象だったが、一緒に行動すると素直で、ミニッツメンのお使いをこなしたところ、あっという間にロマンスを起こすことができた。唯一パイパーを仲間にして反感を買ったのはUSSコンスティチューションのクエストでスカベンジャーでは無くロボットの味方をした時のみだった。パイパーは人間中心主義らしい。その後、パイパーと共にコーサーを追いかけて始末し、コーサーチップを手に入れ、テレポーテーション装置の制作に取り掛かる。パイパーの次はなかなか癖が強いと評判のケイトと共に行動を開始し、バンカーのお使いやUSSコンスティチューションのクエストをこなす。USSコンスティテューションのオチはコミカルだった。現在の状態を整理するとミニッツメンはオールドガンのクエストまでクリア済みになる。なお、友好拠点の防衛要請に気が付かず、防衛に失敗することも増えてきた。BOSはプリドゥエンの傍にあるストロング砦のクエストをクリア済みになる。レイルロードはデリバラーやバリスティック・ウィーブは入手済みになり、ちまちまMILAを設置している。レベルは42になり、思い出せる限りだと、ガンナット、アーマー、スニーク、スクラッパー、アクアボーイのパークは最大まで強化している。現在はサイエンスとストロングバックの強化中。そろそろカリスマを育てて友好拠点の供給を繋げたいとも思っている。

目黒考二の急逝を知る。漫画「黒と誠」の影響を受け、目黒考二の「1人が3人」を読んでおり、次は「本の雑誌風雲録」を読もうと思っていたところだった。残念である。哀悼の意を込め、「本の雑誌風雲録」と椎名誠の「本の雑誌血風録」が収められた「社史 本の雑誌」を購入し、現在は「本の雑誌風雲録」の部分を読み進めている。

東京藝術大学の卒業・修了展に赴く。久しぶりに大学の構内に入り、箱庭は大事だなと思っていたところ、各作品にコロナの影響が見受けられ、彼らは自分が思い描いたような大学生活を送れなかったことを知る。各作品の才気と熱量に圧倒されながら、卒業後にこの才気と熱量は一体どこに向かっていくのだろうか等と考えた。

Twitterの漫画広告を入口に冬月光輝の「完璧すぎて可愛げがないと婚約破棄された聖女は隣国に売られる」を第一部まで読む。

「修羅の紋」第6巻を読み終える。金剛やら無刀金的破が有能過ぎる。