3月は無し。
2026年4月の音楽
3月は無し。
3月は無し。
子どもの頃、お菓子等に抹茶の味があることに疑問を感じていた。
わざわざチョコレート等の甘いをお菓子に抹茶、苦みを加える必要があるだろうか?
家族が洋菓子の抹茶味を選ぶ横目に私は抹茶味のお菓子を除外して20代まで過ごすことになった。
テレビ番組で松本人志が唐揚げにレモンを掛ける行為について「さっぱり食べたいなら揚げるなよ」とツッコミを入れており、首肯したものである。
時を移り2016年、私は4月に発生した熊本地震の対応のため、ゴールデンウィーク期間中に熊本市に派遣された。
ゴールデンウィークの前半は熊本市内を周り、後半は内勤業務をしていた。
私は連日の業務に疲弊しつつも、多くの人が駆けつけてごった返しになったオフィスの熱気で、一種の躁状態になっていた。
そんななか、上司から大量のお菓子の差し入れがあった。
複数のパーティーパックのお菓子はなぜかシンプルな味のものがなく、抹茶味の洋菓子ばかりだった。
私は上司のセンスのなさに苛立ちつつ、小腹が空いていたのだろう、何気なく大袋からこぼれたキットカットの抹茶味の包装を破り、口に運んだ。
私は甘みの中の茶の苦み、不自然な苦みを感じつつも、次々と抹茶味のチョコを口に放り込み、手が止まらなくなっていた。
それ以来、私は抹茶味のお菓子を選ぶことにためらいが無くなった。
不自然な苦みすら今となって味のアクセントだと思えるようになった。
ただ甘いだけでは物足りない、苦みを好むようになった。
子どもが苦い食べ物を忌避する理由は味覚が純粋、大人が苦味を好む理由は味覚が麻痺している―松本人志はラジオ放送で放送作家の高須光聖からそんな説明を受けていた。
しかし、抹茶の味について書くはずが松本人志の思い出のような文章になってしまった。自分が一定の影響下にあったことは認めざるを得ず、思うままに記載した。
熊本地震から歳月が経過しましたが、今なお復興の歩みを続けられている皆様、そして困難な状況にある方々に、改めて心よりお見舞い申し上げます。皆様の歩まれる道のりに、平穏と心安らぐ時間が訪れることを切に願っております。
ショパンを、脱構築、抽象化、再解釈のプロセスを通して、再構築した作品集
年初のジャズ喫茶で流れたイケてるフリージャズ
今月は購入無し。
YouTubeを眺めていると馬渡松子『さよならbyebye』AIカバーが良く、その後に原曲も聴いた。
よくよくAIカバーの歌詞を聴いていると、葉書を「ようがき」と読み上げていた。
AIは歌詞を読み上げているだけ、それに聴き入る自分。
そもそも音楽における言葉とは感情を喚起する一つでしかない等と考える一方、ただ曲調に合わせてそれらしく歌われる言葉に喚起される機械的でシステマチックな自分の一面を認識する。
その後、懐かしくなり、休日の夕方の午後6時30分に観ていたアニメ「幽遊白書」「HUNTERXHUNTER」を調べ主題歌等を聴いた。
高橋ひろ『アンバランスなKissをして』は子どもながらに大人っぽいものの片鱗を意識して聴いたものである。
私はHUNTERXHUNTERの旧アニメしか観たことが無いものの、大げさに言って「HUNTERXHUNTER」ヨークシンシティ編のダークな雰囲気に勝るものは無く、WINO 『太陽は夜も輝く』は折りをみて思い出している。
今月は購入無し。
仕事中にYouTubeで見つけてずっと聴いていた
最初は坂本龍一を連想した。
ゲームは未ブレイ。
ただし、当時の友人がサガフロンティア2は面白い、ギュースターヴやらエッグ云々とさかんに言っていた、何気ない思い出がある。
たぶん今年一番気に入った新譜。
フィールドレコーディングの導入からアンビエントミュージックに至る。
何度も繰り返し流し続けた。
本作の語り手は『こわれた腕輪 ゲド戦記 2 』に登場したテナーである。
テナーはその後、ゲドの才能を見出したオジオンの下で魔法や学問を修行したものの、自ら男の妻になり、母親になり、夫が亡くなった後は農園の女主人として生活を送っていた。
テナーはある時、虐待を受けて顔等に火傷と障害、心に傷を受けた少女を引き取り、テルーと名付けて共に生活を始める。
その後、死期を悟ったオジオンの呼び出しに応え、死を看取ると、ゲドが竜カレシンの背に乗って帰還を果たす。
アレンが長年空位だった王位についたものの、倫理が退廃して力が物言う世界がすぐに変わることは無い。
テナーは役目を終えて魔法の力を失ったゲドと少女テナーと共に生きようとするものの、数々の困難に見舞われる。
テナー自身は聡明で地に足を付けて生きてきているにも関わらず、まとめな魔法使いたちにさえ、中年の女性として軽んじられる。
この世界における魔法使いは女人禁制のロークの学院で魔法を学んだ男性のみになる。
一方、魔法が使える女性は女まじない師として市井を生きている。
なお、次巻『ドラゴンフライ アースシーの五つの物語 ゲド戦記 5 』収録「カワウソ」によれば当初は男女共に学院で魔法を学んでいたことが判る。
帰還したゲドは魔法の力を失い何をすれば良いのかわからない様子である。
その様は定年退職を迎えて途方に暮れる年老いた男性のように見える。
最高峰の魔法使いであったにも関わらず、途方に暮れたゲドはテナーがテルーを迎えて生活する先に何があるのかと問い掛ける始末である。
人は生活がまず初めにあり、未来に思いを至らすもので、ゲドの発言は観念的な愚問であろう。
なお、魔法使いは魔法に一意専心するため、自らの性欲を魔法で制御しており、ゲドは性行為の経験が無い。
俗に言えば、ゲドは童貞を守った魔法使いであると共に魔法が使えなくなった童貞である。
ただし、その後にゲドはテナーと結ばれる。
本作の序盤、テナーはテルーに対してオジオンが人の形をした竜に出会ったとされる逸話を語る。
そして終盤、テルーは竜カレシンを呼んでテナーとゲドを救う。
カレシンはテルーに対して「子どもよ、よくやった。」「さあ、もう、行こう。」「ほかの風に乗って、ほかの人たちがいるところへ。」と呼び掛ける。
しかし、テルーはテナーとゲドと共に残ることを選ぶ。
すると、カレシンはテルーにここでしなければならない仕事があること、いずれ迎えに来ることを伝えて、その場を去る。
本作の世界観において、ゲドは魔法が使える男性故に立ち回れた。
一方、魔法が使えない無力な女性のテナーやテルーは男性の庇護や所有物としてしか生きる術が無い。
このように、本作はこれまでのシリーズの魔法が規定する世界観の問題をフェミニズム的な観点から暴きつつ、竜と人の繋がりといった別の世界観を提示しようとしていると思われる。
Live Improvisation at 長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館
CMからNNOSENT in FORMAL「愛じゃ崇ワナ feat.チプルソ」
最終的に物語は予言を成就した王子アレンが長年空位だった王になり、魔法使いの役目と力を使い果たしたゲドは故郷に戻るというファンタジーの定型をなぞる。一方で本作ではそもそも魔法を前提とした世界そのものに疑義の一端が向けられ、続編『帰還』では世界観そのものが全面的に批判の対象となる。
本作における死生観、死の無い生は結果的に空虚であるという考えは、惰性で生きるが故に目が覚める。
カルガド帝国のアチュアンの墓所の大巫女が亡くなり、その生まれ変わりとして見出された少女テナー。
少女テナーは大巫女として喰われし者を意味する「アルハ」として帝国で信仰されている「名なき者」に奉仕する生活を開始する。
物語の主人公はテナー(アルハ)であり、物語の中盤まで広大な砂漠と地下迷宮を持つ神殿での生活が描かれる。
それはテナーがアルハになり、アルハが墓所の地下迷宮の暗闇を表象とする「名なき者」を信仰する過程でもある。
大巫女アルハ(テナー)が信仰する神殿と地下迷宮を表象する「名なき者」の正体を迫る様はホラー小説のようだった。
本作ではアルハ(テナー)が「名なき者」を信仰し、中盤に登場するゲド(ハイタカ)によって神殿と地下迷宮から脱出するのだが、物語の構造は前作の『影との戦い』におけるゲド(ハイタカ)が詳らかにされない「死せる影」を追跡して対決する構造と相似している。