ターンエーガンダムのオープニング

ターンエーガンダムの鑑賞を開始した。6話まで観終えたところで西城秀樹が歌う「ターンAターン」のフレーズが印象的なオープニングが特異であることに気が付いた。富野由悠季の作品を嗜んでいた友人が「作品の全てを盛り込んだオープニング」と言う趣旨の発言をしていたことをふと思い出した。

ホーミーとエフェクトの掛かった女性のコーラス。
月を背景に何かを掴もうとするかのような動きをするターンエーガンダム。
そして英語調のタイトルコール*1
「時が未来に進むと誰が決めたんだ」と印象的な歌詞と共に響く和太鼓*2
これまでのガンダム作品の画像が黒い太陽に回収され燃える。
ブリキの金魚を背景に髪なびく宇宙服のロラン=セラックのサーベルのような美しい影*3
ソシエ=ハイムを背景に宇宙服のロラン=セラックが普段着となり手を掲げる。
ビームライフルの準備をするターンエーガンダム。
ローラ=ローラを背景に手を掲げるハリー=オード、ロラン=セラックを背景に手を掲げるキエル=ハイム*4、ディアナ=ソレル*5を背景に手を掲げるグエン=サード=ラインフォード。
腕をしならせてビームライフルを構えるターンエーガンダム。
ロラン=セラックが見上げる巨大なディアナ=ソレルがターンエーガンダムへ入れ替わる*6
複数のディアナ=ソレルとキエル=ハイムを背景に泳ぐロラン=セラック*7
唸るギターと掠れた尺八。
ビームサーベルを振り加速するターンエーガンダム。
混沌とした美がここにある。

youtu.be

*1:タイトルコールは珍しい気がするのだが、当時はそうでも無かったのだろうか?

*2:最初は「時が南に進むと誰が決めたんだ?」と聞こえたため、詩的ではあるが時は南に進まないぞ等と思った。

*3:この作品は序盤においてロランを中性的に描く一方、彼が男性であることを伝えようとしてロランが男性器を持つことを強調する。

*4:ディアナ=ソレル?

*5:キエル=ハイム?

*6:この意図は不明であるが全てを観終えた時に演出の意図を掴むことができるのだろうかと思ったが観終えた後もよく判らなかった。

*7:手塚治虫の作品における女性キャラに溺れる男性の精神状態を表す演出を連想する。

2021年1月3日/年末年始

1月2日にランニングをしていたところ、商店街で前方を歩く高齢の女性が転倒した。後方から確認する限り、膝が余り上がっていなかったように思う。おそらく頭部受傷は無く、特に問題は無いように思われた。なお、最悪の場合を想定するのではあれば脳内出血を考慮した頭部受傷の確認、骨折の可能性を考慮した体表や可動時の痛みの有無を確認をする必要があるだろう。

最終的に年末年始の休暇中は毎日ランニングをすることができた。しかしながら体重に大きな変化は無い。

ランニング中、ambieのワイヤレスイヤフォンを使用しており、すこぶる快適である。やはり音楽無く走るのは退屈である。

新機動戦記ガンダムWを観た後、続編であるエンドレスワルツを観た。エンドレスワルツのモビルスーツがTVシリーズと比較してよく動くことに感動した。これからもガンダムシリーズの鑑賞は続く予定となる。

結局、休日の最後に昨年にやり残していた仕事をする。年末に無理して仕事をしていなければとっくに終わっていた仕事である。

今回、久方振りにブログ等を適当に書き散らして非常に楽しかった。余暇に回す時間が増えれば仕事に集中できるような気がする。今後は余暇の時間を作ることに専念したい。

2022年1月2日/ジョジョ第4部とガンダムWの共通点

『ジョジョの奇妙な冒険 第8部 ジョジョリオン』を読み終えた後、同じく杜王町を舞台とする『ジョジョの奇妙な冒険 第4部 ダイヤモンドは砕けない』(以下、第4部と記す)を読んだ。また『新機動戦記ガンダムW』(以下、ガンダムWと記す)のTVシリーズの鑑賞を開始した。その結果、第4部とガンダムWにある共通点を見つけた。それは互いに1995年の作品であるということ、そしてどうでも良いけど強調したいところになるのだが「犬を脚で扱うこと」である。

第4部の発表は1992~1995年となり、作品の時代設定は1999年の夏となっている。物語の語り部が主人公ではなく本作で重要な役割を果たす広瀬康一である。

ガンダムWの発表は1995~1996年となり、作品の時代設定はアフターコロニー(A.C)195年となる。ガンダムWは今のところ46話まで観たところだが1年の間に色々と起こり過ぎていて世界経済等がどのようになっていたのか気になるところである。おそらく195年というのも1995年を意識しているのではないだろうか。

さて、本題である両作品が「犬を脚で扱うこと」に関して述べる。なお、犬を脚で扱うといっても動物虐待等を訴えたい訳では無いことを前置きしておく。

第4部で犬を脚で扱うシーンは広瀬康一が小林玉美と戦いを繰り広げる「広瀬康一(エコーズ)その3」で確認できる。広瀬康一は帰宅すると自宅の玄関で寝ている飼犬で老犬のボリスを「帰ったぞボリス」「おい生きてるか?オンオン」と声掛けしつつボス!という効果音と共に脚で扱う。

ガンダムWで犬を足で扱うシーンはヒロインのリリーナ=ドーリアン(ピースクラフト)がサファリルックで動物等と戯れるエンディングとなる。ここでリリーナは靴を脱いだ脚で大型犬の愛犬の腹をマッサージしている。広瀬康一が靴を脱いでいないためリリーナの優しさがより際立つ。なお、ガンダムWをリアルタイムで観ていた時も改めて観た時もこのエンディングは微妙だと思っていたのだが今に至ってはリリーナの魅力が詰まったエンディングだと思うようになった。エンディングがシリーズ中に一切変わらないのは珍しいらしい。

さて、ここで両作品が犬を脚で扱うことをここに指摘したものの、同時代に共通点を持つ描写があったとしても、そこに必ずしも普遍的な意味を見出すことができるとは限らない。それでも面白いなと思ったので指摘せずにいられなかった次第である。

広瀬康一がボリスを脚で扱うシーンは上記に収録されている。


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無料公開されているガンダムW。23:01~にリリーナが愛犬を脚で扱う。

James Blake『James Blake』

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rollingstonejapan.com
年末年始の記事を閲覧しており、上記記事からJames Blakeに興味を持ち、James Blakeの1st Album『James Blake』を聴いている。解体・分散された印象を受けるメロディとリズムにより、凝り固まった精神状態も解体・開放される心地良さがある。今後は初期のEPとJordan Rakeiの新譜を聴こうと思う。今年は割とヴォーカルものを聴くことになるかもしれない。

James Blake

James Blake

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2022年1月1日/卵黄入りかまぼこ

よく利用している喫茶店の年内営業日を知り、翌日の仕事の準備を終えた後に寄った。先客は二組いた。コロナ禍の影響は小さくなっているかもしれない。店主に「クリスマスにも仕事をするのか」と驚かれたものの、今日がクリスマスであることは全く意識していなかった。言われてみれば先客の内の一組は若い男女である。しかしながら、よくよく考えてみると喫茶店自体がクリスマスに営業していた。詳細は忘れたがケニアのコーヒを飲んだ。また、店内で販売されていたカンパニー社の新刊と既刊を購入した。

勤務先で仕事を納めた後、帰宅途中に本屋に寄り、その後はランニングとスーパーへの買い出し、室内の掃除をして大晦日を迎えた。在宅ワークが可能になったものの、デスクの一部に本を置いていたため使えるスペースが無く、卓袱台を使用して仕事をしていた。しかしながら、卓袱台で仕事をしていると横になりたい欲求に勝てない。そのため、デスクと本棚の整理をした。これでようやく自宅で仕事ができる環境が整った。もちろん、仕事をやる気になるかは話が別だ。

年末年始らしいことをしようと思い年越し蕎麦と天ぷら、伊達巻を購入した。年越し蕎麦は大した量にならないだろうと二人分を作った結果、結構な量となってしまった。しかし、いざ食べ終えると年をまたぐ時間に小腹が空いてきた。仕事を納めた後、食事量が減っていたものの、食べれば食欲のスイッチは入るものらしい。

元日の朝に購入した伊達巻を食べたところ、思いの外、かまぼこであった。そもそも伊達巻とは何であるか?Wikipediaによれば卵黄入りのかまぼこらしい。調理サイト等をみるとはんぺんを材料にしている。どうやら購入したメーカーの特徴だったようだ。

軽い朝食を摂った後、ランニングをした。近隣の寺の前を通ったところ、多くの参拝客がいた。2021年12月31日の東京都のコロナウイルスの感染発生者数は78名となり増加傾向にある。果たして2022年のコロナウイルスの影響はどのようなものになるのだろうか?

先月、たまたま仕事中にYou Tubeで「新機動戦記ガンダムW」を観た。序盤はダイナミックな展開となり、主人公であるヒイロ=ユイは敵を殲滅して高笑いをした上、顔を見られたヒロインであるリリーナ=ドーリアンの学校に入学、リリーナが手渡した誕生日会の招待状を破って捨て(リリーナもリリーナでいきなり誕生日会に招待するんだと思った)、リリーナの涙を拭って「お前を殺す」と呟く。ハチャメチャな展開だと思ったのだが、こうやって書くと理屈が合っているため何も問題が無いように感じるから不思議である。

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2021年12月31日/鼻のかみ方

今年の6月からダイエットを目的として休日にランニングを開始した。ランニングは事故等を考えるとランニングコースの方が安全ではあるものの、位置情報ゲームの攻略も兼ねているため街にも出ている。巷で噂のゲーミフィケーションという訳である。何より同じ場所を何度も走ると飽きてしまう。最近、ランニング中に鼻をタオルでかんでいたところ、私の姿を見た女児が「タオルで鼻をかんでも良いの?」と母親に尋ねていた。私も普段はティッシュペーパーを使用して鼻をかむ。しかしながらランニング中に鼻をかめば汗に濡れたティッシュペーパーが千切れて鼻をかむことはできない。そのためタオルで鼻をかんでいる。左手のポケットは鼻をかむためのタオル、右手のポケットには汗を拭くためのタオルを入れ、使い分けている。また、鼻をかんだタオルの鼻水が付いている部分はきちんと裏側になるように畳み左手のポケットに入れている。加えて、帰宅した際は鼻をかんだタオルを浴室ですすいで洗濯機で洗う念の入れようである。手鼻よりマシだと思っているのだが、たぶん女児は手鼻すら知らないだろう。手鼻を私がしっかりと目撃したのはサッカー日本代表の試合である。日本代表の選手が流れる汗と共に颯爽と手鼻をしていた姿は忘れられない。今思い出しても見事な手鼻であったと思う。鼻をかむを英語にすると「Blow your nose」と何となくJ-POPっぽく「Blow your nose~愛について~」という歌を作ることにした。

Blow your nose ~愛について~
作詞 Mr.Flower


ねぇ 気が付いたら 君への想いがあふれてる
口呼吸かな 緊張かな のどがカラカラ
それはきっと 君が大事な人だから


声がつまる 鼻もつまる だから鼻声
君を前に高まる気持ち これは恋


Blow your nose
垂れていた 
Blow your nose
流れていた


やっぱり 気が付いたら 君への想いが膨れ上がった
季節は巡る 垂れる鼻汁 やってきた春
だからきっと 運命の人になる


息ができない 頭が重い これは何?
手放せない 込めた思い これは愛


Blow your nose
鼻をすすぐ
Blow your nose
想いを注ぐ


Blow your nose
鼻翼を閉じる
Blow your nose
優しく包む

出来には全く納得していない。


会社からの帰宅途中に書店に寄って所持していないスタニスワフ=レフの本を全て購入した。その前にレムが特集されていたSFマガジンを購入している。未だにレムの短編は読んでいないものの、全ページを読むつもりで眺めており、続編が連載されていることも知らなかった神林長平の雪風はかなり面白かった。飛浩隆の空の円丁は廃園の天使シリーズを読み直して設定を理解する必要があった。木澤佐登志の論考はアフロフューチャリズム等に言及していてかなり面白かった。大野典宏や香山リカのコラムがあることも全く知らなかった。やはり雑誌というのは面白いと思う。


年末の宝くじは当たらなかった。

2021年の漫画

今年は今まで気になっていたけど読んでいない漫画、完結したけど途中までしか読んでいない漫画を読んだ。その結果、かなりの量の漫画を読むことになったので記録を残す。

wako『サチコと神ねこ様』

youpouch.com
以前から継続して読んでいる四コマ漫画。Web連載のため、仕事終わりに読むのが日課となっている。

ヤマシタトモコ『違国日記』

www.shodensha.co.jp
以前から継続して読んでいる。最新巻である8巻は未読である。本書における「違国」は姪から見た叔母の世界と思われたが、物語の進行に伴い、様々な他者の価値観を指すことは明らかだと思う。時事的な話題も違和感無く取り入られており、時に辛いものの非常に面白い。

岩本ナオ『マロニエ王国の七人の騎士』

flowers.shogakukan.co.jp
昨年からのめり込むように読んでいる。マロニエ王国=中つ国の七人兄弟が大使となり、周辺諸国へ赴き、異国の地で自らの出自や世界の成り立ちを知るという王道の中世騎士物語である。素晴らしい線で構成された柔らかな絵柄で登場人物の心情の機微が丁寧に描かれており、一度読んだら止められない。

鳥山明『DRAGON BALL』

アニメでセル編あたりからざっくりと内容を把握していたものの、ナメック星編を把握していなかったため、全巻を通読した。

川原正敏(原作)、甲斐とうしろう(作画)『修羅の紋』

www.gmaga.co
陸奥圓明流の異世界転生物語。なお、陸奥に魔力は無い。

アサイ『木根さんの1人でキネマ』

manga-park.com
映画好きを主人公にしたコメディ漫画。そういえば最近は映画を観る習慣が無くなった。

山田鐘人(原作)、アベツカサ(作画)『葬送のフリーレン』

www.sunday-webry.com
魔王を倒した勇者パーティーの長命のエルフの魔法使いであるフリーレンは勇者の死後、人を知るために旅に出る。精緻な絵柄とフリーレンの感性の表現なのか淡々と進む物語が良い。

武論尊(原作)、原哲夫(作画)『北斗の拳』

強さの指標は愛と哀しみ。サウザーやラオウを倒しても物語は続くので最後までちゃんと読もう。

福本伸行『賭博黙示録カイジ』

賭博黙示録 カイジ 1

賭博黙示録 カイジ 1

Amazon
yanmaga.jp
ざわ・・・ざわ・・・(25周年記念で無料だったところ、夢中になり、全巻を購入して読んだ)

ほったゆみ(原作)、小畑健(漫画)『ヒカルの碁』

shonenjumpplus.com
友人から途中まで借りて読んだことを思い出した(月日は移ろい、その友人は今では衆議院選挙に立候補している…)。なお、囲碁のルールは理解できていない。

杉谷庄吾【人間プラモ】『映画大好きポンポさん』

comic.pixiv.net
映画化を知り、改めて読み直した。

日渡早紀「ぼく地球シリーズ」

たまに「ぼくの地球を守って」を読みたくなることがあり、それを機に続編を一気読みした。続編が継続できる構想力が凄い。

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』

読め読めと言われて読まぬ天の邪鬼を斬る

松本大洋『東京ヒゴロ』

漫画編集者が自らの信念に基づき漫画家に声を掛けて雑誌を作ろうとしている。

荒木飛呂彦『ジョジョリオン』

完結に合わせて再読した。また、杜王町が舞台となる第4部も再読した。東日本大震災を経た杜王町を舞台に、記憶喪失という形で系譜や血脈を受け継がない主人公が活躍する本書は冒頭より「これは呪いを解く物語」であるとテーマを掲げる。系譜や血脈は因果や呪いとして示され、登場人物たちは因果や呪いに束縛されつつ抗う…と理解しているものの、ロカカの実やスタンド能力を含め、第4部や第7部の内容も織り込んでいるため、抽象化して説明することが難しい作品だと思う。

諫山創『進撃の巨人』

完結に合わせて再読した。ふと思ったが、良し悪しは別として上述した「ジョジョリオン」が抽象化することが困難な複雑な物語であるとすれば、「進撃の巨人」はパズル的な複雑な物語であると言えるかもしれない。

ブッチャーU(漫画)、ムンムン(原作)、水龍敬(キャラクター原案)『せっかくチートを貰って異世界に転移したんだから、好きなように生きてみたい』

エロ有りファンタジー有りロボット有りのてんこ盛り。

ボーンシリーズ

友人の勧めを受け『ボーン・アイデンティティー』から始まるボーンシリーズを観た。

主人公ジェイソン=ボーンが活躍する作品は『ボーン・アイデンティティー』『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』『ジェイソン・ボーン』となる。『ボーン・レガシー』はスピンオフ的作品でジェイソン=ボーンは登場しない。
2作目の『ボーン・スプレマシー』のモスクワのカーチェイスのアクションが非常に良かった。
5作目の『ジェイソン・ボーン』はCIAとビッグテックとの関係が描かれており興味深い。
本作におけるCIAはプロジェクトの露見を阻止するためにプロジェクト関係者を全員殺害するという行動を取りがちで恐ろしかった。CIAは政局や担当者の属人性によってプロジェクトの成否や可否が決定するといったことを改めて欲しいと思った。

『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』

奈倉有里著『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』を読んだ。

本書は著者のロシア留学を綴った自伝的なエッセイ集となる。久々に読書の喜びを感じたお勧めの一冊だ。ロシアと文学の世界がまばゆく、時に薄暗く活写される。著者の文学に対する意欲的な姿を通じて、気が付くと読書や大学の講義に取り組んでいた若い頃のことを思い出した。本書に感化された捏造の記憶かもしれないが…

著者は高校時代からロシア語を自主的に学び、高校卒業後にロシアのペテルブルグに渡ったという。本書は著者がロシアに渡り、ロシア国立ゴーリキー大学を卒業するまでが、ロシアの詩、小説、歌謡曲等の紹介と共に描かれる。また、チェチェン紛争、ウクライナ情勢等、過去から現在のロシアの世情も描かれている。なお、著者は大学卒業後、東京大学大学院に進学しており、進学後は沼野充義を師事していたようである。

本書や「プーチンのユートピア」を読んでいるとロシアに関して語ることが恐れ多いと恐縮する。他方、文学や映画等を通じて一端に触れることならできるかもしれない。

アルカジー兄弟の作品を読んできたため、著者がボリス=ストルガツキー翻訳の芥川龍之介の「芋粥」を大学教授に紹介するところでニンマリした。

2021年の音楽

今年よく聴いたアルバムを挙げる。

Cleo Sol『Mother』


7トラック目「Don't Let It Go To Your Head」のLo-fi Hip Hop的なアコースティックのミニマリズムが心地良い。

Amaro Freitas『Sankofa』


1トラック目「Sankofa」の繰り返されるフレーズが美しい。

Lisa Lerkenfeldt『A Liquor Of Daisies』


どこか遠い異国のようでありながら友人のこだわりのダイニングルームにいるような親しみを想起させる約40分の小宇宙的音景。

2021年12月の音楽

Adrian Knight『Pleasure Center』


Jana Rush『Painful Enlightenment』


Joseph Shabason『The Fellowship』


Alba『MAUGLI』


Double Geography『Flights』


Tarentel『The Order of Things』


Brett Naucke『Mirror Ensemble』


hikaru yamada and metal casting jazz ensemble『moon』


Yosuke Tokunaga『9 MEZZOTINTS』


Will Long『Long Trax 3』


Will Long『Violet』


Will Long『Turquoise』

2021年12月26日/投影

先日の日記において以下のように記した。

昨今の事件において、加害者は死刑になるために人を殺そうと思ったと動機を語る。これらに鑑みると、加害者は自殺を断念した上、殺人や事故等の突発的な被害者になることを想定しておらず、自らを死に至らしめるのは法制度だけだと考えていることになる。当たり前だが横暴で勝手な考えである。

しかしながら結論は安易で考えを上手く表現できていない。紋切り型の定型句に思考の展開を落とし込んでいるだけのようだ。

ここで思い浮かぶのは投影の原理である。投影の原理の具体的な例はこのようなものである。
「私は友人が嫌いである。しかしながら友人を嫌うことは良くないことである。よって友人が私を嫌っていることにする」
これは次のように言い換えられる。
「友人は私を嫌っている。故に私は友人が嫌いである」
「私」は友人が嫌いな理由を「私」ではなく外部である友人にあるとすることで精神の均衡を維持している。
投影は防衛機制の一種とされており、ある問題の根本の原因を自分ではなく第三者に原因があるとする思考展開である。

投影の原理を加害者の動機に端的に当てはまる。
「私は死にたい(自殺)。しかし自殺は良くないことである。よって私は殺される」
この時点でそもそも自殺が良くないことであるという考えに無理があるように思う。むしろ、自殺ができない故に殺人が展開されている。また実際にそのような報道を読んだことがある。加えて、自殺を前提に殺人が許容されている節もある。この点が以前の日記の通り横暴で勝手な考えだと思う原因なのだろう。そのため、以下のように修正する。
「私は死にたい(自殺)。しかし自殺をすることができない。よって私は誰かに殺されることで死ぬ」
しかしながら、現実に「私」を殺してくれる人はいないため、次の論理が展開されると思われる。自殺が第三者の殺害に転換され、何故か自らの死の達成のために第三者の殺害が許容されてしまう。そもそも自殺が前提ではなく殺人を許容するために自殺が前提とされている可能性もある。
「私は誰かを殺す。誰かを殺すことによって私は死刑になる」

これらの通り、投影の原理に加害者の論理展開を追うのは難しいようである。端的に展開することで複合的な要因が無視される。上記の論理的整合性も危ういと感じる。しかしながら、自殺を前提とすることで殺人が許容され、目的が自殺から殺人に転換されることは往々にしてあるのではないだろうか。

2021年11月の音楽

Biosphere『Angel's Flight』


Ibukun Sunday『PSALM006: The Last Wave』


Clarice Jensen『Identifying Features』


NEW MEXICAN STARGAZERS『Highway Dreamscape』


Bremer McCoy『Natten (The Night)』


Ayako KATO『昔 mukashi』


Fabiano do Nascimento『Ykytu』


LIGHT LAYER (HIROSHI MINAMI / KAZUKI ISHIUCHI)『Looking North from South』


HIROSHI MINAMI/EIKO ISHIBASHI『GASPING_SIGHING_SOBBING』


Mark Tester『Oblivion Rhythms Revisited』


Music For Sleep『Decades』


Tatsuya Yoshida & Risa Takeda『THEISM』


Tatsuya Yoshida & Risa Takeda『NUYODIN』

2021年11月21日/コロナ禍における政治について

コロナウイルスに関してはっきりとした認識を持ったのが何時頃になるのか今となっては憶えていない。メールやSNSのやり取り等を確認する限り、2020年1月時点で私は今のような現状になるとは全く考えていなかった。当然ながら脅威という認識も無かった。おそらく2020年2月後半、割と唐突と思料された小中高校等の休校の処置の報道がターニングポイントになると思う。…と言う文章を2020年4月23日に残している。個人的なコロナウイルスの記録を残そうとしたものの、結局書き継ぐことは無かった。その後に西田亮介の『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか、不安か』(刊行:2020年7月20日)を読んでいるが、起きた出来事の時系列すらほぼ忘れている状況であった。

さて、未だ続くコロナウイルスの影響の中、2021年10月31日に第49回衆議院総選挙が実施された。私は場当たり的な政府のコロナウイルスの感染症対策に怒りがあり、当然ながら選挙の結果に反映されるだろうと考えていた。しかしながら、結果的には立憲と共産が議席を減らした一方、自民と公明は議席を維持、維新が座席を増やすという状況となり、民意は非常に冷静だった。SNSのエコーチェンバー現象の中で勘違いをしたのは私だった。もちろん、個別具体的にみればベテラン勢の落選等、前向きに捉えることができる変化も見受けられたと思う。

政治の利益誘導の対象とならない人々が起こし得る行動は何か?その問いに一足飛びで暴力を想像する。断絶された個人が起こし得る暴力は自殺だろうか?昨今の事件において、加害者は死刑になるために人を殺そうと思ったと動機を語る。これらに鑑みると、加害者は自殺を断念した上、殺人や事故等の突発的な被害者になることを想定しておらず、自らを死に至らしめるのは法制度だけだと考えていることになる。当たり前だが横暴で勝手な考えである。

…等と考えた。こうやってぼんやりと考えていることを列挙していくと、関係性があると思われていることが、特段の論理的な繋がりを持たないことが判る。