読書の習慣が付いたきっかけは、小学校高学年の時に姉が図書館から借りていた本を真似して読み始めたことになると思う。姉が借りていた本は椎名誠や村上春樹、神林長平の作品だった。当時の作家や作品に関する情報は、国語の授業の資料になる国語便覧や新聞の文化面や書評欄から得ており、既刊の情報を得ることがができなかった。そのため、題名が面白そうだという理由で、いきなり村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を読み始めるといった行動を取っていた。村上春樹作品の中で最も長い印象がある「ねじまき鳥クロニクル」だが分量的には必ずしも長く無いという。つまり、読み手の問題だったのだ。また、家族の間でもそれなりの性描写がある作品を読むことの議論があったらしい。幸か不幸か、家族が私の読書を批判することは無く、その後も村上春樹の小説を読むことによって性的な知識を得ることになった上、大学生になれば当たり前のように恋愛をして女性と性的な関係になる機会もあるのだろうと勘違いすることになった。一方で、村上春樹は読むことができるものの、どうやら作者の意図、作品の前提や暗黙の了解ができていないことも判っていた。神林長平の「戦闘妖精雪風」は端的に難しく、何が描かれているのかも判らなった。しかしながら、椎名誠の作品は非常にわかりやすくて面白く、図書館にあるエッセイや私小説、SF小説を読み進めることになった。当時の印象に残っているのは私小説の「岳物語」やSF三部作と言われる「武装島田倉庫」や「水域」、「アド・バード」になるだろう。椎名誠の作品を一通り読み終えると、芥川賞を受賞した平野啓一郎の「日蝕」といった純文学作品等を読むようになる等、興味が移り変わっていった。
昨年、椎名誠と目黒考二の「本の雑誌」の創刊を描いたカミムラ晋作「黒と誠」という漫画を読み、現在の椎名誠や目黒考二の活動等を知ることになった。以前から椎名誠が書評家である北上次郎こと目黒考二、イラストレーターの沢野ひとし、弁護士の木村晋介と「本の雑誌」の活動をしていたことは知っていたものの、小中学生の頃は椎名誠が興味の対象の中心になり、ここ数年はネットや雑誌の書評において北上次郎の文章を読むことの方が多かったかもしれない。昨年は村上春樹の作品の読み直し等をしていたこともあり、椎名誠やその周辺の作品を読み直すのも良いかもしれないと思い、まずは「黒と誠」で魅力的だと思った目黒考二の「一人が三人 吾輩は目黒考二・藤代三郎・北上次郎である。」をちまちまと読んでいた。そして今年に入り、目黒考二が肺がんで急逝したことを知った。そこで哀悼の意を込め、その次に読もうと思っていた目黒考二の「本の雑誌風雲録」が収録された「社史 本の雑誌」を注文して読むことにした。
目黒考二の「本の雑誌風雲録」は「本の雑誌」を書店に直接販売する際に配本をしていた配本部隊を記したものである。「風雲録」は実名の記載になり、登場する人々に対する敬意もあるのだろう、淡々としている。読みどころは、配本部隊を構成する学生たちとの交流や様々な思いが綴られている部分だ。椎名誠の「血風録」を再読して比較するとやはり「血風録」が面白く読めるものの、社史としての役割は「風雲録」が果たしているのではないかと思う。また、「1人が3人」を読む限り、目黒考二の気兼ね無い文章が読めるのは藤代三郎名義のギャンブルの話ではないかと思った。また、北上次郎名義の書評は、既に評価されている作品を意図的に選ばない等、色々と配慮があった。なお、1995年~1999年のエンターテイメント作品のベストは当時の資料として貴重で、椎名誠も「血風録」において同様の作品を言及している。
「社史 本の雑誌」には「風雲録」と「血風録」の他、付録があり、付録には現在の本の雑誌のスタッフの座談会や文章が掲載されている。こちらも面白く読んだ。