ターンエーガンダム

ターンエーガンダムのTV版を観た。なお、以下の記事の通り、以前に映画版は観ている。
bullotus.hatenablog.com

また、TV版を鑑賞してオープニングに関する記事を書いた。
bullotus.hatenablog.com

映画版を観終えた時、月の民ムーンレイスであるロラン=セラックは物語を経て、ムーンレイスと地球人には大きく隔たりがあると考え、ディアナ=ソレルと共に過ごすことを選んだと思った。しかし、どうやらそれは大きな勘違いだったようだ。私は最後にディアナ=ソレルに従ったことを過大に評価したのだと思う。しかしながら結果だけでなくその過程が判り認識を改めた。ロランはムーンレイスであることを放棄せず、しかしながら地球とそこに住む人々を愛している。ディアナ=ソレルに畏敬の念を抱き、キエル=ハイムに憧れ、ソシエ=ハイムを愛する。それでも最後にはディアナ=ソレルとの生活を選ぶ。ソシエを見守りながら女性として意識したのはウィルゲムを追って海を渡った時であろうか。カプルとターンエーガンダムというモビルスーツ越しであるものの仲の睦まじさが表されていると思う。

登場人物たちが面白いように辻褄の合わない会話をしている。誰も誰かの質問に答えていないリアリズム。人間関係の進展も物語では直接描かれない。キエル=ハイムとハリー=オードの仲の進展には見逃した話数があるのではないかと思った。

ターンエーガンダムも見慣れるとその軽快さが非常に良い。至るところで見受けられるパイロットがコクピットから顔を出して自動走行する様は面白い。

菅野よう子の音楽が良くサウンドトラックを購入した。タイトルコールのSEであるLondon Bridge Falling downやアンビエント感のあるAir plantやボーキサイトが良い。

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『新機動戦記ガンダムW』『新機動戦記ガンダムW Endless Waltz 特別篇』

『新機動戦記ガンダムW』『新機動戦記ガンダムW Endless Waltz 特別篇』を観た。

残業中、ふとYou Tubeで『新機動戦記ガンダムW』の第一話が無料で観れることを知り、何となく視聴を開始したところ、夢中になって全話を観終えることになった。まずは第一話をご覧下さい。

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改めて観てもやはり圧倒的な密度と怒涛の展開である。第一話のこの圧倒的な熱量はダイナミクス(動力学)で説明することができるかもしれない。

ダイナミクスとは二つの相反する原理から物事を構想する考えである。具体的には、物体Aを押す時に働く力Bに対して物体Aから押し返される力Cが働くといった考えである。

第一話における二つの相反する原理はお察しの通りヒイロ=ユイとリリーナ=ドーリアンである。

ヒイロとリリーナの最初の出会いは互いに顔も知らない大気圏突入時となる。ヒイロはウイングガンダムで地球に降下する作戦「オペレーション・メテオ」のため、前方を飛行するリリーナが乗る民間シャトルを降下障害物として撃ち落とそうとする。しかしながら、作戦を事前に把握していた特務機関OZのゼクス=マーキスに補足される。ヒイロは大気圏突入用カプセルからウイングガンダムを展開、敵モビルスーツをバスターライフルで撃墜して高笑いをした後、ゼクスの善戦により無人のモビルスーツと共に海に沈む。
そもそもゼクスがヒイロを補足しなければリリーナはヒイロに撃ち落とされていたらしい。ヒイロは作戦のためであれば民間人にも容赦しないことが判る。一方、リリーナは撃ち落とされる可能性すら理解できていない様子である。その後に明らかになるがゼクスはリリーナの実兄となる。このパートはゼクスが良いところを全部持っていたと言えるだろう。ゼクスが良い仕事をした結果、ヒイロとリリーナの関係性が始まったとも言える。また、ヒイロとゼクスのライバル関係もここから始まる。ヒイロ、リリーナ、ゼクスの関係を暗に示しており全く無駄が無い。単純化したダイナミクスの理論ではやはり物語は追うことは難しいらしい。

リリーナが多忙な父親が誕生日会の準備ができない不満をひとりごちながら港を歩いていると砂浜に打ち上げられた宇宙服のヒイロを発見する。リリーナは救急車を呼ぶ。そして宇宙服が戦闘用であることに気が付く。リリーナはヘルメットを外して戦闘用の宇宙服を着たヒイロが子供であることに驚く。救急隊のサイレンで目を覚ましたヒイロは顔を手で隠してリリーナに「見たのか」と尋ね、困惑するリリーナを前にして宇宙服の自決装置を起動する。しかしながら自決装置は起動せず、ヒイロは到着した救急車を強奪してその場を去る。救急車を見送ったリリーナは「私はリリーナ=ドーリアン。あなたは?」と一芝居を打つ。
リリーナの一人芝居が光るパートであり、形式化された物語の第一話を暗に示しているのかもしれない。ヒイロも躊躇無く自決装置を起動させており、既に自決を前提に行動を開始していることが判る。ヒイロが蹴り飛ばした医師と救急隊はお気の毒としか言いようがないし、階段から蹴り落とされているので死んでいる可能性もある。なお、ヒイロが強奪した救急車はその後も登場する。

リリーナの学園生活が始まる*1。そこに急遽転校してきたヒイロはリリーナに連れない様子。リリーナは学園の取り巻きと共にヒイロの下へ訪れて誕生日会の招待状を渡す。しかし、ヒイロは招待状を破り捨てリリーナの涙を指で拭い「お前を殺す」と囁く。リリーナは「何なの、この人…」と呆然とするのだった。
リリーナと視聴者共々本当にヒイロは何なのと思うことだろう。聖ガブリエル学園の描写だけでお腹一杯のところ、ここからおかわりである。ヒイロはリリーナの声掛けにデレが無いツン振り。これに対してリリーナはいきなり誕生日会の招待状を渡し、ヒイロは招待状を破って捨てる。招待状を破るシーンの劇画調の演出が面白い。更に涙を指で拭って(デレ)、わざわざ殺害宣言をするヒイロ。学園生活は「お前を殺す」を言わせるためだけの設定なのかもしれない。

さて以上の通りダイナミクスの理論を念頭に第一話を確認した。結果としてはゼクスが退き、ヒイロとリリーナの対面以降であれば、ダイナミクスの理論が適用可能かと思われた。しかし、ヒイロとリリーナの出会いにゼクスが関与しているのはちょっとした発見であり、物語の隙の無さを知る思いである。

第2話ではヒイロが学園のモブキャラとフェンシングをするシーンがあるが、本作における対人戦闘は、ガンダムのパイロットであるチャン=ウーフェイと軍事秘密結社OZ総帥トレーズ=クシュリナーダ、ヒイロとロームフェラ財団の代表デルマイユ侯爵の孫娘であるドロシー=カタロニア、ガンダムのパイロットであるカトル=ラバーバ=ウィナーとドロシーでも披露される。

敵側は地球圏統一連合、地球圏統一連合の秘密結社OZ、秘密結社OZの後ろ盾であるロームフェラ財団と推移し、結構複雑である。

オープニングのタイトルが出る際の効果音、CMの出と入りの効果音が格好良い。

Endless Waltzにおいて、戦争が終結し、その後にモビルスーツは歴史に二度と姿を現すことが無かったと述べられる。ただし、舞台を火星に移した「新機動戦記ガンダムW Frozen Teardrop」という続編もある。なお、Endless WaltzのOVA版の最終話のタイトルは「return to forever」で同名にチック=コリアの有名なアルバムがある。

昔はベタにガンダムデスサイズのパイロットであるデュオ=マクスウェルに良い印象を抱いていたものの、ディオは割と使えないことが多く、今はトロワ=バートンが良いと思うようになった。

ヒイロ=ユイを演じる緑川光のタイトルコールがツボにハマり毎回笑っていた。

戦闘シーンに動きが無い気がしたものの、Endless Waltzではキビキビと動いていた。なお、オペレーション・メテオの詳細が明かされるのはEndless Waltzである。

年齢的にガンダムを認識したのは機動戦士Vガンダム、物語の内容を理解し始めたのは機動武闘伝Gガンダム~新機動戦記ガンダムWになる。更に私はコロコロでは無くボンボン派だったため、漫画でガンダムWを読んでいた。ときた洸一のガンダムWの四コマ漫画を楽しく読んでいた記憶がある。

以下、ガンダムWの関連記事である。
bullotus.hatenablog.com
bullotus.hatenablog.com

*1:リリーナが通う聖ガブリエル学園は犬夜叉の続編である半妖の夜叉姫にも登場する由緒正しい学園である。

ターンエーガンダムのオープニング

ターンエーガンダムの鑑賞を開始した。6話まで観終えたところで西城秀樹が歌う「ターンAターン」のフレーズが印象的なオープニングが特異であることに気が付いた。富野由悠季の作品を嗜んでいた友人が「作品の全てを盛り込んだオープニング」と言う趣旨の発言をしていたことをふと思い出した。

ホーミーとエフェクトの掛かった女性のコーラス。
月を背景に何かを掴もうとするかのような動きをするターンエーガンダム。
そして英語調のタイトルコール*1
「時が未来に進むと誰が決めたんだ」と印象的な歌詞と共に響く和太鼓*2
これまでのガンダム作品の画像が黒い太陽に回収され燃える。
ブリキの金魚を背景に髪なびく宇宙服のロラン=セラックのサーベルのような美しい影*3
ソシエ=ハイムを背景に宇宙服のロラン=セラックが普段着となり手を掲げる。
ビームライフルの準備をするターンエーガンダム。
ローラ=ローラを背景に手を掲げるハリー=オード、ロラン=セラックを背景に手を掲げるキエル=ハイム*4、ディアナ=ソレル*5を背景に手を掲げるグエン=サード=ラインフォード。
腕をしならせてビームライフルを構えるターンエーガンダム。
ロラン=セラックが見上げる巨大なディアナ=ソレルがターンエーガンダムへ入れ替わる*6
複数のディアナ=ソレルとキエル=ハイムを背景に泳ぐロラン=セラック*7
唸るギターと掠れた尺八。
ビームサーベルを振り加速するターンエーガンダム。
混沌とした美がここにある。

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*1:タイトルコールは珍しい気がするのだが、当時はそうでも無かったのだろうか?

*2:最初は「時が南に進むと誰が決めたんだ?」と聞こえたため、詩的ではあるが時は南に進まないぞ等と思った。

*3:この作品は序盤においてロランを中性的に描く一方、彼が男性であることを伝えようとしてロランが男性器を持つことを強調する。

*4:ディアナ=ソレル?

*5:キエル=ハイム?

*6:この意図は不明であるが全てを観終えた時に演出の意図を掴むことができるのだろうかと思ったが観終えた後もよく判らなかった。

*7:手塚治虫の作品における女性キャラに溺れる男性の精神状態を表す演出を連想する。

2022年1月2日/ジョジョ第4部とガンダムWの共通点

『ジョジョの奇妙な冒険 第8部 ジョジョリオン』を読み終えた後、同じく杜王町を舞台とする『ジョジョの奇妙な冒険 第4部 ダイヤモンドは砕けない』(以下、第4部と記す)を読んだ。また『新機動戦記ガンダムW』(以下、ガンダムWと記す)のTVシリーズの鑑賞を開始した。その結果、第4部とガンダムWにある共通点を見つけた。それは互いに1995年の作品であるということ、そしてどうでも良いけど強調したいところになるのだが「犬を脚で扱うこと」である。

第4部の発表は1992~1995年となり、作品の時代設定は1999年の夏となっている。物語の語り部が主人公ではなく本作で重要な役割を果たす広瀬康一である。

ガンダムWの発表は1995~1996年となり、作品の時代設定はアフターコロニー(A.C)195年となる。ガンダムWは今のところ46話まで観たところだが1年の間に色々と起こり過ぎていて世界経済等がどのようになっていたのか気になるところである。おそらく195年というのも1995年を意識しているのではないだろうか。

さて、本題である両作品が「犬を脚で扱うこと」に関して述べる。なお、犬を脚で扱うといっても動物虐待等を訴えたい訳では無いことを前置きしておく。

第4部で犬を脚で扱うシーンは広瀬康一が小林玉美と戦いを繰り広げる「広瀬康一(エコーズ)その3」で確認できる。広瀬康一は帰宅すると自宅の玄関で寝ている飼犬で老犬のボリスを「帰ったぞボリス」「おい生きてるか?オンオン」と声掛けしつつボス!という効果音と共に脚で扱う。

ガンダムWで犬を足で扱うシーンはヒロインのリリーナ=ドーリアン(ピースクラフト)がサファリルックで動物等と戯れるエンディングとなる。ここでリリーナは靴を脱いだ脚で大型犬の愛犬の腹をマッサージしている。広瀬康一が靴を脱いでいないためリリーナの優しさがより際立つ。なお、ガンダムWをリアルタイムで観ていた時も改めて観た時もこのエンディングは微妙だと思っていたのだが今に至ってはリリーナの魅力が詰まったエンディングだと思うようになった。エンディングがシリーズ中に一切変わらないのは珍しいらしい。

さて、ここで両作品が犬を脚で扱うことをここに指摘したものの、同時代に共通点を持つ描写があったとしても、そこに必ずしも普遍的な意味を見出すことができるとは限らない。それでも面白いなと思ったので指摘せずにいられなかった次第である。

広瀬康一がボリスを脚で扱うシーンは上記に収録されている。


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無料公開されているガンダムW。23:01~にリリーナが愛犬を脚で扱う。

ボーンシリーズ

友人の勧めを受け『ボーン・アイデンティティー』から始まるボーンシリーズを観た。

主人公ジェイソン=ボーンが活躍する作品は『ボーン・アイデンティティー』『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』『ジェイソン・ボーン』となる。『ボーン・レガシー』はスピンオフ的作品でジェイソン=ボーンは登場しない。
2作目の『ボーン・スプレマシー』のモスクワのカーチェイスのアクションが非常に良かった。
5作目の『ジェイソン・ボーン』はCIAとビッグテックとの関係が描かれており興味深い。
本作におけるCIAはプロジェクトの露見を阻止するためにプロジェクト関係者を全員殺害するという行動を取りがちで恐ろしかった。CIAは政局や担当者の属人性によってプロジェクトの成否や可否が決定するといったことを改めて欲しいと思った。

映画/2017年~2021年7月

長い間、本ブログの映画鑑賞等の記録を放置していた。そのため、読書記録と同様、記録と記憶を基に更新しようと思う。
映像に関する記録は2017年からメモを残していたが近年はメモにも残しておらず、記憶を頼りにするしかない…と思ったが商品履歴等から概ね判った。


会社の同僚から勧められて観たと記憶している。ジャック=ライアンシリーズをきちんと観たことや読んだことは無い。


同前。ベトナム戦争を描いた作品。


同前。実はプライベート・ライアンはきちんと観たことが無かった。


非常に面白いと話題になっていた内田けんじ監督作品を観た。確かに面白かった。


本作は映画館で観たと記憶している。とりあえず終わって良かった。


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ダーティハリーシリーズ。主人公のハリー=キャラハンが銃を撃ちまくる話だという勝手は思い込みがあった。しかしながらハリーは常に筋を通していた。


ジョジョの奇妙な冒険第4部の実写版。割と楽しく観た。


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火星に取り残された宇宙飛行士のサバイバル。非常に面白かった。原作も読みたいと思った。ジャガイモが重要。


おそらく小学生の頃、夜にテレビで一部を観た記憶が残っている。同時に家族の夕食が不穏だった記憶と結びついてもいる。結末を知ると、割と虚しい作品であった。


いきなり暴力団の情勢の解説から始まる古臭さだが昭和の雰囲気を出すための演出と思われる。ダサさも含めて面白い。続編も公開するらしい。


マイケル=マン監督作品を同僚の勧めで観たと思われる。「Heat」は銃撃戦が最高だが結末がむなしい。「コラテラル」はトム=クルーズが暗殺者をクールに演じている。


実写版。本作は会社の女性の同僚と映画館で観たと記憶している。もちろん女性の同僚とその後に進展は無かった。また、その後にデートを誘ったものの断られた。それはさておき、きちんと現代版にリメイクされており、気持ちの良い映画となっている。ウィル=スミスのジーニーは最高であった。


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おそらく「ジョーカー」が影響を受けている作品として挙げられていたために観たのだと思う。面白いのだが非常に辛い作品であった。


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おそらく原作を読んだ後に観たのだと思われる。これで二度目の鑑賞になると思われる。やはり面白かった。


映画館で観た。ジョーカーというキャラクターとパズルのような謎解きの要素によって現代の諸問題をそのまま反映させることに成功した作品になるのだろうか?経済さえ良ければジョーカーは誕生しなかったのではないかというパズルを無視した感想を持った私はつまらないと思う。


コメディ。面白かった。


モンスターバースシリーズ。面白かった。


エドワード=スノーデン関連の著作を読み終えた後、スノーデンからリークを受けていたローラ=ポイトラス監督の作品を観た。


ゴジラであったにも関わらず映画館で観なかった作品。平成ゴジラシリーズの影響が結構あるのが意外でかなり楽しめた。


シナモンロールが食べたくなる映画第一位。


もたいまさこ演じるさくらが奇妙である。さくらはゴドーなのか等と考えたが、意味は無いのかもしれない。


上記2作を含めて荻上直子監督作品となる。上記2作と異なり、本作は物語の枠組みがしっかりとした作品であった。



ぼんやりとしか観てない。


映画館で観た。非常に良かった。


言語聴覚士の存在は仕事で介護施設に出入りをするようになってから知った職業である。非常に面白かった。


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無心になりたくて観た。特に「バッドボーイズ Ⅱバッド」が面白い、ちなみに本作を観たのは漫画「木根さんの一人でキネマ」の影響である。


ようやくマッドマックスシリーズを観終えた。なお、「北斗の拳」を読んだ後に観たと思う。


アニメ版ゴジラ。バッドエンド。でも面白かった。


ドラミング。


シン・エヴァンゲリオン劇場版:||
7月に映画館で観た。終わった。

永い言い訳

西川美和監督作品『永い言い訳』を観た。

小説家が編集者と不倫中、妻が乗車しているバスの事故に遭い亡くなったことを知る。小説家は妻が亡くなったことに全く感情が湧いてこない。そんななか妻と共に亡くなった妻の友人の夫と知り合い、その子どもたちの面倒を観ることにやりがいを見出していくのだが………

本作は友人から勧められて観たものだ。友人は自らを小説家と重ね合わせ、家族が亡くなった時に涙が出なかったことを思い出したという。

私は本作を観ながら少々まとまりに欠けるのではないかと思ったのだが、日常こそまとまりに欠けており、直接的な答えを示唆してくれるものでは無いと思い至った。それでも、人は日々の生活をこなしながら、ふとしたことで物事が収まるところに収まったり、理解できてしまったりするものである。また、知らぬ間に忘れてしまうこともあるだろう。小説家がどのように妻の死を受け入れたかは判らなかったものの、小説家は妻の死の体験をノンフィクションの物語として発表して本作は終わりを迎える。

死は直截に受け入れることができず、本能的に避けてしまうものでは無いだろうか。しかし、人は死を避ける手立てが無い。だからこそ人は死をフィクションという形で触れようとする。おそらく、ここで言うフィクションにはニュース等で触れる人の生き死にも含まれるのだろう。「気の毒にね」「かわいそうにね」という言葉が心をよぎった時、次は何かしら自分の番ではないかと思う一方で、自分には関係の無いことだと安堵を覚えている。そんなことだから、死は概して唐突なものになる。そして唐突なできごとに人は概して対応できない。小さな子どもは転んだ後、数秒は平気な顔をしているが、傍に駆け付けた親の「大丈夫?」という声掛けに自らが泣いても良いということを知り泣き声を上げる。小さな子どもでさえ泣く理由が必要なのだから、大人が親しい人の「唐突な死の知らせ」に泣くことができずいるということはありそうなことである。しかも、大人には傍に駆け付けて「大丈夫?」等と声掛けをしてくれる人はそうはいないだろうと思われる(なかなか結構な関係性が無ければ言えそうも無い気がする)。そして気が付いた時には泣くべきタイミングを逸しているということもあるのでは無いだろうか。だから、おそらく、私にできることは(なかなか結構な関係性が無ければ言えそうも無いのだが)単純に「大丈夫?」と声を掛けることなのだろうと思う。そして「大丈夫じゃないよ!!」と声を荒げて言われることではないかと思う。

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『∀ガンダム I 地球光』『∀ガンダム II 月光蝶』

富野由悠季監督作品『∀ガンダム I 地球光』『∀ガンダム II 月光蝶』を観た。

大学生の頃、同級生が富野由悠季を好んでおり「富野由悠季のファンは「伝説巨神イデオン」が好きだというが、俺は「∀ガンダム 」が好きだ」と言っていた(今思うと、もしかしたらダンバインやリーンの翼等と言っていたかもしれないが、既に10年以上も前のことだ)。彼は「∀ガンダム 」の放映時、高校生のバレーボール大会で放映が中止したことに怒りを覚え、テレビ局に電話を掛けたとも言っていた。

そんなことをふと思い出し、本作を観た。編集力の極みにより物語を追うことはできるようになっている。しかしながら、細部に至るまで物語を追えるかと言えば微妙なところだ。今思えば私はガンダムを全話観たという経験が無く、全て編集された映画版しか観たことが無いのだった。

印象に残っているのは(端的にはっきり憶えているところとも言える)物語の終わりに主人公が元々仕えていた他族のヒロインから自らの一族の姫に付き添うことを選択したことである。これには色々と思うところがあった。

∀ガンダム Blu-ray Box I

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∀ガンダム Blu-ray Box II

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シン・ゴジラ

庵野秀明監督作品「シン・ゴジラ」を観た。

3年前に映画館で2度観た。また脚本を読んだ。本記事を書く前に改めて脚本を読み、パソコンのモニターで鑑賞した。既に本作公開後、「GODZILLA」(アニメーション3部作)、更にアメリカ版ゴジラの2作目「ゴジラ キングオブモンスターズ」(2019年)が公開されている。なお、どちらも鑑賞はしていない。仕事が忙しかったのもあるのだろうが、どうにも映画館に脚を運ぶ気がならなかった。というよりここ3年程、そもそも映画館にほとんど行っていないのだった…

本作を3年前に観た時、非常に興奮したことを憶えている。エヴァンゲリオンの劇伴楽曲「EM20」とヤシオリ作戦の名称から、なるほど、エヴァの監督が作るゴジラはヤシマ作戦になるのかと膝を打った。

初代「ゴジラ」に対するオマージュやリスペクトを嬉しく思う一方、本作から思い出された作品は、舞台が東京湾と東京を舞台に繰り広げられていることもあろうが、「機動警察パトレイバー 2 the Movie」だった。
本作ではゴジラ対策のために設置された若き政治家矢口蘭堂率いる「巨大不明生物特設災害対策本部」(巨災対)の奮闘が描かれる。しかし、本作の主軸となる戦いの構図は「ゴジラVS巨災対」では無く、厳密には「ゴジラの謎を解明して失踪した牧悟郎元教授VS巨災対」である。そして矢口蘭堂の推測によれば、牧吾郎元教授はゴジラ対策のために日本に3度目の核兵器を落とすのか、牧吾郎元教授の残した謎を解いて解決するのか(「ヤシオリ作戦」)、予測していたのではないかという。この物語の構造に鑑みると、どうしても「機動警察パトレイバー 2 the Movie」を意識してしまう。

政治家や官僚、自衛隊、更にアメリカ等が一丸となって戦う姿には胸が熱くなる。一方、本作で描かれるのは、旧態依然とした日本の政治の世界やお役所仕事でもある。本作の功罪があるとすれば、旧態依然としたものがまるで新しい有効なもののように思えてしまうところではないか。現実を見れば、間違い無く日本経済と国民に大きな傷を残すであろう消費税増税が政治家や官僚の手によって実施されるのである。ここで環境省自然環境局野生生物課長補佐(後に課長代理)尾頭ヒロミの言葉を引用しよう。

「・・・・・・ゴジラより怖いのは、私たち人間ね」


本作で一番の衝撃を受けたのは、現実路線を取る政治家の赤坂秀樹が終盤に語る以下の台詞である。

「せっかく崩壊した首都と政府だ。まともに機能する形に作り替える。次の臨時政府で、巨大不明生物関連法案の成立と東京復興の目処がたてば、解散総選挙だ。都の避難民が360万人いる瀕死の日本を立て直す、新たな内閣が必要だからな」
「スクラップアンドビルドで、この国は伸し上がって来た。今度も立ち直れる」

旧態依然とした日本という国は、ゴジラのような大災害と多数の犠牲者がいなければ、作り変えることができない。一応、エクスキューズがあるものの、逆説的にそう言うのである。

その他、ゴジラが何故東京湾に出現したのか、何故東京を目指したのか、タバ作戦における武蔵小杉駅のタワマンを崩壊させたい、ゴジラの放射線流で霞が関と永田町は炎上したものの皇居の森は無事だったようだ、背中から放射線流、最初にZARAはどこは聞き漏らした、高橋一生が良く騒ぐ、エヴァ量産型も運んでいたアメリカのステルス戦闘機が格好良いけど随分高いらしいですよ等、色々思うところがあった。

以上、映画館を観た時に感じた所感である。この所感を書くために実は3年前から本作に対する批評等はほとんど観ていない。この記事を書きながら、色々と検索をしたが、既に多くのことが言及されていたようだ。

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ Blu-ray2枚組

シン・ゴジラ Blu-ray2枚組

ジ・アート・オブ シン・ゴジラ

ジ・アート・オブ シン・ゴジラ

シン・ゴジラ音楽集

シン・ゴジラ音楽集

君の名は。

新海誠監督作品『君の名は。』を観た。

既に同監督の最新作「天気の子」が話題になっているなか、3年前に映画館で観た作品を記事として上げる状況に笑うしかない。なお、「天気の子」は未視聴である。

当時鑑賞した際、私は時間SF作品として楽しむことができた。また、本作を鑑賞して驚いたのはその結末である。これまで鑑賞した「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」は二人が出会うものの、最終的に結ばれることは無く、「ロマンチック・ラブの否定」が描かれていた(参照サイト『星を追う子ども』公式サイト/新海 誠 最新作)。

また、彗星が隕石衝突という災害として描かれていることも意外だと思った。宇宙や自然が叙情的なものとしてだけでは無く具体的な災害として表現されたのは、やはり、東日本大震災の影響なのだろうか?

登場人物たちには彗星落下という災害を回避した結果、叙情的な表現だけが残る。これによって叙情的な表現がロマンチック・ラブを否定していたというロジックである従来の作品から、叙情的な表現がロマンチック・ラブを肯定するというロジックへの転換が果たされる。「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」が現実的な作品としてロマンチック・ラブを否定していたとするならば、本作は時間SF(フィクション)を導入することによりロマンチック・ラブを肯定したのである。

鑑賞当時は複数の友人とヒットした理由について話している。当初、私は「広告に予算が掛かっていた」「ロマンチック・ラブの否定を辞めた」「謎解きがある」がヒットの理由ではないか等と考えた。また、最終的に友人とのやり取りの中で「普通の恋愛映画であり、一般人でも楽しむ事が出来る」「時間SF作品のため、普通の恋愛映画を観ない客層にも受け入れられた」という話に落ち着いた。

黄金

ジョン=ヒューストン監督作品『黄金』を観た。

過去に沢木耕太郎のエッセイで本作を知った。所収されたエッセイの作品名は覚えていない。ちなみに沢木耕太郎のエッセイでもう一つ印象に残っている映画は「大逆転」である。

メキシコの港町でその日暮らしをする男が富くじを当てる。その金で一発当てる算段をしていたところ、ある山師と出会う。山師によれば、メキシコのシエラ・マドレ山脈に金鉱があるのだという。一攫千金を夢見た男は話に乗り、山師ともう1人の仲間と共にシエラ・マドレ山脈に向かう。
道中、山賊を退けながら金鉱を目指す男たち。山師の活躍により金鉱が見つかるものの、富くじを当てた男は仲間を疑い、砂金を独占しようと画策する。
十分な砂金を掘り当てた男たちは山を降りる。しかしながら、山師が原住民を助けるために一行を離れると、富くじを当てた男は仲間と仲違いし、仲間に手をかける。
富くじを当てた男は砂金を独占したものの、山賊に見つかり敢え無く命を落とす。また、山賊も町で強奪した品物を売ろうとしたところ、盗品であることが発覚し、処刑される。
生き残った仲間は山師と合流を果たし、富くじを当てた男の死と山賊の処刑を知る。二人は砂金の価値が判らなかった山賊が道中に砂金を捨てたことを知る。道中を引き返したものの、既に砂金は風に運ばれ荒野に消えていた。二人は全ての苦労が無駄になったことを知り大いに笑うのだった。

黄金 [DVD]

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『ベルリン 天使の詩』

ヴィム=ヴェンダース監督作品「ベルリン 天使の詩」を観た。

雑然と描写される白黒のベルリンと人々の暮らし。人々の傍には天使の姿があった。ある天使はサーカスで働く曲芸師の女性に惹かれ、永遠の生命を捨て、壁で隔てられた総天然色のベルリンの地に降り立つ。

ベルリン中央図書館に集まる天使たち、天使を認識する刑事コロンボを演じるピーター=フォーク、夜のコーヒースタンド、ライブハウスで行われるバンド演奏とバー等、ベルリンの街と人々の営みの描写が心地良く感じた。

ベルリン・天使の詩 (字幕版)

ベルリン・天使の詩 (字幕版)

  • 発売日: 2015/01/22
  • メディア: Prime Video

『機動戦士ガンダム サンダーボルト DECEMBER SKY』

松尾衡監督作品『機動戦士ガンダム サンダーボルト DECEMBER SKY』を観た。
菊地成孔がBGMでは無く物語内の主人公たちが聴くジャズ、ポップスの音楽に関わっていると知り興味を持った。
物語は菊地成孔のメッセージの通り「宇宙での悲惨な戦争」となり、随所にエグい演出が織り込まれている。
特に連邦側が艦内の酸素不足を理由にジオン軍の戦艦の占領を試み、白兵戦が展開された後、ジオン軍側が自決に及ぼうとする流れには良い意味でウンザリさせられる。また、少年兵が動員されてあっという間に死んでいくシーンも空しい。そんな中、音楽だけは華やかに激しく疾走するのである。
現状、続編が制作されており、本作と同様に菊地成孔も参加しているとのことだが、作品及びサウンドトラックを鑑賞するには至っていない。

オリジナル・サウンドトラック「機動戦士ガンダム サンダーボルト」/菊地成孔

オリジナル・サウンドトラック「機動戦士ガンダム サンダーボルト」/菊地成孔

『スター・ウォーズ フォースの覚醒』

J=J=エイブラムス監督作品『スター・ウォーズ フォースの覚醒』を観た。

何で『最後のジェダイ』が公開中のなか、『フォースの覚醒』を話をしているのかと思わず笑ってしまう。既に『最後のジェダイ』を劇場で観たが、1年半年後くらいに感想をブログに書くことになるのではないだろうか。

かなり迷った末に観に行ったが、本作は過去の作品の内容を出し惜しみせずに使用している潔さがあって好感が持てた一方、違和感もあった。どうやら私は普通の感性を持っているらしい。

登場人物に関して言うと、カイロ=レンの物に対して八つ当たりをするシーンが2回程有り、非常に小物感が出ていた。ダースベイダーに成りきれていないことが強調されているのだろうか。

レイとフィンの仲の良さがイマイチ判らないのは、私が内容を忘れているからなのだろうか。

レイが可愛いという声がちらほら聞こえたのだが、デイジー=リドリーを画像検索した時の期待感の裏切りようは何なのだろう。

エピソード1~3並のライトセーバーのチャンバラが観たいのだが、やはりエピソード6以降のジェダイという設定では望めないのだろうか?

アルマジロ

ヤヌス=メッツ監督作品『アルマジロ』を観た。
映画配給会社でもあり劇場も持つアップリンクが戦後七十年企画として終戦記念日前後にネット上で無料配信したものを観た。

  • アフガニスタン最前線にあるアルマジロ基地にPSO(国際平和活動)という名の元に派兵されたデンマーク軍兵士の若者を描いたドキュメンタリー映画である。
  • アルマジロ基地はイギリス軍とデンマーク軍が駐留している。
  • 派遣を決めた若者が家族に「良い人生経験になると思う。」「本当の親友が欲しいんだ。」と語る。そんな若者の言葉に家族は頭を抱える。
  • 派遣が決まった若者たちは壮行会と称されたコンパニオンとの乱痴気騒ぎの後、空港で家族と別れる。
  • 基地では退屈を持て余した若者たちが半裸でバイクを乗りまわし、基地に設けられた給排水設備で水遊びに興じている。
  • 基地から飛ばされるドローンが捉えた無数の人影を「敵」と判断し、爆撃で建物ごと吹き飛ばされる。
  • 爆撃で家を失ったという現地住民が基地を訪れる。顔にはモザイクが掛けられている。現地住民は「住む場所も家族も居ない。せめて金が欲しい。」という。弁護士立会いのもとに賠償金が手渡され、男はポケットに金を入れる。
  • 派遣された若者たちは隊を組み定期的に村にパトロールしている。村では現地住民に協力を要請するも「君たちに協力すればタリバンに殺される。」と返される。子どもたちは外国人である若者たちに「ここから出て行け。」と語る。作戦の為、散開するも耕作地に入り込み、現地住民たちがクレームを入れる。
  • 他の基地に派遣されたデンマーク兵が地雷により2名死亡された事が告げられる。若者たちはそれをただ黙って聞いている。
  • 定期的なパトロールがタリバンに知られた為、不規則な時間帯に出撃する作戦が実施される。ヘルメットに付けられたカメラは脚元に煙埃を巻き上げる銃弾を捉え、絶え間無く動き、そして静止する。どこからの射撃なのかも判らず、無線で応答しあう兵士たち。よもや味方同士で撃ちあっているようにも見える。すぐ傍の灌漑に敵が潜んでいる事が判ると手榴弾が投げられる。川に内蔵を撒き散らしたタリバン兵を「臭うな。」と言いながら引き上げ、武器を物色する若者。それを咎める声をマイクは拾う。他方、負傷して憔悴する若者、搬送先から基地に戻り歓迎される若者の姿も映される。
  • 作戦の成功後、若者たちが呼び出される。国の家族との会話から、作戦の内容や若者たちの行動を咎める声が軍に報告されたのだという。若者の一人は言う。「俺たちの事を野蛮だという人もいるかもしれないが俺は正しい事をやったのだ。」「誤って自分が子どもを殺したとする。しかしそれは別の誰かがやった事なのだ。」
  • 最後に駐留を終えた若者が国に戻り歓迎されている光景が映される。主要な登場人物が六人程いるのだが、一人を除きまた駐留を望んでいるという。

「良い人生経験になると思う。」そんな若者の発言に衝撃を受けながらこの映画を観た。死を意図的もしくは無意識的に排除された発言に家族たちは思わず「死ぬかもしれないだぞ。」と判りきった言葉を掛ける。実際カメラが捉えるのはもしあと一歩踏み込んでいたら弾が当たっていたという事態だ。若者たちは「命を掛けていた」という類稀な事実に気が付き興奮しているのだろうと見受けられるもののどこか違和を感じさせる。とは言いながら画面越しに戦闘を眺める私自身が若者には劣るものの、高揚していた事を振り返れば致し方無い事態なのだろうとも思える。

デンマーク国連の決議の元にPSO(国際平和活動)のISAF国際治安支援部隊)として活動している。ISAF多国籍軍だがその後NATO北大西洋条約機構)軍が主導、2014年12月に終了しているが、RSM(確固たる支援任務)が継続しており、デンマークはこれにも参加している。尚、日本はアフガニスタン法秩序信託基金にて10億ドル以上拠出している。
さてPSOとは聞き慣れない言葉だが、日本でも認知されているPKO国際連合平和維持活動)はPSOの一種である。現在日本のPKOは南スーダンにて実施されており、2016年10月まで派遣が延長された。また集団的自衛権が限定的に容認された為、これに駆けつけ警護の任務が加わる可能性が高い。更に政府は、国会にて安保法案に関する答弁の中、ISAFのような活動に自衛隊が参加する可能性を否定していない。現状のPKOに話を戻せば、国連は住民保護の為の戦闘行為を容認しており(ルワンダ虐殺からの反省)、南スーダン情勢は自衛隊にとって非常に危ういものとなっている。駆けつけ警護等の集団的自衛権の容認以前に、自衛隊の存在を含め憲法9条から議論されるべきだった。私は憲法にて自衛隊を容認した上で専守防衛を旨とする記述するべきであり、またPKOでは無い国際貢献があるのでは無いかと考えている。とは言えPKOにしろ集団的自衛権の容認にしろ既成事実となった今覆すのは難しいだろう。せめてPKOに参加するならば隊員の保護及び懲罰の為の法律があって然るべきだと思う。しかしこういった事について考えていると自衛隊武力行使を伴う活動を国外で展開するのは時間の問題だと気がつく。