西川美和監督作品『永い言い訳』を観た。
小説家が編集者と不倫中、妻が乗車しているバスの事故に遭い亡くなったことを知る。小説家は妻が亡くなったことに全く感情が湧いてこない。そんななか妻と共に亡くなった妻の友人の夫と知り合い、その子どもたちの面倒を観ることにやりがいを見出していくのだが………
本作は友人から勧められて観たものだ。友人は自らを小説家と重ね合わせ、家族が亡くなった時に涙が出なかったことを思い出したという。
私は本作を観ながら少々まとまりに欠けるのではないかと思ったのだが、日常こそまとまりに欠けており、直接的な答えを示唆してくれるものでは無いと思い至った。それでも、人は日々の生活をこなしながら、ふとしたことで物事が収まるところに収まったり、理解できてしまったりするものである。また、知らぬ間に忘れてしまうこともあるだろう。小説家がどのように妻の死を受け入れたかは判らなかったものの、小説家は妻の死の体験をノンフィクションの物語として発表して本作は終わりを迎える。
死は直截に受け入れることができず、本能的に避けてしまうものでは無いだろうか。しかし、人は死を避ける手立てが無い。だからこそ人は死をフィクションという形で触れようとする。おそらく、ここで言うフィクションにはニュース等で触れる人の生き死にも含まれるのだろう。「気の毒にね」「かわいそうにね」という言葉が心をよぎった時、次は何かしら自分の番ではないかと思う一方で、自分には関係の無いことだと安堵を覚えている。そんなことだから、死は概して唐突なものになる。そして唐突なできごとに人は概して対応できない。小さな子どもは転んだ後、数秒は平気な顔をしているが、傍に駆け付けた親の「大丈夫?」という声掛けに自らが泣いても良いということを知り泣き声を上げる。小さな子どもでさえ泣く理由が必要なのだから、大人が親しい人の「唐突な死の知らせ」に泣くことができずいるということはありそうなことである。しかも、大人には傍に駆け付けて「大丈夫?」等と声掛けをしてくれる人はそうはいないだろうと思われる(なかなか結構な関係性が無ければ言えそうも無い気がする)。そして気が付いた時には泣くべきタイミングを逸しているということもあるのでは無いだろうか。だから、おそらく、私にできることは(なかなか結構な関係性が無ければ言えそうも無いのだが)単純に「大丈夫?」と声を掛けることなのだろうと思う。そして「大丈夫じゃないよ!!」と声を荒げて言われることではないかと思う。
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