2015年9月21日~2015年9月27日

ブレードランナーを観たところ、大変感銘を受けた。これが初めての鑑賞ではないのだが、やっと作品のディテールを読み込めるようになったという事だろう。そもそも当初の鑑賞は中学生か高校生の頃まで遡る。おそらく何らかの媒体で評判が良い事を知ったのだろう、ビデオに録画して観たのだが、しかし当時使用していたテレビは明暗に難があり、殆ど真暗にしか画面が見えない事があった。また車両が空に飛び立つシーンを観て何か興醒めしてしまい、緊張感無く何とも言えない感想を持ったのだ。大学に入り、友人とブレードランナーの話題になり、楽しめなかった事を告げると猛烈に批判され、監督のリドリー=スコットの映像美は明暗にあるのだと言った。確かその後、スター・ウォーズが好きだと言うと、あんな子ども向けの作品と批判され、誰でも子ども心があるのだと適当な事を言い返した憶えがある。もちろん今も子ども染みていて、主人公が使う拳銃が格好良いな等と思ったりしたのだが。

窓から入る風が気持ち良い。このまま一眠りしたいものの、午後からは仕事となっていた。

客先から仕事を依頼され、ある人物を追うのだが、建物の高所やら何やら道のりを辿るものの、結局何も起きはしなかった。

平野啓一郎のマチネの終わりにの連載を読み続けている。主人公とヒロインは再会叶わず、二年もの歳月を通り過ぎてしまったという。それでも二人は再度出会いを果たすのだろう。

ドレスを着た女性と軽装の男性が電車の中で身だしなみの確認を始めた。連休の中頃、今が一番楽しい期間だろう。

ビジネスホテルにチェックインしたが、特段やる事も無い為、とりあえず部屋に置かれたパンフレットを元にご当地ラーメンを食べに出掛ける。繁華街は遠いらしく、午後二十一時を過ぎれば駅前も人通りが少ない。目当てのラーメン屋を見つけ食するものの、良し悪しが判らなかった。

ビジネスホテルに戻り、テレビを点けて適当に眺めていると、あの日見た花の名前を僕はまだ知らないというアニメの実写が放映されていた。友人が熱心に話題にしていた作品だった。実写の出来や原作がどういったものか判らない。しかし作品を見ながら思うのは、ある感情や出来事に決別しなければならない時は必ずあり、それが大人になるという事だった。それはつまらない事なのかもしれない、しかし、生きる上で必要なものはそういう技術であり、強さだった。

開けた窓から夜風が入り込み、何台もの電車が音を立てて通過した。なかなか寝付く事が出来なかった。

朝、上司と共に客先に待機していると今年異動していた若い担当者から声が掛かる。以前より溌剌とした印象さえ受けるが、あくまで彼らにとって自分たちは動かせる駒でしかないのだという思いが湧く。組織の一翼を担っていく若い人材を前にして自身の現状を省みた、ただのひがみだなとつまらない気分になる。

一仕事を終え、同僚たちと飲みの席に合流するものの、アルコールを取る気にもならず時間を過ぎるの待つ事になった。どうにも惨めな気分になるのは、まるで今の仕事やら何やらに満足も出来ず、また能力も持ち合わせていない為なのは明白だった。

ビジネスホテルに戻りテレビを眺めるものの、乾いた笑いしか上がらない。大した連休だなと皮肉の一つ言いたくなるものの、自身の現状を他人と比較する事で判る良い機会だったと思い直した。

窓ガラスに大写しに反射したのは女性の顔が描かれたポスターだった。

浴衣を着た複数の女性を見掛け、連休を名残り惜しむ気持ちが湧く。

ピンクのドレスを着たしなをつくる女性とやたら体格と威勢の良い女性が目の前に並ぶ。壮観な光景だった。ドレスの女性は六本木最寄りの駅で降り、威勢良い女性はドレスの女性を嫌ったのか別の席に移った。

ラーメン屋に入ると関西訛りの二人組が軽妙な会話を繰り広げており、そのリズムの良さについ聴き耳を立ててしまう。

志人・スガダイローの詩種を聴いているが、詩の朗読とピアノの旋律が別世界に見事に導いてくれる。

隣に座った中年の女性が読む資料が垣間見えた。自己啓発的な文章が目に入り、嫌悪感が湧く。長い人生、これからも当たり前のように何事かが起きるのだ。

いつもの喫茶店で一服していると老人が入店し「××ギャラリーの場所をご存知ですか?」と尋ねた。応えようとする店員の横から女性客が現れ、「私、ギャラリーのスタッフなんですが」と言う。ちょっとした偶然に店内に小さな笑いが起こる。

陽は沈み辺りは暗闇に包まれる。秋の日はつるべ落とし。父親は抱き上げたなかなか泣き止まない子どもに苦笑いを浮かべ、子どもは居心地の良い胸の上で安心して泣き続けた。路上に間歇して響く余裕ある嗚咽。今この時、この場所が、この親子の在りし日の思い出となり変わる。父親はいつかまたこの事を思い返して微笑むのだろう。思い出として掬われようとする風景から、そんなの御免だと身をかわして路地を抜けた。

自宅を出ると遠くから大きな音が響いて来る。時期的に近くの高校の文化祭だと思われた。

ジムのモニターを眺めるものの、面白い番組は無かった。番組の合間にニベアの広告を見る事があるのだが、やたらセクシャルだと思う。

帰りがてらスーパーに寄ると、若い男女の店員が仲睦まじく働いていた。ただのだらしの無いおっさんの客として、一刻も早くその場から脱げ出したい気持ちになった。願わくば、彼らに輝かしい未来をと思うのだが、勝手におっさんに祈られても余計な御世話というものだ。

台所で一服していると、壁で大きな蜘蛛と小さな蜘蛛が一進一退の縄張り争いを繰り広げていた。真面目に眺めていたが、余りに気長の攻防の為に途中から飽きてしまった。

花火の音が聞こえ、その後に歓声が続く。祭の終わりという事らしい。もう九月が終わるのか、そんな事を考えた。

2015年9月14日~2015年9月20日

連日の勤務の為か、早朝目覚めてしまう。早めに自宅を出るとヒールを履いた女性は小走りに、その横を両手に鞄を持った男性が歩く。例えばこの男性がスーツを脱いだ無職になっても、二人の関係は続くのだろうか…経済力は重要だ、そんな結論しか出ない。

リクルートスーツを着た女性のうなじと顔の横にかすかに伸びた描かれた眉。吊革広告には「化粧ですっぴんをつくる」とある。

真夜中に目覚めるが、何も起きようが無い。空腹を覚え軽めに食事を取って寝る。

長野県にある会社が吸収合併される。その会社は以前俺が勤めていた会社らしい。社長は隠居を宣言し、四十代の社員が社長としてこれからの社の方針について語っていた。

スマートフォンを片手に寝入ろうする女性を見掛ける。目の前に立った女性が咳を繰り返す。隣に座った若い男女は寄り添い何事かを語り合う。耳許でバトルズの新譜が鳴る。

洋室で目覚める。二の腕に乗った髪を撫でる。彼女が微笑みながら、前髪を払う。「何?」「突然、愛情が湧いてさ。」「何それ?」そういうと彼女は懐に入り込み額を胸に押しつけた。「涼しくなったね。」胸元から聞こえる声に応えて、タオルケットをたくしあげる。今から土曜日が始まる。

あり得たかもしれない未来が黄金のピラミッドの中、無数の部屋で繰り広げられている。窓から覗いたその光景は、自らの願望の発露にしか見えず、どこかグロテスクだった。

ジーンズをたくし上げ靴のまま部屋に上がる。汚泥に侵された部屋で使い物になりそうなものは壁に掛けた洋服とロフトの上に置いたものだけだった。壁に残った泥の跡で部屋の中に腰の高さまで浸水していた事が判る。クローゼットを開けるとハンガーに掛けたスーツの裾に泥がこびり付いていた。舌打ちしてクローゼットの扉を全開にし、建て付けの悪くなった窓を開ける。まだら雲が青い空を覆う。すっかり秋の空だった。

運命の宮殿は結局のところ、自ら想像出来る未来しか眺める事が出来無い。未来の自分とは赤の他人でしか無い。

冷蔵庫から取り出したオレンジジュースをコップに注ぐ。着替えて薄い化粧をした彼女はコースターを手に取り眺めながら「こんなもの用意してるんだ。」と言った。「一応ね、お客様用だよ。いつもなら紙パックに直接口を付けて飲んでる。」彼女はわざとらしく顔をしかめて「じゃ、これも?」とコップに口を付けた。「残念、これはさっき開けたばかりだった。」彼女は「別にそんな事は気にしないけどね。」と相好を崩した。

いつもの喫茶店で繰り広げられる光景。ウインドウ越しに何台もの車が休む事無く走って行く。果たして自らが描く、別の未来、現在、過去があり得るのか、あり得たのか?

無料の廃棄処分場が市に二箇所しか無いのだから笑ってしまう。車が水没してしまった今、どうやって泥塗れの荷物を運べと言うのだろう?家の中に散らばった衣類を袋に詰め込んでみたものの、家電はそのままだった。全く途方に暮れるしかない。もうここに住み続ける理由は無かった。午後に不動産会社に連絡しなければならない。

事務所を出て帰りにCDショップに寄る。正直ダウンロード出来ればそれで良いのだが、CDでしか音源が無いというのならば仕方無い。

彼女と手をつなぎ駅まで歩く。彼女は今にも鼻歌でも奏でそうなほど機嫌が良いらしい。彼女は言う。「じゃあ、またね。」こんなありきたりな言葉でさえ、独りでいる時間を思えば憂鬱だった。部屋に戻れば彼女が残した痕跡に苦しみ、気を紛らす為に掃除と洗濯をするのだろう。

玄関の前でスマートフォンを眺めていると、今まで口の聞かなかった南米系らしい隣人が声を掛けて来た。何を言っているのか判然としない。しかし何度も差し出されたスマートフォンの液晶から通話が続いている事が判った。「俺?」「はい、おねがいしますー」なぜ語尾が伸びるのか、そんな小さな疑問を抱きつつもスマートフォンを耳に宛てた。「はい?」「…帝国海上火災保険のフセと申します。おそれ入りますがお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」保険会社らしい。「羽山と申しますが。」「羽山様ですね。先程からお電話させて頂いているのですが、ご理解頂けないところもございまして…。不躾な質問になりますが、アフレウリ様とはどのようなご関係になりますでしょうか?」「はっ?」「いえ、すいません。こちらも御本人様確認させて頂く必要がありまして…」「急に電話を渡されたんですが、えーと、実はただの隣人なんです」「ははぁ、なるほど。ええと、アフレウリ様はいらっしゃいますか?」「いますよ。」アフレウリは先程から横でニコニコしながら俺の様子を見ていた。どうやらこの男は、日本語が出来ないばかりに俺に保険会社への連絡をさせようとしているらしい。そういえば、入居した際、保険に加入させられた記憶がある。この横でニコニコしている男もそれなりに色々と考えて行動しているらしい。車両保険は既に連絡をしていたものの、アパートの保険まで考えが至らなかった。目先の事に囚われていたのは俺の方なのだ。

わざわざ店頭までCDを買いに行った訳だが、オンラインでCD音質以上のものが複数ダウンロード販売出来るようになっていた。こうやって考えると最早特典による付加価値が無ければCDを購入する理由は無い。

休み明けは案の定、災害の影響で慌ただしかった。土日は用がある事を伝え休みを貰ったものの、今週の連休は何日か出社しなければならないだろう。連休は特に遠出せず、彼女とゆっくりと過ごす予定を立てていた。昼に彼女にメールを送ると「しょうが無いわね。でも良かったら自宅に行っても良い?ちょっとした家事ならやってあげる。」と返信が来た。特に機嫌を悪くした様子は無い。午後からは人手不足を補うべく、災害支援室の席に着いた。入社一年目の社員の横で対応を指示していると、業務委託先の社員から書類を渡された。契約者が外国人だと言う。受付票によれば日本語が話せないと申告されたとある。なるほど、これは社員がやるしか無いだろう。さすがに新人に預ける訳にもいかない。仕方無く電話を掛ける。「もしもし帝国海上火災保険の布施と申します。マルシム=フレ=アフレウリ様のお電話でよろしいでしょうか。」少しの沈黙の後、「はい、アフレウリですー。」なぜ語尾が伸びるのか、そんな小さな疑問を抱きつつ、会話を続ける。「昨日の連絡を受けましてお電話させて頂きました。まず今回のご被害につきましてお見舞い申し上げます。今、お時間よろしいでしょうか?」「時間?ある、あるよー。」「ありがとうございます。ではこれからの保険金請求につきましてご説明させて頂きます。」「えっ、あっ、日本語少し、少しだけ。」このあと、英語では無い言葉と片言の日本語の説明が続いた。本人確認を取る為にも住所を聞かなければならなかったが、質問を理解している様子は無い。電話を切る訳にもいかず、相槌は打つものの埒が開かない。すると受話器から「俺?」と日本語が聞こえた。日本語の出来る友人と一緒なのだろうか?「はい」怪訝そうな声が受話器の向こうから聴こえた。「帝国火災海上保険の布施と申します。おそれ入りますがお名前お伺いしてもよろしいでしょうか。」難しい展開になってしまった。こうなっては電話の主が理解ある人間である事を祈るしかない。

雨が降っていた。雨戸越しに雨音が響く。

仕方無くロフトの上で眠りを待った。電気はまだ復旧していなかったが、避難所まで歩くのは億劫だった。鈴虫の鳴き声が聴こえる。人気の去ったアパート界隈の静けさはいつもと変わらなかった。その変化の無さは、人の存在を否定しているかのようで、少し背筋が寒くなった。結局隣人アフレウリの代わりに出た電話は、日本語の介する知人等を用意して電話を折り返すという事で落ち着いた。自分がアフレウリと全く無関係だと判ると、フセと名乗る男は申し訳無さそうに自分がもう一度説明を試みるからと電話を代わるように言った。返したスマートフォンを耳許に当てアフレウリは難しい顔をしていたが「オーケー」と一言言うと電話を切った。そしてこちらを見てニコニコしながら「オブリガード」と言う。「アンダスタンド?」とりあえず尋ねると、「イエス」と笑いながら言い、部屋に戻って行った。相変わらず愛想は良かったが別れはあっさりとしていて拍子抜けしてしまった。本来、話し掛ける事も無かったはずの隣人同士なのだ。当然と言えば当然の事だった。

シャワーを浴びようと浴室に入ると蚊が飛んでいたので壁に叩きつけると電球の光が消えた。衝撃で配線の接触が悪くなったのかと照明カバーを外し電球をいじってみてもどうにもならない。面倒な事になったなと浴室を出ると部屋に明かりが無い。スマートフォンを取り出してブレーカーを照らすと案の定、スイッチが切れていた。叩いた壁の裏側にブレーカーが設置されていたので衝撃が影響だろう。スイッチを入れ浴室に戻ると、壁に蚊が潰れてこびりついていた。

帰宅したのは午後十時過ぎだった。午後八時まで災害支援室の書類に目を通し、自らの席に戻って決済待ちの書類に目を通すと午後九時を過ぎていた。明日に仕事を残すのは面白く無かったが、まだ月曜日なのだと思い、未だ残る管理職に一声掛けてオフィスを出た。少し肌寒く、もう秋なのだと思った。スマートフォンを取り出し週末の事を考えながらメールを打った。「家事までして貰うのは悪いけど来てくれると嬉しい。土曜日の朝は大変だろうから、出来れば金曜日の夜か、土曜日の夜はどうだろう?」電車の中でメールの返信があった。「家事って言っても洗濯くらい?パンツ洗ってあげるわよ、なんてね。じゃあ土曜日の夜に。忙しいんだろうけど、身体に気をつけて。」メールを眺めながら口許が綻ぶのが判った。こんな何気無いメールにも関わらず、何か気持ちが解きほぐされ、気がつけば肩の力が抜けている。愛しているのだ、そう考え、素直に納得している自分がいた。

雨が降っている。上司から連休中に短期出張の可能性がある事を伝えられた。目の前で日焼けした二人の男女がスマートフォンで写真をスライドショーで眺めている。どうやら南の島に行ったらしい。ゴーヤチャンプルーの写真が垣間見えた。おそらく沖縄に行ったのだろう。そういえば最近結婚した同僚も沖縄にハネムーンを予定しているという。少し地味のような気がするものの金銭の問題もあるだろう。どこか小旅行にでも行きたい気分だが、アテが無いからにはどうにもならない。

休みを貰っていたものの、特にする事も無い為、職場に顔を出した。職場は高台にある為に被害は免れていた。作業着を羽織り倉庫に入り、パソコンから帳票を出力する。品物を箱詰めしていると倉庫の奥から上司がやって来て慰労の言葉を掛けてくれた。上司の自宅は床下に浸水はしたものの、特段被害は無かったらしい。「今度は高いところか二階に住めよ。」と笑いながら言う。既に不動産会社に赴き、アパートの解約と保険会社への連絡をして貰い、新しい入居先を何件か見繕って下見しに行く手筈を整えていた。生活を仕切り直さなければならない。そんな事を考えながらデスクに向かいパソコンを立ち上げた。新しい生活を思い描いてみるものの、代わり映えしない毎日だった。差し当たり住む場所と車の買い替えの準備をしなければならない。忙しい連休になりそうだった。

宮殿で繰り広げれる無数の小劇。ジブリールの黒点の背の上でため息をついた。「もう良いのかい?」ジブリールが尋ねる。「もう良いよ。実はここは見たいものを見せてくれるだけなんだろう?」火炎の毛を毟って宙に投げれば火花が散った。「いや、ちょっと違うな。ここにはあらゆる人生が用意されているさ。でも君には見えていないみたいだ。想像力とか認識の限界って言うやつだね。でも気にしなくて良いんだ。それは人の領分じゃ無いんだよ。」「ふん、そんなの慰めにもならないよ。」「誰も慰めようとは思って無いさ。そもそも選べない人生を見ようなんて馬鹿げているとは思わなかったのかい?」「それは…。でも人というのはそういうものなのさ。」「それは知っているが未だに理解出来ないよ…」ジブリールはそう言うと六枚の翼を拡げ、周囲の暗闇を払った。「君とのお喋りにも疲れたよ。さあ元居た場所に魂を返そう。君の生きる場所はそこしか無さそうだ。」「判っているさ。」黄金の宮殿は暗闇ともに深淵へと崩れ落ちていった。

夏が戻って来たかのような強い陽射しだった。交差点で信号を待っているとレストランの階段から降りて来た背広姿の男性が鞄を落とし中身が階段に散乱した。それを拾い集める男性を眺めていると信号が青になった。

ジムに向かうも改札を抜けたところでシューズを忘れた事に気がつき引き返す。低層のマンションでは鳶職人たちが仮設足場を建設している一方、隣の建物では命綱を頼りに外壁を清掃している男たちの姿があった。

ジムでモニターを眺める。芸人たちが街を散歩し何やらやっているがさして面白くも無い。

ジムを出ると、おそらく吹奏楽部なのだろう、楽器を背負った高校生の一団を見掛ける。何と言うか、若さみたいなものに眩しさを感じてしまう。

父から連絡があり久しぶりに話す。以前送った山形県の満州入植運動に関する記事の話となった。やはり祖父は記事にある入植運動とは関係無く、軍人として満州に行ったようだと父は言う。「次男だった訳だから、農地も無いだろうし、徴兵というより軍人になって満州に行って憲兵みたいな事をやっていたんじゃ無いかな。それで日本に戻っておふくろの家系に長男を養子にして、土地を継いだっていう話だと思う。」

ジムに向かう。何やら外の静けさが際立つ。蝉の鳴き声が聞こえない為だろうか?

ジムのモニターを眺める。ブラタモリは博多特集という事らしい。博多といえば、せいぜい豚骨ラーメン位しか思いつかない貧弱な興味しか無い。ゴジラVSスペースゴジラの決戦の地は、この番組によれば福岡側という事になるのだろう。

静かな夜だった。わざわざ他人を見繕ってその一時を描こうとするものの、それもまた極端な自身の一部だった。勿論、この場の主体たる私も相当な虚構なのだから当然の事だった。

『天の声・枯草熱』

スタニスワフ=レム著、沼野充義・深見弾・吉上昭三訳『天の声・枯草熱』を読んだ。

スタニスワフ=レムの長篇二編が収められている。

  • 天の声

偶然発見された地球外からの信号を研究する為に一流の科学者達が集められた。しかし信号の一部を解読して出来たのはコロイド状の物質だけだった。信号の事実が解明出来ないまま研究と実験が続いていく。本作は数学者の手記という形を取っており、ソラリス等と同じように未知との接触の不可能性が主な主題になっている。同時に自らの生い立ち、科学者との対話、政治的な駆け引きが描かれる。コロイド状の物質の研究から核爆発を地球上あらゆるところで起こす事が出来るという爆発移動効果に関する件は、科学者たちの緊張感と政治的駆け引きが相まって非常にスリリングだった。

  • 枯草熱

枯草熱とは花粉症・アレルギー性鼻炎を指す言葉である。本作は確率論的ミステリーというジャンルになるらしい。ここでいう確率論とは、「自分の出生は両親の出会いがあったからであり、たまたまどこそこで偶然にも出会い、何時かの性交により、精子と卵子が邂逅を果たし、たまたまその前に二人はチョコレートを食べて興奮状態にあり、更に遡れば二人の両親はどこそこで出会い…」というような出来事の偶然の連鎖を指す。元宇宙飛行士でアレルギーを持つ男性がナポリで起きた怪死事件を解決する為、被害者の足跡を辿る偽装作戦を実行する。しかし男性はテロに巻き込まれるといった予想外な局面を迎えてしまう。様々な要素が重なって物事が解決に向かう様は、偶然の産物である故に奇妙な読後感をもたらすが、作品自体はストレートに描かれており、「天の声」よりは読みやすいものとなっている。

泰平ヨンの未来学会議

スタニスワフ=レム著、深見弾・大野典宏訳『泰平ヨンの未来学会議』を読んだ。

アリ=フォルマン監督が本作を原作に「コングレス未来学会議」として映画化している。映画を観たのだが、メタ的な視点やドラッグがもたらす幻覚をアニメーションで描く等面白い演出が為されているものの、結末等を鑑みると原作とは趣が異なった作品になっていると思う。タルコフスキーが「ソラリス」を原作の未知との接触というテーマを心理的な問題に引き付けた事態が、本作にも起きているからだ。

本作は題名の通り、泰平ヨンが登場するシリーズものの中編である。このシリーズは孤独な宇宙航海士泰平ヨンが遭遇したあらゆる出来事を描いたものとなっている。

破滅的に増大する地球の人口と食料危機等の問題を討議する為コスタリカで催された国際未来学会議。しかし会議の最中にテロ事件が勃発、軍が投下した覚醒剤爆弾の薬物によってヨンは西暦二千三十九年にコールドスリープから目覚める。目覚めた社会は、幻覚剤を服用する事であらゆる体験や知識を得る等、全ての欲望が満たす事が出来た。ヨンは軍が投下した覚醒剤爆弾の影響下にある幻覚だと思いつつ、この社会が現実なのだと認めるようになる。しかし薬物社会に嫌悪感を抱き、幻覚剤の服用を断つ。そして偶然再会を果たした教授から空気中に散布された薬物によって常に幻覚を観ている事を知らされる。教授から渡された覚醒剤を嗅ぎ周囲を見渡すと装飾が剥げ落ちた世界が姿を現すのだった。

2015年9月7日~2015年9月13日

吉田一郎不可触世界のあぱんだを聴く。自宅を出ると目の前に若い男女が傘を差しながら歩いている。東京で生きる事に救われていると考えてみた。果たしてそうだろうか。高校生がだらしなく鞄を肩に掛け追い抜いて行った。確かに片田舎にいれば何かと窮屈な思いをした事だろう。向かいから中年の男女が笑いながらやって来る。コンビニから出て来た若い男性が若い女性と共に改札を抜けた。

ムーミンで彩られたワンピース。鼻がむずつく。格子模様のワイシャツを来た男性が熱心に本を読み進める。月曜日は疲れている。いつも月曜日はこうだ。日曜日と月曜日の境は慌ただしい。明日の為に、ベケットはまた終わる為に、早く眠れ。

ベージュのアシメントリーの模様のブラウス。窮屈な思いとは何だろう。例えば何にもなれなかった後ろめたさだろうか。しかし何かになろうとした事などあったろうか。満員電車の中で顔を見合わせ、駅に着くと手を合わせて別れる男女が窓ガラスに映る。

吉田一郎不可触世界のあぱんだを聴き終え、グリーグのヴァイオリン・ソナタ第2番ト短調作品13を聴く。何かになろうとした事はあった。しかし結局身体が追いつかなかった。電車を一本乗り過ごす。

中年の夫婦が電車に揺られている。女性の濡れた髪が乾いて今にも広がろうとしている。窓ガラスに映る自分はどこかだらしなく神経質そうな顔をしている。作品13:2の繰り返されるフレーズを待つ。美容広告に「貼るだけ簡単 お悩み解決!」とある。

コンビニで飲み物と煙草を買い公園に寄り一服する、グリーグのヴァイオリン・ソナタが終わりラヴェルのヴァイオリン・ソナタが始まる。言うまでも無い事だがクラシックを聴き始めたものの日が浅く何も判っていない。ただただ気に入ったフレーズを待つばかりだ。昔の事を思い出した為か、ある友人の事を思い出した。顔立ちは整っていたが、ある悪ガキは彼をからかい「浣腸麻痺」と呼ぶ事があった。抑揚をつけて「カンチョーマーヒー」と読んでいたのが可笑しかった。このあだ名のエピソードは他愛無い。小学校の頃、休み時間にベランダのバルコニーに肘を付いて話している彼の尻に悪ガキが指を構えて突いたのだ。その指はケツめどに鋭く刺さり、痛みに堪え兼ねた彼はケツを押さえ跳びはね、壁で身を支え動かなくなってしまったのだと言う。しかし滅法優秀な彼は自ら学級委員を申し出る積極さも併せ持ち、同級生のリーダーとなって行く。今は結婚して幸せに暮らしているはずだった。

バッハのチェロ・ソナタを聴く。帰り道はただぼんやりとするばかり。目の前に座った男性が傘を倒しそうになり、後ろに座った女性は傘を倒して大きな音を立てている。隣に立った男性はカバーを掛けた本を読み進める。何も考える事が無い。駅を出てコンビニに立ち寄ると、髪を固めた中年の男性が警察に囲まれている。この店で警察を見るのは初めてでは無い。煙草を買いがてらイヤフォン越しに会話を聞いてみると煙草がどうしたとか言っている。中年の男性は傘と鞄を片手に持っている。若い女性の店員は警官と男性をやり取りに少しバツが悪そうだが、レジ打ちをいつも通りこなしている。

夕飯は何をしようかとスーパーの棚を眺めてみるものの、いつも通り、適当に肉と野菜をオーブンで焼くしか無かった。わざわざ手間暇掛けて何か作るという気にはなれない。いつもの店員がレジで待ち受けている。音楽が止まったので仕方無くスマートフォンを取り出し、ドヴュッシーの版画を聴く。

雨が続いても洗濯し乾かさなければならない。網戸越しに樋から溢れ落ちた水が音を立てている。雨が降るといつもこうだ。たわんだの樋の一部に雨が溜まり溢れるのだ。アパートに住み始めた頃からそうだったに違い無い。勿論住み始めた頃の事などとっく忘れているのだが。

友人が勤めるワイナリーから新酒の案内が届く。デラウエアは十月から発売されるらしい。案内には友人が写真付きで紹介されている。良い笑顔だった。幾らでも買ってやりたいところだが、財布に相談するまでも無く生活に余裕らしいもの常に無かった。こんなはずでは無かったのに、そう考えてみたところで何か良い策など思いつきようも無い。先輩の社員が伝えてくれたところでは、貧乏人は自身が貧乏である事ばかり気にする為に、意識が貧乏に集中し思考力が低下するのだという。そして思考力が低下するので益々貧乏になり、貧乏から抜けられなくなるのだと。

月刊少年マガジンで修羅の刻が始まったはずだったと電子書籍を探したところ、奇妙な事に電子書籍版には掲載されていないらしい。意図がよく判らない。仕方無くもう一度コンビニに寄るも雑誌が無い。それならば仕方無いと別のコンビニに寄ってやっと見つける。まだ雨が降っている。一向に止む気配が無い。

雨が降っている。土岐麻子の Bittersweet を聞く。彼女は、後ろの正面は過去の自分だと歌う。既に発車しようとする電車に駆け込む人たちを横目に駅構内を歩く。濡れた床には路上で配られたポケットティッシュが落ちている。ポケットティッシュと言えば、高校生の時、突然同級生の女子生徒に声を掛けられる事があった。何かと思えば、ポケットティッシュが欲しいという。よく鼻をかんでいた俺ならと声を掛けたのだ。それを見ていた友人は「ティッシュマンだ」と指摘し笑ったのだった。その友人とは未だに付き合いがある一方、女子生徒については知る由も無い。

満員電車に押し込まれBluetoothのイヤフォンに雑音が入る。

電車が唸り声を上げて発進した。

ブラームスの雨の歌を聴く。相変わらず雨が降っている。ビリー=ジョエルのピアノマンを聴く。煙草が一本吸い終わる。Blacksheep のメビウスを聴く。昼休みが間も無く終わる。

これから飲みに行くであろう上司と同僚に見送られ事務所を出る。引き続きBlacksheepのメビウスを聴く。頭の天辺を紫に染めている白人を見掛ける。手にはヤマダ電機の買物袋を提げている。Blacksheepの屍者の帝国が007のテーマを奏で始める。

久しぶりに気持ち良く目覚める。夢を観たのだが、現実的たれというプロパガンダがあり、捕らえられ監禁されるも、その場を出る方法は、過去の見た事も無い恋人と寄りを戻す事なのだと言う。

大雨が降ると言う。気持ち早く自宅を出るも雨は小降りになっている。フリードヒ=グルダの演奏を聴く。煙草の灰がワイシャツに落ち汚れる。

満員電車。女性のうなじからたちこめる匂い。次に現れたのは日焼けして皮が剥けた男の首。幾分か空いた車両。日経新聞を読む男性。「損保、海外が主戦場に」という記事が見える。タイトなブラウスを着た女性が窓ガラスを見て自らの出来を確認している。

昼食に出掛けようと思い、傘が必要になるかと外の様子を確認しようとすると上司が「大丈夫じゃないか?」と言い、そのまま事務所を出た。雨が降っている。傘を取りに戻るのも面倒だと思いそのまま外に出ると雨足が強まり思いの外濡れてしまった。喫茶店に入り注文をしていると店員の男性は濡れた俺を見て「雨強いですね。」と気遣いを見せる。「ええ」と苦笑いを浮かべてみる。良い歳をして雨に濡れるものでは無い。

帰り際、客先に勤める人々が人事やら異動について話しているのが聞こえた。

ニック=ベルチュズローニンのリリアを聴く。まだ雨が降っている。高層マンションの上階は霞んで見え、コンビニのウインドウは曇り滴が流れ落ちる。

満員電車を降りようとすると目の前の中年の男性が人波に後ろから押される形になった。気に食わなかったのか振り返って「どぅらー」と大きな声を挙げた。連想したのはロシア語の乾杯を意味するウラーである。更にロシアのウラル山脈だった。果たして何の産地だったろうか。

ニューエイジステッパーズの同名作品を聴く。以前は外出が多かった仕事からデスクワークをするようになった。その影響からなのだろうか、人とのやり取りに対する緊張感が無くなったように思う。会話の脈絡、整合性を確認する第三者のような視野を失ってしまった。そもそもそんな視野を持っていたのかとも思うのだが。過剰にエフェクトの掛かった音が耳許で鳴る。

大雨の影響が確実に仕事に出る事になった。全く困ったものだと思う。

久しぶりに青い空を見た。新垣隆と吉田隆一の N/Y を聴く。結局、現状の担当業務に突然の変化は無かったものの、来年前半まで人員が各所に固定され、業務に影響が出るだろう。バリトンサックスがエンジンのように唸る。

スカートの短い女子高生を見遣る女性は訝しげに遠い目になって行く。類家心平 4 piece band の Chaotic territory Ⅳ を聴くものの満員電車に押し込められ、イヤフォンの電波が遮られた。窓ガラスに伏目がちな女性の美しい顔が映る。結局、ただの好意でしか相手にされていない。それが現状の人間関係の限界だ、そう結論を出したところ、最早後に残るものは何も無かった。歩きながらスマートフォンとイヤフォンを再度接続させ、ベッカ=スティーブンバンドのパーフェクトアニマルを聴く。手許の本を読む女性の横顔は美しく、害にも薬にもならない。

地下から地上に出ると陽が射している。空にはまだら雲が広がっている。秋の空だった。公園の垣に色鮮やかな蝶が舞っている。Blacksheep の SLAN が耳許で気持ち良く響く。

休日出勤。自分の分野以外の内容ばかり、仕方無く数をこなす事に注力するも、適切な指示が出せていたものか今になって不安になってしまう。全く仕事嫌いがやる気を出すものでは無い。

大学で鯨の鳴き声について研究しているという女性に出会う。互いを想っている事は明らかだが、もちろん、夢の中だけの出来事だった。

ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ Blues のいかがわしい雰囲気。休日出勤二日目の朝、改札前で男女が別れを惜しみ、その時間を伸ばそうと冗談を交わし続ける。飽きるまで互いを貪り合えば良いのに。その後に残るものが何なのか、それは二人だけが判れば良い。

仕事を終え電車に乗り込むと座った子どもは母親の肩にもたれて眠っている。おやすみなさい、ねむりなさい、また始める為に。

2015年8月31日~2015年9月6日

霧雨程度の雨だと気がつき傘を畳むと、電線から滴る水滴がこめかみに落ちた。

雨がもたらしたのは蒸し暑さだった。

流されるがままにたどり着いた場所で得た出会いも、研鑽の上にたどり着いた場所で得た出会いも、共に等価だと気がついた。

朝、制服姿の学生を見掛け、今日が九月一日である事に気がつく。

久しぶりに青空を見掛ける。

どうにも何かに手をつける気もなれず、音楽ばかり聴いている。エイトル=ヴィラ=ロボスのブラジル民謡組曲、ドビュッシーの版画、ブラームスの雨の歌、どれも小説や漫画を読んで知ったものだった。

現状の認識は他人の言葉で指摘される事によって完成するのだと思う。最近、漫画を読んだり、上司と話していてそんな事があった。楽観的な気分にも悲観的な気分にもなった。

網戸から魚が焼ける匂いが漂ってきた。上階が騒がしく、外に出て格子に囲まれたベランダを見上げると七輪だかオーブンだか、もくもくと煙が上がっている。下階の人間の事など考えようも無いのだろう。怒る気にもなれず、窓を閉めエアコンを点けた。

久しぶりに晴れるらしいと知り、洗濯をして干しに掛かる。雨が降らない事を祈るばかりだった。

ジムのモニターにて散歩の番組やら昼の情報番組、朝の連続ドラマ小説やら大河ドラマを眺める。イヤフォンを無くした為、耳許が寂しい。

久しぶりの晴れ間の為か蝉の鳴き声が聞こえる。

映画の感想等を綴ってみるのだが、そもそも内容を忘れている。おそらく映画を観ながら、違う事を思い出しているのでは無いか。そして思い出した事もまた忘れ、後には何も残らないのだ。

散歩をしてみるのだが、仕事の事を思い出し腹立たしい気分になってしまう。しかし腹を立てるだけ無駄な事、大体は答えが出ていたのだった。途中、天気予報通り、雨が降り始めた。木々の下を歩き、小雨を避けて進んだ。コンビニに寄りアイスモナカを買って食べた。信号を待っていると雑誌を持った神経質そうな若者が厳しい目を向けて来た。

短編ベスト10

スタニスワフ=レム著、沼野充義・関口時正・久山宏一・芝田文乃訳『短編ベスト10』を読んだ。

ポーランドのSF作家スタニスワフ=レムの短篇集。読者投票、編者、レムによって選ばれた短編十五作の内、十篇を邦訳したものとなっている。翻訳者の一人である沼野充義の解説によれば、本国版から除かれた作品は既に邦訳されており、以下がその作品になる。

  • 「サイモン・メリル「性爆発」」(邦訳「完全な真空」所収)
  • 「アリスター・ウェインライト「ビーイング株式会社」」(邦訳「完全な真空」所収)
  • 「泰平ヨンの未来学会議」(邦訳「泰平ヨンの未来学会議」所収)
  • 「アーサー・ドブ「我は僕ならずや」」(邦訳「完全な真空」所収)
  • 「マルセル・コスカ「ロビンソン物語」」(邦訳「完全な真空」所収)

以上の作品は本書同様国書刊行会から出版されている「完全な真空」、映画化により改訳版が再販されたハヤカワ文庫「泰平ヨンの未来学会議」で読める。
本書に収録されたのは以下の作品となる。カッコ内は作品の日本にて呼称されているシリーズ名となる。

  • 「三人の電騎士」(「ロボット物語」より)
  • 「航星日記・第二十一回の旅」(「泰平ヨン」シリーズより)
  • 「洗濯機の悲劇」(「泰平ヨン」シリーズより)
  • 「A・ドンダ教授 泰平ヨンの回想記より」(「泰平ヨン」シリーズより)
  • 「ムルダス王のお伽話」(「ロボット物語」より)
  • 「探検旅行記第一のA (番外編)、あるいはトルルルの電遊詩人」(「宇宙創世記ロボットの旅」より)
  • 「自励也エルグが青瓢箪を打ち破りし事」(「ロボット物語」より)
  • 「航星日記・第十三回の旅」(「泰平ヨン」シリーズより)
  • 「仮面」
  • 「テルミヌス」(「宇宙飛行士ピルクス物語」より)

どの作品も面白いのだが、なかでも印象に残ったのは「仮面」と「テルミヌス」である。
「仮面」は美しい女性の一人称となっており、中世を思わせる宮廷舞踏会の描写から始まる。ある男性との逢瀬が始まろうとするも、自身の中に蠢く感覚が発露すると謀反人を追い詰めるべく用意した殺人機械としての正体を現す。言葉そのまま人肌を脱ぎ、機械バッタが男を追い砂埃を挙げて疾走する。硬質な文体は格調高く難解であるものの、読み応えがある。
「テルミヌス」は宇宙飛行士ピルクスが古びた宇宙船で航宙中、船内で壊れかけたロボットを見つけ宇宙船が過去に遭遇した大事故の顛末を知るという、シリアスな作品となっている。

隠し砦の三悪人

黒澤明監督作品『隠し砦の三悪人』を観た。

大名同士の戦いに参加するも何も出来ず、捕虜となるも反乱が起き、何とかその場を逃げ出した百姓二人は、偶然にも金の延棒を発見する。大名の隠し財産だとはしゃぐ百姓だったが、そこに屈強な男が現れる。

百姓二人が金やら女に対する劣情を露わに、臆面も無くしゃしゃり出て物語を進行していく。この二人を、ルーカスがスター・ウォーズに於いてR2-D2C-3POのモデルにしたと言及されているが、オリジナルは欲望丸出しで憎めない面はあるものの可愛さは無い。

姫役を演じる上原美佐はきりりとした顔が良い。これほど眉毛を描く必要があるのかと思わなくも無いが。

火祭のシーンは東宝らしいなと思う。こういうシーンを面白いと思わなかったが、昭和の日本映画ばかり観ていると慣れてくるから不思議なものである。

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『ゴッド・ファーザー』『ゴッド・ファーザー PART2』『ゴッド・ファーザー PART3』

フランシス=フォード=コッポラ監督作品『ゴッド・ファーザー』『ゴッド・ファーザー PART2』『ゴッド・ファーザー PART3』を観た。

今更ながら「ゴッド・ファーザー」シリーズを観た。PART2までは楽しく観れたものの、PART3はやや冗長、ゴッド・ファーザーであるマイケルの娘役を演じるソフィア=コッポラがかなり浮いていると感じた。

マフィア映画だから暴力描写があって当然なのだが、売春婦が政治家の脅迫の為にあっさり殺されていたりする描写は何とも空しい。容赦無い暴力を振りかざしたゴッド・ファーザー自身も最後はシチリアで抜け殻になっているのは当然の業なのか。

シチリアで爆殺されるシモネッタ嬢が美しい。

マーロン=ブランド演じる初代ゴッド・ファーザーがちょっとした盗みを働き、知らぬ間に成り上がって行く様子は面白い。今後の人生を決める殺人を、初代と二代目共に自ら犯すのだった。

暗殺者が数人登場するが、余りに単純過ぎる決まりを信じ、他のもの一切が背景に引いていくような、前のめり気味の人物として描かれている。

シチリアは、常に意味も無い程に陽に晒され、アメリカの空は常に雲が垂れ込めている。

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ゴッドファーザー PARTIII<デジタル・リマスター版> [DVD]

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七人の侍

黒澤明監督作品『七人の侍』を観た。

物語の主役が侍だとばかり思っていた。しかし物語の終わりに侍を用心棒として雇った農民たちこそ主役だという事が明らかになる。

そういえばと友人が話していた武士道に関する本の話題を思い出した。友人が話していた内容はこんなものだったと思う。「士農工商、つまり武士の次に来るのは農民な訳、お金を稼ぐだけの商人は卑しいという事なの。農民は作物を作り出すけど、商人は金を稼ぐだけなんだよね。では、武士というのは何なのかと言うと、武士は食わねど高楊枝では無いけど、お金を持つ必要は無い訳、物事をやるやらないを決断するだけ。この決断、やると決めたらやるのが武士だと言う事なんだ。」この後、友人はこの決断について、現状の生活に引き寄せて話していた。

「羅生門」では武士の妻真砂を演じた京マチ子が妖しげな美しさを放っていたが、本作でも野武士にさらわれた農民の女房演じる島崎雪子が、火がつけられた山塞*1でニヤリと笑う顔が忘れられない。

雨降るなか暇を持て余し「女でも抱きたい」と呟けば、「身体を動かしてくる」と飛び出し雨に濡れながら刀を振る侍を演じる宮口精二が格好良い。また所狭しと動き回る菊千代演じる三船敏郎が印象に残る。

七人の侍 [Blu-ray]

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*1:さんさい。盗賊等が山中に築いた城塞をを意味する。

2015年8月24日~2015年8月30日

外は意外にも涼しかった。自宅から百メートル程歩いたところでベルトを締め忘れた事に気がついた。来た道を引き返す。

女性が着ているポロシャツがおそらくそのまま会社のユニフォームだった。エンジニアらしい。

若い男女の睦まじい様を眺める。耳許で流れる音楽はそんな事を意に介さない。

急に涼しくなり落ち着かない。もう秋が来てしまう。

喫茶店の隣に座った人々が東日本大震災に遭遇した時の事を話し始めた。あれから四年経っている。

どうにも職場で色々と動きがある。異動は無いにしても近い将来今の業務から離れる事になりそうだ…と考えていたところ、翌日に上司たちに呼び出され、隣席に座っている同僚が長期出張の候補である事を報告された。業務内容は多忙を極めるので安堵すべきなのだろうが、これからの会社での立場を考えると惜しいと言ったところか。よくよく考えてみれば、こういった時の為にさっさと夏休みを使ったのだった。どちらにせよ仕事については、早い時期に鑑みるべき必要があった。

電車に乗り込むと子どもが母親の脚元にしがみついていた。おそらくこんな関係は一瞬の事なのだ。

涼しくなり、曇天の空模様が眠気を誘う。

テニスバッグを持った日焼けした十代の女性の若さに眩しさを感じた。

安全確認の為に停まった電車。停まった理由はイヤフォンから流れる音楽に遮られている。約束の時間に間に合わないかもしれない。駅員が構内を走る姿が見える。

時間には何とか間に合ったものの、最後の一人だった。今日は事務所の同僚の送別会と各事務所合同の懇親会だった。久しぶりに刺身を食べたが風情も無く酒も飲める状況でも無い。無難に切り抜けたというか、手応えにいちいち欠ける時間となった。

送別会と懇親会の帰路、電車に乗るのが煩わしくなり一駅程歩いた。人気の無い住宅街を歩く。耳許のイヤフォンではクラシックギターが鳴り続けている。

風と共に去りぬ

ヴィクター=フレミング監督作品『風と共に去りぬ』を観た。

最近翻訳家である鴻巣友季子がマーガレット=ミッチェルの原作の新訳を発表して話題のようだ。私はヴィヴィアン=リーを観る為に本作を観たのだが、その半生を描いた本作はとても長かった。

南北戦争によってアメリカ南部の栄光が風と共に去ったというのが本作の題名の意図したものらしい。実際、本作前半のアメリカ南部は美しく、ドレスを纏った女性たちを隠そうとするかのように茂る庭の広葉樹は豊かさの象徴とも見て取れる。

スカーレット=オハラは非常に激しい気性の女性として描かれているが、それ故に生命力に溢れている。とても尋常ではないと思える程に。窮地に追い込まれた末の「明日考えましょう」という台詞には笑ってしまう。ヴィヴィアン=リーの美しさを語った教授はこんな事を言っていたと思う。「ああいう場面で「明日考えましょう」なんて普通言えないよ。でもね、そういうものなんです。その事しか考えられないとかそういった時にはね、思いきり電柱に頭をぶつけたり、高い料理でも食べて「あ~食べた、満腹」なんて言って、その後に後悔すれば良いんです。意識をずらしてやれば良いんです。大抵の悩みなんてそれで解決ですよ。概してそんなものなんです。普通言えないよ、でも「明日考えましょう」で良いんです。」

クラーク=ケーブル演じるレット=バトラーが非常に格好良かった。またテーマ曲は改めて素晴らしいと思った。

「欲望という名の電車」と本作について考えていると現実に即する事が必ずしも「自分の心の内」を満たす訳でも無い事が判ってくる。なるほどスカーレットはより現実的だが、しかし内心の変化に気が付く事は出来なかった。またブランチはおそらく現実に即するべきだと知っていた。でなければ過去を暴露される事もなかった。しかし内心を無視する事もまた出来なかったのだ。

取り敢えず明日考える為に我々は寝るべきだと思う。

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欲望という名の電車

エリア=カザン監督作品『欲望という名の電車』を観た。脚本はテネシー=ウィリアムズ。

学生の時、病跡学の論文を読み進める講義があった。論文はたいてい著名な芸術家等が対象になっていたのだが、フィクションである本作のヴィヴィアン=リー演じるブランチが対象となっているものがあった。ここでこの講義を受け持つ教授はヴィヴィアン=リーの美しさについて饒舌に語った。おかげでブランチがどのような症例だったかはすっかり忘れてしまっている。

上記の論文を読むまでも無く、画面に現れたヴィヴィアン=リー演じるブランチは何やら不穏な空気を纏っている。言動のおかしさ、名家気取り、若い男性に対する好奇心、どれもがブランチの実情からずれている。特に若い男性に対する興味を抑えられない様は心苦しい事この上ない。実情に即した着地点であろうミッチとの結婚も、妹ステラの夫スタンリーによる過去の暴露によって破談となり、加えてスタンリーの暴力によって、ブランチは遂に精神の均衡を崩してしまう。

自らの実情に即するとはどういう事なのか、自分に対する脇の甘さが垣間見える時、ブランチが他人事では無いと思えてくる。

羅生門

黒澤明監督作品『羅生門』を観た。

羅生門に通り雨が降り注いでいる。そこに雨宿りの為に男がやってくる。門の下には放心状態の杣売り*1と旅法師がいた。杣売りと旅法師は自身が関わったある殺人について語り始める。検非違使に引き連れられてやって来た事件の当事者たちは、殺人のあらましを語るも、それは全て異なった証言だった。

思うに人は、それぞれの立場に左右され、またそこに意識的にか無意識的なのか、より自らを有利にし、かつ自身の正当性をこしらえようとする。これをエゴイズムと言うのかもしれないが、であればそれ無しで人は生きるのもまた個人のレベルでは困難だろう。これが公共性の方へ高まるにつれ、客観性が必要となるのだと思う。

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*1:木こり。

2015年8月17日~2015年8月23日

隣に立っている十代の女性が捲る単語カードに目をやると poison とあった。なぜ俺が見た時に限って、という思いが拭えない。

客先に向かう途中、須藤元気を見掛ける。たぶん、あれは須藤元気だと思うのだが、別段感動も無く、興味が無いという事がよく判った、

エスカレーターからそのまま到着した電車に乗り込むと、何やらアンニョイな雰囲気を醸し出した乗客ばかりである。

曇り空だった。ベンチがあるにも関わらずアスファルトにそのまま腰を下ろす年老いた現場作業員の男性を横目に煙草を吸う。

客先の女性担当者の一人と同じ電車に乗り合わせた。適当に話してみるものの、どこか噛み合わず、また踏み込んだ会話も出来ないまま、下車駅に着いてしまった。

土岐麻子を聴いた後、何となく女性ヴォーカルを聴きたくなった、坂本美雨や小田朋美のアルバムを続けて聴いたところ、改めて良いと思った。特に小田朋美の谷川俊太郎の詩を唄った雨よ降れの緻密な音の構成は詩の世界を余す事無く表現していた。

両親に連絡を取る。残暑見舞いは届いたという。同封したのは両親の故郷であった満州への移民運動に関する新聞記事だった。父はどうにか老眼鏡でその新聞記事を読み進めていると言う。父によれば祖父は満州国憲兵なりの役職に就いていたのだという。既に他界している為、詳細は判らず、新聞記事の内容が関係あるかどうかも判らない。

更に父の家系はなかなか複雑になっている。父には二人の兄と姉がいるのだが、若くして長男は亡くなり、次男が事実上の長男になるものの、母には兄弟が居らず、姉妹は既に結婚していた為、この財産を継ぐ事を目的として母の家系の養子になった。つまり母の息子ながらも弟となった。こうして父の家庭には、二つの家系が混在する事になった。一人だけ別姓を名乗っていた兄は自らの境遇を面白く思わなかったようだが、既に鬼籍に入るに至る。

平野啓一郎のマチネの終わりの連載を読んでいる。クラシックギタリストの男性と新聞記者の女性の恋愛が進むなか、男性を慕うマネージャーの女性が自らの想いが報われない事実と向き合っている。心苦しいものの、誰にでも訪れる局面であり、また彼女の言う通り、主要な登場人物たちの為の端役を引き受けるという事そのものだった。彼女は自らの気持ちを整理するべく、傍から見れば嫉妬による意地らしい行動を取りつつある。しかし、おそらくは、そんな彼女もまた自らが主人公となる舞台の上では、誰よりも輝くはずであり、今は自らの想いが報われず傷ついた事に気がつくべきだった。

スーパーでワインとリンゴを買い物カゴに入れた若い女性を見掛ける。その後、コンビニに煙草を買いに入ると、先程の若い女性がコンビニでしか売っていないアイスを買っている。ワイン、リンゴ、アイス…もしこれが彼女の夕飯であるならば、翌日は腹痛になりそうだ。

修羅の門ジョジョリオン、セケンノハテマデの新刊を読み終える。

アルカジー&ボリス=ストルガツキー兄弟のモスクワ妄想倶楽部を読み終える。本作はみにくい白鳥と合わせてびっこな運命という一つ作品として出版されたのだという。著者の作品を読む為に版切れの作品を古本屋等で購入しているものの、本書でも言及される滅びの都は手に入るか怪しい。ラドガ壊滅に至っては二万円以上する。図書館で借りるというのが次善の策であるものの、読む時間を決められるというのは今となっては不愉快極まり無い。よくもまあ、学生の頃は二週間やらで本を一二冊の本を読み終えていたものだと思う。

スマートフォンを忘れた為にジムのモニターの音声を聴く事にした。女子ゴルフの試合を眺めるのだが、赤いワンピース調のウェアを着た金田久美子が映える。テレサ=ルーの18ホールのイーグルはバックショットでイン。優勝は服部真夕だった。