2015年9月21日~2015年9月27日

ブレードランナーを観たところ、大変感銘を受けた。これが初めての鑑賞ではないのだが、やっと作品のディテールを読み込めるようになったという事だろう。そもそも当初の鑑賞は中学生か高校生の頃まで遡る。おそらく何らかの媒体で評判が良い事を知ったのだろう、ビデオに録画して観たのだが、しかし当時使用していたテレビは明暗に難があり、殆ど真暗にしか画面が見えない事があった。また車両が空に飛び立つシーンを観て何か興醒めしてしまい、緊張感無く何とも言えない感想を持ったのだ。大学に入り、友人とブレードランナーの話題になり、楽しめなかった事を告げると猛烈に批判され、監督のリドリー=スコットの映像美は明暗にあるのだと言った。確かその後、スター・ウォーズが好きだと言うと、あんな子ども向けの作品と批判され、誰でも子ども心があるのだと適当な事を言い返した憶えがある。もちろん今も子ども染みていて、主人公が使う拳銃が格好良いな等と思ったりしたのだが。

窓から入る風が気持ち良い。このまま一眠りしたいものの、午後からは仕事となっていた。

客先から仕事を依頼され、ある人物を追うのだが、建物の高所やら何やら道のりを辿るものの、結局何も起きはしなかった。

平野啓一郎のマチネの終わりにの連載を読み続けている。主人公とヒロインは再会叶わず、二年もの歳月を通り過ぎてしまったという。それでも二人は再度出会いを果たすのだろう。

ドレスを着た女性と軽装の男性が電車の中で身だしなみの確認を始めた。連休の中頃、今が一番楽しい期間だろう。

ビジネスホテルにチェックインしたが、特段やる事も無い為、とりあえず部屋に置かれたパンフレットを元にご当地ラーメンを食べに出掛ける。繁華街は遠いらしく、午後二十一時を過ぎれば駅前も人通りが少ない。目当てのラーメン屋を見つけ食するものの、良し悪しが判らなかった。

ビジネスホテルに戻り、テレビを点けて適当に眺めていると、あの日見た花の名前を僕はまだ知らないというアニメの実写が放映されていた。友人が熱心に話題にしていた作品だった。実写の出来や原作がどういったものか判らない。しかし作品を見ながら思うのは、ある感情や出来事に決別しなければならない時は必ずあり、それが大人になるという事だった。それはつまらない事なのかもしれない、しかし、生きる上で必要なものはそういう技術であり、強さだった。

開けた窓から夜風が入り込み、何台もの電車が音を立てて通過した。なかなか寝付く事が出来なかった。

朝、上司と共に客先に待機していると今年異動していた若い担当者から声が掛かる。以前より溌剌とした印象さえ受けるが、あくまで彼らにとって自分たちは動かせる駒でしかないのだという思いが湧く。組織の一翼を担っていく若い人材を前にして自身の現状を省みた、ただのひがみだなとつまらない気分になる。

一仕事を終え、同僚たちと飲みの席に合流するものの、アルコールを取る気にもならず時間を過ぎるの待つ事になった。どうにも惨めな気分になるのは、まるで今の仕事やら何やらに満足も出来ず、また能力も持ち合わせていない為なのは明白だった。

ビジネスホテルに戻りテレビを眺めるものの、乾いた笑いしか上がらない。大した連休だなと皮肉の一つ言いたくなるものの、自身の現状を他人と比較する事で判る良い機会だったと思い直した。

窓ガラスに大写しに反射したのは女性の顔が描かれたポスターだった。

浴衣を着た複数の女性を見掛け、連休を名残り惜しむ気持ちが湧く。

ピンクのドレスを着たしなをつくる女性とやたら体格と威勢の良い女性が目の前に並ぶ。壮観な光景だった。ドレスの女性は六本木最寄りの駅で降り、威勢良い女性はドレスの女性を嫌ったのか別の席に移った。

ラーメン屋に入ると関西訛りの二人組が軽妙な会話を繰り広げており、そのリズムの良さについ聴き耳を立ててしまう。

志人・スガダイローの詩種を聴いているが、詩の朗読とピアノの旋律が別世界に見事に導いてくれる。

隣に座った中年の女性が読む資料が垣間見えた。自己啓発的な文章が目に入り、嫌悪感が湧く。長い人生、これからも当たり前のように何事かが起きるのだ。

いつもの喫茶店で一服していると老人が入店し「××ギャラリーの場所をご存知ですか?」と尋ねた。応えようとする店員の横から女性客が現れ、「私、ギャラリーのスタッフなんですが」と言う。ちょっとした偶然に店内に小さな笑いが起こる。

陽は沈み辺りは暗闇に包まれる。秋の日はつるべ落とし。父親は抱き上げたなかなか泣き止まない子どもに苦笑いを浮かべ、子どもは居心地の良い胸の上で安心して泣き続けた。路上に間歇して響く余裕ある嗚咽。今この時、この場所が、この親子の在りし日の思い出となり変わる。父親はいつかまたこの事を思い返して微笑むのだろう。思い出として掬われようとする風景から、そんなの御免だと身をかわして路地を抜けた。

自宅を出ると遠くから大きな音が響いて来る。時期的に近くの高校の文化祭だと思われた。

ジムのモニターを眺めるものの、面白い番組は無かった。番組の合間にニベアの広告を見る事があるのだが、やたらセクシャルだと思う。

帰りがてらスーパーに寄ると、若い男女の店員が仲睦まじく働いていた。ただのだらしの無いおっさんの客として、一刻も早くその場から脱げ出したい気持ちになった。願わくば、彼らに輝かしい未来をと思うのだが、勝手におっさんに祈られても余計な御世話というものだ。

台所で一服していると、壁で大きな蜘蛛と小さな蜘蛛が一進一退の縄張り争いを繰り広げていた。真面目に眺めていたが、余りに気長の攻防の為に途中から飽きてしまった。

花火の音が聞こえ、その後に歓声が続く。祭の終わりという事らしい。もう九月が終わるのか、そんな事を考えた。