2015年9月14日~2015年9月20日

連日の勤務の為か、早朝目覚めてしまう。早めに自宅を出るとヒールを履いた女性は小走りに、その横を両手に鞄を持った男性が歩く。例えばこの男性がスーツを脱いだ無職になっても、二人の関係は続くのだろうか…経済力は重要だ、そんな結論しか出ない。

リクルートスーツを着た女性のうなじと顔の横にかすかに伸びた描かれた眉。吊革広告には「化粧ですっぴんをつくる」とある。

真夜中に目覚めるが、何も起きようが無い。空腹を覚え軽めに食事を取って寝る。

長野県にある会社が吸収合併される。その会社は以前俺が勤めていた会社らしい。社長は隠居を宣言し、四十代の社員が社長としてこれからの社の方針について語っていた。

スマートフォンを片手に寝入ろうする女性を見掛ける。目の前に立った女性が咳を繰り返す。隣に座った若い男女は寄り添い何事かを語り合う。耳許でバトルズの新譜が鳴る。

洋室で目覚める。二の腕に乗った髪を撫でる。彼女が微笑みながら、前髪を払う。「何?」「突然、愛情が湧いてさ。」「何それ?」そういうと彼女は懐に入り込み額を胸に押しつけた。「涼しくなったね。」胸元から聞こえる声に応えて、タオルケットをたくしあげる。今から土曜日が始まる。

あり得たかもしれない未来が黄金のピラミッドの中、無数の部屋で繰り広げられている。窓から覗いたその光景は、自らの願望の発露にしか見えず、どこかグロテスクだった。

ジーンズをたくし上げ靴のまま部屋に上がる。汚泥に侵された部屋で使い物になりそうなものは壁に掛けた洋服とロフトの上に置いたものだけだった。壁に残った泥の跡で部屋の中に腰の高さまで浸水していた事が判る。クローゼットを開けるとハンガーに掛けたスーツの裾に泥がこびり付いていた。舌打ちしてクローゼットの扉を全開にし、建て付けの悪くなった窓を開ける。まだら雲が青い空を覆う。すっかり秋の空だった。

運命の宮殿は結局のところ、自ら想像出来る未来しか眺める事が出来無い。未来の自分とは赤の他人でしか無い。

冷蔵庫から取り出したオレンジジュースをコップに注ぐ。着替えて薄い化粧をした彼女はコースターを手に取り眺めながら「こんなもの用意してるんだ。」と言った。「一応ね、お客様用だよ。いつもなら紙パックに直接口を付けて飲んでる。」彼女はわざとらしく顔をしかめて「じゃ、これも?」とコップに口を付けた。「残念、これはさっき開けたばかりだった。」彼女は「別にそんな事は気にしないけどね。」と相好を崩した。

いつもの喫茶店で繰り広げられる光景。ウインドウ越しに何台もの車が休む事無く走って行く。果たして自らが描く、別の未来、現在、過去があり得るのか、あり得たのか?

無料の廃棄処分場が市に二箇所しか無いのだから笑ってしまう。車が水没してしまった今、どうやって泥塗れの荷物を運べと言うのだろう?家の中に散らばった衣類を袋に詰め込んでみたものの、家電はそのままだった。全く途方に暮れるしかない。もうここに住み続ける理由は無かった。午後に不動産会社に連絡しなければならない。

事務所を出て帰りにCDショップに寄る。正直ダウンロード出来ればそれで良いのだが、CDでしか音源が無いというのならば仕方無い。

彼女と手をつなぎ駅まで歩く。彼女は今にも鼻歌でも奏でそうなほど機嫌が良いらしい。彼女は言う。「じゃあ、またね。」こんなありきたりな言葉でさえ、独りでいる時間を思えば憂鬱だった。部屋に戻れば彼女が残した痕跡に苦しみ、気を紛らす為に掃除と洗濯をするのだろう。

玄関の前でスマートフォンを眺めていると、今まで口の聞かなかった南米系らしい隣人が声を掛けて来た。何を言っているのか判然としない。しかし何度も差し出されたスマートフォンの液晶から通話が続いている事が判った。「俺?」「はい、おねがいしますー」なぜ語尾が伸びるのか、そんな小さな疑問を抱きつつもスマートフォンを耳に宛てた。「はい?」「…帝国海上火災保険のフセと申します。おそれ入りますがお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」保険会社らしい。「羽山と申しますが。」「羽山様ですね。先程からお電話させて頂いているのですが、ご理解頂けないところもございまして…。不躾な質問になりますが、アフレウリ様とはどのようなご関係になりますでしょうか?」「はっ?」「いえ、すいません。こちらも御本人様確認させて頂く必要がありまして…」「急に電話を渡されたんですが、えーと、実はただの隣人なんです」「ははぁ、なるほど。ええと、アフレウリ様はいらっしゃいますか?」「いますよ。」アフレウリは先程から横でニコニコしながら俺の様子を見ていた。どうやらこの男は、日本語が出来ないばかりに俺に保険会社への連絡をさせようとしているらしい。そういえば、入居した際、保険に加入させられた記憶がある。この横でニコニコしている男もそれなりに色々と考えて行動しているらしい。車両保険は既に連絡をしていたものの、アパートの保険まで考えが至らなかった。目先の事に囚われていたのは俺の方なのだ。

わざわざ店頭までCDを買いに行った訳だが、オンラインでCD音質以上のものが複数ダウンロード販売出来るようになっていた。こうやって考えると最早特典による付加価値が無ければCDを購入する理由は無い。

休み明けは案の定、災害の影響で慌ただしかった。土日は用がある事を伝え休みを貰ったものの、今週の連休は何日か出社しなければならないだろう。連休は特に遠出せず、彼女とゆっくりと過ごす予定を立てていた。昼に彼女にメールを送ると「しょうが無いわね。でも良かったら自宅に行っても良い?ちょっとした家事ならやってあげる。」と返信が来た。特に機嫌を悪くした様子は無い。午後からは人手不足を補うべく、災害支援室の席に着いた。入社一年目の社員の横で対応を指示していると、業務委託先の社員から書類を渡された。契約者が外国人だと言う。受付票によれば日本語が話せないと申告されたとある。なるほど、これは社員がやるしか無いだろう。さすがに新人に預ける訳にもいかない。仕方無く電話を掛ける。「もしもし帝国海上火災保険の布施と申します。マルシム=フレ=アフレウリ様のお電話でよろしいでしょうか。」少しの沈黙の後、「はい、アフレウリですー。」なぜ語尾が伸びるのか、そんな小さな疑問を抱きつつ、会話を続ける。「昨日の連絡を受けましてお電話させて頂きました。まず今回のご被害につきましてお見舞い申し上げます。今、お時間よろしいでしょうか?」「時間?ある、あるよー。」「ありがとうございます。ではこれからの保険金請求につきましてご説明させて頂きます。」「えっ、あっ、日本語少し、少しだけ。」このあと、英語では無い言葉と片言の日本語の説明が続いた。本人確認を取る為にも住所を聞かなければならなかったが、質問を理解している様子は無い。電話を切る訳にもいかず、相槌は打つものの埒が開かない。すると受話器から「俺?」と日本語が聞こえた。日本語の出来る友人と一緒なのだろうか?「はい」怪訝そうな声が受話器の向こうから聴こえた。「帝国火災海上保険の布施と申します。おそれ入りますがお名前お伺いしてもよろしいでしょうか。」難しい展開になってしまった。こうなっては電話の主が理解ある人間である事を祈るしかない。

雨が降っていた。雨戸越しに雨音が響く。

仕方無くロフトの上で眠りを待った。電気はまだ復旧していなかったが、避難所まで歩くのは億劫だった。鈴虫の鳴き声が聴こえる。人気の去ったアパート界隈の静けさはいつもと変わらなかった。その変化の無さは、人の存在を否定しているかのようで、少し背筋が寒くなった。結局隣人アフレウリの代わりに出た電話は、日本語の介する知人等を用意して電話を折り返すという事で落ち着いた。自分がアフレウリと全く無関係だと判ると、フセと名乗る男は申し訳無さそうに自分がもう一度説明を試みるからと電話を代わるように言った。返したスマートフォンを耳許に当てアフレウリは難しい顔をしていたが「オーケー」と一言言うと電話を切った。そしてこちらを見てニコニコしながら「オブリガード」と言う。「アンダスタンド?」とりあえず尋ねると、「イエス」と笑いながら言い、部屋に戻って行った。相変わらず愛想は良かったが別れはあっさりとしていて拍子抜けしてしまった。本来、話し掛ける事も無かったはずの隣人同士なのだ。当然と言えば当然の事だった。

シャワーを浴びようと浴室に入ると蚊が飛んでいたので壁に叩きつけると電球の光が消えた。衝撃で配線の接触が悪くなったのかと照明カバーを外し電球をいじってみてもどうにもならない。面倒な事になったなと浴室を出ると部屋に明かりが無い。スマートフォンを取り出してブレーカーを照らすと案の定、スイッチが切れていた。叩いた壁の裏側にブレーカーが設置されていたので衝撃が影響だろう。スイッチを入れ浴室に戻ると、壁に蚊が潰れてこびりついていた。

帰宅したのは午後十時過ぎだった。午後八時まで災害支援室の書類に目を通し、自らの席に戻って決済待ちの書類に目を通すと午後九時を過ぎていた。明日に仕事を残すのは面白く無かったが、まだ月曜日なのだと思い、未だ残る管理職に一声掛けてオフィスを出た。少し肌寒く、もう秋なのだと思った。スマートフォンを取り出し週末の事を考えながらメールを打った。「家事までして貰うのは悪いけど来てくれると嬉しい。土曜日の朝は大変だろうから、出来れば金曜日の夜か、土曜日の夜はどうだろう?」電車の中でメールの返信があった。「家事って言っても洗濯くらい?パンツ洗ってあげるわよ、なんてね。じゃあ土曜日の夜に。忙しいんだろうけど、身体に気をつけて。」メールを眺めながら口許が綻ぶのが判った。こんな何気無いメールにも関わらず、何か気持ちが解きほぐされ、気がつけば肩の力が抜けている。愛しているのだ、そう考え、素直に納得している自分がいた。

雨が降っている。上司から連休中に短期出張の可能性がある事を伝えられた。目の前で日焼けした二人の男女がスマートフォンで写真をスライドショーで眺めている。どうやら南の島に行ったらしい。ゴーヤチャンプルーの写真が垣間見えた。おそらく沖縄に行ったのだろう。そういえば最近結婚した同僚も沖縄にハネムーンを予定しているという。少し地味のような気がするものの金銭の問題もあるだろう。どこか小旅行にでも行きたい気分だが、アテが無いからにはどうにもならない。

休みを貰っていたものの、特にする事も無い為、職場に顔を出した。職場は高台にある為に被害は免れていた。作業着を羽織り倉庫に入り、パソコンから帳票を出力する。品物を箱詰めしていると倉庫の奥から上司がやって来て慰労の言葉を掛けてくれた。上司の自宅は床下に浸水はしたものの、特段被害は無かったらしい。「今度は高いところか二階に住めよ。」と笑いながら言う。既に不動産会社に赴き、アパートの解約と保険会社への連絡をして貰い、新しい入居先を何件か見繕って下見しに行く手筈を整えていた。生活を仕切り直さなければならない。そんな事を考えながらデスクに向かいパソコンを立ち上げた。新しい生活を思い描いてみるものの、代わり映えしない毎日だった。差し当たり住む場所と車の買い替えの準備をしなければならない。忙しい連休になりそうだった。

宮殿で繰り広げれる無数の小劇。ジブリールの黒点の背の上でため息をついた。「もう良いのかい?」ジブリールが尋ねる。「もう良いよ。実はここは見たいものを見せてくれるだけなんだろう?」火炎の毛を毟って宙に投げれば火花が散った。「いや、ちょっと違うな。ここにはあらゆる人生が用意されているさ。でも君には見えていないみたいだ。想像力とか認識の限界って言うやつだね。でも気にしなくて良いんだ。それは人の領分じゃ無いんだよ。」「ふん、そんなの慰めにもならないよ。」「誰も慰めようとは思って無いさ。そもそも選べない人生を見ようなんて馬鹿げているとは思わなかったのかい?」「それは…。でも人というのはそういうものなのさ。」「それは知っているが未だに理解出来ないよ…」ジブリールはそう言うと六枚の翼を拡げ、周囲の暗闇を払った。「君とのお喋りにも疲れたよ。さあ元居た場所に魂を返そう。君の生きる場所はそこしか無さそうだ。」「判っているさ。」黄金の宮殿は暗闇ともに深淵へと崩れ落ちていった。

夏が戻って来たかのような強い陽射しだった。交差点で信号を待っているとレストランの階段から降りて来た背広姿の男性が鞄を落とし中身が階段に散乱した。それを拾い集める男性を眺めていると信号が青になった。

ジムに向かうも改札を抜けたところでシューズを忘れた事に気がつき引き返す。低層のマンションでは鳶職人たちが仮設足場を建設している一方、隣の建物では命綱を頼りに外壁を清掃している男たちの姿があった。

ジムでモニターを眺める。芸人たちが街を散歩し何やらやっているがさして面白くも無い。

ジムを出ると、おそらく吹奏楽部なのだろう、楽器を背負った高校生の一団を見掛ける。何と言うか、若さみたいなものに眩しさを感じてしまう。

父から連絡があり久しぶりに話す。以前送った山形県の満州入植運動に関する記事の話となった。やはり祖父は記事にある入植運動とは関係無く、軍人として満州に行ったようだと父は言う。「次男だった訳だから、農地も無いだろうし、徴兵というより軍人になって満州に行って憲兵みたいな事をやっていたんじゃ無いかな。それで日本に戻っておふくろの家系に長男を養子にして、土地を継いだっていう話だと思う。」

ジムに向かう。何やら外の静けさが際立つ。蝉の鳴き声が聞こえない為だろうか?

ジムのモニターを眺める。ブラタモリは博多特集という事らしい。博多といえば、せいぜい豚骨ラーメン位しか思いつかない貧弱な興味しか無い。ゴジラVSスペースゴジラの決戦の地は、この番組によれば福岡側という事になるのだろう。

静かな夜だった。わざわざ他人を見繕ってその一時を描こうとするものの、それもまた極端な自身の一部だった。勿論、この場の主体たる私も相当な虚構なのだから当然の事だった。