旅する力 深夜特急ノート

沢木耕太郎著『旅する力 深夜特急ノート』を読んだ。
沢木耕太郎が自著『深夜特急』について書いているのがこの本である。旅に出る過程、ライターとして歩み、そして旅そのものについての考察が書かれている。その他にもTV化した「深夜特急」や、著者の旅にヒントを得たTV番組「進め!電波少年」の一企画である猿岩石のヒッチハイクについても触れられている。
 
この本は3月に読んだのだが「旅」というものが自分に縁遠い気がして面白く読めなかった*1
ただ『深夜特急』の旅から帰国を果たした直後の著者が描写する街や、旅によって得たものと失ってしまったものについて記述が強い印象を残した。正確にいえばカミュの『異邦人』を連想した。ここでカミュの『異邦人』を連想するのは突飛なことと思うかもしれない。しかし本書でも触れられているように沢木耕太郎は大学の卒業論文においてカミュを題材にしている。私は著者が『異邦人』を念頭にして上記部分を書いているのではないかと思った。
私は改めて『異邦人』における主人公ムルソーによる街について記述を読み直してみた。それはムルソーが「好きではない日曜日」の家に面した街の大通りを、傍観者として夜まで眺めている場面である*2。一方で、著者の街の記述はこうである。著者は羽田から両親の家がある池上までタクシーで帰ることにする。偶然にもその日は日曜日であり、「街は閑散として静まりかえり、まるで無人の土地に帰ってきたような奇妙な感じを受けた。」という*3。また著者は旅によって得た最大のものを「自分はどこでも生きていける自信だったかもしれない」という。しかしその自信は「どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むこと」となり大切なものを失わせたという*4。この「仮の場所なのではないかという意識」によって著者は「夜、その部屋の窓から暗い外の闇を眺めていると、ふと、自分がどこにいるのかわからなくなるということが長く続いた。そこが自分の部屋であり、家なのに、旅先で泊まったホテルの部屋より実在感がないような気がしてならなかった。」という*5。読み比べてみて、特に文章に似ている所はないようだった*6。ただ、著者が旅によって「どこでも生きていける」という自信を手に入れたことによって「異邦人」になってしまったといえるかもしれない。この「異邦人」になってしまったという著者の意識と街に対する描写が、私にカミュの『異邦人』を連想させたのだろう。もちろん著者の「異邦人」的意識と『異邦人』におけるムルソーの意識が一緒ではないのだろうが*7

3月に読んだ時は、そんなことを考えていた。

*1:これは私が旅することが出来ない状況だったことに引き起こされている。最近は、旅することが出来ない状況なんて、簡単に取っ払うことが出来る、と考えるようになった。

*2:カミュ著『異邦人』新潮文庫p23〜27参照。

*3:沢木耕太郎著『旅する力』p173より引用。

*4:同上p183。

*5:同上。

*6:街の描写における「日曜日」というのが気になるが偶然だろう。

*7:ただ蛇足になるかもしれないが、著者は純文学作品として『血の味』を書いている。この作品で主人公によって引き起こされる事件は、『異邦人』のように不条理的に描かれていた。