そして、私たちは愛に帰る

 『そして、私たちは愛に帰る』を観た。

 ドイツに住むトルコ出身の親子。父は定年を迎え娼婦と暮らす。息子は大学で教えている。その娼婦、彼女もトルコ出身であるが、稼いだ金はトルコで大学に通う娘に送金している。その娘は、トルコで反体制活動をしている。彼女は警察の手から逃れるためにドイツに密入国する。彼女はそこでドイツ人の母娘と知り合う。そんな三組の親子がすれ違い、けれども接点を持ちながら、物語は進む。
 私はこの物語を観ながら、登場人物たちが持っているらしい、ドイツとトルコのその心理的な距離の近さに驚いた。しかし私の中途半端な知識からしてもトルコはEUに加盟するとかしないとかいわれているから、驚くほどことでもないのかもしれない。
 沢木耕太郎はこの物語を異邦人の物語といっている。それには同意せざるを得ない。トルコ人の親子はトルコこそ故郷であると思っている。しかも息子はドイツの大学に職を持ち、親父から高給取りといわれているが、それを天職だとは思っていない。またドイツ人の親子も、娘はバックパッカーとしてインドを旅した経験を持つ。しかもいかにも保守的な母親も実は昔、流行りにのってトルコからアジアを目指したことがあるという。このドイツ人の親子、結局親子なのである。
 この物語の邦題は「そして、私たちは愛に帰る」である。この三組の親子の物語はひとまず終わりを迎える。そして、やっと帰る場所がやってくる。しかしそれは「天国のほとり」と物語の中で題された場所でもある。この「天国のほとり」は何か失うことによってしか見出せない場所なのかもしれない。だとしたら天国とは満たされた者ではなく、何か失った者にしか開かれていない場所ということになる。それはそこに幸福があるとは限らないということを意味する。またそれが愛というもの…なのだろうか。