『人生ミスっても自殺しないで、旅』

諸隈元著『人生ミスっても自殺しないで、旅』を読んだ。

私が著者を知ったのはつい最近のことだ。Twitterで諸隈元シュタインを名乗り、ヴィトゲンシュタインに関して詳細に綴っていた。アカウント名から胡散臭い印象を抱いたものの、その内容はヴィトゲンシュタインに並々ならぬ興味が無ければ知り得ないものであった。そんな著者が初の著書である本書を発表するという。興味を惹く題名に刊行直後に本書を手に取った。

本書でも呼称に関して言及されているが、ヴィトゲンシュタインとタイプするとウィトゲンシュタインがサジェストされる。本書はヴィトゲンシュタインという呼称に拘っているのだが、私が学生時代にヴィトゲンシュタインを知った時、果たしてヴィトゲンシュタインとして知ったのか、ウィトゲンシュタインとして知ったのかは憶えていない。当時、分析哲学に興味を持ち、ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を読んだ。私は特に入門書等を読むこと無く「論理哲学論考」に挑んだ。無謀なことだが当時は割とよくしていたことだった。最後まで読み切ることはできたものの、難解さと数学や記号論理学の素養が無いことを理由に分析哲学に対する興味を失ってしまった。本書の読了後、著者とTwitterでやり取りをした上で、過去のツイートを確認したところ、「論理哲学論考」を読んでその後に全くヴィトゲンシュタインに手を付けなくなることはよくあることだと知った。私は正に初学者の失敗をしていた訳である。なお、著者によれば、ヴィトゲンシュタインの入門書は野矢茂樹と古田徹也の著作が良いとのことである。ちなみに大学の哲学科の教授や講師は分析哲学の話を振ると割とつまらなそうなリアクションをすることが多かったと思う。なお、西田幾多郎を専門とする教授が京都大学の哲学科は分析哲学の牙城となっていると話していた(10年以上前の話である)。

著者はヴィトゲンシュタインを私淑しており、大学卒業後、アルバイトをしながら、ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を小説にすることに打ち込む。小説を書き始めて3年目の日記には二十代をヴィトゲンシュタインに賭け、結果がでなかったら「自殺しよう」と記していたという。7年を費やして書き上げた「完全小説論考」は文芸誌の新人賞の二次選考を通過するも落選してしまう。そして、お先真暗の中、著者は欧州へ独り旅に出る。本書はその旅の記録である。

著者の欧州独り旅は自殺への期待が仄めかされており、死に場所を探す旅であることが示唆される。しかしながら、自殺への思いや著者の思いは瞬く間に移ろって行く。過去を振り返って書かれているため、旅の工程も前後していく。度々表れる文末の「~である。では無い」の両論併記はベケットの文体を模したというが、考えと感情の瞬く変遷と矛盾なのだろう。読んでいる私は何も理解できなくなり、さて困ったと思いながら、理解しなくても良いかと開き直り、著者の旅を追った。よくよく考えてみると、若い旅人の足跡を追うのは沢木耕太郎の「深夜特急」以来だったのではなかろうか?

著者はその後に文芸誌の新人賞を受賞し、現在は法律事務所のアルバイトをしながら執筆活動を続けているとのことである。

本書はKindleで刊行されていなかったため、本屋に赴いて購入したが、本のデザイン等も良く、今までKindleで済ませていたことに損をしたような気持ちになった。