ゴジラの精神史

小野俊太郎著『ゴジラの精神史』を読んだ。
「モスラの精神史」に引き続き本書を手に取った。本書は『ゴジラ』(1954年版)を中心に論じたものなっている。本ブログでは「ゴジラVSデストロイア」を言及した際『ゴジラ』(1954年版)の概要を追っている。以下は本書で気になった点をまとめたものであり、継続して加藤典洋著「さようなら、ゴジラたち」を読んだ。

著者は『ゴジラ』が西欧のドラゴン退治の叙事詩のように日本で受け入れられたと指摘する。叙事詩とは民族や集団にとって歴史的な事件を記憶に留めるための形式であり、『ゴジラ』においてはゴジラを倒すという話を軸に複数の人生や価値観を取り入れ解釈の余地を残しているのだ。また叙事詩の派生系としてロマンスを、山根博士の娘である恵美子、サルベージ作業を行う潜水夫の尾形が引き受けている*1。他方、英雄叙事詩の主人公として芹沢博士はゴジラをオキシジェン・デストロイヤーで倒しその命を落とす。芹沢博士がアイパッチをしているのは英雄の聖痕を示し、ドラゴン退治に用意された剣がオキシジェン・デストロイヤーなのだ。更に加藤典洋著「さようなら、ゴジラたち」は、ゴジラを倒しに向かうべく潜水服を着る尾形と芹沢博士の鉢巻の巻き方にその後の運命を見ている。尾形の鉢巻の巻き方は漁師がするというあんちゃん巻きなのに対し、芹沢博士の鉢巻の巻き方は特攻隊の巻き方という映像的差異があるのだ。

  1. 英霊 ゴジラ』の冒頭、海上保安庁の無線施設が映し出され、「南海汽船所属、貨物船栄光丸七千五百トンは、八月一三日十九時0五分、北緯二十四度、東経百四十一度二分付近において遭難」という詳細な情報が伝えられる。これはゴジラに襲われた貨物船から放たれたSOSを表すものである。ゴジラが出現したこの地点に一番近く記憶に残る島は「硫黄島」であり、日米の激戦地だったこの付近から現れた事から、ゴジラを南方戦線で失意のままに死んだ「英霊」とする解釈が生まれたという。また『ゴジラ』が制作されるきっかけになった第五福竜丸被曝したビキニ環礁でさえ日本軍玉砕の地であり、当時の観客たちにとって南洋の島々が地理的に親しみがあるものだった。またゴジラが皇居の手前で向きを変えて勝鬨橋方面へと向かう事から川本三郎は『ゴジラ』を「海で死んでいった兵士たちへの「鎮魂歌」」と捉えた上で「天皇制の「暗い」呪縛力のせいで「ゴジラはついに皇居だけは破壊できない」のだという*2。また赤坂憲雄は皇居に住んでいるのが戦後の人間宣言をした天皇なので失望して帰ったとした*3赤坂憲雄の意見を踏まえて加藤典洋ゴジラを太平洋戦争の帰還兵士の亡霊とし、もっと北にある靖国神社を破壊するために進むべきだったと主張する*4。これらは太平洋戦争の記憶が映画製作者と当時の観客にあいだに共有されており、ゴジラのなかに英霊を読み込むのがはっきりとしていたという見解であり、その後『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』に於いてゴジラが太平洋戦争の死者の怨念の集合体だという設定で採用される事となる。
  2. アメリカ ゴジラの攻撃を太平洋戦争のとりわけ東京の大空襲と結びつけるならば、ゴジラは焼夷弾を落とした米軍機となる。また現実世界の出来事であるなら横須賀の第七艦隊や横田基地在日米軍司令部が黙って見過ごすはずがない。映画の中のアメリカの不在と日本の軍隊が単独で戦う光景から、佐藤健志は空襲などの敗戦の記憶の再現だけではなく、太平洋戦争を敗戦と受け止められずに虚構の中で継続しているのだと指摘、ゴジラの発見と戦いが8月13日以降に設定されているのも、8月15日を過ぎた「幻の本土決戦」を行っていると結論づける*5。著者は「ゴジラ英霊」と同時に「ゴジラ=アメリカ」という要素がゴジラの動きに関係しており『ゴジラ』の解釈は二者択一ではないと指摘する。
  3. 機雷 ゴジラが大戸島に上陸するまでに起きた海難事故を伝える新聞には「浮流機雷か?」という見出しが伺えるという。ここでいう機雷とは第二次世界大戦中、日本軍が自衛の為に設置したものからアメリカ軍が戦争末期にばら撒いた物を指す。特にアメリカ軍は物資の海上輸送を止めて日本の食糧事情を悪化させる「飢餓作戦」の為、B29による沈底機雷を大量投下していた。戦後、機雷撤去の仕事は海上保安庁が行い、1954年には保安隊から名前を変えた海上自衛隊へ移管されている。ロマンスの主人公尾形が潜水夫でありながら海上保安庁の巡視船の上で一定の権限を持っている様子なのは、海底の機雷撤去のため潜水技術が必要だった海上保安庁が民間と業務委託していたという時代的な背景がある。大戸島への調査の際、尾形が恵美子に「危険水域は避けるけど」と語る時、機雷という現実的なものとゴジラが重ねられているのだ。
  4. 黒船 著者は『ゴジラ』が公開された百年前に江戸に来航した黒船を関連付ける。ゴジラが上陸する東京湾は艦隊が侵入し江戸城を直接砲撃出来ないよう台場が作られ、ゴジラもまた台場に進路を遮られる形で品川に上陸している。ゴジラの基底のイメージには黒船があり、ゴジラの皇居≒江戸城への侵入を防いだのは幕末の防衛思想だという事になる。また黒船来航時は南海トラフが動き広範囲に地震が発生した安政の大地震が起きている。
  • ヒロイン山根恵美子

原作者である香山滋は海底撮影で有名なウィリアムソン兄弟の作品から影響を受けている。ジュール=ヴェルヌ「海底2万海里」を映画化した1916年板のサイレント映画「海底六万哩」はこの兄弟の海中撮影による。またヴェルヌの原作ではネモ艦長にノーチラス号に監禁されるのは生物学者のアルロック博士、助手のコンセイユ、鯨うちのネッド=ランドの男3人だが、映画版では四人目として博士の娘が登場する。著者は香山滋は『ゴジラ』にこのパターンを導入していると指摘する。特に映画版では娘が博士を焚き付けたりと積極的なキャラクターとして描かれており、『ゴジラ』の初期検討用台本ではこの娘の積極的な設定が恵美子に色濃く、「ゴジラと対決する」と言って力こぶをつくり尾形に「女戦士(アマゾン)」と呼ばれたり、ゴジラが放射性因子を帯びている事を知ったら第三次世界大戦を引き起こすかもしれないと真相の発表を躊躇う父である山根博士に対して「ほ、ほ、ほ、お父さまはいつそんな弱気な学者になられましたの?真実をありのままに語るのが、学者の使命じゃありません?」と叱りつける。『ゴジラ』に於いては基本的に控えめな態度だが、芹沢博士とのオキシジェン・デストロイヤーの秘密を守るという約束を破り「よろこんで裏切り者となります。」と決意する姿に原作の積極的な姿勢が現れているという。

*1:但し、本作の続編という形式を取る『ゴジラVSデストロイア』に於いて山根恵美子は尾形と結婚した様子は無い。

*2:今ひとたびの戦後日本映画 (岩波現代文庫)

*3:ゴジラはなぜ皇居を踏めないのか?」『別冊宝島 怪獣学』所収。尚、未確認だが『ゴジラとナウシカ 海の彼方より訪れしものたち』に同タイトルのものが収められている模様。

*4:さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて

*5:ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義