モスラの精神史

小野俊太郎著『モスラの精神史』を読んだ。 
本書は1961年に公開された『モスラ』を精神史的に読み解いたものである。
本棚で埃を被っている本書を取り出したのは「パシフィック・リム」やアメリカ版「ゴジラ」の公開による昨今の雰囲気に押されてである。おそらく本書が記載している基本的な事項もネットで調べればある程度の事が判るだろう*1。しかし精神史とは、その時代とその前後の生きた人々の実感を取り出し、その政治的・文化的系譜を取り出すものである。本書の肝を資料から解釈されたその系譜にある。

モスラと言えば、

モスラヤ モスラ ドゥンガン カサクヤン インドゥムゥ~

で始まる歌である。これはインドネシア語であり、日本語に翻訳すると、「モスラよ 永遠の生命 モスラよ 悲しき下僕の祈りに応えて~」となるらしい。 インドネシア語の理由は日本人が解さない言語を用いて作品の雰囲気を高める為という事になろう。尚、小美人たちが住むインファント島の位置は本書でも考察されているがフィリピン‐マリアナ諸島間説、ポリネシア説が挙げられている。それではフィリピン‐マリアナ諸島間説としてインドネシア語が採用されたのかと言えば、そもそもインドネシア語自体が1945年に統一され、公用語の為に採用された複数の言語の一つに過ぎず、神話が活きているインファント島と吊り合わない*2。だが著者はここから神話、第二次大戦前からの日本とインドネシアとの繋がり、東宝がインドネシアとの共同作品を企画するも、戦後の賠償問題により途絶し、ゴジラ映画が別に企画されたきっかけまで読み解く*3。尚、映画ではロリシカ共和国*4の興行師に捕らえたられた小美人が日本の劇場で上記の歌を観客の前で歌唱する。この公演はロックフェラーセンター内ラジオ・シティ・ミュージック・ホールの系譜にあると言う。

モスラには原作「発光妖精とモスラ」がある。これは配給元である東宝が当時売り出し中だった純文学作家でフランス文学を専攻していた中村真一郎、福永武彦、堀田善衛に原作を依頼した為である。依頼のきっかけは中村が三島由紀夫原作「潮騒」の脚本協力をしていた為だという。そこで中村は以前からの仲間である二人に呼びかけ、原作を執筆した。共同執筆だが原作は上中下に分割され、中村が「変形譚」、福永が「ロマンス」、堀田が「ヒューマニズム」を担当したという。尚、この原作は平成モスラシリーズ公開に辺り、再出版されている*5
原作ではモスラ神話が詳細に語られ、その神話の結果として、四人の小美人が登場、モスラは国会議事堂にて繭を作る。尚、1961年版のモスラでは東京タワーにて繭になり、原作通り国会議事堂で繭をつくるのは『ゴジラVSモスラ』まで待つ事になる。そもそも国会議事堂で繭を作る事は原作に於いて60年安保闘争を意識したものであった。最終的にモスラは、小美人を連れロシリカ共和国に逃げた興行師を追い掛け、ニュー・カーク・シティ*6を襲う。しかし当初映画では日本国内に不時着した興行師と小美人の飛行機を追う形になるはずだった。しかし映画『モスラ』は日米合作映画であった為、コロンビア映画側の要求でニューヨークを襲うかたちになったのである。

本書は最後にモスラの系譜を受け継いだものに「風の谷のナウシカ」の王蟲を挙げて終わる。



モスラの精神史 (講談社現代新書)

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発光妖精とモスラ

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モスラ [東宝DVDシネマファンクラブ]

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【東宝特撮Blu-rayセレクション】 モスラ

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*1:十五年以上前、リアルタイムで怪獣映画を観ていた時は出来なかったのである。

*2:本書で触れられている通り、ベネディクト=アンダーソンが「想像の共同体」で考察の対象にしたのはインドネシアそのものである。また南洋の島々は第二次大戦を経た人々にとってはかつての日本の領土であり、地理的感覚を要していたという。

*3:尚、著者はこの戦後賠償の一環として日本に来ていたインドネシアからの東大留学生がモスラの歌をインドネシア語に翻訳したのだろうと推測している。

*4:原作に於いてはロシリカ共和国、つまりロシアとアメリカのイメージさせる架空の国であるが、映画ではロシリカ共和国となる。

*5:下記記載のリンクの通りで読みたいが版切れである。

*6:原作ではニュー・ワゴン・シティ、つまりニューヨーク。