無題

「10年以上、特に生活が代わり映えしないんです。ええ、そうなんです。そりゃ10年もあれば色々あったんですけど、思い返すことができないっていうか…。例えば、親の顔や友人の顔なんかも鮮明に思い浮かべることってできないじゃないですか?それと同じです。でもね。それを以前話したら、高校で数学が良くできる先輩が、今はプログラマーとして働いているんですが、その先輩は人間の記憶はパソコンみたいに一枚の画像を記憶することもできないっていうです。じゃあ、どうやら記憶っていうのは五感から構成されているようですね。五感で構成される記憶?もちろん、わかるんです。脳をモニタリングすれば脳が同時多発的に動いているんでしょう。私が大学の講義で憶えている古典的な話ですと、ピタゴラスだったか、いや、プラトンだったかソクラテスだったか、ちょっと記憶は曖昧なんですが、数学の話から音楽の話題になる訳です。特にピタゴラスの音楽の話は数学がからきし駄目な私には難解でした。それはともかく音は直観に作用するっていうんです。だから音楽っていうのは良いものだと。そしてデカルトからカントの話に至る訳なんですが、カントは人間の認識の形式は空間と時間だって言うです。音楽というのは音の連なりですから、時間の認識に属していることになるそうです。時間が止まれば音も止まる。つまり、時間の継続は音楽の継続を意味するんです。もちろん音は空間に対する響きですから空間の認識にも属していると思うんですが、そこまで言及されていたかは今となっては憶えていません。何だか話がとっ散らかってしまいました。とにかく私の生活は色々あったけどやっていることはいつも同じなんです。朝起きて、電車に乗って会社に行って、会社で仕事をして、客先に出向いて、帰宅して、そして眠る。私の生活における音楽?専ら出退勤の移動中にイヤフォンで音楽を聴いています。今はコロナウイルスの影響で電車の窓も開いていますから、どんな音楽も強烈な雑音を背景にしています。それでですね、音楽を聴きながら帰宅の途に着いている時、残業を終えて、電車に乗り、乗り換えのために電車を降りて駅のホームに立った時、ふと思ったんです。何故、人はこの美しい雑音が入り混じった音楽だけに飽き足りず、生活をしているのかってね」