2015年3月28日~2015年4月4日

俺にとってはただの三百六十五日の一日だとしても、誰かにとっては大切な一日なのかもしれないと考えると、多少は一日が色を帯びてくるような気がしないでもない。

朝食を駅構内で済ましている人をよく見掛ける。比率的には女性が多い。おそらく朝時間が無いのである。そしてこの時期、早起きは難儀である。大抵の時期難儀である。

半袖のポロシャツを着た太ったおしゃれな男性を見掛ける。比率的に半袖の上着を着ているのは白人の男性が多い。もう春が来たのだなぁと思う。そしてこの時期、大抵の太った男性は半袖の上着を羽織る。

甲子園の土を棚に飾って置いていたのだが、それを知らない孫が間抜けな面で猫の砂に入れてしまったので、息子とその奥さんと孫を妻の遺影の前で小一時間叱りつけた。すると息子は「もう介護などしてやらん。」と頼んでもいない事を言って奥さんと孫と猫を連れて出て行った。私は誰も居なくなった家の静けさに耳を澄ましながら、猫の糞と小便に塗れた甲子園の土をボトルに詰めた。臭さと静けさに堪えらなくなり作業を止め、テレビを点けると、最近とんと見た事が無かった砂嵐が映し出された。

童顔巨乳のグラビアアイドル篠崎愛が歌手としてデビューしたのものの、ブレイクする様子は無く、もっぱらTwitterで食べたものの写真にアップするのが喜ばれている。それに苦笑いを浮かべる事務所社長を叱責したのは篠崎愛のマネージャーだった。こんな事では大切な時間が無駄に消費されるだけだ。ただでさえグラビアアイドルは資本主義の鬼子であり消費されるスパンが著しく早い。篠崎は独自の地位を得たように思えるが、それもまたいつ失われるが判らない。彼女の歌唱力には全く問題無い。しかしそこにキャズムを越えるクリティカルさは無い。今のうちに彼女の独自の立場を築いてやらなければ…マネージャーはハンドルを握りながら、ルームミラーに視線を写す。篠崎はスマートフォンに夢中でこちらの視線には気がつかない…等と妄想していたのだが、ソロデビューはこれかららしく、CDジャケット等も手が込んでおり、意外と良い結果になるかもしれないと思った。

ポテトサラダをつくるべく耐熱ポールに男爵芋と玉ねぎと挽肉を入れた後、余っていたトマトを刻んでいるとまな板が傾き、耐熱ボールがシンクに落ちた。耐熱ボールから溢れた目算五十グラムの挽肉が生ゴミに分別される瞬間だった。仕方無く表面から肉を掬い耐熱ボールに入れ、シンクに落ちた挽肉を、これも生肉故に真紅だなと親父ギャグを思いついたのはつい先程だが、排水ネットに集め捨てる。はたから見れば良い大人がいそいそと台所で作業しているのは滑稽だろう。

春に着る服が無い。

吊革広告の交換作業を行う男性の決まりきった動き。四月に向けてまた広告が差し替えられて行く。

Art Blakey & The Jazz Messengers の A Night in Tunisia の奏でるリズムに痺れている。チュニジアがどこにあるかも、外国で夜を過ごした事もないのに。

チュニジア。アフリカ大陸の北に位置しアルジェリアリビアに挟まれ、地中海を挟んで北にフランスとイタリアがある。旧宗主国はフランス。

まだ幼さを残す男女が優先席でじゃれあっている。服装は二人共黒づくめで、その場に沈殿していく溶けきれない砂糖のようでもある。

アパホテルの広告に社長の写真が掲載されている。以前アパホテルの社長に心酔する女性が部屋にアパホテルの社長のポスターを張り巡らせていた。あのアパホテルの社長の平面的な顔に浮かぶ細い目、色鮮やかな帽子、どれを取っても初見では人を警戒させるだけである。またわざわざ広告に自らの肖像を載せようという意図が本人にあるとしたら、自己顕示欲が強過ぎる。

待合室でぼんやりしている。仕方無く音楽を聴きスマートフォンSNSを眺めたり本を読んだりしている。待つという事は、自分の時間を他人の為に犠牲にしている事に他ならないはずなのだが。

やはり待ち時間の間、渡された書類に、講習済印に、血が乾いている事に気がつく。今時、血判なんて珍しいと思いつつ、指先に血が固まっているのを確認する。ティッシュで拭き取る必要も無い程度に血が固まった指先に大人気の無さを感じる。

講習は外国人がいるという事で英語字幕版を眺める事になる。単純な俺はビデオを観ながら運転には気をつけようと心から思い、建物を出ると雨が降り始め、洗濯物を外に出すべきでは無かったと後悔していた。

Nik Bärtsch's Ronin の 作品を購入しようと思ったが見つける事が出来なかった。

ポテトサラダをつくるべく耐熱ポールに男爵芋と玉ねぎと挽肉を入れた後、無添加のトマトジュースを流し込み、電子レンジに入れる。赤ワインでも入れれば良かっただろうか等と思案している。はたから見れば良い大人が暇を持て余しているようにしか見えないだろう。実際、その通りなのだが。

アパートの保険契約が切れている事に気がついた。契約満了は知っていたものの、契約更新書類が届いていない。契約満了日は三月二十七日となっている。別段、家財の保険はどうでも良く、賠償責任保険が重要で、加入していなければ丸腰も良いところ、訴訟社会となった日本では身包みを剥がされてしまう。個人賠償責任保険は示談代行が無ければ使い物にならない事を鑑みると、自動的に少額短期保険は遠慮したい。地震保険については話が長くなるので簡単にまとめると、余程の家財が無ければ通常賃貸借契約に於いて必要無い。そもそも地震保険地震の損害に対する支払いでは無く「被災者の生活の安定に寄与」という扱いである事に留意されたい。それにしても保険料が随分安くなる事が見込め、今までの支払いが馬鹿らしく思える。

流れる大量の茹で揚げ上がった大量のスパゲティー。

四月の統一地方選挙に向けて、駅前で炎上議員が声を枯らしている。やはり落選の可能性が高いという見込みが立っているのだろうか。家族の絆が云々と言うが、この自民党議員の家族とはどのようなものだろうと思う。

ミッキーマウスのパーカーを着た腹の突き出た中年男性。

rabittoo のミニマリズムが心地良い。この反復に身を任せたい。

公園の樹木は皆開花して意気揚々としているかのように見える。その様子にこちらは冷めていくばかりである。

東京駅は春休みの為か旅行客で賑わいを見せているかのように見えた。しかし実際は旅行客に偽装した各国のエージェントに他ならない…CIA、KGBモサド、MI6、内閣情報調査室、インターポール…松尾芭蕉、サー=フランシス=ウォルシンガム、正力松太郎、ゾルゲ、李香蘭、岸信助…脚のやたら太い女性がベンチに腰掛ける。鞄を膝の上に載せ少し体に鞄を引きつけると膝小僧が露わになり、膝小僧が開く。始まるカウントダウン。皆覚悟を決め膝小僧を凝視する。開口された膝小僧に青筋が立っている。女性は過去、砂利道で転倒し膝を強かに引き摺った経験があり傷跡が青く残ってしまったのだ。過激派はそんな事も知らず彼女の膝小僧に改造を施し、膝の傷を隠す整形手術も施す慈悲の心も持たない。自爆テロから魔改造まで…言語道断、テロリスト許すまじ。

陽のもとは暖かいものの、首元を通る風は冷たい。

青空を覆う数多の戦闘機。遂に石原莞爾が予言した世界最終戦が始まる。しかし皆思いの外喜んでいる顔つき。戦争がしたくてたまらないという様子。その辺の犬まで戦争したいとキャンキャン吠えている。そう思って後ろを振り向くと痴呆症の爺さんが犬の首をリードで締め上げると同時に尿漏れしていた。緊張と弛緩に襲われた爺さんは恍惚の表情を浮かべリードで犬の首を引きちぎる。どんどん尿漏れする。終いには脱糞まで始めた。糞もどんどん出る。挙句の果てに内蔵まで飛び出てくる。周囲に悪臭が漂い始めた。鼻を塞いでいそいそと横を通り過ぎていく人々。皆白けてしまったのだ。

同僚の担当する業務の補助のために久しぶりに外出する。昼間の電車は物憂げで良い。

満員電車の駅での乗り入れの際、後ろからしたたか押されバランスを崩す。体格の良い男性でこちらに頭を下げるフリさえしない。どうすればこの男を合法的にぶん殴る事が出来るのか思案してみた。そして平時に於いて男の頭をぶん殴るのが合法になるのは、かなり希少な瞬間であろうと思われた。意外と勢いでどうにかなるかもしれない。「やってみたらいかがですか?」横から口を出したの我が偉大なる次世代脳内インターフェイス「HANAKO YAMADA」。何でも二十世紀の極東で一般的かつ模範的な少女の名前が由来らしい。既に我々には脳内インターフェイスが不可欠だ。何世紀も前、情報がまだ天文学的な数字だった頃、分散型ネットワークから情報を抽出すれば事足りていた。しかし天文学的数字量子力学的な位相に展開した時、脳とネットを当たり前のように繋いだ人々は、ネットの中に意識を埋めて一人も還らなかった、ネットのパイドパイパー…そこで開発されたのが脳内インターフェイス。脳を直接ネットに繋いで自分を見失うならば、脳内の擬似人格に行わせ、選んだ情報の最適解をナビゲートさせるという簡単な理屈だ。だけどこれを完成させるまでの間に数多の人々が情報の海に姿を消していった。悲しい話だ。さて脳内インターフェイスの話を長くし過ぎた。シミュレートした最適な殴り方を三次元映像でサブリミナル・ラーンし終えた今、やる事は一つしか無い。

車窓から空が暗くなり夜を迎えようとしている様を眺める。

子どもが声を挙げて笑う。

音響兵器「エリコの笛」で城壁は崩れない。

何かに急き立てられる夢を観た。

高校の時の部活動の夢を観た。ただ珍しいのは二学年上の女性の先輩の現在の様子が映し出された事だった。どこかの駅で満員電車に子どもを抱っこした先輩を見掛け、その姿に驚く俺に「あー、子ども出来たんだ。」と語る。もう一方の先輩は同じ職場の同僚と現れ沖縄の民芸品や食材を売る店で働いているという。二人共、それぞれに綺麗になっていて俺はとても魅力を感じるのだが、夢から醒めた後、たかだか一年や二年の歳の差が意味を持つ事があったのだなと微笑ましく思い、そしてその二人では無く、別の女性ーそれは誰だか判らないーについて考えている自分に気がついた。

指先のささくれから血が止まらない。巻いた絆創膏の異物感。ごぼうのささがき。

マフラーはもう要らない。

Nik Bärtsch's Ronin の意味深な音色に頭を冷やす。

反復とその乱れは日常に於ける感情と相通じる。

花屋が大量の花を持って歩いている。人事異動の為に用意されたものだろう。用意された異動は心積もりも出来るというもの。聞けば客先は最後にスピーチをすると言う。最後の挨拶をした事を思い起こしてみる。つまらない言葉しか出なかったのは、仕事を辞める為の挨拶だったからだろうか。

曇り空。雨粒が時折顔に触れる。

新年度を迎えた客先が慌ただしい。事務所で人事の報告があり、一人別の場所で業務にあたる同僚に報告のメールを送る。

トーマス=トウェイツのゼロからトースターを作ってみたを読み終える。訳者の村井理子のTwitterが面白く興味を持ったのだが、原材料からトースターを作ろうという冗談みたいな試みがウィットに富んだ言葉で綴られる。それほど分量が少ないにも関わらず読み応えがあった。

終業から一仕事始まるのだから、もう仕事として回っているとは言い難い。

ロイドメガネの男性と小さな女性が微笑み合っている。雨に濡れたレンズで視界が眩しい。

結局、何かが欠如しているのでは無いか。空から糞が落ちベチャっと音を立てる。見上げるとカラス。バサッと飛び立つ。

寺田寅彦映画芸術という小論を読んだ。3Dやアニメに関する言及があり、その洞察も現状の映画の核心を言い得ているのだから感心するしかない。

玄関を開けると桜の花びらが路面に散っている。

客先で待たされる。仕方無く同僚としりとりをする。短い単語で切り返していると「刻んできますね。」と言う。何が刻むのだと思いながら笑って返す。まだ待たされる。仕方無く五秒以内に回答しなければならないとルールを追加する。目の前で新任の男性担当者に「名刺を持った?」と声を掛け共に出て行く総合職の女性担当者。新年度の忙しさを傍から眺めながら時計を確認する。今日も下請稼業に精が出るというものである。

コタツで早朝目覚める。さすがにコタツを片付けようと思う。

終業から一仕事始まるのだからやってられない。明日に残せば良いのにと思いながらディスプレイに向かう。

咳をして下を向くとエナメル質の革靴がてらてらと輝いている。

ラーメン屋に入り席に座る。スマートフォンを眺めていると店員から別の席に移るよう言われ、コップと鞄を持って移動する。その席に座った若い男性二人は大きな声で会話を始める。「入学祝いで四十万円貰った奴がいるんです。」「マジでっ?」「それでバイク買うんだそうです。」「マジかよ。」「バイク良いっすよね。なんかビッグスクーター買うみたいですけど、どうなんですかね。」「正直街乗りならスクーターでいいね。スポーツタイプだと荷物載せる場所ねえよ。」「そうですか。」なぜそんな大きな声で話さなければならないのか?届いたラーメンはいつもより味が濃いような気がする。

曇り空と風。どこからか桜の花びらが飛んで来る。

乗った車両では座席に寝入った男がいる。運転手が見廻りでこれに気がつき律儀に駅員を呼ぶ。駅員が一人ようやく到着。それでも運転手はそれを見守る。駅員二名で対応するルールでもあるのだろう。ようやく別改札側から現れた駅員が到着。やっと運転手がその場を離れる。駅員から起こされた男は寝起きの横柄な態度、赤いジャケットと白い帽子はゴルフ場にいる派手な爺さんそのもの、傾きたいなら納得だが、ああはなりたくないと思わせる。

渋谷を訪れる。外国人観光客が多いと感じる。スクランブル交差点で何やら撮影する外国人女性とそれを気にすることなく思い思いに散って行く人々。目的地を目指す途中、ホテル街に入り冗談みたいなホテル名に舌打ちしてみる。良い歳をした男女が弛緩した表情を浮かべ、眼鏡越しにそれを眺める。ビジネスバッグが重い。品川ナンバーの高級車が坂を登って行く。

映画の座席に座り始まりを待つ。座席に腰を沈めていると若い男性の会話が聞こえる。「適当に買って観たらすごく出来が良くて。」「箱庭感があるですよ。それを再現しているのでフィールドの壁にぶつかっているという演出があるんです。」予告でヴィゴ=モーテンセン製作主演の映画が面白そうだと思った。

神々のたそがれを観る。全く内容を理解出来ない上にこちらが不感症になったのかと思わせる程度に緊張感も無く鼻から血を吹き出し、四肢が切断され、内臓が皮膚から溢れ落ちて行く。もちろん、そういうものを観に来たつもりではあったのだが…主人公が吹く笛が唯一情感を示す。

鳩が飛び立つその瞬間、両翼が大きく開いた。取るに足らないと思われた鳩でさえ美しい。

神々のたそがれのパンフレットを読み映画の内容を補う事が出来た。原作と映画の内容を比較した遠山純生の解説が面白い。尚、パンフレットは中原昌也Hair Stylistics名義で映画音源をリミックスしたものが付いた限定版を買っており、こちらも聴き応えがある。

コタツを片付ける。部屋に物が無くなりすっきりした。しかし天気が悪く敷布団や掛布団は別の機会に洗って干さなければならない。全ては一度に片付かない。

座席に座る為にリュックサックを降ろす利発的な小さな女の子。それを助ける父親。何とも言えない顔でそれを見つめる年長の男の子。男の子は女の子に嫉妬しているのだろうか?しかしそんな嫉妬は小さなもので、子ども二人を養えるだけの家庭で生まれた事が羨まれる世の中だ。

仕事からの帰り道、友人から連絡が入っている事に気がつく。連絡してみると要領を得ない。どうやら花見の席で酔いがまわっているらしい。毎年花見をしていたのだが今回は辞退していた。どうやら最後のお誘いらしい。更に電話を代わった友人が長々と話し始め、遅くなるが参加すると伝える。上野まではそれなりに時間が掛かる。しかしこんな寒い日によくやると思う。

DURASとアドアーズの大きな紙袋を持った女性がスマートフォンとメモ帳を操る。その様を眺めるナイロンパーカーを羽織った中年女性。

隣に座ったパーカーを羽織った若い男性が眺めるのは子どもの虐待について書かれた中国語の記事。痛ましい写真が並ぶ。

上野で大学の同級生たちと合流する。友人に長々と説教をされる。こちらに落度があるものだから申し訳無いと思う。今回来れなかった同級生は大学時代から付き合っていた彼女と結婚して奥様は妊娠三ヶ月だと言う。皆それなりに楽しくやっているようで何よりだと思う。同級生の一人の彼女はリトアニア人。蜂蜜で醸造されたというリトアニアの酒を頂く。これが頗る甘く美味い。そしてワイナリーで働く友人が持ち込んだワインもあるのだから何も言う事がない。贅沢なひとときだと思う。

家に帰ると畳の上に桜の花びらが落ちている。春は短いと思う。