2015年6月22日~2015年6月28日

以前通っていた総合病院に赴いたものの、二年振りだった為に受付で弾かれてしまう。事務員によれば紹介状が無ければ三千円掛かってしまうという。決して安いお金では無いと思い、別の病院に赴く事にする。しかし近くに病院があったところで気軽に利用出来ないものだなと思う。アルコールの毒素で悶え苦しんだ時も夜間外来で追い返され、例え診察券を持っていても手数料を取られるのだ。

以前、総合病院の紹介状を手配された病院に赴く。途中、小さな病院を見掛け入るのを迷ったものの、その場を後にした。久しぶりに商店街を訪れるとファストフード店が移設され、別のファストフード店になっていた。移設先になったファストフード店はアイス屋だった。サーバーで物流管理していた友人によれば、アイス屋の売上というのは夏場はともかく冬場は普通の人が想像する以上に閑古鳥が鳴く様相を呈しているらしい。商売するなら季節物は避けた方が良い。そんな役に立たない教訓はともかく、この辺りに引越して五年経つがよくぞ堪えたというべきなのだろう。

席に待たされた老人と化粧の濃い中年女性と共に席に座る。仕方なくスマートフォンでブログ等を読んでみる。世の中には沢山ものごとを面白可笑しく書ける人がいるのだなと笑いを堪えながら思う。俺ももっとユーモアと鋭い問題意識で人々をアットホームな気分にさせるべきでは無いだろうか。そんな事を考えた。一方、待合室の老人たちはなかなか自分が呼ばれない為に受付に行って戻って来てはブツブツと文句を言ったり、会計前に財布にお金が無い事に気がつき自宅に戻ると言い出して、御代は次回の診察でと受付の人に言われたり、玄関で転倒して看護師が駆けつけたりしている。この病院は古い建物なので玄関でスリッパに履き替えなければならない。バリアフリーの重要さが良く判る事象である。

医師によれば三年振りの診察だったらしい。すると総合病院に通ったのも三年から二年前という事になる。月日の流れは早いのものだと思う。

薬局で処方箋を提出するも分量が足りないという。どうすれば良いかと問えば、午後十七時以降であれば用意出来るという。以前他の薬局は、処方箋の在庫が無い事が判るとほかの店に購入する為に出掛け挙句道に迷って帰って来てわざわざ自宅まで届けてくれるお転婆薬剤師の面目躍如だったので、この対応にはむしろ安心してしまう。

目覚めると午後十八時四十分だった。自分の汗臭さに辟易しながら自宅を出る。上階から男同士の会話が聞こえる。陽はまだ落ちる様子は無く、駅から仕事を終えて来た人々がやって来る。いつもと違う位置から物事を見ているだけなのだが新鮮な気分になる。

薬局では小さな子ども連れの家族が居た。子どもたちは自転車用のヘルメットを被っており、一人はヘルメットにゴム型のモヒカンが装着されていた。アンケート用紙を記入しながら薬剤師と子どもたちの母親の会話を聴いていると明日から学校でプールが始まるのだと言う。プール開きという言葉の懐かしさと新鮮さに思わず口許が綻んでしまう。

昼寝の為になかなか寝付けない。

雨音を聞き、天気予報通りになったのだと判る、

優秀な同僚と話していると自分が日々業務に苛ついているのが馬鹿らしい事なのだと改めて判る。

電車に乗るも気分が悪くなり途中下車する。

仕事上がりにとても偉い上司と焼鳥屋に入る。人気の少ない店内に一人入店した妙齢の女性が視界の端に映る。

同僚の指示でネクタイにジャケットで客先に訪問しているが、一人相撲の感は拭え無い。ワイシャツ一枚で出歩く事が邪道だと言うのは判らないでも無い。しかし日本の蒸し暑さを鑑みるべきだ。そして洋装を徹底するなら、ワイシャツの下に下着を着る事無く、パンツに裾を仕舞うべきだろう。

別の事務所に通う事になり通勤時間が延びている。座席に座れる事が多いのが救いだ。しかし本を広げてみるものの眠気が勝る。仕切り越しに女性の伸びた髪の毛が耳元に触れ、膝に硬い鞄が当たる。

昼食は相変わらずチェーンの喫茶店で取っている。毎日通っていると一人スーツを着た女性をよく見掛けるようになった。白シャツが青シャツになる。明日はどの色になるのだろう。

若い男性が中年男性相手に鋭い目付きで質問に応えている。机に置かれた車の模型から、交通事故について話している事が判る。若い男性が交通事故に巻き込まれた加害者なり被害者、中年男性は保険会社のアジャスターなり業務委託先の調査員なのだろう。漏れ聞こえてくる会話から走行中、左側を抜けて来たバイクとその他もう一台の車が関連した事故のようだった。

カフェオレの底に沈んだガムシロップが甘い。

目を開けると女子高生が図書館から借りた文庫本の老人と海を読み進めている。福田恆存訳だが新訳もあるだろう。しかし古い訳にある趣を味わうのも一興かと考え直す。本を図書館から借りて読んでいた時分、読みたいものがあれば訳者を気にする事無く、また訳や訳者に関する知識も持ち合わせていなかった。むしろそこには知識や未知に対する何か貪欲さのようなものが占めていたのでは無かったろうか。

区議会議員のブログを眺めていたところ、保守系政治家らしく、護憲派に対する批判や政治家は現実に対応しなければならない等と鼻息荒い。

日中寝入ってしまい、夕方からジムに出向く。モニターを眺めていると午後十九時のニュースが始まる。大正天皇の記録が公開、ウイスキー人気等のトピックが終わり、ブラタモリが始まった。

平野啓一郎のマチネの終わりにを読む。イラクから亡命を果たした女性の為にギターを奏でる主人公。演奏中に去来する郷愁と女性の未来。

今年聴いていた音楽をまとめていたところ、文章の半分を上書きして消失させてしまう。さすがにこれは堪えた。