『フィッシュストーリー』を観た。
伊坂幸太郎原作、中村義洋監督。
中村義洋が伊坂作品を映画化した『アヒルと鴨のコインロッカー』の評判が非常に良かったのを知って観に行けばよかったと悔しい思いをした。今回はそんな思いをしたくないと意気込んで観にいった。
先日深夜にテレビで『アヒルと鴨のコインロッカー』を観る機会に恵まれた。だが原作を中途半端に憶えていたためになんだかイマイチ驚きもなかったのが正直な話だ。しかし中村義洋が描きだす仙台市は、私が原作を読んで想像していたものとは違っていたのは面白いことだった。ことに事件の舞台となる本屋、ゲームセンターの描かれ方が私の想像と違うのだ。私は伊坂作品で描かれる仙台をもっとコンパクトにまとまった街だと思っていた。そして本屋やゲームセンターは個人経営者がひっそりとやっている小さな店だとも思っていた。そしてそれは仙台固有のものだと考えていた。しかし映画での描かれ方は違う。ただ広く、車の行き交いもあまりない道路沿いに大きな本屋があるという描かれ方なのだ。それは現在日本のどこにでもあるロードサイド沿いの本屋チェーンなのだ。これを観た時、そうかその土地特有の何かを私は勝手に想像していただけなのかと思った。出演者が瑛太とか松田龍平なのにも驚いたのだが…。
最初に原作は伊坂幸太郎の『フィッシュストーリー』だといったが、これに加えて『終末のフール』もシナリオに加えられている。
映画の冒頭、巨大隕石の衝突を数時間に控えた2012年、どこかのレコード屋が映し出される。そしてその店に流れる音楽は、早すぎたパンクバンド「逆鱗」の「フィッシュストーリー」という歌だ。そして舞台は1975年パンクバンド「逆鱗」の最後となるレコーディング、1982年「フィッシュストーリー」を聞くはめになった気弱な大学生、2009年修学旅行に行きそびれた理系の女子高生が遭遇するシージャックを映しだしていく。
映画は四つの物語を平等に描きていく。そしてそこには必ず「フィッシュストーリー」という歌がある。パンクバンド「逆鱗」の「フィッシュストーリー」の音の無い間奏部分が世界の終末にまで影響を与える。
『終末のフール』という原作には世界が終わるゆえに見つかった幸福が描かれている。しかしこの映画は世界の終末さえ「フィッシュストーリー」という歌によって乗り越えようとする。それは大層大げさな話である。しかし四つの物語を一つずつ観れば、それは世界の終末を乗り越えようとする物語ではない。自分の置かれた状況を引き受ける者、乗り越えようとする者の物語なのだ。それが割と滑稽なのは、そもそも人の生き方が喜劇的だからなのかもしれない。もちろんそれは物語を俯瞰して観ることが出来る観客ゆえに持てる感想なのだろうけど。
最後に四つの物語がつながった時の気持ち良さといったらない。ヒーロー役の森山未來がかっこいい。そして何より「フィッシュストーリー」という歌が良い。
しかし濱田岳と窪田正孝の区別がつかないんだよなー。あと高橋真唯が予言者役で出てる。妖怪大戦争の影響か?
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