思い出す人


「どうせ、私のことなんかわすれちゃうよ」
「いや、そんなことない。絶対忘れない。忘れるはずなんてない」
彼は本心でそう思った。こんなにも大切な彼女を忘れるはずがないと…。

 その三日後、彼は彼女を思いだす作業を行った。絶対に忘れないためである。まず彼は記憶の中の、彼女の全体を思い浮かべた。しかし、数秒も持たず彼女を構成する線が、色が、ばらばらになってしまった。慌てた彼はすぐに線と色を拾い集め彼女を構成した。そしてそれを何度も繰り返した。彼は一つの結論に達した。それは、一つの像を持続して思いだすということが不可能だということだった。彼は不安になった。しかし、その作業を続けることにした。次は彼女の顔を詳細に思い浮かべた。像はすぐに消えていくが、何度も思い浮かべた。ぼんやりとなら、思い浮かべることができた(と思った)。しかし詳細に顔を構成することが出来なかった。どこかが白くぼかされていたり、輪郭が途中で消えていたりした。しかもその像を持続出来ないので、詳細に思い浮かべることなど出来なかった。
 彼は作業をやめ、手元にあった鉛筆を眺めた。一箇所に焦点を合わせると、どこかがぼんやりとした。彼は机の中から彼女の写真を取り出した。彼女はそこにいた。しかし詳細に眺めれば眺めるほど彼女がぼんやりとしてみえた。もはや彼は記憶を超えて視覚を疑いはじめていたことにはまだ気づいていなかった。
 彼は彼女を忘れたわけではない。ただ彼は自分の思いだしたいように彼女を思い浮かべることが出来なかっただけである。おそらくそれが通常の人間の記憶というものである。彼は次の日、彼女の元に旅立った。