2015年11月9日~2015年11月15日

雨が降っている。おかげで蒸し暑く、電車の中で額に汗を流している。汗、労働の対価、輝き。

なんてこった、俺が本を読んでいる間にあいつは女と寝ていた。全く取り返しがつかない事になってしまった。

なんてこった、俺が女と寝ている間にあいつは本を読んでいた。全く取り返しがつかない事になってしまった。

満員電車に乗り込むと窓が開いている。蒸し暑さのなかの清涼感。

食事をしてシャワーを浴びてベッドの中に入れば素晴らしい明日がやってる。で、それで?明日がなんだって言うんだ、星の自転と惑星の運動は当然の帰結じゃないか、しかも俺が明日を迎える為にじゃないんだ、ただ運動、宇宙の、自然の法則に従って、誰の為とも無くやって来る。それに便乗してるだけなのさ。しかもだ、あろう事かそんな科学の結実なんかも自分の経験や考えと乖離していると認めない連中がいるんだから呆れたもんさ、経験なんかがどうしたっていうんだ?大抵忘れているんじゃないか、忘却の彼方さ。そんな曖昧な経験とやらと思考と論理的な帰結が同じ価値だって?「経験的に」だとか「常識的に」、そういった台詞で論理なんて吹っ飛ぶのを何度も見てきたよ。論理的で柔軟な考え方が出来る方ってのはこれがよく判っている奴さ。悪い冗談だ。そういう時の決め台詞は「これが現実なんだ」ってさ。判るよ、これが両立するってのは人としてよく出来てると思うよ、ほんとうに。つまり、都合の良い部分、論理っていうより、便利な道具なら誰もが現実って認められんだ。我、道具を使う、ゆえに我と道具有りだ。そうやって考えると色々納得が行くよ、つまり都合が良いか悪いかが全てさ、論理なんてありゃしないんだ、納得しないなら無視すれば良い、言いたい事だけ言ってあとはケチだけつければ良い。いやぁ、こう言いながらどの口が言うんだよって思うね。

黒人男性が腰を叩いてリズムを取りながら歩いていた。

アルカジー&ボリス=ストルガツキーの世界終末十億年前を読み終える。やはり現代のお伽話よりこちらの方が断然好みである。

注文していたワインが届いた。一箱分、つまり六本である。とりあえず新酒では無くスパークリングワインから開けた。最高だ。

雨ばかり降っている。眠りに着けば現実の裏返しの願望が披露される。嬉しいやら悲しいやら。

アルカジー&ボリス=ストルガツキーの収容所惑星を読み終える。どうやらこの物語は蟻塚の中のカブト虫、波が風を消すに続く三部作であり、神々はつらい、地獄から来た青年と同様、超文明を持った人類が発展途中にある惑星に干渉する物語であり、先に読んだ二作より組織的に人類が惑星に干渉している様が描写されていた。どちらが先に描かれたものかは確認していないが、この作家のシリーズものだと言う事なのだろう。

甲州の辛口と甘口を開けたが美味い。基本的に辛口が仕様だと聞いていたが甘口もあるらしい。馬鹿舌ではどちらも美味いとしか言いようが無い。

ジムに出掛ける。外に出ると昨日から降っていた雨が止んだところだった。電車に乗り込み座席に腰を下ろすと横で子どもが父親と楽しそうにじゃんけんを始め、母親と更に小さい子どもがそれを笑いながら見守っている。果たしてこういった光景の当事者になる事はあるのだろうか。そんな事を考え、電車を降り駅を出ると北西の空に晴れ間が広がっていた。

ジムのモニターでブラタモリを眺める。今回のテーマは小樽だった。北海道に仕事で行った事がある程度で観光地には縁が無い。

外に出ると淡い光に街が染まっている。特段面白くも無い毎日は寝て忘れようと思った。

2015年11月2日~2015年11月8日

沖縄。山の中腹に温泉が湧いたという。老人たちがぶつくさ言いながら温泉の周りにたむろしていた。温泉に向かわなければ、境内で人力車を見つけ、それに乗り込み鳥居を潜り抜ける。近くに居た守衛は「境内で運転するとは。」と呟いた。

目覚めると外から雨音が聞こえた。

駅前で男性が車の後部座席から降りた。忘れ物に気が付き振り返るも、車は既に発車していた。車を降りる際、確認しなかったのだろうかと思いながら、改札前で財布と定期券を忘れた事に気がついた。自宅を出る前に確認しなかったのだ。

少し風はあったものの陽射しは暖かかった。銀行に家賃を振り込みがてら散歩する事にした。

公園に向かう。トラックでの練習を終えたウインドブレーカーに着込んだ若者たちとすれ違った。

小埜涼子の Alternate Flash Heads を聴いている。これも購読しているブログで知ったものだが、九十九の数秒から一分程のトラックが収録されているもので、聴き方は一から九十九まで順に聴くのも良し、ランダム再生で九十九の九十九乗という殆ど違う曲順で聴く事も可能になっている。ランダム再生でアルバムリピートにすれば、激しく息を乱した永遠とか無限とか言った存在を意識してしまう。

人の出入りの無い公園で猫たちが思いのままに過ごしている。

鳩が逃げて行く。

若い男女が横を通り過ぎて行く。

ランナーが横を通り過ぎて行く。

若い男女と小さな子どもがベンチに座り昼食を取っている。

校庭で部活動に勤しむ高校生を見掛ける。

ベンチに座り談笑する中年の女性や酒盛を始めた老人たちを見掛ける。

鳩に餌をやる老人を見掛ける。

吉田野乃子を聴き、師事しているというジョン=ゾーンの Angelus Novus を改めて聴いた。調べてみると一九九〇年代の作品になり、オーケストラによる現代音楽が展開されている。題名はパウル=クレーの新しい天使を意識したものかもしれない。

子どもがおもむろに走り出し、自転車が向こうからやってきた事に気がついた母親は慌てて子どもを取り押さえる。耳許で母親は何か言うものの、子どもはまるで聴く耳をもたず、手足はばたつかせている。

新築されたマンションを見て周る。工事が始まったばかりの場所の柵には杭打ち工事中とある。また別の場所では、各棟の仮設物に囲まれたコンクリートから掘削機が音を立て、誘導員が棟から棟を自転車で移動していた。

自宅にて瓶ビールを開けて飲む。酔いは意外にも回ってこない。ワインであれば新酒が出荷される時期でもある。

目の前に高校生の男女が立っている。ギターを抱えたニキビ面の男の子と制服とあいまって地味な色合いに染まった女の子は笑顔で何やら話している。男の子の首から下がった自宅の鍵や女の子の履く白いソックスは、二人のあどけなさを物語るようで気恥ずかしくなった。

はじめの一歩を読んだところ、最後の最後で逆転劇が用意されていた。

電気シェーバー片手に歩いている中年の男性を見掛けた。

「で、結局殺れなかった。そういう事だろう。」脳波計が激しく揺れ、端末から機械的な音声が流れ始めた。「サイショカラブソウシテイルカノウセイヲ伝えナカッタのはソチラダロう。」端末が認識精度を上げ始めた。「シカシ奴ハシロウトだ。ケンジュウデヨイところをワザワザシュリュウダンまで投ゲテキタ。ジッセン経験は無いんだろう?」「公式には無いらしい。しかし、まあ実際のところはわからんよ。東京で参戦していたかもしれない。お前さんと同じように。」この言葉を聞くと端末は沈黙を守った。二〇三六年、憲法改正とこれに伴う自衛隊から日本軍への再編成が全国で反対集会が繰り広げられるなか決議された。これに伴い革新勢力と一部の自衛隊は連合組織として共同声明を発表、同時刻、上野駅・東京駅・品川駅・新宿駅で爆発が起こった。政府はこれらをテロと呼び、連合組織の関与をほのめかした。これに対し連合組織は政府を非難したものの、関与自体は否定出来なかった。実際、組織としてまとまりに欠けた連合組織の一部が爆発事件を関与した事を表明した。慌てた連合組織は先鋭化グループとの分離を宣言する一方、先鋭化グループは武力闘争の継続を宣言、一部の自衛隊はこれに同調し武力行使に出た。一部の自衛隊は基地内部で鎮圧されたが、既に緊急非常事態が宣言された首都に潜入していた自衛隊員と先鋭化グループは、事実上の日本軍と約二週間の戦いを繰り広げた。勿論、戦力差は明らかで大規模戦闘は初日のみ、殆どは離散したテロリストの追跡に費やされた。一方、自衛隊内部では先鋭化グループの関与を疑われた隊員の私刑や自衛隊各基地内部での戦闘、これらから逃れる為の隊員の大量離脱が起きた。第三次秘密保護法を盾に政府は正式にその数を明らかにしておらず、またメディアも自衛隊から日本軍への再編の影響もあって正確な数字を示せなかったものの、その数は数千人に上ると言われていた。今回の標的である牧島成吾も公式な記録は自衛隊員だったニ〇三六年から消えており、間違い無くこれらのテロ、通称「十一月事件」で獣道に人生を踏み外した事が伺えた。参考資料では革新勢力への関与が仄めかされている程度だったが、わざわざ日本軍が非正式に与党後援組織の非公認自警団に殺害を依頼するのだから、足がつかないようにしなければならない理由があるはずだった。それを把握した上で日本軍に恩を売り、主導権を握らなければならない。この為に物件九十八号こと東京大規模戦闘でただ一人四肢損壊で生き残った男を見届け人として派遣したのだ。しかし結果はご覧の通り、暗殺者は殺され、見届け人は顔を弾き飛ばされ、予め身体に移植した脳を回収出来ただけだった。武装していたところをみれば、日本軍子飼いの非公式メンバーだった線が濃厚だろう。日本軍への裏切り、若しくは駒として切り捨てられたのか。どちらにしても、ただ殺す訳にはいかないというのが自警団の判断だった。

帰り道、ウインドウ越しに中年の男性と若い男女が二人で食事を取っているのを見掛ける。仕事付き合いか、それとも親密な関係なのか、端からは判りようが無い。

アルカジー&ボリス=ストルガツキーのトロイカ物語を読み終える。バージョンの異なる同タイトルの作品が二編収録されており、やっとストルガツキー兄弟の現代のお伽話から抜け出せる事になった。

寒くなって身動きを取りづらくなってしまった。結局一日中布団の中にいた。

重い腰を上げて友人が勤めるワイナリーの新酒の注文をした。とりあえず残り少ない今年に楽しみをつくる事が出来たと思う。

新たな本を開くと古本の為か栞が落ちた。手に取ると富士ゼロックスのもので若き日の松岡修造がサーブを打たんとしており「青春がしごとです。」とある。昔から熱かった訳である。

ジムのモニターにて全日本テニスシングル男子決勝添田豪対内山靖崇を眺める。内山の攻めのサーブ、粘りのラリーには驚かされるが、これに応えて添田も粘りを見せる。結果としてかなり見応えのある試合だった。優勝した内山に賜杯を渡す女性が、やけに品格が高いものの堅苦しい笑顔だった。調べてみると皇族である眞子内親王だった。続けてTOTOジャパンクラシックを眺める。最終ホールを十六アンダーで終えたアンジェラ=スタンフォード、アン=ソンジュ、李知姫のプレーオフ。アンジェラ=スタンフォードとアン=ソンジュは攻めのアプローチを見せたが、一枚上手だったのはアン=ソンジュだった。

小埜涼子の Undine を聴いている。一.五倍速タルカスの印象がどうしても強いのは十五分もある曲を見事な編曲で飽きさせず聴かせてくれるからだろう。あと早く演奏する事で曲が五分位短くなっている事も重要だ。どうしたって長ければ、集中に間隙が生じてしまうのだから。

地獄から来た青年

アルカジー&ボリス=ストルガツキー著、深見弾訳『地獄から来た青年』を読んだ。

惑星ギガンダではアライ公国と帝国が血みどろの戦争を繰り広げていた。アライ公爵に忠誠を誓う公国特殊部隊ファイティング・キャットのガークは突破された前線にて守備につくものの、戦車に焼き出され炎に包まれる。
ガークが目覚めた先は地球だった。優れた文明を持つ地球人は、惑星ギガンダの隅々に地球人を送り込み、優れた人物を助け、また政治に介入しているのだという。ガークは彼らにたまたま助けられた一人だったのだ。
惑星ギガンダの干渉に携わるコルネイと共に地球で暮らすガーク。そこには全てあったが、ガークには何も無いに等しい場所だった。コルネイが公国と帝国の戦争を終結させるべく計画を進めるなか、ガークは地球文明に対して自らが全くの無力である事を悟り、また忠誠心をもて余し、兵士としてのやり場を失ってしまう。
コルネイに帰還を許されない為、ロボットを兵士として従え軍事教練して日々を過ごすなか、コルネイから公国と帝国の戦争が終結し、公爵が逃走した事を教えられる。またコルネイを尋ねたアライ人と偶然出会うも「人殺し。」と罵られる。コルネイとの口論のなか渡された書類には、公爵たちの生活振りや、罵られた青年が数学に才があり、地球人に助けらた事が報告書としてまとめられていた。
コルネイに引き合わされた軍人が地球人である事を喝破するガーク。それはギガンダの大科学者を救う偽装の準備だった。ガークは、地球文明の利器で作り上げた拳銃で自らを惑星ギガンダに連れて帰るようコルネイを脅すのだった。
戦争は終結したものの政治的混乱・経済の混乱・伝染病に苦しむ惑星ギガンダ。ガークはぬかるみの中で立ち往生している軍用救急ワゴン車を見つける。血清を運ぼうと必死になる軍医に地球人とその超文明の幻影が過るガーク。しかし彼は幻影を振り払いワゴンを力一杯に押しながら故郷に帰ってきたのだと思うのだった。

「神様はつらい」と同様、超文明を持つ地球人が発展途上の惑星に干渉を図る一連のシリーズものだった。神様はつらいが、中世の反動期の最中を思わせる惑星で知識人を救い出そうとする地球人を描いたものに対し、本書は第二次世界大戦を彷彿とさせる争乱の最中の惑星の叩き上げの特殊部隊員が、地球人が惑星に干渉し戦争を終結に導くのを茫漠と見守る姿が描かれている。また惑星の干渉に携わるコルネイの生活や家族との確執等が他の惑星の兵士の視線から描かれている点も面白い。

本書の訳者はクレジット上、深見弾となっているが邦訳途中に死去した為、弟子の大野典宏・大山博が作業を引き継ぎ、また訳文のチェックを矢野徹が行ったと追悼文及び訳者あとがきにかえてに記載されている。深見弾はストルガツキー兄弟の邦訳をほとんど担っているが、アルカジー=ストルガツキーは日本語を理解していたためか交流もあったらしい。「モスクワ妄想倶楽部」という作品では、深見弾がモデルとされる日本人が登場しており、ストルガツキー兄弟の作品を語る上で深見弾は唯の翻訳家という枠を越えている。現在、深見弾の邦訳作品の再販等では大野典宏が改訳及びチェックをしているようだ。

地獄から来た青年

地獄から来た青年

2015年10月26日~2015年11月1日

スエットに着替えパソコンを眺めていると首筋に何かが這っているようだった。半信半疑で首筋を二度叩くと、手の平にバラバラになった大きな蟻の死骸があった。思わず声を挙げるが、おそらく洗濯物を取り込んだ時、そのまま家に迎え入れたのだろう。

イスラム過激派から届いたビデオメッセージ。指導者は休戦を望み、その他の兵士たちは個人の特定を免れる為にガスマスクやら鉄仮面を帯び、傷ついた身体を晒していた。同情を誘う為の演出なのか、しかしその様相は得体のしれなさを感じさせ逆効果だった。

タオルケットと毛布では寒さから逃れる事は難しく、早朝に目を覚ましてしまう。外から銀杏のような匂いが届く。

鴨が川で身体を洗っている。

「超セレブ女性の日常サポート 高収入可能!」という貼紙を見掛ける。超セレブというのは、用法としては超兄貴とか、ウルトラマンとか、そんな言ったものだろうか。検索してみるとそれらしきサイトはあるものの、あくまで電話での対応という事らしい。「出会い系サイトではありません」との断りもある。思うにいまどきの超セレブは高齢で、色々と骨が折れるかもしれない。というような話をしていると同僚がネットで体験談を見つけたという。それを眺めてみたところ、全く面白い話では無かった。

満月だった。

小学校で教育実習を行っている。昼食は各クラスで給食を取る事になっていた。低学年のクラスに向かい教室に入るものの、担任は何も声を掛けてくれない。仕方無く空いている席に座ろうとするものの、「そこはユミちゃんの席だよ。」と児童にたしなめられてしまう。笑ってごまかし別の席に座に座り児童たちと話したところ、この後は児童たちが大切にしている丸い石に穴が空いたというので、その穴を防ぐべく樹脂を注入するのだという。果たしてこの石は何を意味するのか、答えは明かされない。

友人から電話があり近況について話した。とはいえ、さして代わり映えのしない毎日であり、報告する事は少なかった。

腹が減った。

農作業中に嵐に見舞われ、ビニールハウスに避難するのだが、しかし嵐は思いの外激しく、避難した皆でビニールを押さえるもののビニールで包まれてしまう。この為にビニールに空気を取り入れるよう穴を開けたのだ、リーダーらしき男が妻らしき女性にそう話している。気がつくと、その妻の膝の上で赤ん坊が大きな鳴き声を挙げ、女は顔を覗き込むのだった。

朝、雨が降った。

最後の一押しで満員電車に高校生が入り込んだ。高校生の腕には使い古したG-SHOCKが掛けられ、時刻が午前七時四十八分をまわった事を知らせる。

鏡の前で白髪を抜く。

お婆さんは朝早く山へ柴刈りに、その後は川へ洗濯に、こんなに忙しく何も起こらない昔話は無いし、お婆さんの退屈な日常など知ったところで胸は踊らず、話も弾まない。こんな事になったのは一月程遡る必要があった。いつも通り、お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に向かった。お爺さんは山へ向かう時、川沿いに歩くのが常だった。昨日降った雨で少し水かさが増していた事に気が付かないお爺さんでは無い。何故ならお爺さんは柴刈りのプロフェッショナル、日本が誇る人物であり、国民栄誉賞受賞も今かと巷で叫ばれていた。これは毎日物語の要請に従い、雨の日も雪の日も柴刈りに向かっていた事が評価されての事だ。今日も柴を乾かす必要があるな、そんな事を考えていると、弘法も筆の誤り、ぬかるみに足を滑らせ、川に落ちてしまう。少年のころ川遊びは得意なお爺さんだっが、お爺さんという役目を長年演じ過ぎた為に、泳ぎ方を忘れ、そのまま溺れ死んでしまった。お爺さんは役目に忠実だった。それが評価されていた。しかしその為に命を落としてしまったのだ。皮肉な事である。他方、お婆さんは水かさが増して濁った水だと残念に思いながら、せっせと洗濯をしていた。すると川の上流からどんぶらこどんぶらこと何かが流れて来た事に気がついた。何度繰り返して来た事だろう、しかしあれは桃では無さそうだ。そういう時は何も無かった事にしなければならない。そういう決まりだった。しかし目の前を流れて来たのは柴刈りに向かったお爺さんだったものだから、慌てて腰まで川に浸かってお爺さんを引き上げた。既に事切れたお爺さんの膨れたお腹を押すと汚泥が口から溢れた。「可哀想に。」お婆さんは涙を流しながらお爺さんの瞼を閉じて、その死を悼んだのだった。その後、お爺さんは国民栄誉賞を受賞した。墓石には「柴刈りに生き、柴刈りの為に死んだお爺さん、ここに眠る。」とあり、墓前に柴が欠く事は無かったが、心無い者の悪戯により柴ごと燃やされ二度も荼毘に付されたりする内に、すっかり皆に忘れ去られてしまった。

床屋に行ったのだが、店主が趣味なのかテレビ東京の歌謡曲の番組を眺め始め、シャンソンのろくでなしやら森進一を真面目に聞いたのだが、退屈するというより新鮮な気分が多くを占めた。

曇天から陽が射し始めた。

帰り掛け、CDショップに寄るも目当てのものが見つからなかった。改札前の人波に仮装した若者を多く見掛けた。

吉田野乃子の Lotus を聴いている。ここ一年程、フリージャズを中心に扱ったブログを購読するようになり、そのなかでかなり好意的な評価を得ていたのがこの作品だった。自主制作という事で、本人にメールして購入したのだが、実際のところはSNS等で連絡して手に入れるようだ。昨今そういった環境から離れており、上記のブログで知れたのは幸いな事だった。送られて来た商品には自筆の送り状と父による勝手な全曲四行程の解説が付いており、解説にある家族に関する内容と相まって穏やかな気分になってしまうが、アルバム自体はイージーリスニングなものでは無い。師事しているのはネッド=ローゼンバーグ、ジョン=ゾーンだそうで、ネッド=ローゼンバーグは浅学故に知らないのだが、ジョン=ゾーンといえば前衛・多作な音楽家である。何度もアルバムを聴いているのだが、多重録音されたアルトサックスの反復と変調が何にも邪魔されずにただ聴ける事が非常に心地良く、日常に最適化されて狂った身体を解放してくれる。

ジムのモニターで西島秀俊が主演しているMOZUという映画の宣伝番組を眺める事になった。ドラマの枝葉末節まで読み込んだ人々がドラマの内容に関する問題に解答していた。

散歩に出掛ける。最近は半径五メートル程度のものしか眺める事が無く、遠くを眺める事が少なくなったと思う。枯葉が落ちた遊歩道を歩き、一部の紅葉を眺めたりした。公園の芝生で他愛なく遊ぶ若者、小さな子どもの一挙一動を嬉しそうに見守る家族、横を走り抜けるランナー。そういったものを見ながら、今の生活はどうにもなりそうにないと思った。

完全な真空

スタニスワフ=レム著、沼野充義・工藤幸雄・長谷見一雄訳『完全な真空』を読んだ。

スタニスワフ=レムによる架空の書物の書評集であり、メタフィクションの傑作として知られている。「短篇ベスト10」で紹介した通り、読者投票では本書から五作品が選ばれている人気振りである。
私自身はと言うと、この手のメタフィクションには苦手意識があって、昔ボルヘスを途中で投げ出した記憶があり、果たして今回はどうかなと読み進めたのだが、どうにかこうにか最後の頁までたどり着く事が出来たと言ったところだ。
架空の書物の批評である訳だから、ある書物、その作者、それを書評する評論家がおり、更にそれを書くスタニスワフ=レム自身、次いで読者=私がいるという、入れ子構造が展開されている。評論的・同人誌的パロディもあり、特に同人誌的パロディに関する書評では、登場人物たちを読者が勝手に性愛で結び付ける事の是非について書評されており、少し隔世の感がある*1
結局、スタニスワフ=レムならばSF作品を読んだ方が楽しめるというのが正直な思いであるが、私自身がここで文章を書く事もメタフィクションでは無いのかと考えると、全く他人事では無いのだと今更ながらに気がついた。

*1:著作権を考えれば当たり前の事が薄氷の上で成り立っている事を認識する昨今ではある。

2015年10月19日~2015年10月25日

制服を着た子どもが満員電車に乗り込んで来た。後ろに下がった女性を懐で受け止める羽目になった。子どもは周りを顧みずソフトカバーの本を貪り読んでいる。坊主頭越しに頁に彩られた紋様が目に入る。ファンタジー小説でも読んでいるのだろう。自分が本を自発的に読むようになったのはもっと後の事だったなと思い出した。

偏頭痛を抱えて帰宅した。

「こいつ、俺が誰だか判っているのか?」男はそういって立ち上がり、ふんと鼻を鳴らすとまた椅子に座ってこう言った。「たぶん、お前は俺の事を知らない。俺がお前の事を知らないように」私は黙って頷くと立ち上がって男の頭にビール瓶を叩きつけた。ビール瓶は手元を残して割れてしまい、手元に残った瓶の残骸を男の顔面に突き刺してやった。男は机に座ったまま天上を仰いだ。天井に目を遣ると梁と梁の間に古ぼけた蜘蛛の糸が一本、風に揺れている。血塗れになった男に問い掛ける。「気分はどうだ?」男は顔に瓶の欠片を突き刺したまま「まあまあだな」と言う。仕方無しに男の机にあったフォークを頭の天辺に突き刺してやった。「お前、名前は?」男に尋ねると切れた唇から血を滲ませながら「高嶋政伸だ」と言った。カウンターの奥に手を伸ばしてビール瓶を取り出し、男の後頭部に叩きつけた。今回は当たりどころが良かったらしい、瓶は割れなかった。「名前は何だ?」男は机に突っ伏したまま顔を横にやり「本当に高嶋政伸だ。一字一句違わない」と唇を震わせた。

ドラマの撮影に出くわし、該当の作品を探したところ、バツサンのおっさんが毎話女性と邂逅を果たす東京センチメンタルという番組だった。

スマートフォンを路上に落とし傷つけてしまった。よくよく考えてみれば、落とさず使い続けている事が不思議のような気がした。

「判った。高嶋政伸、しかしお前はどこか変じゃないか?」私は近くにあった手拭いを使って男の顔にこびりついたガラス片を適当に取ってやりながら尋ねた。男は目だけこちらに向け何か言おうとしたが、私は更に続けた。「痛みが無いのか、それともただのやせ我慢か、声一つあげない。まるで他人事のように殴られ続けている。そうだ、本当に他人事のようだ。どうだ、何か言う事があるか?」男が何か言おうと口を開くと血が溢れた。私はカウンターの向こうのマスターに手拭いを頼んだ。マスターは男目掛けて手拭いをブーメランを投げるように放った。見事なもので手拭いは男の頭に刺さったままのフォークに引っ掛かった。男は何も言わず手拭いを手に取り、血を吐き出して口の周りをゴシゴシと拭き、そのまま首周りの血を拭き口を開いた。「自分の身体が自分のものだと誰が決めた?生まれたての赤ん坊は自分の身体の認識を持っていると思うか?お前に子どもはいないのか?」男はこちらを向き、口の中の血を掻き集めて吐き捨てた。「いない。お前の前ではな」「そうか、ならいいさ。俺には娘が一人いる。彼女は周囲と自分が一緒だと思っている。見ていれば判る。周りが騒がしいと泣くのは自分自身が騒々しいと思っているからだ。これは大変非効率だが、子どもが周りを巻き込んで周囲のペースを握るのは、そういった理由があるんじゃ無いか…まあいい、それに親もまた子どもを他人だとは思っていない。自分自身の一部だと思っている。そう考え、限界を感じてしまう。特に育児に疲れた母親なんかはこういう考えに至って非常に堪える訳だ」私は途中から話に聞き飽きテーブルの上に散らばったガラス片を爪で大きなものと小さなものに選り分けていた。「お前は何を言っている?」「自他の区別についてだ」「判った。続けろよ」男はマスターに手拭いを求めた。マスターはやはり先程のように男の頭に刺さったフォーク目掛けて手拭いを投げたが、男は手で手拭いを受け取った。マスターの舌打ちが店内に響いた。

窓の隅で蝿が三匹、そのうち二匹は重なりあって飛んでいる。

「そもそもお前が俺にガラス片を叩きつけられるのは俺への共感を拒否しているからだ。愛する人が目の前で苦痛に苛まれれば、お前もまた苦しむだろう。これが俺の精神と身体の中でも起こっている。俺は俺の身体との共感を拒否出来る。戦場で仲間が血反吐を吐いて死んでいた時、俺だけ傷だらけで生き残っていた。気がついたよ、人は痛みで死ぬんじゃ無い。精神が痛みに耐えらなくなったとき死ぬんだよ。俺にとって身体は精神の容器でしか無かったのさ。判るか?」「単純に痛みを感じられないだけじゃないか?」「もちろん、そんな事は無い。意図して可能という事だ。でなければ身体を動かせ無いからな。車の運転と同じさ。アクセルを慎重に慎重に踏みながら、ギアに一瞬引っ掛けて身体を動かすのさ。ギアを入れ過ぎると痛みで悶絶する羽目になる」私は内容に満足して集めたガラス片を人差し指で弾き飛ばした。「なるほど、そういう特異体質を買われて俺を殺しに来た訳か」男は少し間をおいて声を抑えて言った。「ちょっと違うな、殺すのは俺の役目では無い。俺は見届けるだけさ」男の言葉の意味に理解したところで、視界の端でマスターが手拭いを投げた時の姿勢を取った事に気がついた。「畜生‼︎」男の懐に入ろうとした瞬間肩に鋭い痛みが走った。懐から取り出した手榴弾のピンを抜き男の肩越しに投げる。骨董品だが果たして作動するだろうか。サン、男の顔を見上げると動きが無い。ニイ、こいつの言葉に従えば身体さえ物でしかないのだろう。イチ、心身二元論者の身体を使った防御型手榴弾とは、さすがに実戦は演習通りに行かない。ゼロ、破裂音と共に室内に埃が立ち込める。

男子トイレで小便をしていると大便を漏らす夢を見た。目覚めて夢診断なるサイトを眺めたところ吉凶どちらにも取れるとの事だった。

拳銃を腰から取り出す。肩を触ると幸いにもかすり傷らしく、ナイフは刺さっていない。男の後ろにまわると二本のナイフと数多のガラス片が突き刺さっている。埃が落ち着くと崩れたカウンターに横たわる内臓を撒き散らしたマスターが姿を現した。溜め息を吐き、男に語り掛ける。「おい、マスターは死んじまったぞ」男は沈黙を守っている。ガラス片はともかく、ナイフはマスターが投げたに違い無い。拳銃を男に向ける。「高嶋政伸、娘が居ると言ったな。あれは本当か?」やはり返事は無い。死んだ振りをしているのだろうか。どちらにせよ、やる事は決まっている。もう一度溜め息を吐き、引鉄を引く。男の頭が向こうに弾け飛ぶ。更に二度引鉄を引くと、男の頭は跡形も無くなり、辺りは血飛沫で染まった。手応えはまるで無い。しかしこれ以上この男に関わりたくも無い。私に共感が欠如していると男は言った。しかし自身の痛みすら拒否した男に言われる筋合いも無い。しかも今思えば因縁をつけてわざわざ追手だと言わんばかりじゃ無いか…下手な考えは休むに似たり、傷口の処理を終え、店を後にした。

いつもの喫茶店で、昼休みの時間が過ぎたにも関わらず座っている。そして困惑している。こんな事をしていて良いのだろうか、いやしかし、別段構わないでは無いか。というのも、知らぬ間に私は今の仕事を辞め、以前の職場に再就職していたのだ。なぜ、こんな事になったのか。再就職した職場の総務部によれば、職場に居たAと総務部長は知り合いだったらしく、日々仕事を持て余している私を案じて二人が密かに手続きを取ったのだという。そんな話があるだろうか。久しぶりに会った職場の人々の意味深な視線はたまったものでは無く、その上、中途半端に経験があるものだから、なしくずし的に仕事をするはめになりそうだった。そんな心配も業務が与えて貰えればの話なのだが…

夜目覚めて洗濯物を干すのを忘れている事に気がついた。

静かな朝だった。相変わらず上階の開け放した窓から男同志の他愛ない会話が聞こえているものの、風が木々を揺らす音が帳消しにしてくれていた。この穏やかな時間は、いつか何処かで見知ったもので、それ故にまた愛おしく、しかし懐古的だった。瞼を閉じると、高校時代の部活動の顧問が定年退職を迎える事になったという。まだそんな年齢では無かったはずだが、と目を覚まし、時計を見遣ると午前十一時を少し過ぎたところだった。スマートフォンを手に取り、平野啓一郎のマチネの終わりにの最新話を読んだところ、一年半という演奏のブランクから主人公のギタリストが練習に取り組みを開始した。脳溢血で身体が不自由になった恩師に冗談ながらに練習の再会を伝えると、師は涙でそれに応えるのだった。

シャワーを浴び病院に出掛ける。午前の診療に間に合うだろうか、小走りで十二時前にたどり着くものの、既に診療は終えているらしい様子だった。事務員は新しい病院がコンビニの二階に出来たのでそちらを訪ねてはどうかと言う。秋の陽気のなか小走りした為に額と首筋に汗が垂れるのが判った。いつも見掛けるファストフード店の外にまで並んだ人の列を横目に、辿り着いたコンビニはマンションの一階、つまり二階は居住スペースだった。こういったマンションは共同住宅では無く、一般物件となる。これは使用用途による建物の分類である。そんな事はどうでも良いのだが、しかしあの事務員は嘘を言ったのだろうか。少し記憶を辿るとその医院の角を少し行ったところにまた別のコンビニがあった事を思い出した。

最近の医院の内装はどこもそうなのか、下がり天井の中央で回転するシーリングファン、小児科の待合室はハロウィン仕様になっている。どうやら患者は自分しかいないらしい。しっかりと化粧した女性事務員とその横に曖昧な雰囲気の男性事務員がいる。医務室に迎えられると若い医者の男性の耳にイヤフォンが埋め込まれており、その背後に控えている看護士の女性も同様だった。これで事務員と連絡を取り合っているのだろうか。ハイブリッドな医院だと思う。

何もやる気が起こらず布団の中で日中過ごした為になかなか寝付けない。外から風の音が聞こえる。

ジムのモニターにて全日本大学女子駅伝を眺める。カメラまわしから大東文化大が有力候補のようだが立命館大が首位を譲らない。

さすがにシャツ一枚で外を出歩くのも難しい時季になった。全く季節の移ろいというか、一年の早さには驚かされる。

少女は自転車にのって

ハイファ=アル=マンスール監督作品『少女は自転車にのって』を観た。

十歳のワジダは男友達と自転車で競争しようとするものの、イスラム教の戒律を守る周囲の大人はそれを許さない。ある日、雑貨屋で見掛けた自転車に一目惚れしたワジダは、友人にミサンガを売り、上級生の密会の橋渡しして資金を集め始める。しかし自転車買うに微々たる稼ぎでしかなかった。そんな折、学校のコーラン暗唱大会の賞金に目をつけたワジダは、苦手としていたコーランの勉強を始める。
ワジダの母親は夫との関係の継続を望むが、男子を産めなかった為にその関係は希薄になりつつあった。また職場に行く為の運転手を探すも上手くいかない。近場の職場に勤めようと考えるが、ヒジャブも付けずに男性と共に働く友人の姿を見て、思わず批判してその場を去ってしまう。
学校では、上級生が教師に隠れてネイルや恋に夢中になっているものの、男女交際が発覚して全校生徒の前で名指しで咎められ生徒たちも軽蔑を隠さない。一方、女性校長の家に泥棒が入ったと事件が起きる。生徒たちはきっとそれは逢引きだったのだと噂する。
家やクラブでの勉強の成果の末、ワジダはコーランの暗唱大会で優勝する。賞金を何に使うのかと女性校長に問われたワジダは自転車を買うと正直に語るものの、叱責され賞金も没収されてしまう。ワジダは「校長の家に入った泥棒は恋人だったのでしょう。」と捨て台詞を残しその場を後にする。
ワジダは自転車を買う術を失い途方に暮れるが、母親は自転車をワジダに買い与える。母親は夫と離婚すると決めたと言い、彼女に幸せになって欲しいとも語る。
晴れ空のもと、ワジダは新しい自転車にまたがり、街を疾走して笑顔を見せるのだった。

サウジアラビアを舞台とした作品でありワジダが何気なく履いているコンバースやラジオで聴いているポップスも宗教的に咎められる事態を察すると戸惑いを隠せない。宗教的な抑圧と言えばそうなのだが。それを笠に着る男性中心主義的な雰囲気に嫌悪感を覚えるというのが正直なところだ。この抑圧はどこにでもあり、つまるところ自分たちが肯定出来るかというところにある。物語のなかで母親は戒律に縛られた自分の在り方から脱却しようとし、娘が一人の女性として幸せになる事を望む。コーランの暗唱に手こずるワジダに対し、母親は抑揚をつけて美しく暗唱してみせ、日々の女性たちの不自由な生活とあいまって、物事は単純では無いのだと気がつかせてくれる。宗教とは保守的であればこそ、それは確かにそうだろう。しかし物事は不変ではあり得ず、また普遍的なものでは無く、変化とは異なるものの介入でしか有り得ない。ワジダの行動に小気味良さを覚えるのは、その行動の意味を信じているからに他ならない。

少女は自転車にのって [DVD]

少女は自転車にのって [DVD]

2015年10月12日~2015年10月18日

外は雨だった。

わざわざ出張までしてやる事が他愛も無いものだった。日々小間使いだと吹っ切れているつもりだが、忙しなく働く人々の横では、さすがに情け無さくらい感じるべきだろう。年長の社員共に作業に従事しながら尋ねてみる。「あんまり効率的では無い作業ですよね?」「そうだね、せめてこの書類のデータをPCに入力出来ればと思うね。」

隣に座った女性が鞄から小瓶を取り出し手首に振り掛け擦る。窓から入る風が微かに匂いを運んで来た。

飛行機のカメラが映し出す首都、そしてモノレールから見える夜の街並は美しく、しかし美しいからこそ爪弾きされているような疎外感をもたらした。

「でもその夢を観た時は怖かったんでしょ?」そう電話に向かって話し掛ける男性が横を通り過ぎた。

「あのね、夢を観たの。変な夢だった。私、小学生の頃はピアノを習ってたの。私が通っていたピアノ教室にはグランドピアノがあって、結構大きなお家でさ。先生は良いところのお嬢さんか、お金持ちとは結婚した人だったんでしょうね。家で練習する時は電子ピアノを弾いてたんだけど、実はこれは中古品でさ、なんで中古品だったか、確かお父さんが友人から格安で譲って貰ったんだと思うんだけど。でさ、電子ピアノって練習する時、ヘッドフォンを掛けて練習するの。ピアノの音って結構うるさいんだよね。練習用の曲も内臓されてて、自動演奏とかも出来るわけ。知ってた?知らないでしょ?まあ、前置きはそれ位にして、変な夢っていうのはね。」

商品券を手に入れたので、帰りに百貨店に寄ってみたのだが、あらゆるところに配置された店員とタグに表示された金額を見て怖気づき、そのフロアを後にした。食品コーナーを通って店を出る途中、ワインエリアに気がつき寄ってみた。日本産ワインのコーナーを眺めてみたが、友人が勤めるワイナリーの物は置いていなかった。

「白い、やたら薄い生地のロングのワンピースを着て私は洞窟を歩いているの。下着は着てないみたいで、身軽なんだけど寒かった。特に脚元なんかはね。だって足首は水に浸かっていたし、脚元の水は跳ねるし、挙句ワンピースの裾は水には浸かっていたから、段々ワンピースに水が浸みてきてね。そうすると陰毛が透けて、最後には胸の辺りまで浸みてきて、乳首も透けていたわ。ちょっと今、私の裸を想像した?嘘でしょ?当の私はもう寒くてさ、ずっと歩いているんだけどなかなか目的地に着かない事もあって不安なの。目的があるって事は判っているのよね、不思議だけど。でも夢ってそういうものでしょ?えっ、周りはどうなっているかって?そうそう、洞窟に灯りは無かったわ。でも青白い光が脚元から至るところに射しているの、水に乱反射して、洞窟全体を照らしているらしいの。これもそういう仕組みだって何だか知っていたわ。洞窟の壁は鋭く尖ってゴツゴツとしていて無闇に触れちゃ駄目なの、触れると皮膚が切れちゃうくらい鋭いのよ。」

ディスカウントショップでピジネスシューズを買いがてら、ベルギービールと日本酒を買った。

「寒さに震えて不安を覚えながら歩いていると、出口が見えるの、扉の無い出口なんだけどな、ちゃんと四角い出口なの。至って普通の建物の出口。観光名所になっている洞窟に手摺があったり、扉が誂えてあったりするじゃない?そのくらい意図的で、人工的な感じ。その出口に手を掛けるとフェルトみたいな手触りだった。その感触が意外だったから印象に強く残っているわ。その出口を抜けると、少し広いところに出るの。そこは脚元の光も届かない場所で、暗闇に包まれているのだけど、どうもドーム状になっているみたいなのが判ったの。でも私が来たかった場所じゃないみたいで、おかしいなと思っているのだけど、知らぬ間のドーム状の一部に私の部屋が現れるの。ドーム状の空間に私の部屋が重なっているっていうか、ツギハギに部屋があるのよね。でさ、そこにグランドピアノがあるの。私は懐かしいなって。だってグランドピアノはピアノ教室にあったピアノだったのよ。埃除けの布が一緒だったし、そんな物が無くても私はあの時のピアノだって確信したわ。私は椅子に座って鍵盤の蓋を開けるの。それで気がつくのだけど、左手の方にヘッドフォン用のジャックがあるの。あれって思ってピアノの下を覗き込むと、私が自宅で使っていたヘッドフォンが落ちてたの。グランドピアノだけど、私が使っていた電子ピアノでもあったというわけよ。でさ、私も妙に律儀でさ、周りの人に迷惑になるかもしれないと思ってヘッドフォンをつけてコードをジャックに繋ぐのよね、今思うと何だかおかしいわ。そうやって鍵盤に指を掛けようとするとヘッドフォンから音が聴こえるの。鍵盤に指を掛ける前なのに。その曲は、たぶん曲名を言っても判らないと思うけど、ショパンのポロネーズ第六番英雄っていう有名な曲なの。たぶん聴いた事はあると思うわ、タララララララーンって始まる曲なんだけど、ある程度演奏を聴いていると、目の前に私に重なって半透明になってピアノを弾いている人に気がついたの。金髪で長い髪の、痩せた白人の女性だった。私は自然と、ああこのピアノはこの女性の物なんだって納得しているの。演奏が終わると、彼女は椅子から立ち上がって向こうの方にお辞儀して、私の方に振り向くの。彼女はニッコリ笑いながら口を動かすとヘッドフォンから声が聞こえたわ、「ありがとう。愛してくれて。」ってね。でさ、これがまた私も細かくて、何で外国人なのに日本語なのって思って、ああこのピアノって通訳機能もあるんだなって独りで納得したところで目が覚めたわけ。」

帰りにラーメン屋に寄った。以前よりラーメンが出るのが早くなった。というのも店主はスープを混ぜチャーシューを切る事に専念し、麺を茹でるのは助手たちの役目になったからだった。店主の体調と客の利便性を考慮した結果なのだろう。誰かに集中して負担が掛かる仕事は必ず破綻するものだと自らの業務を省みてしまう。

「でもその夢を観た時は怖かったんでしょう?」「怖いっていうか…何だか懐かしいんだけど、残酷な感じがするのよね。」「残酷?」「大事な事を忘れて生きてるっていうか、うまく言えないんだけど…。実際、ピアノの事なんて忘れてたし、ピアノの先生なんて、さっきまで影も形も無かったのよね。」「そんなのは当然の事だと思うけど。」「そりゃ、そうよ。四六時中、昔の事を思い出している訳にもいかないし、今の事で手一杯、ままならない位なんだから。でも間違い無く、今の私に関わっていて…二十五年以上の前の話だから、先生ももう六十は超えてるのよね、あーあ、歳は取りたくないし、あっと言う間におばさんからおばあさんなのね。」「そんな極端な…じゃあ、俺からその夢の話の真相を解き明かしてあげようか?」「どういう事?」「さっき君が観たっていう夢は俺の頭の中の出来事なんだよ。」「はっ?」「いや、そのまま俺が想像というか妄想したというか、俺じゃない、他の誰かかもしれない。そういったものの結果なんだ。」「何それ、意味わかんない。私の夢が何であなたと赤の他人に関わりがあるって言うの?なんか変な本でも読んだの?夢診断?」「…判った。こう言い換えよう。さっき自分に関わって来た過去があるって言ったよね?それだよ。君は今まで出会ってきた人や、観たものやら何やら、そういった経験に夢を観させられたんだ。」「随分話が変わったわね。結局あなたは私の裸を想像したって言う事かしら?」「まあ、そういう事かな、ごめんね、変な話をして。」「あなたは色々と言うのだけど、即物的な人間だと思うのよ。利口なフリをしたり、思わせぶりな事は言ったり、そんな事しなくたってもう良い事に早く気がついて欲しいわ。」

夜、目が覚めると雨音がした。

Jazz The New Chapter 3 を読み終えたが、インディーズオーケストラ等の特集が面白く、また自身の興味と一致していた。しかし、これらを一人で菊地成孔はやっているので無いかとも思った。

ジムのモニターにて散歩番組を眺めた。市川紗椰が出演していたのだが、以前ガンダム展に赴き会場の前で傘を空に向けて構えたポーズをネットで見掛けて以来、ガンダムに似ているという印象が強い。

アルカジー&ボリス=ストルガツキーの月曜日は土曜日から始まるを読み終える。妖怪だ、魔術だと余り食指が伸びず読み進め難かった。しかし終盤、時間をテーマに繰り広げられる物語が殊の外面白く、諦めずに読み進めた甲斐があった。

商品券を消費するべく百貨店に赴いた。ビジネスシューズを買うつもりでいたのだが、靴のサイズと予算の問題もあり、結局何も買う事が出来なかった。百貨店を二、三件見て周って感じたのは客層の高さだった。二十代はまず見当たらず、五十代以上の夫婦、四十代以上の女性をよく見掛けた。他には目立ったのはアジア系の観光客だった。

仕方無く駅前の金券ショップにて換金した。九十四パーセント相当の換金率だそうで、当分の生活費にはなったものの、身も蓋も無い気分だった。

駅前では学生がマイク片手に何やら演説をしている。京都大学の学生らしい。安倍政権、公安、反戦記念日といった言葉が耳に入ったものの、信号待ちの時間では具体的な主張を理解する事は出来なかった。更に場所を変えると街宣車に乗った男性がマイクと台本を片手にソ連の満州と北海道への侵攻で女性たちがソ連兵に強姦された歴史を忘れてならないと語っている。喫煙スペースで煙草を吸いがてら聴いた事もあり、先程の学生の演説よりは話の筋を理解は出来た。更にその横では黒人がアフリカの学校建設の為の募金を聴き取り辛い日本語で呼び掛けていた。喫煙スペースを出て振り向くと、街宣車の下に浮浪者が寝入っていた。これはいわゆる世の縮図というものなのだろうか。「結果としてそういったものも解消されるのです。」「お気の毒ですが、それとこれとは話が別です。」と言った具合にイデオロギーは物事に対し包容力を発揮するか排除してみせてくれる。学生にしろ街宣車の上で語る男性にしろ、あの浮浪者を語るべき市民ないし国民とは見做していない。他方、俺に出来るのは意図して無視するか、多少同情する位が関の山というところで、せめて静かに眠らせてやれば良いのにと思う。

「朝、プールに行きたいの。」小さな子どもが母親に言う。「でも寒くなってママが風邪とかひいてたら連れて行けないね。」「そしたらパパを起こして連れて行って貰う。」「パパを起こしちゃうんだ。」母親は子どもの提案が意外だったのか笑いながら子どもの発言を繰り返していた。

遠くから祭の音が聞こえる。最近の週末は必ず外が騒がしいのでは無いか。その騒がしさに対し、部屋の静けさが際立つ。一体この部屋の主は誰なのだと思う。

コングレス未来学会議

アリ=フォルマン監督作品『コングレス未来学会議』を観た。原作はスタニスワフ=レム著「泰平ヨンの未来学会議」

ハリウッドは人気絶頂期の俳優をスキャンしデジタルデータとして自由に作品をつくる事が可能となっていた。「キアヌ=リーブスもサインした。」と女優ロビン=ライトに声が掛かる。旬を過ぎた女優ロビン=ライトは仕事が激減、シングルマザーとして娘と難病の息子を抱えていた現実は変えようも無く、息子が検査により失聴等の可能性が高まっている事を知ると、高額の報酬と引き換えに全身スキャンと芸能活動の禁止を受け入れるのだった。
二十年後、ロビン=ライトのデジタルデータは頑なに拒否していたSF映画のアクションヒーローを演じ続けていた。ロビン=ライトは契約更新と未来学会議に出席する為ある街を訪れる。街に入るにはドラッグの服用が義務付けられていた。車を運転中、ドラッグの効果により全てがアニメーション化、ロビン=ライトはこの事態に驚き呆れながら現実と虚構を曖昧にしていく。契約更新でロビン=ライトに示されたのは、誰でもロビン=ライトになれるドラッグの開発が成功した事だった。未来学会議での新薬の発表に対し「目をさますべき。」とロビン=ライトはメッセージを送るも観客に声は届かない。そしてテロが勃発、ロビン=ライトのデジタルデータで作品を作り続けてきたというジョンと避難しようとするも、街に散布されたドラッグを吸引したロビン=ライトは意識を失ってしまうのだった。
更に二十年後、ロビン=ライトはコールドスリープから覚醒する。目覚めた世界はドラッグによりアニメーション化、全てドラッグで願いを叶えられる為、人類は自由と平和を手に入れていた。そんなユートピアでロビン=ライトとジョンは愛を交わし合う。しかし息子を忘れる事が出来ないロビン=ライトはジョンから得たドラッグ解放の薬でアニメ化した世界から現実の世界に戻る。装飾を剥ぎ落とされた世界では虚ろな人々が街を漂っていた。ロビン=ライトはジョンの主治医を尋ねるものの「息子はあなたを待っていたが既にドラッグの世界に行ってしまった。もう会う事は出来ないだろう。」と語る。ロビン=ライトは息子が居ない世界では生きていけないと、ドラッグを服用し息子のいる世界へ戻るのだった。

ロビン=ライトをロビン=ライトが演じており、ハリウッド映画事情に詳しい人が見れば、現実と虚構が重なる部分も多いのだろう。その辺りに疎い為、せいぜいSF映画に出たくないとSF映画で語るロビン=ライトや、どうみてもトム=クルーズらしき人がデジタルスキャンの契約更新に来ているところに笑う程度だった。
原作と本作を比較すれば、未来学会議でのテロ発生以降の筋書きは結末以外は変わりが無い。
原作の結末は、滅びを前にした人類に対し安楽死させるべくドラッグ化した世界が作られた事が明かされ、口論になった主人公と黒幕が窓から落下したところで、現実の世界で主人公が目を覚まして終わる。原作では現実の世界があり、現実の世界の主人公の夢の中で、現実の世界とドラッグ化した世界があった。
本作は主人公が現実の世界で観ている夢では無く、現実の世界とドラッグ化した世界しか無い。そして主人公は息子の居ない現実の世界に望みが無かった為に、ドラッグ化した世界で息子と共に生きる事を選択する。
原作では主人公が現実の世界とドラッグ化した世界を軸に物事を考えるのに対し、本作の主人公は息子のいる世界と居ない世界を軸にしている事が判る。
本作の結末を観た際、主人公の心理的な側面だけをクローズアップした作品だと思ったものの、以上で説明した作品の構造を考えると、主人公の最後の選択を含め曖昧にしたところが無い正直な作品だなと思う。
普通、腐っても現実こそ大事と言うべきところを、現実に希望が無いなら幻覚でも良いとはなかなか言えないし、そう言えてしまう世の中でもあるという事なのだろうか。


2015年10月5日〜2015年10月11日

スガダイローの刃文を聴いている。蓮の花が美しい。ピアノは単純にその音色だけで美しい。

「帰ってたんだ。」夫はそれだけ言うと鞄を持って午前七時前に家を出て行った。もう、会話はこれ以上は起こるべくも無い。トーストを齧り八時前に自宅を出る。通勤に便利だからと都心に程近い場所に買ったこのマンションも売却する事になるだろう。駅まで道のり、幼稚園の制服を不慣れに着こなした子どもとスーツを着た若い男性が目に入る。子どもが入れば、こうはならなかっただろうか?そんな思いが頭を掠めるものの、どちらにせよ夫婦仲は冷めてしまったのでは無いだろうか?夫婦のすれ違いとは、つまり互いに興味を失ってしまったという事に尽きるのだ。では互いに興味を失わない方法とは何だろうと思い、失わないでは無く、失ってしまうきっかけこそ問題なのだと、何度とも無く繰り返して来た答えにまた鉢合わせてしまった。

女子高生が岩波新書を片手に満員電車に乗り込んで来た。「科学時代と合理主義」という文章を垣間見るものの、人混みに押し込められイヤフォンの電波と共に遮られる。何だって今日は人がこんなに多いのだろう。そう考え、学生の講義が始まるのだと一人合点が行く。

喫茶店にて若い男女が机に教科書を広げて勉強していた。

遠くの物に焦点がまるで合わなくなった。そう言葉にして、それは視力だけでは無いかもしれないと考えた。

濃い顔の男性がカラフルな菓子袋からクッキーを取り出し音を立てながら食べている。

早々と寝た。

巨大な家に独り。戸締りの為に各部屋を周り、鍵を閉めようとするのだが、キリが無いと諦めてしまう。

集会が始まる間際、巨大な雄牛が村に現れた。中年の女性が襲われた若い女性を助けるべく大木を雄牛の顎の下に突き上げた。動けなくなった雄牛から茶色い内臓が生きたまま取り出される。それは硬く、また割れる事の無い柔らかさだった。その内臓は主神トールの鎚に由来するのだという。

目の前に立った女性が頻りに羽織ったパーカーの匂いを嗅いでいる。確かにどこぞかで食事をしてきたかのような匂いがした。

修羅の刻を読んでいるのだが、陸奥信玄の娘である静流は天然という設定であり、今時正直どうなのかと思ったのだが、天然とは便利な言葉で、つまり馬鹿なのだと合点がいった。

短期出張の為に簡単な荷造りを済ませる。

空港から市街地に向かい、更に在来線にて目的地に向かった。田畑とマンションが点在する光景は今時どこでも同じなのだろう。

外から聞こえる笑い声にいつしか苛立ちなども覚え無くなったのだと気がついた。

2015年9月28日~2015年10月4日

琵琶湖でドライブしてバーベキューをする夢を見た。

「人間に疲れヤギになった男」というニュースを目にしていたのだが、また外国の変人かと無視していた。どうやら「ゼロからトースターを作ってみた」、文庫版では改題された「ゼロからトースターを作ってみた結果」の著者トーマス=トウェイツのプロジェクトだったらしい。

公園で塗装工たちが集まり暇を持て余している。仕事が始まるのを待っているのだろう、スマートフォンを見つめる者、何やら笑い声を挙げる者がいる。

女性の装いに秋なのだと実感する。

上司が休日出勤出来るか子どものいる社員に確認しているのを見掛ける事になった。胸糞悪く、ここまで碌でも無いとさすがに救いようが無いと思った。

目が覚め、深夜のゴミ出しに外に出て空を仰げば、冬の空に唯一認識出来るオリオン座が輝いていた。

桜の葉が風に揺られ葉を落とし始めた。

どこかに放たれたモールス信号のように叩かれるピアノの音色から始まる Blacksheep の切り取られた空と回転する断片を何度も聴いている。

十月に入った。最早時間に為す術は無く、ただ悪戯に老いに任せるだけなのではという思いが沸く。

何だかなという気分でいる。ジムに行って身体を動かし腹を満たせば大概解決したも同然だったはずなのだが。

朝寝してみたが悪い夢を見てしまう。

BMWのオープンカーに若い男女が乗って横を通り過ぎ、その後ろを大型のバイクが何台か続いた。なるほど、ドライブに適した天気だったが、絵に描いたような光景に思わず苦笑いを浮かべてしまう。おそらく今後経験しない事なのだとすれば、羨ましく思えるのか…それにしたってオープンカーは無いだろう。

ジムのモニターにて日本女子オープンを観る。柏原明日架が首位、菊地絵理香がそれを追う。菊地絵理香は十六番ホールで攻めのアプローチで首位に追いつき、柏原明日架は十七番ホールにてウォーターハザードで首位から脱落。十八番ホール、菊地絵理香はパーショットを決められず、チェン=インジ、イ=ミヒャンと共にプレーオフとなった。そんなところでエアロバイクの走行時間が六十分を過ぎてしまう。後にニュースを確認すると、プレーオフを制したのはチェン=インジだと言う。

ティグラム=ハマシャンのECMから発売された新譜が気になっている。

日曜日の夜が過ぎて行く。持て余した時間に何をすれば良いのか判らず、悪戯に過ぎ去るのを待つばかりなのか。コップにコーラを注ぎ、カフェインで目を研ぎ澄まし、布団に入り目を瞑る。開けた窓から車と風の音が聞こえる。ノートパソコンが放つ光が瞼越しに眩しい。溢れ返るテキストが部屋の壁に影をつくる。果たして今程テキストを読んでいる時代も無いはずだったが、同時にそれは眺めるだけの、真偽の判別もつかないものだった。「物語はどこだ?想像力はどこにある?」誰かが大きな声を挙げた。「ロマンチストの嘘に付き合う暇がありますか?私たちに必要なのは事実、思想も常識も広告も排除された事実では無いですか?」違う誰かが反駁した。「思想も常識も広告も排除された事実?そんなものがあるんですか?それは余りにもナイーブ過ぎやしませんか?」また違う誰かが言った。LEDとノートパソコンの光が消える。居酒屋からの帰り、酔いの回った夫婦の口喧嘩が路上に響く。その頭上、高層マンションの一室では愛人が明日に間に合うよう帰り支度を始める。会話もする事の無い、最早過去も同然の男が眠る家に帰るのだ。男は愛想良くエントランスまで軽装で見送り、彼女の姿を見送るとポケットからスマートフォンを取り出した。到着した電車が起こした風に髪がなびく。それを手で軽く抑えながら、空いた席に腰を下ろし、女はやはりスマートフォンを眺め、ふと顔を上げ辺り見回すが、すぐに視線を下に戻した。

『マッドマックス 怒りのデスロード』

ジョージ=ミラー監督作品『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観た。

荒野、改造車の傍らに男が佇んでいる。入り乱れる無線の音、脚元に現れたトカゲを踵で踏み潰し、口に運ぶ。

男たちに捕らえれ、生きた輸血袋としてスキンヘッドの色白男に繋がれる主人公。隻腕の女性と首領の妻たちが逃げ出すという事態に輸血袋として巻き込まれる。物語はただひたすらに死のレースを描くのだが、全く無駄が無い。例えば、主人公が隻腕の女性と首領の妻たちと出会い小競り合いになるだが、主人公が放った銃弾は美しい首領の妻の一人の足を掠める。彼女は逃亡劇の中、脛から一筋の血を垂らしていたが為に、車から振り落とされ命を落とす。因果関係、そして行動と動機が一致した世界だが、荒廃した望むべくも無い世界だ。生きた輸血袋、子産み女、母乳生産装置と化した女たち等、よくよく考えてみればえげつない描写があるものの、気にする暇さえ無く、馬鹿げた改造車が荒野を疾駆し、爆炎を放ち残骸と化して行く。

しかしシャリーズ=セロンは何時観てもセクシーだと思う。

ソラリス

スタニスワフ=レム著、沼野充義訳『ソラリス』を読んだ。

飯田規和訳はロシア語からの翻訳になるらしいのだが、そのロシア語版は編集サイドの自主的な検閲により一部削除された箇所があるという。沼野充義訳はポーランド語版からの翻訳になり、国書刊行会から出版されていたが、これがハヤカワ文庫版として読める事になった。国書刊行会の品のあるハードカバー版は好きなのだが、やはり手軽な文庫版が発売された事は嬉しい限りだ。

過去に本書を読んでいた時は、ソラリスが主人公の前に出現させた死んだ妻の蘇りと生の反復から、生の一回性という問題を扱った作品として読んでいた。タルコフスキーの映画版「惑星ソラリス」も生の一回性を押し出した作品になっており、ソラリスの地表に降り立った主人公が自らの父と再会を果たし跪くという終わりを迎えたのもこの為だろう。
他方、小説を読めば、この問題の背景にあるソラリスという未知との接触の不可能性が立ち上がってくる。特に本書ではソラリス学なる部分が忠実に訳されており、人類が未知を理解しようと試み積み重ねて研究していた事実が判る。主人公は理解しようと試み、しかし叶わなかった人類の一人でしか無い。

主人公がソラリスの地表―ミモイドに降り立ち、ゲル状の海と遊び飽きられ物語は終わる。どこか物悲しいものの、しかし美しい風景だと思う。

2015年9月21日~2015年9月27日

ブレードランナーを観たところ、大変感銘を受けた。これが初めての鑑賞ではないのだが、やっと作品のディテールを読み込めるようになったという事だろう。そもそも当初の鑑賞は中学生か高校生の頃まで遡る。おそらく何らかの媒体で評判が良い事を知ったのだろう、ビデオに録画して観たのだが、しかし当時使用していたテレビは明暗に難があり、殆ど真暗にしか画面が見えない事があった。また車両が空に飛び立つシーンを観て何か興醒めしてしまい、緊張感無く何とも言えない感想を持ったのだ。大学に入り、友人とブレードランナーの話題になり、楽しめなかった事を告げると猛烈に批判され、監督のリドリー=スコットの映像美は明暗にあるのだと言った。確かその後、スター・ウォーズが好きだと言うと、あんな子ども向けの作品と批判され、誰でも子ども心があるのだと適当な事を言い返した憶えがある。もちろん今も子ども染みていて、主人公が使う拳銃が格好良いな等と思ったりしたのだが。

窓から入る風が気持ち良い。このまま一眠りしたいものの、午後からは仕事となっていた。

客先から仕事を依頼され、ある人物を追うのだが、建物の高所やら何やら道のりを辿るものの、結局何も起きはしなかった。

平野啓一郎のマチネの終わりにの連載を読み続けている。主人公とヒロインは再会叶わず、二年もの歳月を通り過ぎてしまったという。それでも二人は再度出会いを果たすのだろう。

ドレスを着た女性と軽装の男性が電車の中で身だしなみの確認を始めた。連休の中頃、今が一番楽しい期間だろう。

ビジネスホテルにチェックインしたが、特段やる事も無い為、とりあえず部屋に置かれたパンフレットを元にご当地ラーメンを食べに出掛ける。繁華街は遠いらしく、午後二十一時を過ぎれば駅前も人通りが少ない。目当てのラーメン屋を見つけ食するものの、良し悪しが判らなかった。

ビジネスホテルに戻り、テレビを点けて適当に眺めていると、あの日見た花の名前を僕はまだ知らないというアニメの実写が放映されていた。友人が熱心に話題にしていた作品だった。実写の出来や原作がどういったものか判らない。しかし作品を見ながら思うのは、ある感情や出来事に決別しなければならない時は必ずあり、それが大人になるという事だった。それはつまらない事なのかもしれない、しかし、生きる上で必要なものはそういう技術であり、強さだった。

開けた窓から夜風が入り込み、何台もの電車が音を立てて通過した。なかなか寝付く事が出来なかった。

朝、上司と共に客先に待機していると今年異動していた若い担当者から声が掛かる。以前より溌剌とした印象さえ受けるが、あくまで彼らにとって自分たちは動かせる駒でしかないのだという思いが湧く。組織の一翼を担っていく若い人材を前にして自身の現状を省みた、ただのひがみだなとつまらない気分になる。

一仕事を終え、同僚たちと飲みの席に合流するものの、アルコールを取る気にもならず時間を過ぎるの待つ事になった。どうにも惨めな気分になるのは、まるで今の仕事やら何やらに満足も出来ず、また能力も持ち合わせていない為なのは明白だった。

ビジネスホテルに戻りテレビを眺めるものの、乾いた笑いしか上がらない。大した連休だなと皮肉の一つ言いたくなるものの、自身の現状を他人と比較する事で判る良い機会だったと思い直した。

窓ガラスに大写しに反射したのは女性の顔が描かれたポスターだった。

浴衣を着た複数の女性を見掛け、連休を名残り惜しむ気持ちが湧く。

ピンクのドレスを着たしなをつくる女性とやたら体格と威勢の良い女性が目の前に並ぶ。壮観な光景だった。ドレスの女性は六本木最寄りの駅で降り、威勢良い女性はドレスの女性を嫌ったのか別の席に移った。

ラーメン屋に入ると関西訛りの二人組が軽妙な会話を繰り広げており、そのリズムの良さについ聴き耳を立ててしまう。

志人・スガダイローの詩種を聴いているが、詩の朗読とピアノの旋律が別世界に見事に導いてくれる。

隣に座った中年の女性が読む資料が垣間見えた。自己啓発的な文章が目に入り、嫌悪感が湧く。長い人生、これからも当たり前のように何事かが起きるのだ。

いつもの喫茶店で一服していると老人が入店し「××ギャラリーの場所をご存知ですか?」と尋ねた。応えようとする店員の横から女性客が現れ、「私、ギャラリーのスタッフなんですが」と言う。ちょっとした偶然に店内に小さな笑いが起こる。

陽は沈み辺りは暗闇に包まれる。秋の日はつるべ落とし。父親は抱き上げたなかなか泣き止まない子どもに苦笑いを浮かべ、子どもは居心地の良い胸の上で安心して泣き続けた。路上に間歇して響く余裕ある嗚咽。今この時、この場所が、この親子の在りし日の思い出となり変わる。父親はいつかまたこの事を思い返して微笑むのだろう。思い出として掬われようとする風景から、そんなの御免だと身をかわして路地を抜けた。

自宅を出ると遠くから大きな音が響いて来る。時期的に近くの高校の文化祭だと思われた。

ジムのモニターを眺めるものの、面白い番組は無かった。番組の合間にニベアの広告を見る事があるのだが、やたらセクシャルだと思う。

帰りがてらスーパーに寄ると、若い男女の店員が仲睦まじく働いていた。ただのだらしの無いおっさんの客として、一刻も早くその場から脱げ出したい気持ちになった。願わくば、彼らに輝かしい未来をと思うのだが、勝手におっさんに祈られても余計な御世話というものだ。

台所で一服していると、壁で大きな蜘蛛と小さな蜘蛛が一進一退の縄張り争いを繰り広げていた。真面目に眺めていたが、余りに気長の攻防の為に途中から飽きてしまった。

花火の音が聞こえ、その後に歓声が続く。祭の終わりという事らしい。もう九月が終わるのか、そんな事を考えた。

2015年9月14日~2015年9月20日

連日の勤務の為か、早朝目覚めてしまう。早めに自宅を出るとヒールを履いた女性は小走りに、その横を両手に鞄を持った男性が歩く。例えばこの男性がスーツを脱いだ無職になっても、二人の関係は続くのだろうか…経済力は重要だ、そんな結論しか出ない。

リクルートスーツを着た女性のうなじと顔の横にかすかに伸びた描かれた眉。吊革広告には「化粧ですっぴんをつくる」とある。

真夜中に目覚めるが、何も起きようが無い。空腹を覚え軽めに食事を取って寝る。

長野県にある会社が吸収合併される。その会社は以前俺が勤めていた会社らしい。社長は隠居を宣言し、四十代の社員が社長としてこれからの社の方針について語っていた。

スマートフォンを片手に寝入ろうする女性を見掛ける。目の前に立った女性が咳を繰り返す。隣に座った若い男女は寄り添い何事かを語り合う。耳許でバトルズの新譜が鳴る。

洋室で目覚める。二の腕に乗った髪を撫でる。彼女が微笑みながら、前髪を払う。「何?」「突然、愛情が湧いてさ。」「何それ?」そういうと彼女は懐に入り込み額を胸に押しつけた。「涼しくなったね。」胸元から聞こえる声に応えて、タオルケットをたくしあげる。今から土曜日が始まる。

あり得たかもしれない未来が黄金のピラミッドの中、無数の部屋で繰り広げられている。窓から覗いたその光景は、自らの願望の発露にしか見えず、どこかグロテスクだった。

ジーンズをたくし上げ靴のまま部屋に上がる。汚泥に侵された部屋で使い物になりそうなものは壁に掛けた洋服とロフトの上に置いたものだけだった。壁に残った泥の跡で部屋の中に腰の高さまで浸水していた事が判る。クローゼットを開けるとハンガーに掛けたスーツの裾に泥がこびり付いていた。舌打ちしてクローゼットの扉を全開にし、建て付けの悪くなった窓を開ける。まだら雲が青い空を覆う。すっかり秋の空だった。

運命の宮殿は結局のところ、自ら想像出来る未来しか眺める事が出来無い。未来の自分とは赤の他人でしか無い。

冷蔵庫から取り出したオレンジジュースをコップに注ぐ。着替えて薄い化粧をした彼女はコースターを手に取り眺めながら「こんなもの用意してるんだ。」と言った。「一応ね、お客様用だよ。いつもなら紙パックに直接口を付けて飲んでる。」彼女はわざとらしく顔をしかめて「じゃ、これも?」とコップに口を付けた。「残念、これはさっき開けたばかりだった。」彼女は「別にそんな事は気にしないけどね。」と相好を崩した。

いつもの喫茶店で繰り広げられる光景。ウインドウ越しに何台もの車が休む事無く走って行く。果たして自らが描く、別の未来、現在、過去があり得るのか、あり得たのか?

無料の廃棄処分場が市に二箇所しか無いのだから笑ってしまう。車が水没してしまった今、どうやって泥塗れの荷物を運べと言うのだろう?家の中に散らばった衣類を袋に詰め込んでみたものの、家電はそのままだった。全く途方に暮れるしかない。もうここに住み続ける理由は無かった。午後に不動産会社に連絡しなければならない。

事務所を出て帰りにCDショップに寄る。正直ダウンロード出来ればそれで良いのだが、CDでしか音源が無いというのならば仕方無い。

彼女と手をつなぎ駅まで歩く。彼女は今にも鼻歌でも奏でそうなほど機嫌が良いらしい。彼女は言う。「じゃあ、またね。」こんなありきたりな言葉でさえ、独りでいる時間を思えば憂鬱だった。部屋に戻れば彼女が残した痕跡に苦しみ、気を紛らす為に掃除と洗濯をするのだろう。

玄関の前でスマートフォンを眺めていると、今まで口の聞かなかった南米系らしい隣人が声を掛けて来た。何を言っているのか判然としない。しかし何度も差し出されたスマートフォンの液晶から通話が続いている事が判った。「俺?」「はい、おねがいしますー」なぜ語尾が伸びるのか、そんな小さな疑問を抱きつつもスマートフォンを耳に宛てた。「はい?」「…帝国海上火災保険のフセと申します。おそれ入りますがお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」保険会社らしい。「羽山と申しますが。」「羽山様ですね。先程からお電話させて頂いているのですが、ご理解頂けないところもございまして…。不躾な質問になりますが、アフレウリ様とはどのようなご関係になりますでしょうか?」「はっ?」「いえ、すいません。こちらも御本人様確認させて頂く必要がありまして…」「急に電話を渡されたんですが、えーと、実はただの隣人なんです」「ははぁ、なるほど。ええと、アフレウリ様はいらっしゃいますか?」「いますよ。」アフレウリは先程から横でニコニコしながら俺の様子を見ていた。どうやらこの男は、日本語が出来ないばかりに俺に保険会社への連絡をさせようとしているらしい。そういえば、入居した際、保険に加入させられた記憶がある。この横でニコニコしている男もそれなりに色々と考えて行動しているらしい。車両保険は既に連絡をしていたものの、アパートの保険まで考えが至らなかった。目先の事に囚われていたのは俺の方なのだ。

わざわざ店頭までCDを買いに行った訳だが、オンラインでCD音質以上のものが複数ダウンロード販売出来るようになっていた。こうやって考えると最早特典による付加価値が無ければCDを購入する理由は無い。

休み明けは案の定、災害の影響で慌ただしかった。土日は用がある事を伝え休みを貰ったものの、今週の連休は何日か出社しなければならないだろう。連休は特に遠出せず、彼女とゆっくりと過ごす予定を立てていた。昼に彼女にメールを送ると「しょうが無いわね。でも良かったら自宅に行っても良い?ちょっとした家事ならやってあげる。」と返信が来た。特に機嫌を悪くした様子は無い。午後からは人手不足を補うべく、災害支援室の席に着いた。入社一年目の社員の横で対応を指示していると、業務委託先の社員から書類を渡された。契約者が外国人だと言う。受付票によれば日本語が話せないと申告されたとある。なるほど、これは社員がやるしか無いだろう。さすがに新人に預ける訳にもいかない。仕方無く電話を掛ける。「もしもし帝国海上火災保険の布施と申します。マルシム=フレ=アフレウリ様のお電話でよろしいでしょうか。」少しの沈黙の後、「はい、アフレウリですー。」なぜ語尾が伸びるのか、そんな小さな疑問を抱きつつ、会話を続ける。「昨日の連絡を受けましてお電話させて頂きました。まず今回のご被害につきましてお見舞い申し上げます。今、お時間よろしいでしょうか?」「時間?ある、あるよー。」「ありがとうございます。ではこれからの保険金請求につきましてご説明させて頂きます。」「えっ、あっ、日本語少し、少しだけ。」このあと、英語では無い言葉と片言の日本語の説明が続いた。本人確認を取る為にも住所を聞かなければならなかったが、質問を理解している様子は無い。電話を切る訳にもいかず、相槌は打つものの埒が開かない。すると受話器から「俺?」と日本語が聞こえた。日本語の出来る友人と一緒なのだろうか?「はい」怪訝そうな声が受話器の向こうから聴こえた。「帝国火災海上保険の布施と申します。おそれ入りますがお名前お伺いしてもよろしいでしょうか。」難しい展開になってしまった。こうなっては電話の主が理解ある人間である事を祈るしかない。

雨が降っていた。雨戸越しに雨音が響く。

仕方無くロフトの上で眠りを待った。電気はまだ復旧していなかったが、避難所まで歩くのは億劫だった。鈴虫の鳴き声が聴こえる。人気の去ったアパート界隈の静けさはいつもと変わらなかった。その変化の無さは、人の存在を否定しているかのようで、少し背筋が寒くなった。結局隣人アフレウリの代わりに出た電話は、日本語の介する知人等を用意して電話を折り返すという事で落ち着いた。自分がアフレウリと全く無関係だと判ると、フセと名乗る男は申し訳無さそうに自分がもう一度説明を試みるからと電話を代わるように言った。返したスマートフォンを耳許に当てアフレウリは難しい顔をしていたが「オーケー」と一言言うと電話を切った。そしてこちらを見てニコニコしながら「オブリガード」と言う。「アンダスタンド?」とりあえず尋ねると、「イエス」と笑いながら言い、部屋に戻って行った。相変わらず愛想は良かったが別れはあっさりとしていて拍子抜けしてしまった。本来、話し掛ける事も無かったはずの隣人同士なのだ。当然と言えば当然の事だった。

シャワーを浴びようと浴室に入ると蚊が飛んでいたので壁に叩きつけると電球の光が消えた。衝撃で配線の接触が悪くなったのかと照明カバーを外し電球をいじってみてもどうにもならない。面倒な事になったなと浴室を出ると部屋に明かりが無い。スマートフォンを取り出してブレーカーを照らすと案の定、スイッチが切れていた。叩いた壁の裏側にブレーカーが設置されていたので衝撃が影響だろう。スイッチを入れ浴室に戻ると、壁に蚊が潰れてこびりついていた。

帰宅したのは午後十時過ぎだった。午後八時まで災害支援室の書類に目を通し、自らの席に戻って決済待ちの書類に目を通すと午後九時を過ぎていた。明日に仕事を残すのは面白く無かったが、まだ月曜日なのだと思い、未だ残る管理職に一声掛けてオフィスを出た。少し肌寒く、もう秋なのだと思った。スマートフォンを取り出し週末の事を考えながらメールを打った。「家事までして貰うのは悪いけど来てくれると嬉しい。土曜日の朝は大変だろうから、出来れば金曜日の夜か、土曜日の夜はどうだろう?」電車の中でメールの返信があった。「家事って言っても洗濯くらい?パンツ洗ってあげるわよ、なんてね。じゃあ土曜日の夜に。忙しいんだろうけど、身体に気をつけて。」メールを眺めながら口許が綻ぶのが判った。こんな何気無いメールにも関わらず、何か気持ちが解きほぐされ、気がつけば肩の力が抜けている。愛しているのだ、そう考え、素直に納得している自分がいた。

雨が降っている。上司から連休中に短期出張の可能性がある事を伝えられた。目の前で日焼けした二人の男女がスマートフォンで写真をスライドショーで眺めている。どうやら南の島に行ったらしい。ゴーヤチャンプルーの写真が垣間見えた。おそらく沖縄に行ったのだろう。そういえば最近結婚した同僚も沖縄にハネムーンを予定しているという。少し地味のような気がするものの金銭の問題もあるだろう。どこか小旅行にでも行きたい気分だが、アテが無いからにはどうにもならない。

休みを貰っていたものの、特にする事も無い為、職場に顔を出した。職場は高台にある為に被害は免れていた。作業着を羽織り倉庫に入り、パソコンから帳票を出力する。品物を箱詰めしていると倉庫の奥から上司がやって来て慰労の言葉を掛けてくれた。上司の自宅は床下に浸水はしたものの、特段被害は無かったらしい。「今度は高いところか二階に住めよ。」と笑いながら言う。既に不動産会社に赴き、アパートの解約と保険会社への連絡をして貰い、新しい入居先を何件か見繕って下見しに行く手筈を整えていた。生活を仕切り直さなければならない。そんな事を考えながらデスクに向かいパソコンを立ち上げた。新しい生活を思い描いてみるものの、代わり映えしない毎日だった。差し当たり住む場所と車の買い替えの準備をしなければならない。忙しい連休になりそうだった。

宮殿で繰り広げれる無数の小劇。ジブリールの黒点の背の上でため息をついた。「もう良いのかい?」ジブリールが尋ねる。「もう良いよ。実はここは見たいものを見せてくれるだけなんだろう?」火炎の毛を毟って宙に投げれば火花が散った。「いや、ちょっと違うな。ここにはあらゆる人生が用意されているさ。でも君には見えていないみたいだ。想像力とか認識の限界って言うやつだね。でも気にしなくて良いんだ。それは人の領分じゃ無いんだよ。」「ふん、そんなの慰めにもならないよ。」「誰も慰めようとは思って無いさ。そもそも選べない人生を見ようなんて馬鹿げているとは思わなかったのかい?」「それは…。でも人というのはそういうものなのさ。」「それは知っているが未だに理解出来ないよ…」ジブリールはそう言うと六枚の翼を拡げ、周囲の暗闇を払った。「君とのお喋りにも疲れたよ。さあ元居た場所に魂を返そう。君の生きる場所はそこしか無さそうだ。」「判っているさ。」黄金の宮殿は暗闇ともに深淵へと崩れ落ちていった。

夏が戻って来たかのような強い陽射しだった。交差点で信号を待っているとレストランの階段から降りて来た背広姿の男性が鞄を落とし中身が階段に散乱した。それを拾い集める男性を眺めていると信号が青になった。

ジムに向かうも改札を抜けたところでシューズを忘れた事に気がつき引き返す。低層のマンションでは鳶職人たちが仮設足場を建設している一方、隣の建物では命綱を頼りに外壁を清掃している男たちの姿があった。

ジムでモニターを眺める。芸人たちが街を散歩し何やらやっているがさして面白くも無い。

ジムを出ると、おそらく吹奏楽部なのだろう、楽器を背負った高校生の一団を見掛ける。何と言うか、若さみたいなものに眩しさを感じてしまう。

父から連絡があり久しぶりに話す。以前送った山形県の満州入植運動に関する記事の話となった。やはり祖父は記事にある入植運動とは関係無く、軍人として満州に行ったようだと父は言う。「次男だった訳だから、農地も無いだろうし、徴兵というより軍人になって満州に行って憲兵みたいな事をやっていたんじゃ無いかな。それで日本に戻っておふくろの家系に長男を養子にして、土地を継いだっていう話だと思う。」

ジムに向かう。何やら外の静けさが際立つ。蝉の鳴き声が聞こえない為だろうか?

ジムのモニターを眺める。ブラタモリは博多特集という事らしい。博多といえば、せいぜい豚骨ラーメン位しか思いつかない貧弱な興味しか無い。ゴジラVSスペースゴジラの決戦の地は、この番組によれば福岡側という事になるのだろう。

静かな夜だった。わざわざ他人を見繕ってその一時を描こうとするものの、それもまた極端な自身の一部だった。勿論、この場の主体たる私も相当な虚構なのだから当然の事だった。