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ゴジラVSモスラ

大河原孝夫(本編)川北紘一(特撮)監督作品『ゴジラVSモスラ』を観た。
モスラに加えてバトルモスラことバトラが登場する。環境問題を背景にしており、ゼネコンが悪役を担っている。尚、バトラはメガロの孫ではない(byあさりよしとお)。

小笠原沖に隕石が落下、ゴジラが目覚める。またインファント島では謎の物体が発見される。ゼネコン企業社員、元考古学者の盗掘人、そしてその元妻が調査に赴くと、古代先住民=コスモス(≒小美人)が姿を表し、バトラが目覚める可能性を警告する。バトラは地球が生み出した戦闘に特化したモスラであり、古代先住民の科学者が気象操作装置を開発した結果、地球の怒りに触れて誕生したが、コスモスの守護神であったモスラがバトラを北の海に封印した。しかし気象操作装置はバトラに破壊され、コスモスの文明は海に沈んでしまったのだ。ゼネコンはインファント島の開発権利をある事を理由にモスラの卵とコスモスを日本に持ち込む事にする。そんななかゴジラモスラの卵を襲い掛かり卵が孵化、そこに名古屋を破壊したバトラが合流、ゴジラモスラ(幼虫)、バトラ(幼虫)の三つ巴の戦いになる。しかしモスラがふっとばされ、ゴジラとバトラが海底で戦った結果、海底火山が噴火、二匹は姿を消し、モスラはインファント島へ還っていく。

バトラ(幼虫)の造形は非常に格好良く、先端の角を突き出してバタフライで泳ぐ姿には惚れぼれしてしまう。何より幼虫時はゴジラと接触しながら戦える程のタフさがある。成虫化するとタフで無くなるのがイマイチである。

元考古学者の盗掘人はゼネコン社員と元妻の目を盗み、コスモスを強奪、海外研究機関に売り渡そうとする。コスモスに助けを求められ東京都内にモスラが上陸、サイキッカー三枝未希によってコスモスの居場所を発見、元夫に詰め寄るも「お前と娘とやり直す為にお金が必要だと思ったのだ」と言い、娘の健気な説得からコスモスをモスラに返すのだった。

この元考古学者の盗掘人を別所哲也、元妻でインテリ研究者は小林聡美が演じている。小林聡美は本作のヒロイン扱いになるのだろうが、既婚者で子どものいるヒロインっていうのは珍しい。男の弱さが描かれているのがゴジラ映画的。もしかしたらゴジラ映画にはゴジラしか男はいないのかもしれない。コスモス役は今村恵子、大沢さやかで東宝シンデレラ出身。ゼネコン社長を大竹まこと、社員は村田雄浩が演じている。

モスラは国会議事堂にて蛹になり成虫となる。尚、現時点で小野俊太郎著「モスラの精神史」を読み終えたのだが、これは「モスラ(1961年)」で当初予定されていた繭をつくる場所である。本書によれば、これは日米安保条約を絡めた意図だったが、結局東京タワーという案が採用される。平成という時代、モスラが国会議事堂で蛹になる意図を見出せるだろうか?国会議事堂はモスラが成虫として飛び立つ為の「都合の良い(空虚な)場所」としてしか意味を持たない。

ゴジラは富士山から復活、マントルの溶岩流から富士山に辿り着いたらしい。そんな事が生物に可能なのかという素朴な疑問は「私達には計り知れない生物だ」の一言で一蹴。横浜はみなとみらい21、バトラ(成虫)も合流した戦いが火蓋を切る。バトラ(成虫)はそこそこゴジラを追い詰めるものの一歩及ばない。モスラとバトラは共にゴジラと戦う事になる。モスラの鱗粉攻撃による反射を利用、自身の放射火炎、バトラの光線によってゴジラは倒れる。バトラとモスラゴジラを回収し飛び立つが、目を覚ましたゴジラの攻撃によってバトラが倒れ、ゴジラ諸共を海に落ちる。そこにモスラは鱗粉の封印を施すのだった。

モスラはバトラと共に戦う際、バトラ本来の目的を知る。それは地球に衝突する隕石を止めるというものだった。バトラ風情が隕石を止められるのか首を傾げたくもなるが、バトラの目的を引き継ぎ、コスモスは精神体となってモスラと共に宇宙へ向かうのだった。「宇宙で羽ばたく必要性は無いぞ」とモスラに誰かがアドバイスするべきだったが、次作ではしっかりと宇宙を羽ばたくモスラが拝める。
コスモス的な観点からすれば地球=生命体であり、コスモス及びモスラは実体と精神体の区別が無い描写が散見される。平成だからこそ違和感無いスピリチュアルな描写だと思う。

劇場には父と観に行ったと思うのだが、正にゼネコンで働いていた父は、環境問題を扱った本作を観ながら何を思ったのだろうか等と少し感傷的な気分になってしまった。



ゴジラVSモスラ [60周年記念版] [DVD]

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