地獄篇三部作

 大西巨人著『地獄篇三部作』を読了。前回『精神の氷点』作者おくがきにあった通りに、『精神の氷点』と類似した部分がある。この作品は三部作で成り、類似した部分は第一部の日記を書く主人公が書き下ろした作品として、第二部に登場する。その似た部分というのは虚無主義の青年がその思想の元、欲情のままに女性と関係を結び、かつ関係を一方的に破棄するという部分。その虚無の裏には自らはいずれ戦争によって死ぬという前提がある。しかし青年は生きて帰ってくる。帰ってきた場所には少しながらの希望がある。しかし出征前に虚無主義の思想を元に犯した行為が、青年に、戦後の日本に対する順応をはばからせる。
 この青年の虚無主義の下に、日本は滅びるはずだったのかもしれないが、それは、半壊という形で終わる(そういえば『終戦のローレライ』でも、反省のための日本の徹底破壊を行おうとする人物がいたな)。戦後を生きるということは、価値観の転倒を意味し、変節を迫るもの。そこを生きるということの難儀さ。そういえば『ぜんぶ、フィデルのせい』も少女が両親の共産主義への転向によって、生活が一変する。そこには幼いながらも、その価値観への転倒に対する抵抗と順応があった。
 この転倒という変化、転換点をなしに、言い訳をいうわけにはいかないという苦しさを、今に見出すことは可能といえば、可能。しかしそれは、ポストモダン的には小さな物語にしかならないらしいが。
 

地獄篇三部作

地獄篇三部作