ぜんぶ、フィデルのせい

『ぜんぶ、フィデルのせい』を観た。
早朝、フィデル=カストロ八十一歳が国家評議会議長が退任を表明したニュースを聞きながら、この映画のことを思い出した。迷っていたが、この機会に観にいくことにした。正直カストロよりは、二十世紀完璧だった男とサルトルにいわしめたゲバラに興味がある。とはいっても革命だ、共産主義だ、といわれても、私が理解できるころには、ただの教科書の太字の重要語になる過去の出来事だった。とはいえ『モーターサイクル・ダイアリーズ』を劇場で、最近はテレビでも放映していたが、それを観ただけの興味だ。 ちなみに私が映画を観るようになったのは新聞に載っている沢木耕太郎の映画批評によるところが多く、『モーターサイクル・ダイアリーズ』にしてもこの『ぜんぶ、フィデルのせい』にしても、沢木耕太郎のコラム「銀の森へ」に紹介されていたものだ。

1970年代の政治運動を時代背景にして、それに振り回される少女、そしてその家族。どうにもこっけいで哀しい。
少女は両親の問答にこんな感じのもがあった。

少女 団結の心を守ったら、みんなと一緒の答えになって、間違っちゃた。
父親 どうやらこの子は団結と人まねを混同しているらしい。
少女 パパは団結と人まねの違いが本当にわかるの?

僕には違いがわかりません。