ルーヂン/冒頭

ゲームに興じ疲れ、仕事に嫌気が差して、仕方なしにツルネーゲフのルーヂンを手に取ったところ、冒頭のくだりを読んで気持ち良くなった。今どきは無駄なものと省かれるのだろうが、こういった文章からしか得られない感慨がある。

岩波文庫の中村融の訳は以下の通り。

静かな夏の朝のことであった。陽は澄みきった空にもうかなり高くのぼっていたが、野はまだ露にきらめき、ようやく眼ざめたばかりの谷間からは香しい涼気が漂って来ていたし、まだしっとり濡れてざわめきもしない森では早起きの小鳥が楽しげにうたっていた。やっと花を開いたばかりの裸麦に上から下までおおわれた緩やかな丘の上に小さな村が望まれたが、ちょうどこの村をめざして、せまい田舎道を歩いていく若い女があった、白いモスリン服に、まるい麦わら帽子、手にはパラソルをさげている。コザックのなりをした召使が離れてその後からついてゆく。

国立図書館コレクションの二葉亭四迷の訳は以下の通り。

夏の靜な朝の事であつた。晴やかな空に日は最う高く昇てゐたが野は未だ露に煌めいて、今しがた靄の晴れた谷間(たにあひ)からは何處となく良い匂のする涼風が通って、志つとり濡れた森の中には早起の小禽が面白さうに囀づる聲がする。稍花を持ち出した裸麦が裾から嶺へ生上がった平な岡の上に小村が見える。今其小村を差して狭い田舎道を辿って行く若い女があるが、見れば白地のモスリンの服を着けて、圓い麦藁帽子を冠つて、手には傘を持つてゐる。其後から離れて傭男が伴をして行く。