2022年9月17日/仕事、登山、小説、漫画、創作

同僚たちが体調を崩した。その結果、業務量が増え、身動きが取れなくなった。タイミング悪くクレームも発生した。よくあることだとはいえ、精神的に堪える。休日に仕事をするべきと思いつつ、現実逃避に眠り続けて1日を潰した。背徳感と罪悪感の中で、生きることの困難さを思う。ただ普通に日々をやり過ごすこと、これがなかなか難しい。心と身体は簡単に大きく振れてしまう。単調な毎日は無く、微妙な変化に応対しなければならない。こんなに生きるのって難しくて面倒臭いって誰か教えてくれました?と言いたくなるものの、別に誰から教わるものでもなし、社会とは面倒と困難の集積である。

7月、思うところがあり友人と山と渓谷に出向いた。まず、一般的な装備を整え、高尾山に登った。その後、山梨県の西沢渓谷に登った。高尾山は2度目の登頂となる。西沢渓谷では軽装の観光客や小さな子供を見掛けて驚くことになった。帰りに西沢渓谷の入口にあるこんにゃく屋に寄り、試食して美味かったわさび醤油で食べるこんにゃくを購入した。

ライオネル=ホワイト「気狂いピエロ」を読んだ。本書はゴダールの映画「気狂いピエロ」の原作となる。原題は「Obsession」となり、「妄執」や「強迫観念」を意味する。そういえば最近ゴダールが亡くなったというニュースを読んだ。晩年はスイスで過ごし、自殺幇助により92歳で亡くなったという。

ロバート=A=ハイライン「夏への扉」を読んだ。これは実家から持ってきて長らく放置していたものだ。購入者である姉によれば邦訳が良くないとのことだったが、調べてみたところ、福島正実の邦訳は名訳と評価されていた。

本を読む気にならず、漫画ばかり読んでいる。

藤本タツキ「ルックバック」「さよなら絵梨」を読んだ。「ルックバック」の面白さ、完成度の高さに驚かされた。一方「さよなら絵梨」は少し精神的にしんどいというか手に余った。2つの作品を読んで、理屈が通った作品を評価したがる自分の傾向を認識した。

川原正敏・甲斐とうしろう「修羅の紋」5巻を読んだ。これは相性だと思うのだが、ギャグについていけなかった。

三浦健太郎「ベルセルク」40〜41巻を読んだ。作者が亡くなったことは悲しいものの、今後の連載の継続を喜びたい。

尊い気持ち?を学びたいと思い、以前Twitterの広告で知って途中まで読んでいた高瀬わか「かわいすぎる男子がお家で待っています」を読んだ。レオとハルちゃんの恋愛、主にハルちゃんの成長が描かれる。

その後、Twitterの広告で表示された柳井わかな「シンデレラ クロゼット」も読んだ。女装の麗人によって成長する大学生と、そんな大学生に恋をした女装の麗人の恋愛と成長が描かれる。

更に、Twitterの広告で表示された水埜なつ(漫画)三沢ケイ(原作)「「きみを愛する気はない」と言った次期公爵様がなぜか溺愛してきます」を読んだ。次期公爵とその妻の恋愛が描かれる。

正直、Twitterの広告の影響で作品を読んで行く様は面白くない。そして、更に大抵、なろう系小説等もTwitterの広告で知ることが多い。シロヒ「陛下、心の声がだだ漏れです!」もそうだ。ただし、「小説家になろう」で公開されたものを読んだ。実は「小説家になろう」やその系統の作品は割と読んでいるものの、途中で飽きてしまい、何をどこまで読んだのかわからなくなっているところがある。

サライネス「ストロベリー」を読む。もう飽きたかと思ったが、著者の作品は面白いと思う。

アベツカサ(作画)山田鐘人(原作)「葬送のフリーレン」9巻を読んだ。淡々と静かに進む面白さがある。今回は続刊に跨ぐ長いエピソードになるためなのか、思い切った?ギャグが入っていた。

友人に勧められて創作をしてみた。実は昨年の終わり頃から創作に取り掛かっていた。しかしながら、すぐに行き詰まって放置していた。とりあえず、何か書いてみるかと、ワンアイデアで適当に書いてみたものの、力不足でSFならではのギミックを入れることが出来なかったと思う。