2014年4月28日

何か夢を観たが忘れてしまった。いつも通り俗な夢だったという印象がある。

まとまった金も無く、小さく小さく散財していくのは、痩せていく老人のようだ。ゴジラ(1954)を観る。素晴らしい作品だ。思えばモノクロ映画を観たのはゴジラが初めてだった。幼稚園の頃、レンタルビデオ店から借りたのだ。言い伝え、水爆、放射能、新兵器、哀しみ、全てが物語になっている。ゴジラを観たのでゴジラVSデストロイアはそれなりに感情移入出来た。小高恵美が私の役目も終わったという台詞が感慨深い。

そろそろ靴を買い替えようと街に出る。買う物が決まっているので迷う事は無い。一軒目の店に無く、二軒目の店で買う。面白味に欠ける買い物だ。例え金銭的に余裕があっても楽しめないかもしれない。街並みに溢れた女性たちはに目移りするが、自分に関係無いと思えば化粧をしたマネキン、いつも眺めているAV女優にしか見えない。必要なのは鑑賞では無く感情なのだ。わざわざ街まで出て来たのに、さっさと帰りの電車に乗ってしまうのが惜しい。ずっと耳許で流れていた音楽は何ももたらさない。観て、聴いた、この時間はまるで意味がないのかも知れない。ありがちなニヒリズムが寄せて返していく。スーパーからの帰り道、tofubeatsの水星が感傷的にさせる。

淡い夕焼け、薄手のカーディガンの裾が風に揺れる。この季節になると仕事で大宮に通い詰めていた事を思い出す。さして結果が出る訳では無い仕事だったが、初夏から夏まで、今日のような夕焼けをぼんやり眺めていた。

連休はゴジラばかり観て本を一切読んでいない。予定通りにはいかないものだ。早くも連休明けの長い六月の事を考え嫌になる。ゴジラの逆襲を観る。第一作、二作共にゴジラが日本海沿岸に姿を現す際、人々はダンスを楽しんでいる。一作目は船上で、二作目はダンスホールで。人は踊り踊らされ音楽に耳を傾けステップを踏む。