存在の確かな証として―『野生の探偵たち』

ロベルト=ボラーニョ著『野生の探偵たち』を読んだ。
この記事は2010年11月23日に本書を読み終え、その後メモとして下書きに残していたものである。
しかし『指紋論 心霊主義から生体認証まで』を読み、自身の関心である「日常の世界における自身の存在の証明・客観的性・事実とは何か」という考えと密接に関連していると思い、ここに記事として挙げる事にした。
以下、その内容である*1

本の帯には、

謎の女流詩人の行方を探してメキシコ北部の砂漠に向かった二人の若い詩人。その足取りを証言する、五十余名の声。『野生の探偵たち 上』

メキシコ北部の砂漠から戻った二人の詩人の、三十年に及ぶ放浪の行方。二人が旅立つことになったそもそもの理由とは?『 野生の探偵たち 下』

と書かれている。
この本の構成は、上巻に青年ファン・ガルシア=マデーロによって描かれた日記として「1 メキシコに消えたメキシコ人たち(一九七五)」、上巻と下巻にまたがり二人の詩人の足跡についての証言が書かれた「2 野生の探偵たち(一九七六〜一九九六)」、最後に用意されたファン・ガルシア=マデーロの日記「3 ソノラ砂漠(一九七六)』となっている。
「1 メキシコに消えたメキシコ人(一九七五)」では青年ファン・ガルシア=マデーロが、二人の詩人、ウリセス=リマ、アルトゥーロ=ベラーノに出会い、二人が主催するはらわたリアリズムなる詩のグループに加入、ソノラ砂漠へ向かうまでの数日間が日記として記載されている。
「2 野生の探偵たち(一九七六〜一九九六)」では、場所と時間を超えて、幾人もの人により、二人の詩人の足跡の証言が書かれている。誰が何の目的で証言を記録しているかもわからない。ただひたすら、証言が書かれている。そこには二人の詩人の足跡とは全く関係ないと思われるものさえある。そもそも実際に三十年も同様の人物や、メキシコ、フランス、スペイン、アメリカに向かいインタビューをする事はおそらく不可能であり、その証言には、インタビューアについて一切語られていない。ただ二人の詩人の足跡を聞こうとしている事だけが読者に示され、そこに二人の詩人の足跡を読み取ろうとするしかない。
そして最後に、ファン・ガルシア=マデーロの日記である「3 ソノラ砂漠(一九七六)」によって二人の詩人が放浪する事になった女流詩人を探す旅と二人の詩人が放浪する事になる顛末が描かれる。
この小説に登場する女流詩人、二人の詩人が自ら語る事は無い。日記と膨大な証言だけが読書に示されている。読者は、日記と証言を頼りに女流詩人と二人の詩人を知るしかない。しかし、この世の中、客観的な証明を必要とする法律や科学の世界において、当事者の意見は裏付けが取れなければ信用されない。それは客観的な事実が無ければ、当事者の意見でさえ信用されないという事を示す。とすれば、この本は正に客観的な事実を示すものであるはずである。ただし、実はそれを示す為には、インタビューアが誰なのか示されなければいけないのだけど…。
また、この小説には、詩人や小説家が多く登場するのだけど、どうもフィクションではないところもあるらしく、そういう仕掛けに気がつければもっと楽しめただろうと思う。

野生の探偵たち〈上〉 (エクス・リブリス)

野生の探偵たち〈上〉 (エクス・リブリス)


野生の探偵たち〈下〉 (エクス・リブリス)

野生の探偵たち〈下〉 (エクス・リブリス)


指紋論 心霊主義から生体認証まで

指紋論 心霊主義から生体認証まで

*1:というかそのままにしておくのが勿体無いし最近はネタも無いしというのが本音であるけども。