死神の浮力

伊坂幸太郎著『死神の浮力』を読んだ。
『死神の精度』の続編、主人公は変わらず死神の千葉、そして短編の形式から長編になっている。
死神の仕事にはルールがある。情報部から情報を受け取った死神は対象者の死の可否を判断する為、接触を図る。その期間は7日間になり、そのあいだ対象者が死ぬ事は無い。そして可の判断が下った場合、8日目に対象者は「事故死」する。『死神の精度』、そして本書もこのルールの上で物語が進む。
本書で死神が接触を図るのは人気作家である。しかし人気作家は1年程前、娘をある男に殺害される。そして男が無罪になり社会に出て来たところから物語が始まる。
男はサイコパスであるを説明される。人を手段、物と考える人間である。そして作家とその妻は、男に復讐を企てる。物語は男と作家との駆け引きが描かれる事になる。死神を伴うかたちとなって。

私は敵がサイコパスという状況に違和感を当初を覚えた。勧善懲悪の世界、二項対立の世界は楽しみやすい。敵が苦しもうとも当然だと思える。実際、この物語で描かれるサイコパスの男に同情の余地は全く無いように思う。しかし、である。そもそもこの物語自体、人の死は当然なものとしてあっさり死んでいくという設定だ。本書を読んだ後『死神の精度』を読み直したのだが、私が持ったこの違和感も大したものでは無いなと思った。

次に上述したこの物語のルールについて考えた。死神千葉の登場は死の運命とも言える。但し、死神千葉も対象者の選定方法を知らない。
この死の運命とも言える千葉が著者の別作品に登場した事がある。著者の作品群は同じ世界観を擁している為だ*1。その作品とは『魔王』である。この作品では一般的にいう超能力を持った兄弟が登場し、その兄は別の能力者によって殺害された事が示唆される。そしてその傍らに死神の千葉が登場したのである。
私はここで死神の千葉が登場する事は、その他の作品に大きな影響を与えるのでは無いかと思った。誰かが事故死すれば、側には必ず死神がおり、死の可否を判断している事になるからだ*2
死神千葉の登場は上述した通り、死の運命そのものである。死神が登場する事は側にいる登場人物の誰かが死ぬ事を読者に想定させる。ではその死神千葉の登場を決定するものは誰なのか、作者である、という答えは当たり前であるものの、作者のファンサービスであるかもしれないのに…。
結局のところ、死の運命という千葉の登場を決定している「何か」こそ著者の作品の「運命」という呼ばれるものであるのだが…。

死神千葉の登場は死の運命を体現している。対象者の死はほとんどの場合、絶対である。それではこの物語では何が描かれるのか。それは対象者が死ぬまでの7日感、どのように生きたかという事である。
作家は、妻との出会い、娘の事、父との関係を想起し、死神とは人々がなぜ争うのかといった対話を繰り広げる。そして死についても。

私は死神千葉が登場するこの物語の時間の飛躍を一番の楽しみにしている。死神千葉に時間の概念は無い。死神千葉によれば「人間の時間にすれば1000年以上この仕事をしている。」そうである。果てしない歳月を、人々は生き、死に、関わりあう、その小気味良さこそ本作の面白さである。


死神の浮力

死神の浮力

死神の精度 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)

魔王 (講談社文庫)

魔王 (講談社文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

*1:『死神の精度』でも『重力ピエロ』の春が登場している。尚、本書でも登場人物が顔を出している可能性があるものの『ゴールデンスランバー』以降の作品を読んでいない為、私には判断がつかない。

*2:但し、死神の千葉のように対象者に接触する死神ばかりではなく、適当に仕事をし、死の可否を決める者もいるとの事である。