2014年9月5日

空調機の前でコーラをあおる女性。口元から零れそうになった砂糖水を手の甲で拭う。

デスクの前でミネラルウォーターをあおる。口元から水が零れ、尿意をかきたてる。一日二リットルの水が身体を通り過ぎて行く。口に入ったものは濾過され肛門から排出される。恒常性とは、たんぱく質、脂肪、カルシウム、水の集合体の電気反応である。

キルケゴールの父親は荒野で神を呪った故に、その代償としてキルケゴールたち兄弟は呪われていた。現代の呪いとはその人の性と考えてしまうが違うのだろう。因果、時間、空間を越えて、確信を以って信じるもの。現代ではそれは精神疾患として捉えられ、逆説的に確固たる確信とは、精神疾患でしか得られないのだろうか?

蒸し暑い。客先のエレベーターで迎えの社員と「この中が一番涼しいですね」と笑う。

「この糞みたいな世界と自分を愛せよ」と言ってみる。別に糞とも思っていないし、こんなもんだろうという思いなのだが、浅はかにも「糞みたい」と形容する事は容易である。

事務所を出て寄り道。ラーメン屋を訪ねる。家系だが、思った以上に味にメリハリがあり好印象だった。いつも食べる家系ラーメンは味に締まりが無い。

ラーメンが出来るまでの間、スマートフォンを眺めていたものの、途中で電源が落ちる。店を出て見知らぬ通りを歩き地下街に入る。何か落ち着かない。どうやらイヤフォンをしていない為のようだ。あらゆる音がはっきりと聞こえる。しかしスマートフォンの電源は落ちており音楽は鳴らない。仕方無くイヤフォンの電源を入れ耳に埋め込む。

中学生の二人組が食べるスナック菓子の匂いが車両にたちこめる。声も音楽が鳴らない為に聞こえてしまう。「他人が食べてるところを見てるとさ、食べたくなるよね。でも、食べてみるとなぁんだって思うよね。」「そうそう」

電源が落ちたスマートフォン。記述される事無く言葉が漂い流れて行くのを眺める。記述無き思考とは混沌なのか。記述ある思考が理性なのか。言葉は神と共にある。しかし言葉のそばにいる俺は神も呪いも知らない。因果関係、しかし予測不能の公式化出来ない結果の中で戯れているだけのような気がする。