2014年9月4日

感じて止まない孤独とは、恋人や友人、家族がいたとしても、根源的に人が死ぬまで付き合わなければならないものなのだろう。ランドセルを背負った子どもと手を繋いで歩くシャツ姿の父親を眺めながら思う。だとすれば他者との交流は人生の慰めに過ぎないし、ただの思い込みという事になる。他者と通じ合うとは基本的には短期的で潜在的なものであり、根源的な孤独との葛藤に常に晒されている。

早朝、電気をつけたまま寝ていた事に気がつく。仕方なく読みかけの本を読み終え、電気を消し朝を待つ。

天井の高い倉庫の中を若い男性に連れられ周る。どうやら会社見学をしているらしい。ベルトコンベアの上を流れるダサい二種類の運動靴を揃え、道を隔てたベルトコンベアに投げていく人々。その間をタイミングよく縫って歩く社員。俺は上手く行かず投げられた靴にぶつかる。投げた男性に謝り先を行く。これから搬入されるという荷を待つ女性たち。静かな建物のなかで何故か「にぎやかですね」と女性に声を掛ける。女性は「にぎやかって何ですか。そんな言葉が東京にはあるんですか。」と言い不思議な顔をする。

隣に座る女性の煙草の煙が流れてくる。満員電車のなか女性から漂う甘い匂いが鼻をつく。指のささくれに滲んだ血。ため息と共に吐かれた煙。脇が冷たいと少年が母親に話す。

女性社員に誘われ帰りに一杯を付き合う。とはいえ旦那もおり俺と同じ位の年齢の子どもがいる女性である。普段聞けない社員たちの感想が面白い。あとフィッシュ&チップスが美味い。帰りに飲み屋街を一人歩く。夜の時間を持て余している人が多い、と毎回驚いているような気がする。