2018年4月18日/春の功罪

オレンジ色の夕陽が沈もうとしている。しかしながら、茨城県の片道一車線の高速道路の渋滞に巻き込まれている状況のため、余り完璧なロケーションでは無い。美しいと感じるのは自らの慰めのためでは無いかと思われた。

オレンジ色の夕陽が美しいのは孤絶しているためであり、孤絶しているが故に人を肯定しているようにも思えるのでないか。人は必ずしも関わり合いになることだけで肯定を得られる訳で無く、距離を置くことで肯定されるのではなかろうか。私と夕陽は限りなく断絶されている。陽が沈み辺りは暗闇に包まれた。しかしながら、陽はまた昇るのである。

岡山行きの新幹線に乗り、一ヶ月前の出来事を振り返ろうと試みて、スマートフォンを手に取る。新幹線の指定席が満席である事が告げられる。車両の各所に座る外国人観光客の言動は他から浮き上がって見える。

医師の診察が終わるまで待合室で過ごす。診療時間を過ぎた待合室には誰もいない。そこに小さな子供を連れた女性が入室する。医師が診療室から顔を出し、子供を招くと子供は母親の後ろに隠れてしまう。先生に対して挨拶するよう母親は子供に促している。

オルゴールでアレンジされた音楽が鳴り続ける待合室。事務員も子どもの対応の為に診療室に赴いている。待合室で書類を確認しながら、自らの仕事の意味をぼんやりと考える。私の仕事は常に事後の確認でしかない。一方、医師はあの小さな子どもの将来に寄り添うことができる。別に医師になりたかったという訳ではないし、なりたいとも思わない。しかしながら、職業を選択する時、将来や未来に直接寄与する在り方を検討する必要があるのかもしれない。

客から督促の連絡が入る。事務方の都合上から休日に仕事をするしかない。土曜日は午前中に仕事が入っている上、午後には友人と上野で花見を予定している。なかなかタイトなスケジュールだと思う。

仕事を終えて電車を乗り換える。休日の外出を楽しむ人々が羨ましい。

友人と上野で花見をする。以前は毎年していた花見は紆余曲折を経て久しぶりの実施になった。桜は既に散り始めていたものの、場の喧騒は以前と変わらないように思えた。一方で集まった友人とも語り合う話題が事欠いていているようにも思えた。誰もが傷付かずに話題にできる話はとうに無くなってしまったのだと思う。

荒川沿いの桜並木に集まる人々に混じりながら駅に向かう。老人、小さな子どもを連れた母親、若い男女が見受けられる。川を下る船、岸の向こうの高速道路を車両が急ぐ。異なる時間がそれぞれの場所で流れていく実感を得る。

昼間の電車の人の疎らな車両の端で、中年の男性が大きな声で何事かを語っている。珍しく私はイヤフォンをしていなかったものの、走る電車の音が男性の話す内容の細部を掻き消して行く。見て見ぬ振りをされる男性は二駅程で車両を降りて行った。

デヴィッド=ギルモアのTシャツを着た外国人男性が新幹線の座席で右往左往している。ここは熱海と新富士駅の間、三島駅である。今日はとても暑くなると同僚たちが話していた。暑い四月である。

天気が悪い時に限って外回りをすることになる。仕事を終えてコンビニの軒先でぼんやりしていると小さな制服姿の子どもを連れた若い男女を多く見掛ける。どうやら卒園式があったらしい。

記憶を遡る。

診察室に掲げられたテレビに流れるパラリンピックの映像。一本のスキー板とストック二本で上半身を制御して失速せずにカーブを曲がる選手たち。日本人の選手のメダルが決まったことが判った。

有料の出会い系サイトを使用した後、婚活マッチングアプリに有料で加入した。プロフィール欄を任意の部分を含め全て正直に埋め、尚且つ数少ない顔写真も載せた。仕組みはこちらが女性に対して興味ある旨をポイントを使用して伝え、相手から了承を貰った後、メッセージの交換が出来るというものである。とりあえずこちらからアクションを起こさなければ始まらない。女性のプロフィールを熟読しながらポイントを使用していった。おそらく100人近くに興味がある旨を伝え、了承を得られたのは10名程だった。ある程度の予測はできたことであるが、女性に取捨選択されることで自らの価値が判り、客観的になることができるシステムだと思う。また、女性たちのプロフィールを眺めながら、思った以上にハイスペックで一般的に魅力的と言われるであろう女性が多いと思った。
その後、複数回のメッセージをやり取りした後、女性と会うに至った。少なくとも出会いを求めるのであれば、婚活マッチングアプリを使用することは一つの手段として有効だと思われた。