平成29年6月14日/年の半ばの息継ぎ

ミッキーマウスに彩られたかりゆしウェアを着た大学生の男女が電車に乗り込んでくる。女性が席を探し、仕方無く私の隣に座り、男性が吊革を握り、態勢を崩す。「この格好恥ずかしいかな?上着着よう。変かな?」「ズボンに入れれば大丈夫じゃない?でも、別に普通に着れるよね、これ。」相槌を打ちながら、男性はトレーナーに袖を通し、かりゆしウェアの裾をズボンに入れ、女性に向けてポーズを決める。「大学生活ももうすぐ数える程しかないんじゃない?私は短期の留学もあるし。」「卒研は無いの?」「あるけど、就活終わったら四年生って暇なんじゃないの?」「文系は判らないけど、理学部は卒研があるから忙しいらしい。」「いや、文系だって卒論はあるけど。」「短期留学だと夏合宿も出られないし…でも新歓合宿は出られるのかな?」「えっ、四年生って顔出すんだっけ?」「どうだったかな、いや出るでしょ?」「出るか。」別段、ミッキーマウスのかりゆしウェアは大して目立つ事は無い。但し、ペアルックであるという点を除いて。そして、まるでちょっとした未来に対する無知、楽観的な展望、尚且つ自分達が恵まれた環境にある事に気が付いてすらいないように見える様子を若者という言葉が浮かんだ。

イヤフォンを分けて音楽を聴く時、2人の男女が何を分け合っているのか、俺は知らない。

久しぶりにジムに行き、適当に運動をこなして行く。新たに腕を鍛えてみたが、非常に応えた。

吉田秋生のバナナフィッシュと海街ダイアリーを読んだ。バナナフィッシュより海街ダイアリーの印象が良く、各キャラクターの崩れた顔が割とツボだった。しかし、デフォルメされた世界で無ければ、人々の心情に思い至れないとは一体どういう事なのかと考え、自らの恒常性を保つとは、日頃から傍に居る人々の心情を無視することなのではないかと考えるに至った。

テッド=チャンのあなたの人生の物語を読み終える。「バビロンの塔」、「理解」、「72文字」、「地獄とは神の不在なり」が面白かった。

2017年6月1日/1ヶ月間

杖をついた夫婦とその家族が電車に乗り込んでくると、隣の青年が立ち上がり、座席を譲った。「直ぐ降りますので。」と断られ、再度青年は座席に座り直す。私は何も出来ず、ただそのやり取りを眺めているだけだった。

嘔吐物に塗れた青年が電車の座席に座り眠っている。嘔吐物特有の酸味が鼻に付く。

駅構内で嘔吐物を前にベンチに座り込んで介抱されている男性がいる。

柳広司のジョーカー・シリーズを三作目まで読み終える。どうやらアニメ化・漫画化している作品らしい。スパイ達の匿名性が非常に気に入っている。

フィリップ=K=ディックの高い城の男を読み終える。ユダヤ人の妻とイタリア人のやり取りに何が描写されているのか判らず、二度読み直した。

深町秋生のバッドカンパニーを読み終える。小粋な短編集だった。

小田朋美のグッバイブルーを聴く。北へで「陣痛かもしれない」との歌詞に鳥肌が立ち、マリーアントワネットのうたでありふれた罪悪感が想起される。

隣に座った女性がフランスの地方名が記された書類を読み込んでいる。どうやらワイン教室からの帰りらしい。その地方特有の土に含まれた成分が葡萄に与える影響が記載されている。

友人の勧めで進撃の巨人を読み始める。今、丁度、キリの良いところらしい。数巻程読み、何故、人間が巨人を進撃する話らしいのに、巨人が進撃するというタイトルなのか、おぼろげに判った。
この漫画の単行本の構成は、主人公の同期のメンバーが多く紹介されており、巨人から身を守るために造られたとされる壁の中での謎解きという点で、推理小説の傾向が見受けられるのではないかと思った。

進撃の巨人を既刊まで読み終えた。推理小説の段階が終わったらしい。また、進撃の巨人というタイトルの意味はこれから明かされるらしい。

喫茶店に入ると、午前中の為か、高齢者が多い。介護老人福祉施設、介護老人保健施設、短期入所生活介護、通所介護施設といった施設を出入りするようになり、巷で見掛ける高齢者に対する視線が、特に日常の生活動作に対して、変わったように思う。

2017年5月4日/情報量が多くても万能では無い

電車を千葉駅で乗り換える。随分と印象が変わったと思う。学生時代はふらふらしていたものだが、今となっては仕事の為に電車を乗り換える場所でしかない。

一方的な主張をただ聴くしかない仕事というものもあるのだろう。残念ながら期待に添えそうも無い話だと、相手が思い描くストーリーの筋書きを少し変えて説明を試みたが、納得できないらしい。ひたすら喋り続け、代理人をたてる云々と言う。どうぞお好きに。他人に何か求めた以上、それは既に交渉なのであって、自分の意見を貫けば済む話では無い。

流れる有線放送のメロデイに聞き覚えはあるものの、しっくり来ない。メロデイが似通った曲なのだろうか。それともカバー曲か。そんな事を考えているとサビに至り、スピッツの春の歌のカバーである事に気がつく。藤原さくらというシンガーソングライターのカバーで、映画「3月のライオン」の主題歌らしい。全くこういった話に疎くなってしまった。その後、スピッツの春の歌が流れた。

そんな一日だった。

改めて藤原さくらとスピッツの春の歌を聴き比べてみたが、どちらも悪く無いと思った。

宇多田ヒカルの新譜を改めて聴き直したところ、やはり少し重いなぁと感じてしまう。これが情念とでもいうべきものなのだろうか。たぶんそれが良いのだろうけど。

キングダムという漫画を最新刊まで読んだ。秦の始皇帝というのは名君だったのだろうかと考えてしまう。読み始めたきっかけは週刊誌を立ち読みしたところ、王翦という武将が底が見えないよう描かれており、思わず引き込まれてしまったからだが、どうやら史実では主役級の活躍をするらしい。

客と同行して出張をする事になり、新幹線の指定席を予約し、準備に取り掛かるものの、要望が曖昧過ぎる上に、打ち合わせも車の中でという適当さの為に途方に暮れる。

いざ、現地に赴くと、資料がある程度用意してあり、特にやる事が無いとボソリと呟くと客も隣で頷いている。

先日思い付きで読んだ走れメロスはメロスの観念の万能とでも言うべきナルシズムの物語で、何度か読んでいるものの、正直面食らってしまった。何が由来の物語なのかと調べてみると、ピタゴラス学派の逸話等らしい。そこでピタゴラス学派の逸話を童話にしたという鈴木三重吉のデイモンとピシアスを読み、更に他の童話を何作が読んだが、これがなかなか面白い。

大型連休に入り、気が抜けてしまう。

久しぶりにジムに行く。翌日の疲れと筋肉痛が煩わしいが、何も無いよりマシであるとも言える。

いざ、買い物に出掛けてみるものの、衣類の種類と量の多さに戸惑ってしまう。本屋に行ってもKindleで買えるのでは等と考えてしまう。困ったものである。

着物姿の女性が会話が途切れない話し方という漫画を読んでいる。

インターネットで観念と万能の対義語を検索していたところ、「万能ではない」という検索結果が出て笑ってしまった。しかしそもそも対義語とは?

2017年4月23日/海が見える市役所にて

電車に乗り込むこと女性が座席に横になって眠っている。最初は無視していたが、周りの女性を訝しむ視線を見つけ、「もしかしたら死んでいるのでは?」と思い、女性を見ると鼻を擦っている。どうやら死んでいる訳では無いらしい。ホッとしてスマートフォンを眺める。何故女性は電車の座席で横になり周りを省みず心行くまで眠る事になったか。

ふと下ネタを思いついた。漢字で伏せると珍珍ぶらり途中下車の旅というしょうもないもので、おそらく露出狂の犯罪者が警察に追われながら余罪を重ねて行く話なのだろうなと思った。しかし、何故今更ぶらりという言葉から頭の中で一筆書きのイチモツを描かねばならぬのだろう。ぶらりからポロリ、ミッキーマウスとポロリと終わり無き連想と闘争。

真鶴街道と熱海街道を抜ける。海沿いを車で走るのは気持ち良いが、急カーブと後ろを走る初心者マークを付けた車があるために気が抜けない。バックミラーに移る青年たちは大学生だろうか?こんな天気の良い日に仲間と海沿いをドライブできるなんて、有りそうで無い事だ。羨ましい限りだと思う。そんな生活を砂漠の中のオアシスだと形容したのは伊坂幸太郎だ。青春は何時か終わるからこそ、美しく印象付けられる。

山間の道路を抜け、下校中の小学生を車で追い抜くと尿意を覚え、市役所に車を停め、トイレを借りる。誰も居ない市役所、天窓から降り注ぐ光に日焼けした置き物。市役所を出ると海が青葉から垣間見える。時間がゆったりと進み始めるのが判る。車に戻り、座席を倒して外を眺める。風が少し強く、車を揺らす。市役所の横にある幼稚園から園児が駆け出してくる。小学生が重たそうなランドセルを揺らしながら喧しく通り過ぎる。役所の出入口から老人が這い出してくる。知らぬ間に身に付けた忙しなさからすれば、最早喜劇にすら見える光景だった。しかし、むしろその忙しなさこそ喜劇めいていて、実は悲劇では無いのか?そんな自問は後でまとめてすることにした。

2017年4月13日/New Chapter

以前、美しいと思った相模湖の夜景、よくよく考えてみると諏訪湖の誤りだった。

雨の冷たさをしのぎながら過ごしている。

新幹線に利用は何度やっても上手くいかない。切符を買ってから、改札を抜けるまでにいつも一手間掛かっている。

どうにも北朝鮮の情勢の雲行きが怪しいとの話がネットで目に付く。上司まで話題にしているところを見ると、テレビでも話題になっているのだろうか。「狙われるなら横田基地だろう。」そんな会話を聞き、東京にロケットが落ちたら、自分が死んだことさえ判らないのだろうと思い、大島弓子の単行本「ダリアの帯」に収録された作品を思い出す。あらすじははっきりと覚えていない。主人公が田舎から東京へ新聞記者として働く友人の元を尋ねるものの、友人の姿が見当たらない。友人が残したメモには複数の飛来物が落ちる絵が残されていた。そして主人公は真相を導き出し、友人の部屋の窓を開け呟く。「なあんにもない。」
死んだことにさえ気がつかず、さまよい続ける主人公の魂が空しい。

新幹線での帰り、隣に座った男性のスマートフォンから音が漏れ出し、聴いた事があるなと思ったらケンドリック=ラマーのFor free?だった。

ジェフ=パーカーのアルバムThe New Breedが良い。

2017年4月8日/病院受診と石原さとみ

桜の開花に無感動な自分を発見し、コートを脱いだ女性の身体のラインに心をざわつかせる三十代の春。こうやって言葉にすると唯のスケベなおっさん、傍から見れば助平親父、エロ親父になったのだなぁと感慨深い。そんな思案の四季を一巡りして、やっと桜が美しいと思える。

首と肩の痛みに耐えかね、整形外科を受診したところ、「姿勢が悪い。」という診断が下る。医師の指示通り、胸を張り、その中心に首を据えれば、確かに痛みは無い。待合室で何時間も待たされて得る答え。病院を出ると春の黄昏時、ビルがつくる影を踏みながら笑ってしまう。

花束を紙袋に入れ、座席に着いた女性が便箋を読み進める。表情は硬い。そんな事を思いながら、胸を張り、首をその中心に据えていると、女性が目元を指で拭い始めた。便箋の文字を足早に追う瞳、崩れ行く化粧、美しい情動。

女性と思う存分愛し合いたいと思う。

肌が荒れてしょうがないので、久しぶりに病院に赴く。医師を待つ間、電子カルテに表示された診断名は顔面性ざ瘡とある。ざ瘡とはニキビの事らしいので顔面にニキビがあるという、そのままの診断である。

待合室、カウンターの向こうに座る事務員の女性に欲情する。ニキビ面のおっさんが犬猫と同じように、思春期の老若男女の如く、心を乱している。全く馬鹿らしいと思うのだが、これが現実である。大学生の時分、友人と神保町を散策していると、アダルトショップでDVDを眺める老人を見つけ「ああやっていつまでも性欲を持て余すのかね?」と友人に問うと「そんなもんじゃないの?」という答えが返って来た事を思い出す。

あの時、傍に居た友人とはもう三年以上会っていない。連絡をしたが返事はもう無い。

物事を繋ぎ留めるのは容易では無く、散り散りに、最早それが何であったかも判らないところまで、分解されてしまう。認知は薄れ、音が連なる事はいずれ無くなってしまう。歳を取る度に記憶は間延びして行く。しかし、それしか生きる術は無く、意味を取り逃がして、漸く得られることがある。

燃え上がる情欲、怠惰、嫉妬、高慢、貪欲、憤怒、貪食、石原さとみ。

東京メトロで専らコスプレしている石原さとみ。過去の映像を編集した映像が流れ、遂に石原さとみの出番も終わりかと思いきや、そのままマイナビの石原さとみ出演の広告が流れ、もうええわっ‼︎となり、車内に逃げ込めば英会話イーオンの石原さとみの微笑みが待っている。何故、石原さとみなのか、私のグランパでチンピラに「一丁前に女の匂いがしやがる。」と言われていた石原さとみ。東京メトロの広告のキャッチコピーは「Find my Tokyo」だが、見つけるまでもなく石原さとみはすぐ傍にいる。

遺伝子改造、人体実験、環境汚染、社会的不公正、貧困、過度な裕福さ、麻薬中毒、石原さとみ。

建前、それはとても重要なものだと思っているのだが、なかなか言葉にならない。しかし、本音のみでは成り立たないことは誰でも判っているはずなのでは?確かに建前にはウンザリだという気分も判るのだが、本音を前提にした会話というのは、そもそも何も進展が無いのでは。そもそも現実と本音、建前と偽善は異なるはずだが。

2017年4月4日/督促

年度末最後の平日の朝を走る。年度末最後の平日だからなのか、電車の進みがいつもより遅い、というのは言い訳で、そもそも自宅を出る時間が遅すぎたのだと思う。形式だけのタイムカードは無慈悲に午前九時一分と刻印される。息を整えたところで、事務員から「今日はどうしたんですか?」と問われ、とぼけようかと思案しながら、間も無く返事をした結果、「いつもより電車が進むのが遅くて。」と考えていたことをそのまま口にしてしまう。

地下鉄のゴミ箱を漁り、排水路と排水口の間を黒い影が走る。ねずみといえば、奥泉光の小説を思い出すが、目の前には夢の国から帰宅する人々がシートに深く腰を下ろしている。

右隣の席に座る母親と赤ん坊。赤ん坊がどこかを眺め、時折視線を送ってくる。母親が赤ん坊を膝の上からシートへ移動させようとすると、すかさず泣き声を上げる。「嫌なのね。」母親は独りごちる。左隣の席には「宗教を越える真理を求めて」と題された頁をめくる白髪の女性が座っている。

髪の先から額まで頭皮の脂が及んでいるのが判る。ワイシャツとインナーが身体に馴染み過ぎた気持ち悪さ。求められているのは、白紙の頁を文字で一刻も早く、誰でも読めるように埋めること。

「すいません、もう督促が来ているので、明日にでも書類を送ってもらえませんか。出来ませんか?」今日でも無く、明後日でも無く明日。新しい朝が来た。希望の朝だ。朝は明日にならなければやってこない。答えは簡単だ。「寝なければ。」「すいません。できますか。」「判りました、やります。」確かに書類の提出が遅れている事は事実、非はこちらにある。
午前二時を周る前に仮眠を取り、午前五時に起き、顔を洗い、歯を磨く。果たして徹夜というのは労力の割に…等と言い訳をしている場合では無い。

「自分から自由になれるゼロ思考」なる本を黒衣で身を守る女性が読み進めている。L'Arc〜en〜Cielの楽曲に「自由に縛られている」という歌詞があった事を思い出す。これは自論だが自由になる方法はたった一つ、決まりと時間を守る事だ。しかしながら、私はまた、タイムカードを定刻ギリギリに刻むのだと思う。

2017年3月26日/ゼリーに鑑みる

相模湖の夜景が美しいと思う。しかし、それを分かち合う相手もおらず、運転中に視線が定まらなくなり、何とかパーキングエリアに逃げ込んだ身の上では、ちぐはぐな感想だとも思える。良く出張先を楽しむなどというが、そういう余裕は未だ得られていない。それとも人は、どんな状況でも美を発見してしまうものだろうか。災害の中で、戦争の中で、不況の中で、衰退の中で。そんなことを考えながら、そうなる前に美しいと思えれば、必死になって守ろうとするのだろうかとも思う。

化学の教師が言った冗談を思い出す。「私は人類の幸福を願っているんです。地球の人々全てが幸福なればいいなと願っている。そんな殊勝な事を願っている私なら幸福になれるんじゃないか、宝くじ位当たるんじゃないかって考えながらね。」

車内で目の前に座った女性がゼリーをコンビニ袋に隠し、食べている。透明質な黄色のゼリーがスプーンで口に運ばれる。一口、二口、三口…車内でゼリーを食べるが故に幼いと思うのか。そもそも幼い顔付きの女性なのか、印象の前後は曖昧になってしまっている。

「わが恋は 空しき空にみちぬらし 思ひやれども行く方もなし」検索の末に空しき空という言葉に行き着き、その用例をタップすると古今和歌集の恋歌を知るに至る。

相模湖の夜景に行き着くこと、古今和歌集の恋歌を知ること、果たしてどちらの方がより隔たりがあるものだろうか?その隔たりはおそらく手段を言って、実感としては距離ではなく、視界を遮る類のもののように思える。

鑑みるという言葉は「~を鑑みる」という用い方は誤りで、「~に鑑みる」が正しい用い方らしい。このブログでは散々「~を鑑みる」と用いてきたのだが。

2017年3月20日/〆

赤ん坊の泣き声が車内に響く。

何とか官能小説の三冊目を読み終え、解放された気分でいる。三冊目は余りにも官能が無かった。飛浩隆の廃園の天使シリーズを読み、官能とは人間の感覚に対する訴え、もしくは人間が感覚として捉えられる刺激であることを知ったのだった。

タブレットをコートのポケットにスルリと落とす女性を見掛ける。薄着になった時、大きなポケットは無い筈で、タブレットは持て余しそうだなという感想を持った。

石原慎太郎が呼ばれた特別委員会の中継を昼食のカップラーメンを啜りながら眺める。石原慎太郎に老いを感じた。そして都議会議員の音喜多俊が丁度質問を終えているところで、〆に「総括を求めたい。」と発言しているのを聞き、ウンザリしてブラウザを閉じた。石原慎太郎は総括をしない。総括をするのは都議会や都知事では無いのだろうか?

三連休を使って月末の〆に向けて売上を立てるしかなく、連休の最終日に職場のモニターで興味も無いはずの中継を眺める羽目になっている。常々思うが、こんな状況で床屋政談以上の考えを持ち、自覚ある有権者足り得ることは無いと思う。

職場の上司に連れられ、居酒屋で八海山を飲み、マグロのカマ焼きを食べる。美味だった。

2017年3月13日/進捗報告

金曜日から土曜日に掛けて遠出した業務の報告を適当にしていると「ああ、ああ。」と適当な返事が繰り返される。他人は自らの鏡である。

新たな世界を切り開くべく二冊目の官能小説を読み終えた。題名は「陵辱職員室 新人女教師 【真由と凉子】」である。内容は簡単に言うと男性教師が女性教師をレイプして都合良く自らの性の虜にするという話である。こうやって言語化するとしょうもない。しかし、早速三冊目に取り掛かってみたところ、どうにも文章が流れない、拙い作品に当たってしまったようである。

「〜の件、どうなってます?」「あー、あの件はまだ書類待ちなんです。」「そうですか。」貴方が仰る〜の件は、私が報告しようとした際「忙しいので後にして貰えませんか?」と宣った件である。他人は自らの鏡である。

2017年3月11日/休日出勤

出掛けた先で一服したくなり、喫茶店に入り、おそらく飲んだ事がないであろうケニアコーヒーを注文する。スポーツ新聞を眺めながら煙草を燻らせる老人、明後日の方向を向いて丸い背中を晒す高齢の女性、中年の男性相手にPCのモニターを向けて契約手続きを進める女性営業の甲高い声。薄い化粧をした女性店員がコーヒーを運んでくる。

3月11日午後2時46分の電車の緊急停止訓練の案内が視界に入る。もうそんな時期なのかと思いつつ、もはや実感は無い。

延々と定型の文章を連ね、「なお」、「また」と並列を意味する接続詞を使用し続けている内に、沸々と書きたいという気分が醸成されたようだ。

「なお」、「また」、「更に」、「一方」、「他方」、「しかしながら」、「その後」…

知事選挙の看板を車窓越しに見つける。「4人位出馬するそうで、有力な候補は市長だったかな。まあ、現職が当選するでしょうね。人口が都心のペットタウン化で増えているらしいんですよ。高速道路も安くなったし。」そんなものだろうかと自ら質問したにも関わらず、途中から会話に飽きてしまっていた。

父と母から時間差でメールが届く。添付された画像は同じもので、姉が赤子に腕枕をして微笑む姿を写したものだった。ホッとするものの、一通で充分だと老いていく両親に呆れてしまう。

いざ、書き始めると思いの外、書く事が無いという気分になる。というより、書ける事が実は有りそうで無かったのだ。

スマートフォンに入れた書籍のデータをやっと開く。

言葉をより具体的に、きびきびと動く筋肉が皮膚の上から見えるように。

職場のモニターに座って過ごす間に緊急停止訓練の時間が過ぎていた。

本を読む気力を充実させるため、官能小説をスマートフォンにダウンロードした。「鬼畜学園 囚われた転校生」というのが題名で、表紙イラストが解りやすいジャパニーズロリータである。世にロリコンが増え過ぎたのだ。内容は女子高生が陵辱されるというもので、途中から退屈したものの、とりあえず読み切った。もっと能動的な男女の性の世界の方が好みだなとも思った。更に官能小説を読み進めて、新たな世界を切り開くべきかは決め兼ねている。あと、やはりこういう時、電子書籍は便利だと思う。

ケニアコーヒーの最近流行りの酸味があるコーヒーだった。

2016年の音楽

2016年に聴いた音楽をまとめた(→2015年下半期の音楽)。
上半期にまとめる予定が時期を逸して一年間に聴いたものをまとめる形になった。
今年は専ら音楽家である小埜涼子に関連する音源を聴いていたと思う。また、クラシックギターに興味を持ち、福田進一の演奏をよく聴いた。更にクラシックのソロ演奏を聴いていったという流れになるだろうか。なかでもパーカショニスト加藤訓子のアルバムは面白く聴いたと思う。
全く日々は流れ流れていくばかりのなか、耳に繋いたイヤフォンから流れる音色に感情を任せて何とか乗り切ったように感じる。音楽を途切らすことなく、常に聴きたいものを聴き続ける意欲があることは重要だと思う。「懐かしむには早過ぎる」と言わないまでも、聴き続けることで判らないことも判る時がやってくるものだと思う。

以下、聴取順の目次。クリックにて該当箇所へ。視覚的に寂しいためAMAZONのアートワークを貼った。但しBandcampのアートワークは楽曲が視聴可能。その他の各音源は文章中にYouTube等へリンクした。

Tortoise『TNT』

TNT

  • シカゴのインストゥルメンタルロックバンド。シカゴ音響派の傑作として知られている。
  • 7年振りの新譜『The Catastrophist』に併せて音源が発売されていた為、これを機に購入した。
  • 様々な楽器の音は激しく主張する事も無く並列に置かれているという印象を抱く。
  • キッチンの換気扇の下で煙草を吸っていると、ボーンと低い音の反復がどこからか聴こえ、部屋に戻ってやっと「Four-Day Interval」という曲の中に構成された音だと判った。
  • ジム=オルーク『Visitor』を連想したが、彼自身シカゴ出身で音響派と呼ばれていた事に気がついた。

山下和仁『J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲(全曲)

J.S.バッハ / 無伴奏チェロ組曲 (全曲)

  • クラシックギタリスト山下和仁編曲による1990年に録音されたバッハの無伴奏チェロ組曲。
  • クラシックギターに興味を持つようになった平野啓一郎の小説『マチネの終わり』でヒロインは戦火のイラク取材で心に傷を追いながら主人公が二十代後半に発表したバッハの無伴奏チェロ組曲を聴き感想をこう漏らす。「土台、雄渾なチェロという楽器の響きを、今の彼女は、とても受け止めきれなかった」。この感想は正にその通りで、クラシックギターの親しみやすさにすっかりはまってしまった。
  • 無伴奏チェロ組曲第6番の演奏動画を見つけた。身動き一つせずに弾いているのかと想像していたのだが、全身を使って演奏している姿が意外であった。

河野智美『リュクス』

河野智美/リュクス

  • クラシックギタリスト河野智美名義の2枚目の作品。
  • JAZZ TOKYOに掲載された徳永伸一郎の記事にて興味を持った。ジャズとクラシックギターの取り合わせの為に辿り着いた記事だが、クラシックギター演奏の過去から現在のあらましが説明されている。
  • ライナーノーツによれば、本作に収録された作品は20世紀に作曲された作品であり、これは民族音楽・ロック・ジャズの要素が取り入れられている事を意味する。
  • ジャズクラシックをテーマとして、自身の感覚に訴えてくる作品、演奏することでもっと多くの人に知って欲しい作品を収録したと河野智美は語っている。
  • 上記の記事に触発され、現在のクラシックギターのスタンダードを聴く為に本作を手に取った。これでフレデリック=ハンド、アンドリュー=ヨークと言ったメジャーなクラシックギタリスト兼作曲家を知る事が出来た。
  • ジャズクラシックというテーマのためだろう、各楽曲の小粋さを感じやすい。例えば、カルロ=ドメコーニが作曲した「ラプソディ・イン・ブルー」のオマージュである「トッカータ・イン・ブルー」は技巧的で洒脱である。
  • 本作はフレデリック=ハンド作曲「トリロジー」より始まり「祈り」で締めくくられる。

河野智美『祈り』

祈り

  • クラシックギタリスト河野智美名義の1枚目の作品。
  • 「リュクス」がジャズクラシックをテーマにしていたのに対し、本作は「祈り」をテーマにしたクラシック作品が収録されている。
  • アウグスティン=バリオスがバッハの影響を受けて作曲したクラシックギターの名作「大聖堂」、バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第一番ト単調 BWV1001」が冒頭に収められている。クラシックギターでは珍しい楽曲では無いようだが、初めて聴く作品であり、感銘を受けた。
  • 本作はチャールズ=コンヴァース作曲、横尾幸弘編曲による「祈り」で締めくくられる。ここに河野智美の思いがはっきりと示されているように思う。宗教的には祈りとは信仰の真髄と察せられる。しかし日々の生活を過ごす人にとって手を取って祈る暇は無い。ここで言う祈りとは日々生きるなか言葉にしないにせよ他者を思う心持ちでは無いか。
  • 野暮ではあるが、河野智美が目を閉じ何かを感じ取っているアートワークは美しく気に入っている。

John Lewis『J.S. Bach Preludes & Fugues Vol.1~Vol.4』

プレリュードとフーガ Vol.1プレリュードとフーガ Vol.2プレリュードとフーガ Vol.3プレリュードとフーガ Vol.4

  • ジャズピアニストのジョン=ルイスによるバッハの平均律クラヴィーア曲集1巻。
  • プレリュードはジョン=ルイスのピアノソロ。フーガはアンサンブル。
  • 是非、聴きたいなぁと思い、今年の前半に音源を揃えたものの、どうにも聴く気が起こらず適当に聴き流していた。
  • 師走に入り、仕事を終え、明日になるかならないか、電車の座席に座ってスマートフォンを眺めて面倒な曲は聴きたくないなと思いつつ選曲しているとジョン=ルイスの名前が目に入る。
  • いざ、聴き始めると、嗚呼、馴染む、馴染むぞぉ、染み込んでくる。
  • 電車を乗り換えながら、しかし、果たして、ジョン=ルイスによる演奏はジャズなのかという愚問が頭をよぎる。しかし、クラシックに即興を交えるのだから、クラシックであり、ジャズでもあるはずだ。それではクラシックやジャズの定義が私に判るのか?私は考えるのを辞めた。
  • 駅を出ると師走の明日の風が身体に応える。しかし耳許ではピアノがやさしくゆっくりと音を跳ね上げて紡いでいく。
  • バッハの曲であるから、オルガンやチェンバロを想定していた曲になるはずだが、アンサンブルの編曲でベースがブンブン鳴るのが新鮮で楽しい。
  • YouTubeで全曲聴けるのに何故CDを買ったのか問われれば、CD音質で聴きたいという欲求が手間より勝ったからだが、聴き方は多様で言いはずだった。「Vol.1」「Vol.2」「Vol.3」」「Vol.4」

GRAPEVINE『BABEL,BABEL』

BABEL, BABEL (初回限定盤)

  • GRAPEVINEの今年の新譜。通算14枚目、所属事務所とレーベルを移籍して2枚目のアルバムとなる。
  • このアルバムを聴き終えた感想は、本当にGRAPEVINEはこのアルバムで以て変わったということだった。
  • そもそも、前作でも似たような感想を持ったのだが、その駄目押しとでも言うべきものだ。
  • ずっとバンドの音源を聴いているとおそらく新譜を聴いて以前の作品との趣の違いというものを発見して、それに対してどう思うかが問題になってくると思う。しかし、どうやら趣の違いと言った変化では無い事が判ってくる。
  • 例えば「SPF」のイントロは過去の楽曲「FLY」のイントロと同じだったりして、おそらくGRAPEVINEらしさというのは変わっていない。
  • 同じバンドの音源を聴き続けることを、惰性という言葉で片付けてしまう私だが、ちょっと面白くなって来たなとほくそ笑んでいる。
  • そういえば過去のアルバムを再現するライブを度々やるようになったらしい。確かに円熟した演奏による若書きの作品はもののあわれである。

入江陽『SF』

SF

  • 前作『仕事』がとても良かったので新譜を購入した。
  • 題名もSFで、専らSFばかり読むようになった私としては買わない訳にはいかない…というのはこじつけでしか無い。
  • 憶測の域は出ないが、きっと本作はタルコフスキーの影響を受けていると思う。なぜなら、たぶん、あれだ、「水」とかそういう詩に用いられて言葉がそのままタルコフスキーが用いた方法と一緒になっているし?、ソラリス云々っていう詩もあった気がするし。
  • 楽曲で一番好きなのは「メイク・ラブ」だった。「おひっこし」「UFO」

SAX RUINS『Blimmguass』

  • 「Ruins」の楽曲をSaxの多重録音とドラムスで再構築するプロジェクトの2枚目のアルバムとなり、Ruinsの吉田達也と小埜涼子がメンバーとなる。
  • そもそもRuinsって何というところから始まるかもしれないが、それは後で調べて見れば良いでは無いか。私はそうだった。君はどうする?
  • とにかく格好良いのだが、お気に入りは「Blimmguass」である。二つの曲調がフェードアウトを何度も繰り返しており、大陸の辺境国家の栄枯盛衰とか歴史を思いやる気分になってしまう。個人では無く、国家とか、人工的な集合体のレベルの時間であるところがポイントだと思う。それだけの情報量の音が詰まっている。

SAX RUINS『Yawiquo』

  • 上記プロジェクトの1枚目のアルバムとなる。上記と併せて聴きたい。
  • 上記でそれっぽいことを書いたが、ドリフのコント調のような割と愛嬌のある楽曲もあることを付記しておきたい。

Dave Douglas『High Risk』

  • ジョン=ゾーンのマサダに参加し、自身も独自のレーベルを持つデイヴ=ダグラスのエレクトリックユニット。ドラムはマーク=ジュリアナ。
  • 浮遊感のあるデイヴ=ダグラスのトランペットが良い。
  • よくよく考えてみると意識して聴いているトランペッターは類家心平くらいのものだなぁと気がついた。

林栄一 小埜涼子『Beyond The Dual 2』

  • 「日本ジャズ界のリビングレジェンド」であるアルトサックス奏者林栄一と同じくアルトサックス奏者で音楽家の小埜涼子のデュオ音源とスタジオレコーディングによる多重録音を収録した作品。「2」と謳っている通り、二人のデュオ作品の二枚目であり、現行では「3」まで発表されている模様。「1」は後述。
  • 小埜涼子が関わる作品である事、林栄一の名曲「Naadam」を聴く為に購入したのだが、多重録音でミックスされた壮大なアジアンなエキゾチズムに圧倒される。編曲は小埜涼子による。
  • 「A to X」、「Naadam」、「At The End Of Path」の終盤の流れが最高である。
  • インプロヴィゼーションよりしっかり構成されたものが好みなのかもしれないと思った。

Tigran Hamasyan, Yerevan State Chamber Choir, Harutyun Topikyan『Luys I Luso』

Luys I Luso

  • ティグラン=ハマシアンとアルメニアのイェレヴァン室内聖歌楽隊により演奏。ECMから発表されている。
  • 即興を取り入れた宗教音楽であり、ティグラン=ハマシアンのメタルやらプログレやらを連想させた旧譜とは世界観とは異なるものの、演奏するフレーズは旧譜を思い起こさせるところもある。
  • イヤフォンで外出中に聴くような作品では無い。
  • 既に本作の続編ともいうべき『Atmosphères』なるセッション作品も発表されている。

RS5pb『Unda』

UNDA

  • 類家心平のバンド。Ruike Shinpei 5 piece band,つまりRS5pbのスタジオレコーディング作品。略称にする必要が判らない。
  • ロック色が強く聴きやすいが、骨太な内容となる。
  • ギター、ベース、ピアノとどこを聴いていても勢いがあり、良いメンバーなのだと思う。
  • 「Invisible」、「Pirarucu」を聴いていると感極まってしまう。

Rabbitoo『the torch』

the torch

  • Rabbitooの新譜。今年の前半はまだかまだかとずっと発売時期を確認していた記憶がある。
  • 旧譜「national anthem of unknown country」が名も無き国の国歌なら、新譜は何処かにある村の篝火に集まる人々が聴くような、小さな共同体の為の音楽とでも言うべきだろうか。
  • 「火のこどもたち」「影に満ちて梟は雪のように眠る」「渦巻」

林栄一 小埜涼子『Beyond The Dual』

  • 林栄一と小埜涼子のデュオ作品。
  • 本作は多重録音は無いため、二人のインプロヴィゼーションを純粋に楽しめる作品。
  • 多重録音に比べて音の密度が簡素になって、いわゆる間が楽しめる。
  • こちらにもNaadamのデュオが収録されている。

Snarky Puppy『We Like It Here』

  • Snarky Puppyの旧譜。お目当てはメンバーのキーボードのCorey Henryが超絶技巧を繰り広げる「Lingus」を聴きたかったため。
  • 他の楽曲はプログレっぽく楽しい。

Moe and ghosts × 空間現代『RAP PHENOMENON』

RAP PHENOMENON

  • ラップ担当の萌とトラック担当ユージーン・カイムによりMoe and ghostsと楽曲を再構成し続けるオルタナティブなバンド空間現代によるコラボレーション。
  • 両名の音楽を聴き続けてきた経緯があるため、聴かない訳にはいかない。
  • トラック担当のユージーン・カイムによる空間現代の楽曲のREMIX、空間現代の再構成された演奏、これらに萌のラップが含まれるという構成。
  • ほぼ朗読に近い、バブルから現在の地方のロードサイド文化を生きた、東京出戻りの劇団員であるスガさんとの会話を描いた「可笑しい」はとても可笑しい。
  • 「不通」

福田進一『J.S.Bach 1 Chaconne』

シャコンヌ 〜J.S.バッハ作品集 1〜

  • クラシックギタリスト福田進一によるバッハ作品集第1弾。
  • 収録曲は「シャコンヌ ニ短調(編曲:福田進一)(原曲:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004)」、「組曲 ト短調(編曲:福田進一)(原曲:無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV1009 」、「組曲 ニ長調(編曲:福田進一)(原曲:無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012)」となる。
  • クラシックギタリストを主人公とした小説「マチネの終わりに」は福田進一のバッハ演奏から影響を受けていたと著者の平野啓一郎が発言しており、福田進一の作品をまとめて聴くことにした。
  • なんと言えば良いのか、どのようにも楽曲を解釈できるような、多種多様な人々に向けた反射鏡のような音色を紡いでいく演奏だと思う。つまり、とても優しい。

福田進一『J.S.Bach 2 Jesus bleibet meine Freude』

主よ、人の望みの喜びよ~J.S.バッハ作品集II~

  • クラシックギタリスト福田進一によるバッハ作品集第2弾。
  • 収録曲は「前奏曲、フーガとアレグロ ニ長調(編曲:オスカー=ギリア)(原曲:前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV998)」、「組曲 イ短調(編曲:福田進一)(原曲:無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV1011、リュート組曲 第3番 ト短調 BWV995)」、「パルティータ ロ短調(編曲:福田進一)(原曲:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002)」「カンタータ147番より「主よ、人の望みの喜びよ」BWV147(編曲:デイヴィッド=ラッセル)」となる。

福田進一『J.S.Bach 3 Air』

G線上のアリア~J.S.バッハ作品集III~

  • クラシックギタリスト福田進一によるバッハ作品集第3弾。
  • 収録曲は「パルティータ ホ長調(編曲:福田進一)(原曲:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006、リュート組曲 第4番 ホ長調 BWV1006a)」、「組曲 変イ長調(編曲:福田進一)(原曲:無伴奏チェロ組曲 第4番変ホ長調 BWV1010)」、「ソナタ イ短調(編曲:福田進一)(原曲:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003、チェンバロ・ソナタ ニ短調 BWV964」、「アリア G線上のアリア ニ長調(編曲:福田進一)(原曲:管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068より第2楽章)」となる。
  • ボーナストラックのG線上のアリアはゆっくりと音量も抑えられていて聴き入ってしまう。

福田進一『J.S.Bach 4 Sinfonia』

シンフォニア~バッハ作品集 IV~

  • クラシックギタリスト福田進一によるバッハ作品集第4弾。
  • 収録曲は「組曲 ニ長調(編曲:福田進一)(原曲:無伴奏チェロ組曲 第1番 ト短調 BWV1007)」、「組曲 イ短調(編曲:福田進一)(原曲:無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV1008)」、「組曲 ホ短調(編曲:福田進一)(原曲:リュート組曲第1番 ホ短調 BWV996)」、「「アンナ=マグダレーナ=バッハの音楽帖」より、「メヌエット ト長調 BWV Anh.114」、「メヌエット ト短調 BWV Anh.115」、「マーチ ト長調 BWV Anh.124」、「メヌエット ニ短調 BWV Anh.132」、「マーチ ニ長調 BWV Anh.122」、「ミュゼット ニ長調 BWV Anh.126」 」、「シンフォニア ハ長調(編曲:福田進一)(原曲:カンタータ BWV156 「我が片足は墓穴にありて」より)」となる。

ROVO『ROVO presents MDT Festival 2015』

尾尻雅弘『ソロ・ギター・アドベンチャー』

ソロ・ギター・アドヴェンチャー

福田進一『J.S.Bach 5 Wachet auf,ruft uns die Stimme』

目覚めよと呼ぶ声あり ( J. S. バッハ作品集5)

  • クラシックギタリスト福田進一によるバッハ作品集第5弾。
  • 収録曲は「プレリュード ニ短調(編曲:福田進一)(原曲:リュートのためのプレリュード ハ短調 BWV999)」、「フーガ イ短調(編曲:福田進一)(原曲:リュートのためのフーガ ト短調 BWV100)」、「パルティータ ハ短調(編曲:福田進一)(原曲:リュート組曲(第2番)ハ短調 BWV997)」、「ソナタハ長調(編曲:福田進一)(原曲:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005)」、「コラール・プレリュード「目覚めよと呼ぶ声あり」 BWV645」となる。

稲垣稔 松本吉夫『J.S.バッハ:イタリア協奏曲 (ギター・デュオ版)』

バッハ:イタリア協奏曲(ギター

  • ギター・デュオとはどんなものかと聴くに至る。
  • 収録曲は「バッハ:イタリア組曲 BWV971」、「メンデルスゾーン:無言歌集」、「ソル:ロシアの思い出」、「中南米の民謡集より6作品の演奏」、「パウル=ヒンデミット:3つのギターのためのロンド」、「バッハ:フランス組曲 BWV814」となる。

Marc Cary Focus Trio & Friends『Cosmic Indigenous』

  • ラーガの影響が色濃い「12 Stories(For Moseka)」を聴きたくて購入した。
  • ヴォーカルも入っていたり、ラーガのことを気にしなくても割とすんなり聴ける。
  • しかし改めて聴いてみるとラーガ色が強いが、聴いている内にジャズになってしまう。

田部京子『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第30番、第31番、第32番』

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第30番、第31番、第32番

  • 視聴していたらやたら音質が良い演奏だったので思わず購入してしまった田部京子の演奏。
  • ピアノって良いなと改めて思う演奏。

小埜涼子『Electronic Elments 2』

  • 小埜涼子による打ち込み、コラージュ、自演奏の編曲によるソロ・アルバム。
  • 何でもいじれる状態ならここまでやるぞという気概が感じられるが、サックスの演奏が入っているものを割と聴く。

菊地成孔『機動戦士ガンダム サンダーボルト オリジナル・サウンドトラック』

オリジナル・サウンドトラック「機動戦士ガンダム サンダーボルト」/菊地成孔

  • 「機動戦士ガンダム サンダーボルト DECEMBER SKY」のサウンドトラック。
  • サウンドトラックだが、劇中のキャラクターが聴いている音楽―フリージャズ、ポップスが収録されており、作詞作曲は菊地成孔となる。
  • ジャズピアニスト大西順子の復帰第1作という扱いになるらしい。
  • アルバムだけでなく映画も観賞しているが、映画は映画で第2次大戦の宇宙版とでもいうべき泥臭さで、劇中でフリージャズと名指されている演奏が疾走する。
  • ちょっとポップスは聴き込む気力は無いのだが、「あたしのカントリー・ソング~Fan of the hay~」はアコースティックで良いなと思った。
  • エンディングテーマとなっているdCprG「Ronald Reagan Other Side」は映画ではソロが聴きやすかったという印象を抱いた。

大西順子『Tea Times』

Tea Times(SACD HYBRID)

  • 大西順子の新譜。プロデュースは菊地成孔。
  • 大西順子をきちんと聴くのは、上記のサウンドトラックと併せて初めてになる訳だが、力強さとブラックな演奏に引き込まれる。
  • 基本的に菊地成孔作曲だが挾間美帆作曲「The Intersection」が収録されている。
  • ラップ曲もあるがピアノを聴いている気がする。
  • 「Tea time 2」が冒頭で「Tea time」が後から演奏されるのは何か意図があるのだろうか。
  • 菊地成孔プロデュースの定番ポリリズム「GL/JM」も収録されている。
  • ホーンの印象が割と強い。

山下和仁『展覧会の絵 & 火の鳥』

展覧会の絵&火の鳥

堀米ゆず子『J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲 BWV1001-1006』

バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲

  • 視聴していたらやたら音質が良い演奏だったので思わず購入してしまった堀米ゆず子の演奏。
  • 正直、ヴァイオリンの演奏を聴くのは体力が要すると思って敬遠したのだが、これは本当に音質が良くてずっと聴いていられる。
  • 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータは去年から今年に掛けて当たり年で、五嶋みどりも発表しているとか。聴き比べて見ようかと算段しているが実現には至っていない。
  • クラシックギターによる編曲の定番でもあり、福田進一と河野智美の演奏も含めて今年は相当聴いている事になる。
  • 「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 BWV1004 1~4」「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 BWV1004 5」」

加藤訓子『kuniko plays reich』

Kuniko Plays Reich

加藤訓子『CANTUS』

Cantus

  • パーカショニスト加藤訓子によるスティーヴ=ライヒ、アルヴォ=ペルト、ハイウェル=デイビーズの作品の演奏を収録した作品。
  • スティーヴ=ライヒの「New York Counterpoint」が収録されている。加藤訓子に本作で以てライヒのカウンターポイントシリーズを全て編曲したらしい。
  • エストニアの作曲家アルヴォ=ペルトやハイウェル=デイビーズに関しては私自身が無知であることを加え、スマートフォンのイヤフォン聴きのため、きちんと聴けていない。
  • 「Fratres(Arvo Pärt)」
  • 「Purl Ground(Hywel Davies)」
  • 「Spiegel im Spiegel(Arvo Pärt)」

加藤訓子『Ⅸ - IANNIS XENAKIS』

Xenakis: IX

D.A.N.『D.A.N.』

D.A.N.

  • ミニマルミュージック界隈で取り上げられているD.A.Nの1枚目のアルバム。
  • サポートメンバーに蓮沼執太フィルや坂本美雨の作品で活躍している小林うてなが参加している。
  • 熱く無い、冷めた高揚感が非常に心地良い。
  • 音に溶け込んだフレーズが印象的。はっきりと歌詞を聞き取れていないので視聴して確認して欲しい。「Zidane」「Ghana」「Native Dancer」Dive (Live ver.)」

清水真弓『FANTASIE』

ファンタジー

  • トロンボーン奏者清水真弓のアルバム。ピアニストのフランソワ=キリアンとの演奏。
  • 本作はクラシックアルバムで人気が高いという事から手に取ったのだが、こういうのが好まれるのかという率直な感想を持った。
  • トロンボーンの音の空気の溶け込み具合が良いなと思う。仰々しくない音とでも言えばいいのだろうか。
  • オーケストラでの演奏動画があった。

福田進一『マチネの終わりに』

【Amazon.co.jp限定】 マチネの終わりに (しおり付)

  • 平野啓一郎著「マチネの終わりに」にて演奏された作品を、福田進一の過去の演奏や新たに録音したものを収録したアルバムとなる。また、小説内で登場する架空のギター曲「幸福の硬貨」は作曲家林そよかの書下ろしで収録されている。
  • 小説を読んだ人はこれを聴いた方が圧倒的に楽しめる。
  • 「ガヴォット・ショーロ」は平野啓一郎の注文により福田進一が新たに録音したものらしい。また、「この素晴らしき世界」は鈴木大介による編曲で新たに録音したものとのことだった。
  • さて、小説のテーマソングとでも言うべき「幸福の硬貨」はどんなものなのか。それは聴くしかないが映画音楽という設定のため、親しみやすい、優しい曲であることは判る。なお、本作では小説の演奏に合わせて福田進一が弾き分けて2曲収録している。

Keith Jarrett Trio『Changeless』

Changeless

林正樹『Lull』

Lull

  • 作曲家・ピアニストの林正樹のソロアルバム。
  • 聴き始めて数日しか経っていないが、ジャズのような、クラシックのような、現代音楽のような、アンビエントのような、そういったピアノ演奏。

うしろめたくない過ごし方

ライターの雨宮まみが亡くなったという。
通勤途中にアカウントも持っていない他人のtwitterをスマートフォンで巡回していると不意に訃報を知ることになった。
私は雨宮まみの知り合いでは無く単なる一読者に過ぎない。しかもネット上の連載しか読んでいない、余りよろしくない読者だろう。
それにも関わらず、スマートフォンの液晶から発せられた情報は私はひどく動揺させた。
そもそも、雨宮まみをどのように知ったのだろう。今でこそ聴かなくなってしまったラジオ番組を介してだろうか?その後はtwitterでフォローしながら彼女のコラムを読んでいたのだろう。
彼女の文章は自らの考えを赤裸々にした上で話が組み立てられていた。その律儀さと真面目さに頭が下がる思いがしたと同時に、言葉にすることによって彼女自身深く傷ついたのでは無いだろうかと思う事もあった。しかし、それは物事を表現する際に避けて通れない性質であって勝手な同情というものなのだろう。
彼女の訃報を知った際、直ぐ様思い出したのは、つまり私に雨宮まみという存在を印象付けた、人生相談への回答だった。
彼女はここで相談者に対して、大きな変化を起こすのでは無く、自ら地味なつまらない方法と語りながら、今出来る少しの調整により罪悪感や不安を減らしていく事を勧める。
私の回答を読んだ時、「ああっ」と思わず心の中で呻き膝を叩いた。罪悪感や不安を減らし、余裕を持てるようになるのが「自由」だったのだ。
そう、意外にも日常には小さな罪悪感や不安がひしめいている。シャワーを浴びず歯磨きもしないで寝てしまう、部屋を片付けない、洗濯物を溜めてしまう、約束の時間を守れない、伝えたいことが伝えられない…そういった罪悪感の数々が劣等感を生み、人を脆く倦ませるのでは無いだろうか。
罪悪感を減らす。それはつまりうしろめたい思いをしない事だ。意外にもこれは難しい。正しさを求められている訳でもない。何かを禁止する訳でも無い。どちらかと言えば、事前の準備や具体性が求められる性質である。正直少し面倒な事だが、少しこれを意識する事で、かなり楽に日常を過ごせるようになった気がする。それを教えてくれたのが、他ならぬ雨宮まみだった。それ故に私は動揺してしまったのだ。

cocoloni.jp

上記のような文章も好きだったが「運命のもの、どこで買えますか?」といった連載が面白かった。特にスニーカーを購入する回は、おそるおそる好奇心を持ってスニーカーを試し履きしていく様子がとてもキュートで、照れ笑いをしているようにも見える、スニーカーを履いてポーズを決める雨宮まみの写真がとても素敵だ。

srdk.rakuten.jp

雨宮まみさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

mamiamamiya.hatenablog.com

幽霊殺人

アルカジー&ボリス=ストルガツキー著、深見弾訳『幽霊殺人』を読んだ。

雪山の山荘を訪れた警察官が事件に巻き込まれ、その真相を突き止めるという内容である。
つまりミステリーであるが、そこはストルガツキー兄弟の作品であり、真相に関わる部分はSFの設定である。
しかし真相がSFであるだけに、主人公の警察官は受け入れる事が出来ない。事件は宇宙人の仕業だと警察官は信じる訳にいかない。しかし実際のところ、警察官は主観的には理解しているのだ。しかし客観的に認める訳にいかない。その立場の苦しさが非常に伝わってくる。それ故、警察官の頑迷さに付き合わされる事になる。この葛藤が本書の面白さである。一方、本書に登場するSF設定に物分かりの良い物理学者は世に理解される事は無かった。警察官の頑迷さを物理学者は許さず、これを悔やみ続けている主人公の在り方に、ストルガツキー兄弟の現実的な繊細さを感じる。

本書を以てストルガツキー兄弟のラドガ壊滅やらアンソロジーに収められた作品を除けば大体邦訳をされたものは読み終えた形になる。ストルガツキー兄弟の作品を読もうとした場合、古本屋や図書館を利用して読む形になるだろう。とりあえず図書館を利用し、更に興味を持ったら古本屋で購入すれば良いと思う。私自身は図書館を利用したのは本書と「滅びの都」のみであり、その理由は貸出期間によって読む時間を区切られる事を嫌った為である。古本屋を利用しているうちに収集欲が掻き立てられたという事もあったのだが…。

滅びの都

アルカジー&ボリス=ストルガツキー著、佐藤祥子訳『滅びの都』を読んだ。

「都市」がある。この「都市」は「実験」を目的としている。「「実験」のための「実験」」だと本書では語られる。都市にはロシア人・ドイツ人・ユダヤ人・中国人・日本人と人種や国籍は関係無く人々が集められている。また彼らは第二次世界大戦直後の時代を生きた人々らしい。彼らが折り入って語るのは戦争の記憶である。仕事は一定期間勤めると、機械によって定められた新たな仕事を勤める決まりになっている。主人公のロシア人は、ごみ収集員、捜査官、編集者、クーデターを経てドイツ人の元ナチス党員が統治する権力機構の補佐官となり、その後はアンチ都市を調べる為、世界の果てへ調査隊を伴って向かう。本書はロシア人の仕事毎に章立てされ、物語が進んでいく。 

「都市」の人々はどのように集められたのかはっきりとは判らない。主人公は自分にしか見えない教導師なる人物によって都市にやって来たらしい。

印象に残るのは「都市」の日本人が悲哀を以て語リ出す「沖縄で日本兵が少女を強姦している事が告発されると、少女とその母親は次の日には姿を消してしまったのだ…」というエピソードである。著者のアルカジーは日本語に精通した日本文学研究者であり、軍に所属していた際は極東軍事裁判に関わったという経歴を持つ。そういった背景を鑑みた時、フィクションでありながら、戦争という状況に於いて類似するような出来事は想像に難くなく、また日本人であるが故に生々しい印象を抱く。

クーデターを経て補佐官となった主人公は博識で変人のユダヤ人を連れて世界の果てへ向かうが、調査隊は過酷な環境に仲間割れを起こし離散してしまう。主人公はユダヤ人と共に巨大な足が闊歩する廃墟や遺跡を越え、世界の果てらしきものに辿り着く。ここで描写される世界の果てはアレクサンドル=ソクーロフが「ファウスト」で描いた真理の場所そのもののように読み取れる。しかし著者はどうやら世界の果てに辿り着いたとしても終わりの場所では無い事を示唆しているらしい。

本書はストルガツキー兄弟の「モスクワ妄想倶楽部」で青ファイルと呼ばれた原稿である。「モスクワ妄想倶楽部」の翻訳者である中沢敦夫によれば、本書は1970年代に執筆され完成していたという。捜査官となった主人公が赤い館でソ連指導者とチェスを指すというあからさまな描写や*1、ソ連という体制を、そしてそれに似通ってしまう体制そのものを、「都市」になぞらえシニカルに描いているのは明らかで、発表を躊躇するのは理解出来る。

翻訳者の佐藤祥子による本書の解説は非常に丁寧で理解が捗ると思う。古本を手に入れるか迷った末、図書館を利用して読む事になり、現状内容の多くを忘れてしまっているものの、ストルガツキー作品の中では託されたイメージが多い為に強い印象を残している。 

滅びの都 (群像社ライブラリー)

滅びの都 (群像社ライブラリー)

 

 

*1:脚注をよまなければ判らない程度に浅学ではある。尚、脚注には人名も書いてありスターリンだったと思うのだが、はっきり憶えていない。