2017年11月20日/現代ギリシャのデフォルトと海上保険に関する考察

アリストテレス=ソクラテス=オナシス。ギリシャ人の実業家にしてミリオネア、二十世紀の海運王。何も金持ちを羨んだりしたいって訳じゃない、そうじゃない。彼が成功と金と名誉を手に入れただけでなく、古代ギリシャの哲学者の名を二つも有していることに注目したい。「君の名は?」「アリストテレス=ソクラテス=オナシス(もしかして、私たち、混ざり合ってるぅ〜‼︎)」「エウレイカ〜(最近だとクリストファー=ノーラン監督作品「インターステラー」における主人公の娘が想起されるのだろうか)」「タウマゼイン‼︎(哲学の始源は驚きにあると学んだものである)」となりやしないかい。しかし、そんなクリシェは一片たりとも聞いた事が無い。グリセリンの浣腸は官能小説の常套の手段。古代ギリシア哲学の講義で海運王の話題は冗談でも挙がらなかった。古代ギリシャ哲学の講義は海運王を学ぶ場では無かった。海運王よりラバーメンの海賊王の方が親しみやすかった。もしかしてオナシスっていうギリシャの哲学者がいてトリプルプレーなのか。哲学者達の3Pなのか、それともオナニーを連想すれば良いのか、疑いさえ抱き始めてしまう。アリストテレス=プラトン=ソクラテス=オナシスなのかもしれないとも疑い出してしまう。思わず検索して確かめてしまう。小池百合子のアウフヘーブンなんて目じゃない、メジャーじゃない。宇宙英雄ローダンシリーズを邦訳したことがあるドイツ語の先生が「アウフヘーブンって君らは哲学習っているから特別な用語だと思っているかもしれないけど、日常会話だと持ち上げるって意味だからね」と昔言っていた。アリストテレスもソクラテスも単にありふれた名前だったということかもしれない、「これだからヤポニカは…」とギリシャ人の溜息が聞こえてくるのかもしれない。そうこうしているうちにアドレナリンが切れ始めた。「そうか、今時はソクラテス=オナシスを知らない人もいるのか」(暗にアホと言っているように見えるが実はそんな気は無い)「アリストテレス=オナシスの名前に興奮している人がいますが、彼はJ=F=ケネディの妻と結婚しています」(豆知識を追加してマウントポジションを取ろうとしているように見えるが、そんな気は無い)「FF外から失礼…」(フォローフォロワーの意味だと最近知りました)等と再帰的になり、真顔に戻るかもしれない。

ノーマン=メイラーの「死者と裸者」を図書館で予約して借りた。図書館で司書は「保存状態が大変悪くなっています」と言い、本をパラパラと開いて見せる。おそらくこの厚さを読み終えるのは二週間では難しいだろう。なぜ、ノーマン=メイラーの「死者と裸者」に興味を持ったのかは思い出せない。ブラウザには「死者と裸者」のウィキペディアの履歴が残っているものの、検索の契機を確認するにはブラウザを三ヶ月以上遡る必要があった。

午前七時の新幹線に間に合うよう、早朝に最寄駅へ足早に向かう。後方から現れた女性が横並びになる。視線を前方へ戻すと、車道に赤黒い痕跡を発見して、何かを想起する前に、街路樹の下に硬直して伸び切った猫の死骸が横たわっていることに気が付く。顔をしかめた後、鮮明に連鎖的に記憶が蘇る。

片田舎で路上に死骸を見つける事は珍しい事では無い。内臓を撒き散らしたイタチ、狸、猫。後ろめたさを感じながら、私はそれに見入っていた事があったはずなのだ。

高校と最寄り駅の通学路に小さな池があった。蓮の葉と茎が水面と水中を巡り、池の中央には赤い鳥居と小さな社があった。その池には数羽の鴨がいた。「グワァグワァ」と時たま連呼する鴨を眺めながら、これから授業を受ける必要も無い鴨を恨めしく思ったものである。

ある朝、まだ肌寒い、マフラーが必要な時期だったと思う。早朝、部活の自主練習の為に池の前を通ると数羽の鴨が路上で血に塗れていた。一羽では無く数羽の死骸が横たわっていた事に故意性を感じさせた。しかし、故意だとして、それは何の為に行われたのだろう。

朝見た猫の死骸は帰宅した際には片付けられていたように、鴨の死骸も知らぬ間に片付けられていた。いや、正確に言えば、猫の死骸は帰宅する頃には忘れてしまっていて、この文章を書く際に事後的に把握したのだ。おそらく鴨の死体も。

最近、車の移動に体力を消耗するため、なるべく新幹線、在来線、バスを使用することにした。午前中に一仕事を終え、在来線の駅で時刻表を確認すると朝のように通勤快速の電車が無い。各駅停車に乗り込み、バッグを抱きしめて眠ろうと試みる。左前方に座る中年の女性はT字杖を傍に携え、ビニール袋からトリスハイボールのアルミ缶をあおり、巻き寿司を頬張る。その女性の前方に座る若い女性はコンビニで買ったであろうカップに入ったデザートをスプーンで掬っている。

警報と共に電車が止まる。イヤフォン越しの車内アナウンスによれば、ホームの安全確認を行うと言う。場面は既に東京の地下に移っている。

一日中、家で眠って過ごした後の早朝の休日出勤。やるべき事は全て後回しになって行く。キッチンの電灯が瞬く。この電灯を以前変えた日は思い出す事はできない。しっかりとはめ込まれた電灯を取り外そうと試みるものの、上手くいかない。

前髪を揃えた幼い女の子から前髪を揃えた2人の女子高生の化粧と細くメリハリの無い長い脚にマカロニを食べ過ぎて戻してしまった青年。

「ボージョレボージョレボージョレヌーヴォー」とスーパーで昼食の弁当を買おうと店内を巡っていると聞こえた意味の無い反復。

「バーニラバニラバーニラ」と路上で聞こえた女性を煽る職業案内。

2017年10月21日/投票の前に

私が住む自治体の選挙区は、希望の党の候補者が立候補しており、野党共闘が成立していない。そのため、自民党、希望の党、立憲民主党、共産党、無所属と投票先だけは豊富にある。週刊誌の記事を斜め読みしたところ、自民党の候補者の当選が見込まれており、次点が希望の党の候補者になっていた。過去の選挙結果の得票数に鑑みると、候補者が乱立している状況において、自民党の候補者の当選が確実だと言えるのではないかと思われた。加えて、選挙の終盤情勢によれば、与党は300議席を獲得する見込みだとも言う。私は与党を支持しないものの、経済政策に関しては、現政権の功績と方向性は認めるべきだと思っている。問題なのは、与党内や野党に現政権以上の経済政策が望めないことだ。

職場でパソコンの前に張り付いていると、外から選挙の候補者の街宣車の声が聞こえてくる。「結構うるさいな」「そうですね」と社員たちが苦笑いをしている。

けものの新譜『めたもるシティ』を聴いたところ、表題曲「めたもるセブン」に感情を掻き立てられた。今を生かされているという所与を「時が私を選んだようです」と表現し、現在/2017年と近い将来に対する不安と期待を丁寧に描いていると思う。

仕事を終えて一服するために喫茶店に入った。喫煙席に座ったにも関わらず、女性客に囲まれる形になった。どうやらランチタイムということらしい。煙草を吸いたいと思うものの、両隣の女性客のテーブルの上を眺めると、灰皿は置かれていない。弱ったなと思いながら、煙草の箱をテーブルの上に置き、ガラス越しのパチンコ店の真赤な看板と人の往来を眺めた。

2017年10月8日/3ヶ月後

気が付けば十月となり、先の雑記から余りに時間が経ち過ぎていた。

七月の三連休の初日に出勤し、面談相手に軽くあしらわれるのも仕事の内なのだから、溜め息が出るというものだ。

座席の仕切りに寄り掛かった美しい長身の女性。花柄のロングスカートからすえた匂いが漂う。

小松左京の「アメリカの壁」を読み終える。小松左京を読むのは初めてだが、かなり面白かった。

都議選の結果を考える。都民ファーストの会というより、まず、知事選が思い出されてくる。小池百合子の出馬表明を受けて思ったのは、都知事になることが政治家の影響力を復活する手段になるのだろうという事だった。豊洲市場の問題等を見ても、卓袱台をひっくり返しているだけにしか見えない。ラジオによれば「常に次に何をしようか考えている」そうである。

夢の中で城が燃え上がる。もっと燃えろと焚き付けていたのは自分だけだった。

仕事で木更津を訪れる。仕事を終えて友人と連絡を取り、駅前で待ち合わせる。ロータリーを行き交うバス、駅に向かう高校生。友人に連れられて訪れた喫茶店の扉を開くと女子高生しかいなかった。

「後輩にサカイさんって女性がいるのね。サカイさんは昔から付き合っている彼氏がいるらしいんだけど、彼氏が浮気をするらしいの。それで、また浮気されたから別れようかなって言うの」

twitterをアカウント無しで読むことが難しくなったため、観覧用のアカウントを作らざるを得なかった。

上司の勧めで「レッド・オクトーバーを終え!」を観た後、勢いベトナム戦争を描いた「ハンバーガー・ヒル」、加えて「プライベート・ライアン」を観た。また、「アフタースクール」、「鍵泥棒のメソッド」も観た。やっぱり映画は良い。しかしながら、映画館に通うという習慣が無くなって久しい。

西田亮介の「不寛容の本質」を読んだが、今まで著作の要旨を簡潔に記したといった内容であった。

日中、電車で移動していると、修学旅行のしおりを持った中学生を見掛ける。名札の校名を検索すると岩手県!?。わざわざ遠いところからご苦労様だ。

ミシェル=ウェルベックの「服従」を読んだ。初めてミシェル=ウェルベックを読んだが、途中で放り出すことは無かった。

伊豆を車で走らせている時、果たして仕事以外で伊豆に行くことがあるのだろうかと思う。上司が伊豆のホテルに泊まったと言い、調べれば、湯船から水平線を拝むことができるホテルだった。

「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」を読んだ。料理がしたくなる本である。なお、日本式のカレールウに関する話題が印象的。塩分が多いってよ。

怒りは換金できない。感情を換金した時のこれじゃない感じ。

Kindleで発売されている深町秋生の作品を全て読んだ。「ショットガン・ロード」がお勧めだ。組織犯罪対策課が登場する作品も良い。

以前の職場の同僚からメールが届く。資格取得をしたという自慢メールだったが、勘違いして退社1年後の安否確認メールだと思った俺は幸せである。

「当て屋の椿」を読もうと試みたが、3巻まで読んで力尽きた。

冷静に考えた結果、貯金が無いため、結婚ができないことが判った。何故今まで気が付かなかったのか、我ながら不思議である。

小松左京の「日本沈没」、谷甲州が引き継いだ「日本沈没第二部」を読み終える。最終的に日本人とは何かと言った内容までに話が及ぶ。更に東浩紀がセレクションした小松左京短編集を読んだ。サイコトラベルという言葉の響きが新鮮である。

昔、寝る前にスター・ウォーズもどきの物語を頭で繰り広げていたのだが、記憶で展開したものは、記憶できている限り、時間的な差が無い。これを文章化した時、やっと作業となり時間差が出来るのではないか。そんなことないか。

谷甲州の「航空宇宙軍史」を読み始める。最高に面白いのだが、Kindleで完全版が全て出版されていない。

午後2時に喫茶店。ホワイトオムライスを頼むも売り切れと言われノーマルオムライスを食べる。

太った。8kg太った。安定感半端無い。

勝田文のマリーマリーマリーが終わる。楽しみが一つ減った。

上司に連れられて通な感じがする日本料理屋で酒を飲む。お通しが美味しくて感動した。お通しが美味いのは良い事である。

小池百合子の希望の党と民進党の合流に驚き呆れる。小池百合子を上述した理由は都民ファーストの会の議席数を受けてしたものだが、展開が早過ぎるし、稚拙にも見える。

自民党も消費税を増税するらしい。私はリフレを支持している。しかしながらその理由は、読んだ本の著者がリフレ派、加えて欧州の左派がリフレ政策を支持、尚且つ海外の著名な経済学者がリフレ政策を支持しているからという浅薄なものである。さすがにこれではいけないと思い、若田部昌澄と栗原裕一郎の「本当の経済の話をしよう」、松尾匡の「この経済政策が民主主義を救う 安倍政権に勝てる対案」を読み終える。更に飯田泰之の「世界一わかりやすい 経済の教室」を読み進めている。

2017年7月5日/台風一過

あさりよしとおの宇宙家族カールビンソンとるくるくを読み終える。リスのター君の布団叩きに笑ってしまった。

筒井康隆の馬の首風雲録、おれの血は地人の血、パプリカを読み終える。どうも筒井康隆の小説は自らのリビドーを認識させられるところがあり、読みながら悶々とする事が多い。

仕事に飽き、都議会の候補先を眺めてみた。基本的に皆50歳以上、告示用に撮影された写真はポスターのように加工もされておらず、皆年相応の皮膚の張りと艶である。正直、候補先は無いと思っていたのだが、気になる候補者を見つける事が出来た。

高校時代からの友人と大学時代からの友人にアフロ田中の主人公田中宏に似ていると指摘されることがある。正直不本意であるが「俺は何時まで性欲に振り回されなければならないのだろう?」といった思考回路が似通っているという。なるほど、その指摘は的を得ているかもしれない。また、友人達は気遣って指摘しないのだろうが、職を転々としているという来歴などの影響もあるのだろう。とはいえ、アフロ田中は時折立読みで斜め読みする程度の認識である。しかも似通った思考回路の主人公の物語を読むという行為は自らの追体験でしかないと読まない理由を考えてしまう。

確かに性欲に振り回されているのは間違いは無く、俺の日々の疲れは自慰行為によるところが多くを負っていると思う。

女性の小さな膝を可愛らしいと思ったが、今までそんな事は一切考えた事は無かった。

母から連絡が有り、病気で都内に通院する事になったという。甲状腺の不調との事で、こうやって要支援、要介護度を認定されて行くのだろうなと思い、近い将来を憂いたくなる。

仕事中、スラックスの尻の部分が裂ける事態に陥る。やはり、ジム通いが滞り、太ったのだと思う。しかし、そんな事より当座の危機をどのように乗り越えるのかが問題だ。ガムテープを内側に貼ったり、ホチキスで留める処置は上手くいかず、仕方無くダプルクリップで誤魔化す事にした。さっさと帰宅しようとした時に限ってこうなってしまう。

痩せた母親から家族の近況を聞きながら、その端々に表れる不満の色にウンザリし、自分は一人で暮らす事に慣れ過ぎたのかもしれないと思う。どうやら母は義理の息子達に何か思うところがあるらしい。

スーツを買いに出掛ける。スーツを割引にする為にクレジットカードを作る必要があるというのだからウンザリしてしまう。全く馬鹿げた仕組みだと思う。

都議選の結果を眺めながら、色々思うところがあるのだが、感想は後にする。

最近、結局のところ、物事に対して確たる考えが無く、自らの論理の帰結で何か考えるという事が稀、端的に言えば無く、あらゆる結論から都合の良いものを選んでいるに過ぎないのではないかと思うに至る。

スピリッツはアイアムヒーローが終わって以来読んでいないのだが、ふと思い立ってアフロ田中を読んだところ、この主人公がお前だと言われれば、否定する事は無いと思った。

2017年6月27日/ロイド眼鏡と赤いスーツ

日曜日の午後8時40分、赤坂見附駅で隣に座ったロイド眼鏡を掛けた女性が電車を降りようとし、又、席に戻った。
日曜日の午後8時45分、四ツ谷駅で複数人の中学生が電車に乗り込んできた。
日曜日の午後8時47分、四谷三丁目駅で複数の中学生とロイド眼鏡を掛けた女性が電車降りた。ロイド眼鏡を掛けた女性は美しくかったから、彼女が立ち上がると、真向かいに座った男性がスマートフォンから顔を挙げ、彼女を見定め、視線だけで見送った。

東京都議会選挙に向けてなのだろう、ポスターの中でしか見掛けたことが無い政治家達を駅前で見掛けた。なるほど、実際はこんな感じなのかと視界に入れ、直ぐに駅の構内に入った。与党の候補者はこういう機会にしか駅前で御目に掛かることは無い。一方、野党の政治家を見掛けることは割と多いという印象を持っている。赤いスーツを着ても違和感が無かったのはポスターで目が慣らされているからなのだろう。

2017年6月14日/年の半ばの息継ぎ

ミッキーマウスに彩られたかりゆしウェアを着た大学生の男女が電車に乗り込んでくる。女性が席を探し、仕方無く私の隣に座り、男性が吊革を握り、態勢を崩す。「この格好恥ずかしいかな?上着着よう。変かな?」「ズボンに入れれば大丈夫じゃない?でも、別に普通に着れるよね、これ。」相槌を打ちながら、男性はトレーナーに袖を通し、かりゆしウェアの裾をズボンに入れ、女性に向けてポーズを決める。「大学生活ももうすぐ数える程しかないんじゃない?私は短期の留学もあるし。」「卒研は無いの?」「あるけど、就活終わったら四年生って暇なんじゃないの?」「文系は判らないけど、理学部は卒研があるから忙しいらしい。」「いや、文系だって卒論はあるけど。」「短期留学だと夏合宿も出られないし…でも新歓合宿は出られるのかな?」「えっ、四年生って顔出すんだっけ?」「どうだったかな、いや出るでしょ?」「出るか。」別段、ミッキーマウスのかりゆしウェアは大して目立つ事は無い。但し、ペアルックであるという点を除いて。そして、まるでちょっとした未来に対する無知、楽観的な展望、尚且つ自分達が恵まれた環境にある事に気が付いてすらいない様子に、若者という言葉が浮かんだ。

イヤフォンを分けて音楽を聴く時、2人の男女が何を分け合っているのか、俺は知らない。

久しぶりにジムに行き、適当に運動をこなして行く。新たに腕を鍛えてみたが、非常に応えた。

吉田秋生のバナナフィッシュと海街ダイアリーを読んだ。バナナフィッシュより海街ダイアリーの印象が良く、各キャラクターの崩れた顔が割とツボだった。しかし、デフォルメされた世界で無ければ、人々の心情に思い至れないとは一体どういう事なのかと考え、自らの恒常性を保つとは、日頃から傍に居る人々の心情を無視することなのではないかと考えるに至った。

テッド=チャンのあなたの人生の物語を読み終える。「バビロンの塔」、「理解」、「72文字」、「地獄とは神の不在なり」が面白かった。

2017年6月1日/1ヶ月間

杖をついた夫婦とその家族が電車に乗り込んでくると、隣の青年が立ち上がり、座席を譲った。「直ぐ降りますので。」と断られ、再度青年は座席に座り直す。私は何も出来ず、ただそのやり取りを眺めているだけだった。

嘔吐物に塗れた青年が電車の座席に座り眠っている。嘔吐物特有の酸味が鼻に付く。

駅構内で嘔吐物を前にベンチに座り込んで介抱されている男性がいる。

柳広司のジョーカー・シリーズを三作目まで読み終える。どうやらアニメ化・漫画化している作品らしい。スパイ達の匿名性が非常に気に入っている。

フィリップ=K=ディックの高い城の男を読み終える。ユダヤ人の妻とイタリア人のやり取りに何が描写されているのか判らず、二度読み直した。

深町秋生のバッドカンパニーを読み終える。小粋な短編集だった。

小田朋美のグッバイブルーを聴く。北へで「陣痛かもしれない」との歌詞に鳥肌が立ち、マリーアントワネットのうたでありふれた罪悪感が想起される。

隣に座った女性がフランスの地方名が記された書類を読み込んでいる。どうやらワイン教室からの帰りらしい。その地方特有の土に含まれた成分が葡萄に与える影響が記載されている。

友人の勧めで進撃の巨人を読み始める。今、丁度、キリの良いところらしい。数巻程読み、何故、人間が巨人を進撃する話らしいのに、巨人が進撃するというタイトルなのか、おぼろげに判った。
この漫画の単行本の構成は、主人公の同期のメンバーが多く紹介されており、巨人から身を守るために造られたとされる壁の中での謎解きという点で、推理小説の傾向が見受けられるのではないかと思った。

進撃の巨人を既刊まで読み終えた。推理小説の段階が終わったらしい。また、進撃の巨人というタイトルの意味はこれから明かされるらしい。

喫茶店に入ると、午前中の為か、高齢者が多い。介護老人福祉施設、介護老人保健施設、短期入所生活介護、通所介護施設といった施設を出入りするようになり、巷で見掛ける高齢者に対する視線が、特に日常の生活動作に対して、変わったように思う。

2017年5月4日/情報量が多くても万能では無い

電車を千葉駅で乗り換える。随分と印象が変わったと思う。学生時代はふらふらしていたものだが、今となっては仕事の為に電車を乗り換える場所でしかない。

一方的な主張をただ聴くしかない仕事というものもあるのだろう。残念ながら期待に添えそうも無い話だと、相手が思い描くストーリーの筋書きを少し変えて説明を試みたが、納得できないらしい。ひたすら喋り続け、代理人をたてる云々と言う。どうぞお好きに。他人に何か求めた以上、それは既に交渉なのであって、自分の意見を貫けば済む話では無い。

流れる有線放送のメロデイに聞き覚えはあるものの、しっくり来ない。メロデイが似通った曲なのだろうか。それともカバー曲か。そんな事を考えているとサビに至り、スピッツの春の歌のカバーである事に気がつく。藤原さくらというシンガーソングライターのカバーで、映画「3月のライオン」の主題歌らしい。全くこういった話に疎くなってしまった。その後、スピッツの春の歌が流れた。

そんな一日だった。

改めて藤原さくらとスピッツの春の歌を聴き比べてみたが、どちらも悪く無いと思った。

宇多田ヒカルの新譜を改めて聴き直したところ、やはり少し重いなぁと感じてしまう。これが情念とでもいうべきものなのだろうか。たぶんそれが良いのだろうけど。

キングダムという漫画を最新刊まで読んだ。秦の始皇帝というのは名君だったのだろうかと考えてしまう。読み始めたきっかけは週刊誌を立ち読みしたところ、王翦という武将が底が見えないよう描かれており、思わず引き込まれてしまったからだが、どうやら史実では主役級の活躍をするらしい。

客と同行して出張をする事になり、新幹線の指定席を予約し、準備に取り掛かるものの、要望が曖昧過ぎる上に、打ち合わせも車の中でという適当さの為に途方に暮れる。

いざ、現地に赴くと、資料がある程度用意してあり、特にやる事が無いとボソリと呟くと客も隣で頷いている。

先日思い付きで読んだ走れメロスはメロスの観念の万能とでも言うべきナルシズムの物語で、何度か読んでいるものの、正直面食らってしまった。何が由来の物語なのかと調べてみると、ピタゴラス学派の逸話等らしい。そこでピタゴラス学派の逸話を童話にしたという鈴木三重吉のデイモンとピシアスを読み、更に他の童話を何作が読んだが、これがなかなか面白い。

大型連休に入り、気が抜けてしまう。

久しぶりにジムに行く。翌日の疲れと筋肉痛が煩わしいが、何も無いよりマシであるとも言える。

いざ、買い物に出掛けてみるものの、衣類の種類と量の多さに戸惑ってしまう。本屋に行ってもKindleで買えるのでは等と考えてしまう。困ったものである。

着物姿の女性が会話が途切れない話し方という漫画を読んでいる。

インターネットで観念と万能の対義語を検索していたところ、「万能ではない」という検索結果が出て笑ってしまった。しかしそもそも対義語とは?

2017年4月23日/海が見える市役所にて

電車に乗り込むと女性が座席に横になって眠っている。最初は無視していたが、周りの女性を訝しむ視線を見つけ、「もしかしたら死んでいるのでは?」と思い、女性を見ると鼻を擦っている。どうやら死んでいる訳では無いらしい。ホッとしてスマートフォンを眺める。何故女性は電車の座席で横になり周りを省みず心行くまで眠る事になったか。

ふと下ネタを思いついた。漢字で伏せると珍珍ぶらり途中下車の旅というしょうもないもので、おそらく露出狂の犯罪者が警察に追われながら余罪を重ねて行く話なのだろうなと思った。しかし、何故今更ぶらりという言葉から頭の中で一筆書きのイチモツを描かねばならぬのだろう。ぶらりからポロリ、ミッキーマウスとポロリと終わり無き連想と闘争。

真鶴街道と熱海街道を抜ける。海沿いを車で走るのは気持ち良いが、急カーブと後ろを走る初心者マークを付けた車があるために気が抜けない。バックミラーに移る青年たちは大学生だろうか?こんな天気の良い日に仲間と海沿いをドライブできるなんて、有りそうで無い事だ。羨ましい限りだと思う。そんな生活を砂漠の中のオアシスだと形容したのは伊坂幸太郎だ。青春は何時か終わるからこそ、美しく印象付けられる。

山間の道路を抜け、下校中の小学生を車で追い抜くと尿意を覚え、市役所に車を停め、トイレを借りる。誰も居ない市役所、天窓から降り注ぐ光に日焼けした置き物。市役所を出ると海が青葉から垣間見える。時間がゆったりと進み始めるのが判る。車に戻り、座席を倒して外を眺める。風が少し強く、車を揺らす。市役所の横にある幼稚園から園児が駆け出してくる。小学生が重たそうなランドセルを揺らしながら喧しく通り過ぎる。役所の出入口から老人が這い出してくる。知らぬ間に身に付けた忙しなさからすれば、最早喜劇にすら見える光景だった。しかし、むしろその忙しなさこそ喜劇めいていて、実は悲劇では無いのか?そんな自問は後でまとめてすることにした。

2017年4月13日/New Chapter

以前、美しいと思った相模湖の夜景、よくよく考えてみると諏訪湖の誤りだった。

雨の冷たさをしのぎながら過ごしている。

新幹線の利用は何度やっても上手くいかない。切符を買ってから、改札を抜けるまでにいつも一手間掛かっている。

どうにも北朝鮮の情勢の雲行きが怪しいとの話がネットで目に付く。上司まで話題にしているところを見ると、テレビでも話題になっているのだろうか。「狙われるなら横田基地だろう。」そんな会話を聞き、東京にロケットが落ちたら、自分が死んだことさえ判らないのだろうと思い、大島弓子の単行本「ダリアの帯」に収録された作品を思い出す。あらすじははっきりと覚えていない。主人公が田舎から東京へ新聞記者として働く友人の元を尋ねるものの、友人の姿が見当たらない。友人が残したメモには複数の飛来物が落ちる絵が残されていた。そして主人公は真相を導き出し、友人の部屋の窓を開け呟く。「なあんにもない。」
死んだことにさえ気がつかず、さまよい続ける主人公の魂が空しい。

新幹線での帰り、隣に座った男性のスマートフォンから音が漏れ出し、聴いた事があるなと思ったらケンドリック=ラマーのFor free?だった。

ジェフ=パーカーのアルバムThe New Breedが良い。

2017年4月8日/病院受診と石原さとみ

桜の開花に無感動な自分を発見し、コートを脱いだ女性の身体のラインに心をざわつかせる三十代の春。こうやって言葉にすると唯のスケベなおっさん、傍から見れば助平親父、エロ親父になったのだなぁと感慨深い。そんな思案の四季を一巡りして、やっと桜が美しいと思える。

首と肩の痛みに耐えかね、整形外科を受診したところ、「姿勢が悪い。」という診断が下る。医師の指示通り、胸を張り、その中心に首を据えれば、確かに痛みは無い。待合室で何時間も待たされて得る答え。病院を出ると春の黄昏時、ビルがつくる影を踏みながら笑ってしまう。

花束を紙袋に入れ、座席に着いた女性が便箋を読み進める。表情は硬い。そんな事を思いながら、胸を張り、首をその中心に据えていると、女性が目元を指で拭い始めた。便箋の文字を足早に追う瞳、崩れ行く化粧、美しい情動。

女性と思う存分愛し合いたいと思う。

肌が荒れてしょうがないので、久しぶりに病院に赴く。医師を待つ間、電子カルテに表示された診断名は顔面性ざ瘡とある。ざ瘡とはニキビの事らしいので顔面にニキビがあるという、そのままの診断である。

待合室、カウンターの向こうに座る事務員の女性に欲情する。ニキビ面のおっさんが犬猫と同じように、思春期の老若男女の如く、心を乱している。全く馬鹿らしいと思うのだが、これが現実である。大学生の時分、友人と神保町を散策していると、アダルトショップでDVDを眺める老人を見つけ「ああやっていつまでも性欲を持て余すのかね?」と友人に問うと「そんなもんじゃないの?」という答えが返って来た事を思い出す。

あの時、傍に居た友人とはもう三年以上会っていない。連絡をしたが返事はもう無い。

物事を繋ぎ留めるのは容易では無く、散り散りに、最早それが何であったかも判らないところまで、分解されてしまう。認知は薄れ、音が連なる事はいずれ無くなってしまう。歳を取る度に記憶は間延びして行く。しかし、それしか生きる術は無く、意味を取り逃がして、漸く得られることがある。

燃え上がる情欲、怠惰、嫉妬、高慢、貪欲、憤怒、貪食、石原さとみ。

東京メトロで専らコスプレしている石原さとみ。過去の映像を編集した映像が流れ、遂に石原さとみの出番も終わりかと思いきや、そのままマイナビの石原さとみ出演の広告が流れ、もうええわっ‼︎となり、車内に逃げ込めば英会話イーオンの石原さとみの微笑みが待っている。何故、石原さとみなのか、私のグランパでチンピラに「一丁前に女の匂いがしやがる。」と言われていた石原さとみ。東京メトロの広告のキャッチコピーは「Find my Tokyo」だが、見つけるまでもなく石原さとみはすぐ傍にいる。

遺伝子改造、人体実験、環境汚染、社会的不公正、貧困、過度な裕福さ、麻薬中毒、石原さとみ。

建前、それはとても重要なものだと思っているのだが、なかなか言葉にならない。しかし、本音のみでは成り立たないことは誰でも判っているはずなのでは?確かに建前にはウンザリだという気分も判るのだが、本音を前提にした会話というのは、そもそも何も進展が無いのでは。そもそも現実と本音、建前と偽善は異なるはずだが。

2017年4月4日/督促

年度末最後の平日の朝を走る。年度末最後の平日だからなのか、電車の進みがいつもより遅い、というのは言い訳で、そもそも自宅を出る時間が遅すぎたのだと思う。形式だけのタイムカードは無慈悲に午前九時一分と刻印される。息を整えたところで、事務員から「今日はどうしたんですか?」と問われ、とぼけようかと思案しながら、間も無く返事をした結果、「いつもより電車が進むのが遅くて。」と考えていたことをそのまま口にしてしまう。

地下鉄のゴミ箱を漁り、排水路と排水口の間を黒い影が走る。ねずみといえば、奥泉光の小説を思い出すが、目の前には夢の国から帰宅する人々がシートに深く腰を下ろしている。

右隣の席に座る母親と赤ん坊。赤ん坊がどこかを眺め、時折視線を送ってくる。母親が赤ん坊を膝の上からシートへ移動させようとすると、すかさず泣き声を上げる。「嫌なのね。」母親は独りごちる。左隣の席には「宗教を越える真理を求めて」と題された頁をめくる白髪の女性が座っている。

髪の先から額まで頭皮の脂が及んでいるのが判る。ワイシャツとインナーが身体に馴染み過ぎた気持ち悪さ。求められているのは、白紙の頁を文字で一刻も早く、誰でも読めるように埋めること。

「すいません、もう督促が来ているので、明日にでも書類を送ってもらえませんか。出来ませんか?」今日でも無く、明後日でも無く明日。新しい朝が来た。希望の朝だ。朝は明日にならなければやってこない。答えは簡単だ。「寝なければ。」「すいません。できますか。」「判りました、やります。」確かに書類の提出が遅れている事は事実、非はこちらにある。
午前二時を周る前に仮眠を取り、午前五時に起き、顔を洗い、歯を磨く。果たして徹夜というのは労力の割に…等と言い訳をしている場合では無い。

「自分から自由になれるゼロ思考」なる本を黒衣で身を守る女性が読み進めている。L'Arc〜en〜Cielの楽曲に「自由に縛られている」という歌詞があった事を思い出す。これは自論だが自由になる方法はたった一つ、決まりと時間を守る事だ。しかしながら、私はまた、タイムカードを定刻ギリギリに刻むのだと思う。

2017年3月26日/ゼリーに鑑みる

相模湖の夜景が美しいと思う。しかし、それを分かち合う相手もおらず、運転中に視線が定まらなくなり、何とかパーキングエリアに逃げ込んだ身の上では、ちぐはぐな感想だとも思える。良く出張先を楽しむなどというが、そういう余裕は未だ得られていない。それとも人は、どんな状況でも美を発見してしまうものだろうか。災害の中で、戦争の中で、不況の中で、衰退の中で。そんなことを考えながら、そうなる前に美しいと思えれば、必死になって守ろうとするのだろうかとも思う。

化学の教師が言った冗談を思い出す。「私は人類の幸福を願っているんです。地球の人々全てが幸福なればいいなと願っている。そんな殊勝な事を願っている私なら幸福になれるんじゃないか、宝くじ位当たるんじゃないかって考えながらね。」

車内で目の前に座った女性がゼリーをコンビニ袋に隠し、食べている。透明質な黄色のゼリーがスプーンで口に運ばれる。一口、二口、三口…車内でゼリーを食べるが故に幼いと思うのか。そもそも幼い顔付きの女性なのか、印象の前後は曖昧になってしまっている。

「わが恋は 空しき空にみちぬらし 思ひやれども行く方もなし」検索の末に空しき空という言葉に行き着き、その用例をタップすると古今和歌集の恋歌を知るに至る。

相模湖の夜景に行き着くこと、古今和歌集の恋歌を知ること、果たしてどちらの方がより隔たりがあるものだろうか?その隔たりはおそらく手段を言って、実感としては距離ではなく、視界を遮る類のもののように思える。

鑑みるという言葉は「~を鑑みる」という用い方は誤りで、「~に鑑みる」が正しい用い方らしい。このブログでは散々「~を鑑みる」と用いてきたのだが。

2017年3月20日/〆

赤ん坊の泣き声が車内に響く。

何とか官能小説の三冊目を読み終え、解放された気分でいる。三冊目は余りにも官能が無かった。飛浩隆の廃園の天使シリーズを読み、官能とは人間の感覚に対する訴え、もしくは人間が感覚として捉えられる刺激であることを知ったのだった。

タブレットをコートのポケットにスルリと落とす女性を見掛ける。薄着になった時、大きなポケットは無い筈で、タブレットは持て余しそうだなという感想を持った。

石原慎太郎が呼ばれた特別委員会の中継を昼食のカップラーメンを啜りながら眺める。石原慎太郎に老いを感じた。そして都議会議員の音喜多俊が丁度質問を終えているところで、〆に「総括を求めたい。」と発言しているのを聞き、ウンザリしてブラウザを閉じた。石原慎太郎は総括をしない。総括をするのは都議会や都知事では無いのだろうか?

三連休を使って月末の〆に向けて売上を立てるしかなく、連休の最終日に職場のモニターで興味も無いはずの中継を眺める羽目になっている。常々思うが、こんな状況で床屋政談以上の考えを持ち、自覚ある有権者足り得ることは無いと思う。

職場の上司に連れられ、居酒屋で八海山を飲み、マグロのカマ焼きを食べる。美味だった。

2017年3月13日/進捗報告

金曜日から土曜日に掛けて遠出した業務の報告を適当にしていると「ああ、ああ。」と適当な返事が繰り返される。他人は自らの鏡である。

新たな世界を切り開くべく二冊目の官能小説を読み終えた。題名は「陵辱職員室 新人女教師 【真由と凉子】」である。内容は簡単に言うと男性教師が女性教師をレイプして都合良く自らの性の虜にするという話である。こうやって言語化するとしょうもない。しかし、早速三冊目に取り掛かってみたところ、どうにも文章が流れない、拙い作品に当たってしまったようである。

「〜の件、どうなってます?」「あー、あの件はまだ書類待ちなんです。」「そうですか。」貴方が仰る〜の件は、私が報告しようとした際「忙しいので後にして貰えませんか?」と宣った件である。他人は自らの鏡である。