渚にて

ネヴィル=シュート著佐藤龍雄訳『渚にて』を読んだ。
オーストラリアの陽が射すビーチにて、人々は水着姿でぼんやりと放射能がやってくるのを待っている。そんな気怠い物語をイメージしていた。しかし本書は全くそのような物では無い。放射能が南下するなか、死を前にした人々がどの様に生きたいのか、生きるのかを決めて行く物語だった。

本書でなぜ第三次世界大戦が勃発し世界は放射能に包まれる事になったのか。その記述を追うと「イスラエルアラブ諸国の戦いにアルバニアが介入したことからNATOソ連の戦いへと発展し、さらに中国対ソ連へ飛び火した」結果だという。更に本編の主人公格である原子力潜水艦艦長が戦争直前に受けたCIA講師のレクチャーによれば「ソ連は輸出品の輸送を行う為、また中国の人口を半減させる為に上海を核攻撃する」「中国はソ連の工業地帯を放射能で汚染する事によって使用不能とし、上海等の港湾都市攻撃を防ぐ」為に核攻撃を行う可能性があったという。そして本書で実際に大量の核攻撃が行われた理由は「アルバニア軍がイタリアのナポリを核攻撃」「イスラエルのテルアビブが正体不明の核攻撃に遭う」「アメリカ軍とイギリス軍は共同でエジプト首都カイロを威嚇飛行を敢行」、その結果「エジプト軍はソ連爆撃機を利用しワシントンとロンドンを核攻撃」し、これらの核攻撃により各国指導者を失った軍の現場指揮官は、爆撃機から全ての核攻撃をソ連と判断、「アメリカ軍はレニングラードオデッサと、及びクハルコフ、クビシェフ、モロトフの核攻撃施設に報復攻撃」を仕掛け、後にエジプト軍の攻撃と判ったものの、中国のソ連への核攻撃によって核戦争は止められないものとなったという。要するに勘違い、もしくは偽装に人類はまんまと嵌まり破滅する事になったのだ。

死が迫るなか、原子力潜水艦艦長を愛するようになる女性。しかし艦長はアメリカに残した家族は忘れられない。二人は一線を越える事は無い。しかし、それでも二人は互いを尊重し合い死を迎える。科学士官はレーシングカーに心血を注ぎ、生死を掛けたレースで生命の火花を散らす。連絡士官は家族と共に過ごし将来を夢見ながら、子どもが放射能で苦しまずに死ねるよう安楽死を覚悟し、終わりの日を迎える。

彼らが死を迎えるその日まで、人として尊厳を守っている事に感銘を覚える。そして死について少し考えた。死を生の慌ただしさからの解放、平穏としてどこか私は期待しているのでは無いか。しかし死はそんな簡単のものではなく、生の激情を御するような覚悟が必要なのでは無いかと。

渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)

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渚にて 人類最後の日 (創元SF文庫)

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