2014年5月9日

朝、母親から洗面所に姿を隠す。友人の女性の母が地元の選挙に立候補する。付き合っている男性にまともである事を示す為に立候補したと友人が言う。それを聞いて俺は安心する。

台所に行くと床に水が溜まっている。漏水だろうか?天井や検知器を触るが湿りは無い。どうやら台所の蛇口から落ちた水が食器に跳ね返ったせいらしい。宇多田ヒカルUltra Blue」を聴く。あるブログ記事を目にして興味を持ったのだが、思えばこの頃の楽曲「誰かの願いがかなうころ」「Colors」が好きだった。将来通勤の満員電車の中でウンザリしながら聴く事になるとは思ってもみなかっただろう。

怒りは大抵間違いを指摘された当初に湧き上がる。苛立ちが募って生じる事もあるが、これは状況や交渉によって変化する可能性がある。憤りというものもあるが、日常的には怒りを誇張、畏まった表現というべきだろうか。大学の講義で感情を動かす事、本当に憤る事を語った教授を思い出す。彼によれば全ての感覚は使わなければ減退し、また悲しい、泣ける等といったをおおまかな分類しか出来ないならば微細な情動を理解出来ないともいう。そんな事を思い出しながら辺りを見回せば、五月の陽射し照らすアスファルトの上で陽炎が揺らめき、視界が色彩づく。

暑い夏の日、特にする事もなく、自転車に乗って家を出た。至るところに住宅建設予定の土地が切り開かれ、雑草が生い茂っていた。誰もいない熱くなったアスファルト。ミミズは無数に干からび、犬猫の糞と若草から忌々しい匂い。蝿や虫が飛び交うなか、木の棒切れを拾い、雑草を断つ。セイタカアワダチソウの茎は折れ、葉は棒切れをいなして液体を滲ませた。手には汗でこびりついた樹皮が細かく散っていた。

雷雨、時雨、通り雨、ゲリラ豪雨

猫が近づいても逃げないので写真を撮ろうとすると自ら身体を摺り寄せて来たので俺もしゃがみこむ。猫と戯れていると路地の向こうからスーツを着た爺さんが「あんたも猫が好きなのか?」と問う。「いや、ちょっとなついて来たので」と応える。

ベルセルクを読むべくヤングアニマルを買うが掲載されていない。表紙は鈴木ちなみ、水着のショットが一枚も無い。