2014年3月27日

春眠暁を覚えず。故事の中に寝坊の言い訳がある。春夏秋冬、三百六十五日に寝坊の言い訳を人類は用意しておくべきだった。六時前の目覚ましで起きた後、また寝てしまった。家の中に誰かの足跡があり、母が執拗に野菜の皮を剥いている。食中毒の危険性があるという。近くの広場では若い女性たちが野菜の衛生的な調理方法を指導している、憶えている夢はこれだけだ。天窓を覗けば曇り空、なるほどこれなら寝入ってしまう。シャワーを浴び、着替え、自宅を出る。桜の枝先に開いた花が目に入る。雨が花びらを落とさなければいいと思う。

白髪の女性が読むのは都築響一夜露死苦現代詩」。満員電車の中で額に汗を浮かべる女性。一筋伸びた汗は彼女が目を瞑る間に乾いた。雨による湿気を感じながら満員電車のなかで音楽が流れる。ものんくる「飛ぶものたち、這うものたち、歌うものたち」、この季節、心に響くものがある。

雨の中、客先へ向かっていると歩きながらスティーグ=ラーソン「ミレニアム」を読んでいる中年男性を見掛ける。何も傘も差さず読まなくても良いのに。出迎えに上がったクライアント先の社員は「週末は晴れそうですね」と。「咲いたばかりの桜の花が散ってしまうという事はなさそうです」「花見されるんでしょう?仲間と」「仲間って部分強調されました?まあ、会うことが重要なんでしょうね」「そうですよ」エレベーターが止まり、会話が終わる。

雨の日特有の静寂、沈黙。耳にイヤフォンを差し込み、静寂に音を垂らす。空気の振動、耳骨の波紋、微細な電流、意識が広がる。傘を差し、ただバスを待つ男性。アニメ「日常」を観た後、「キルラキル」を観ている。「日常」の博士なる少女が「プププ」とほくそ笑むシーンが目の前で何度も繰り広げられている。他方、「キルラキル」のスピード感の早さに観るのを辞めようと考えたが、三話程観たところで慣れたようだった。どうにも三話程まで変身する為の形式的な展開されており、楽しむ事が出来なかったようだ。これから物語が進展していくのだろう。隣に座った中年の男性がスマートフォンで「笑っていいとも」を観ている。フランス人の日記を読んでいる。ミシェル=レリス「幻のアフリカ」、民俗学研究の為に実施された一年八ヶ月のアフリカ横断旅行の日記。彼らの一日一日を読み進めていく。

駅前でスパのチラシを配っている女性がいる。派手な色のロングスカートを着ている。口の中で長く噛みすぎたガムが纏まりを失っていく。子どもを抱きかかえる男がいる。子どもは首に手を回し寝入っている。首にまわされた手は互いの指で繋ぎ留められている。