惜日のアリス

坂上秋成著『惜日のアリス』を読んだ。
冒頭を読みながら余りにたどたどしい文章が続いた為、読むのを辞めようかと思ったのだが、そのたどたどしい文章は主人公が起きた出来事を言葉にしていた為だと気がつき、そのまま読み進めた。

本書は著者の小説デビュー作である。
著者を知ったのは2000年代に行われた東浩紀ゼロアカ道場になる。最終選考に残ったのは著者と村上裕一だった。著者はその後文芸批評家としてミニコミ誌等で活躍している。単著が出れば読もうと考えていたところ、批評では無く小説というかたちだった事には少なからず驚く事になった。

本書は二つのパートに分かれている。
一つめのパートでは、小説を書いている大学生の女性がアルバイト先で出会った詩人を目指す女性との恋愛と別れが描かれる。女性によるたどたどしい文章から滲みだす小さな世界、周囲への困惑や遠慮、小説を書く事の意味などが自問される。
二つ目のパートではそれから数年経過した女性の恋愛が描かれる。女性によるたどたどしい文章はもう無い。女性は塾講師の仕事をしながら小説を時たま雑誌に掲載し、Ustreamで朗読をする。そして生活は美しい女性とその子どもと共にしている。新宿三丁目の仲間たちとのひととき。
しかし、その生活は詩人の元恋人が登場する事によって変わり始める。
そして、女性の元から恋人と子どもが消え、更なる展開を迎える。

バイセクシュアル、ゲイ、レズビアンという関係に於いて主人公たちは自由であるのだが、それゆえにその関係の基盤の無さに不安を感じている描写は非常に胸に迫るものがある。
家族として主人公、女性とその子どもが描かれるのだが、果たしてこういった小説は数あるものなのだろうか等と考える。
新しい小説の形が性についても、また新しいとは限らないし、そもそも書き手がどれだけ描けるのかという問題もあるだろう。
そしてこれはバイセクシュアル、ゲイ、レズビアンだけの問題ではなく通じて、恋愛、性愛の自由についての問題でもある。

そういった題材を初の単著できちんと描いた事によって、著者は今後も自由に物語を描く事が出来るのではないかと期待していたりする。



惜日(せきじつ)のアリス

惜日(せきじつ)のアリス