続々語る人

音楽ランキング番組を見ているとCoccoの『ジュゴンの見える丘』が流れた。彼女は「悲しみはいらない」とうたっていた。
果たして「悲しみはいらない」のだろうか。いや悲しみは必要だろう。感情が相対化されなければ悲しみもわからないではないか。いやそれとも感情は相対化して表れるものなのか。相対化はどうでもよい。しかし悲しみは必要だろう。
しかし彼女は「悲しみはいらない」とうたっている。間違いなくうたっている。彼女にはそううたわなければいけない理由があるのだ。
それに気がついたとき、この「悲しみはいらない」という立場表明がどれだけの重みであるかわかったような気がした。
私の目の前で語ったあの人も様々な決断をもって立場表明してくれていたのでなかったか。そう考えれば聞き流してはいられないだろう。もう少し語る人の気持ちを推し測るべきだった。