マンデラの名もなき看守

 『マンデラの名もなき看守』を観てきた。

 この物語の主軸に立つ男は平凡な南アフリカの看守である。ただし幼少期に黒人の「友達」がおり、彼から身に着けた黒人たちの言葉、コーサ語が出来るという点を除いてである。
 その能力を買われた看守ジェームズ=グレゴリーは投獄されている反政府主導者ネルソン=マンデラの監視の任務につく。ジェームズは家族のために、手紙や面会から読み取れる反政府グループの情報を上司に報告し、その任務を確実にこなしていく。しかし、彼は、自分の報告によってマンデラの息子が殺害されたのではないかという疑いを持つ。彼に自分の行動に対する罪の意識が、家族たち−自らも子どもを持つ身ゆえに芽生え、マンデラに哀悼の意を格子越しに伝える。マンデラに哀悼の意を伝えるということ、それはジェームスが彼を一人の人間として尊敬しているということであり、それは幼少期に友情を交わした黒人の子への気持ちと何ら変わらない。ジェームスの幼少期の体験は、この物語の雛形となっている。この体験が大きく展開される時、マンデラは27年間の刑務所生活から開放され、アパルトヘイトが終わりを告げるのである。
 物語に映し出される時代の変化への気運が、ストーリーに織り交ざられることによって退屈にならない。マンデラとジェームスが子どものような顔をして木の棒を振り回しあうとき、物語が大きく開かれていく感覚を覚えた。

 アフリカというカテゴライズが無意味なような気がした。便宜上使い続けるけど・・・。