2015年3月10日

早朝の目覚めに漢方薬を一服。気怠いものの体調は治まったらしい。

ランボーが暴れている夢を観た。

病み上がりの身体を洗いながら、もし女性と待ち合わせをしたとしても、今なら面倒に思うかもしれないと苦笑する。この一年の間、女性との関係ー好意を持った女性についての記述は避けて来た。理由は簡単、気恥ずかしいからであり、また特に進展も無く、何よりそれを話題に出来るほど腹が括れていない。今思えばその日その日の気分を左右するものだった。全く平凡な話だと思う。

外国人がしている時計がクール。

何も飾られていないウインドウディスプレイ。

内省で自らを馬鹿だと知るのは困難だが、誰かに叩かれながら指摘されるのは容易い。

「なぜ人を殺していけないのか?」という子どもじみた問いがある。なぜそんな問いを思い出したのかは今となっては判らない。そして論理的に、大人になって、その質問に答えようと試みたが、出来なかった。色々と考え、論理的な回答と言えないが、自分なりに説得力があったのは、殺す以前に、人に面と向かって死ねとさえ言えない、倫理とか道徳といった基礎のようなものが自分の中に既に出来上がっており、誰も殺すなと直に言われた事はほとんど無いはずで、またおそらく言われておらず、そしてこの世界には、人を殺す事を推奨している場所さえあるという事だった。

村上春樹の女のいない男たちを再読している。何故この時、この本なのだろうか。

明日はいつもの階段では無く、その隣を昇るエスカレーターを使って、改札を、駅構内を抜けるべきだ、理屈では無く感覚的に。