クロニクル

ジョシュ=トランク監督作品『クロニクル』を観た。
昨年劇場で観なかった事を後悔していたのだがレンタルショップで見掛けたので手に取った。
観終えた後、「AKIRA」っぽいなと思った。
主人公のソニー製ビデオカメラを介して繰り広げられる物語が、友人のビデオカメラ、監視カメラ、警察のビデオカメラと移行していくのも面白かった。

さて肝心の超能力を得た青年は超能力が自分自身の一部になってしまう事によって最終的に暴走を始めてしまう。
確かに超能力というものがあれば、情動によってコントロール出来ない可能性があり、毎日勤務先やら客先を吹っ飛ばす妄想を脳内で繰り広げている私として、そんなちょっとしたイメージが現実化するというのはやっぱり困りものだ。
凡人で良かったと思いつつ私は自由について考えてしまった。
出来る事がありすぎる程、実は背負うものも大きくなってしまうという不自由がここにあり、逆にいえば出来るならばやらなければならないという義務、責任が生じるのだ、と。

主人公には従兄弟がおり、彼もまた超能力を身に付ける。しかし彼の役目はなかなか説教臭い。彼は主人公にショーペンハウアーの意志と表象としての世界を読んだと言い欲望の断念を語り、更にフロイトについても語る。これらは思想的にはEs的な系譜に連なるであろう。これは従兄弟が欲望が扱い難い事を知っている事を示唆する。
そして従兄弟は、主人公が超能力で人を傷つけた自体に際して、超能力にはルールが必要だと語る事になる。結局、この従兄弟は超能力を持つが故にその責任を引き受け、この悲しい物語に幕引きをする事になる。