振り返るという事『横道世之介』

『横道世之介』を観た。原作吉田修一、沖田修一監督作品。
本作の始まりは1987年、新宿駅前から始まる。人々が行き交うなか、その人混みから荷物を抱えた青年が、ひょっこりと誰にも気にされる事なく現れる。彼の名を横道世之介、長崎から法政大学経営学部進学の為に上京した、どこにでもいる、珍しくもない青年の一人だ。
彼は大学生活で友人をつくり、年上の女性に憧れ、お嬢様に気に入られ、将来の夢を見つけていく。

本作は彼の大学生活を描いた、そして振り返ったものだ。
正確には物語の随所で、現在の彼と関わり持った人々が、ふと、振り返るのだ*1
友人たちは彼を思い出し、
「横道がいなかったら俺らは出会っていなかったな」
「あいつの事を知っているのは得した気分だ」
と語る。友人たちは、現在の生活に追われながら、彼の事を思い出し楽しそうに笑う。この物語は既に過去の出来事なのだ。
物語の中盤、彼にとって憧れの女性だった人物がラジオ番組のナビゲーターとして登場する。「年上の女性と仲良くなりたい」という相談に対して彼を思い出しながら微笑む。
しかし、彼女はある一つのニュースを読み挙げる。
「~駅で線路に落ちた在日朝鮮人の~を助けようとして~カメラマンの横道世之介さんが亡くなられました。」
と。彼女は不機嫌になりながら、ラジオ関係者と共に放送局を後にする。彼が現在無き存在である事が判り、彼の大学生活を、彼の死を前提にして、単線的にではなく、友人たちのように振り返える事となる。
そんな観客をよそに彼はごくごく普通の、時に刺激的な大学生活を送っていく。彼女を妊娠を機に大学を彼女ともども辞めた友人の引越しを手伝い、同性愛者である友人の告白をさして問題にもせず、彼を気に入ったお嬢様と実家に帰り波打ち際で良い雰囲気になったところでを難民に遭遇したり、隣人のカメラマンとひょんな事から出会い、写真に魅入られてしまったり。そしてそんな出来事が彼や友人たちの将来を決定づけていく。

彼は祖母の死に実家に帰省し、元恋人の同級生に問い掛ける。
「俺が死んだら祖母のように皆泣いてくれるだろうか」
「世之介が死んだら皆笑うと思うよ」
と元恋人の同級生は応え、二人は笑う。

本作は彼を振り返る物語だ。そしてそこには常に笑いがある。私も何度も笑ってしまった。「懐かしむには早すぎる」と私は過去を積極的に振り返りたいと思わない。しかし、本作の彼を思い出し笑う友人たちの、振り返り/懐かしむ姿を観た時、彼らの今を支えるものであり、彼が生きた証明であり、この上の無い弔いではないのかと思った。

終盤、彼の恋人になった/だったお嬢様が、数枚の写真を受け取る。
意味が判らない写真、ピンぼけした写真、桜の花の写真、そして自分が写った写真。それは、彼が写真に興味を持ち始め、初めて撮影し現像した写真であり、自分に最初に見せるよう約束したものだった。
物語の終わりに彼はフランスに短期留学するお嬢様の恋人を見送る。恋人を撮り、「その写真を初めて見せるのは私に」という恋人と約束を交わす*2
彼女が乗るバスを見送った後、彼はカメラを手に桜の花や道を行く人を撮っていく。そして走りだす彼を上空から見送る事になる。

私の職場は現在、偶然にも学生街にあり、上司と共に客先に向かう途中、大学生を否が応でも見掛ける事になる。現在の仕事を始めたのは3月からなので振袖を来た女性をよく見た。今はだらだらと歩く男子学生やら塀の上でアルコールを取りながら友人と会話しているのを見掛けたりする。彼らが過去を振り返った時、本作の人々のように笑いあう事が出来ればなと思う。そして自分も、と。
とても面白く、余韻に浸れる映画だった。


*1:正式には16年後のようだ。

*2:数週間の留学らしいのだが、何十年後に彼の写真を受け取った事から、この後、彼と彼女には写真を渡せなくなる出来事が起こったのかもしれない。それとも現像した写真を彼は何らかの理由で見せなかったのかもしれない。