『帰還 ゲド戦記 4 』

アーシュラ・K・ル=グウィン著、清水美沙子訳『帰還 ゲド戦記 4 』を読んだ。

本作の語り手は『こわれた腕輪 ゲド戦記 2 』に登場したテナーである。
テナーはその後、ゲドの才能を見出したオジオンの下で魔法や学問を修行したものの、自ら男の妻になり、母親になり、夫が亡くなった後は農園の女主人として生活を送っていた。

テナーはある時、虐待を受けて顔等に火傷と障害、心に傷を受けた少女を引き取り、テルーと名付けて共に生活を始める。
その後、死期を悟ったオジオンの呼び出しに応え、死を看取ると、ゲドが竜カレシンの背に乗って帰還を果たす。
アレンが長年空位だった王位についたものの、倫理が退廃して力が物言う世界がすぐに変わることは無い。
テナーは役目を終えて魔法の力を失ったゲドと少女テナーと共に生きようとするものの、数々の困難に見舞われる。

テナー自身は聡明で地に足を付けて生きてきているにも関わらず、まとめな魔法使いたちにさえ、中年の女性として軽んじられる。
この世界における魔法使いは女人禁制のロークの学院で魔法を学んだ男性のみになる。
一方、魔法が使える女性は女まじない師として市井を生きている。
なお、次巻『ドラゴンフライ アースシーの五つの物語 ゲド戦記 5 』収録「カワウソ」によれば当初は男女共に学院で魔法を学んでいたことが判る。

帰還したゲドは魔法の力を失い何をすれば良いのかわからない様子である。
その様は定年退職を迎えて途方に暮れる年老いた男性のように見える。
最高峰の魔法使いであったにも関わらず、途方に暮れたゲドはテナーがテルーを迎えて生活する先に何があるのかと問い掛ける始末である。
人は生活がまず初めにあり、未来に思いを至らすもので、ゲドの発言は観念的な愚問であろう。
なお、魔法使いは魔法に一意専心するため、自らの性欲を魔法で制御しており、ゲドは性行為の経験が無い。
俗に言えば、ゲドは童貞を守った魔法使いであると共に魔法が使えなくなった童貞である。
ただし、その後にゲドはテナーと結ばれる。

本作の序盤、テナーはテルーに対してオジオンが人の形をした竜に出会ったとされる逸話を語る。
そして終盤、テルーは竜カレシンを呼んでテナーとゲドを救う。
カレシンはテルーに対して「子どもよ、よくやった。」「さあ、もう、行こう。」「ほかの風に乗って、ほかの人たちがいるところへ。」と呼び掛ける。
しかし、テルーはテナーとゲドと共に残ることを選ぶ。
すると、カレシンはテルーにここでしなければならない仕事があること、いずれ迎えに来ることを伝えて、その場を去る。

本作の世界観において、ゲドは魔法が使える男性故に立ち回れた。
一方、魔法が使えない無力な女性のテナーやテルーは男性の庇護や所有物としてしか生きる術が無い。
このように、本作はこれまでのシリーズの魔法が規定する世界観の問題をフェミニズム的な観点から暴きつつ、竜と人の繋がりといった別の世界観を提示しようとしていると思われる。

『さいはての島へ ゲド戦記 3 』

アーシュラ・K・ル=グウィン著、清水美沙子訳『さいはての島へ ゲド戦記 3 』を読んだ。
大賢人になった魔法使いゲドの下にエンラッド公国の王子アレンが訪れ、魔法の力が失われつつあることを報告する。
大賢人ゲドは原因を探るため王子アレンと共に旅に出る。
旅先では魔法の衰退と共に政治や産業、倫理等の退廃が見受けられる。
2人は明確な目的地すら見出だせないまま、多島海を彷徨い、竜オーム・エンバーから死者を呼び出す魔法を使ったクモなる人物こそ原因だったことを知る。

最終的に物語は予言を成就した王子アレンが長年空位だった王になり、魔法使いの役目と力を使い果たしたゲドは故郷に戻るというファンタジーの定型をなぞる。一方で本作ではそもそも魔法を前提とした世界そのものに疑義の一端が向けられ、続編『帰還』では世界観そのものが全面的に批判の対象となる。

本作における死生観、死の無い生は結果的に空虚であるという考えは、惰性で生きるが故に目が覚める。

『こわれた腕輪 ゲド戦記 2 』

アーシュラ・K・ル=グウィン著、清水美沙子訳『こわれた腕輪 ゲド戦記 2 』を読んだ。

カルガド帝国のアチュアンの墓所の大巫女が亡くなり、その生まれ変わりとして見出された少女テナー。
少女テナーは大巫女として喰われし者を意味する「アルハ」として帝国で信仰されている「名なき者」に奉仕する生活を開始する。

物語の主人公はテナー(アルハ)であり、物語の中盤まで広大な砂漠と地下迷宮を持つ神殿での生活が描かれる。
それはテナーがアルハになり、アルハが墓所の地下迷宮の暗闇を表象とする「名なき者」を信仰する過程でもある。
大巫女アルハ(テナー)が信仰する神殿と地下迷宮を表象する「名なき者」の正体を迫る様はホラー小説のようだった。
本作ではアルハ(テナー)が「名なき者」を信仰し、中盤に登場するゲド(ハイタカ)によって神殿と地下迷宮から脱出するのだが、物語の構造は前作の『影との戦い』におけるゲド(ハイタカ)が詳らかにされない「死せる影」を追跡して対決する構造と相似している。

『隠し剣孤影抄』『隠し剣秋風抄』

藤沢周平の『隠し剣孤影抄』と『隠し剣秋風抄』を読んだ。
剣技を学んだ武士やゆかりのものが活躍する短編集。
二十数年前に図書館の全集で読んだ記憶がある。
過去の私であれば分量が多く暗い作品は好まなかったであろうが、それとは反対に数年の経過を辿る「宿命剣鬼走り」が面白く感じた。

『影との戦い ゲド戦記 1 』

アーシュラ・K・ル=グウィン著、清水美沙子訳『影との戦い ゲド戦記 1 』を読んだ。
最近、宮崎吾朗監督作品『ゲド戦記』の劇中挿入歌「テルーの唄」を聴き、著者の作品や原作を読んでいないことが気になって手に取った。

魔法の才を見出されたハイタカはふとしたことで死霊を呼び出す魔法を知り、魔法学院の同級生との諍いで死せる影を呼び出してしまう。その後、ハイタカは死せる影から逃亡し、また追跡をする旅に出る。

本作は三人称で語られており、硬質な文体が読みやすく面白かった。
この世界における魔法は物事の真の名を使用した概念操作であることが伺われ、ハイタカの真の名は表題作にもなるゲドである。
本作を読みながら、人に見せたくない自らの負の感情を伴う物事について真摯に向き合うことの意味を考えることになった。

たそがれ清兵衛

藤沢周平の『たそがれ清兵衛』を再読した。
実はそれなりの腕前を持つ武士たちの活躍が小気味よい。
単純にチャンバラが好きである。
同作に収録されている「たそがれ清兵衛」と「祝い人助八」、別作『竹光始末』に収録されている表題作(『竹光始末』収録)を下に過去に山田洋次が映画化をしており、私は映画から藤沢周平の作品を読むようになった。
なお、『竹光始末』の収録作品は武士以外の奉公人等が主人公がおり、『たそがれ清兵衛』とは若干作風が異なる。

弓とその他の日々

昨年から弓道を始めて週末や平日の夜に弓を引くようになった。
その結果、読書や映画鑑賞、ゲームをする時間が減った。
唯一、音楽を聴くことは何かしながらできることだったため継続はしている。

今年に入って仕事がうまくいかず、お金を余り使えない状況になり、2~3月は読んでいた漫画の新刊、音楽の新譜も購入しなかった。
お金が無いと心に余裕が無くなる。

読書は上記のイーロン=マスクの本の上巻を途中まで読んで放置している。
上巻の途中までしか読んでいないものの、現在のイーロン=マスクの話題に納得してしまう程度の行動原理を把握できる。
ただし、上巻では特に彼の主義主張までは明確に把握できない。
非常に長い本で今後読み終えることは無いかもしれない。


昨年に途中までプレイしていたスターデューバレーを再開、新規プレイで一年目を終えた。
年末に大規模アップデートがあり、目に見えて把握できた変化は読書によるステータス向上である。

ふと思いたってジュラシック・パークを観た。
何十年振りに観たものの、今みてもかなりよくできている。
最後のティラノサウルスの咆哮シーンが格好良い。
マイケル=クライトンの原作も読まなければと思う。


仕事中に作業用BGMを流しており、ここ最近、生成AIで作成された楽曲を見つけることが多くなった。
これはビジュアルも内容もよくできている。

web小説の読書記録/『肥満令嬢は細くなり、後は傾国の美女(物理)として生きるのみ』

https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n6664eu/
コミカライズ版の漫画広告を経由して無料版の原作を読んだ。
無料版の原作は第一部までになる。
主人公のキャラのキップが良い。
作者は合戦とか色々描きたそう。

web小説の読書記録/『ベル・プペーのスパダリ婚約』『ゆるふわ農家の文字化けスキル』

ベル・プペーのスパダリ婚約~「好みじゃない」と言われた人形姫、我慢をやめたら皇子がデレデレになった。実に愛い!~

ベル・プペーのスパダリ婚約~「好みじゃない」と言われた人形姫、我慢をやめたら皇子がデレデレになった。実に愛い!~【WEB短編版】
朝霧あさき 著。
漫画の広告から読む。
ここでいうスパダリ、人形姫も皇子にも当てはまるという著者のアイディアと趣味嗜好が光る作品。
どういことと思った人は短編のweb版を読もう。

ゆるふわ農家の文字化けスキル ~異世界で、ネット通販やってます~

kakuyomu.jp
白石新 著。
いわゆる異世界ハーレムもの。
ただし性的描写はほぼ無しで健全なところが少年ジャンプ。

web小説の読書記録/『おっさん騎士が田舎でまったりスローライフを送ろうとしたら婚約破棄された公爵令嬢が転がり込んできた件』

おっさん騎士が田舎でまったりスローライフを送ろうとしたら婚約破棄された公爵令嬢が転がり込んできた件(天宮暁) - カクヨム

コミカライズ版の漫画広告を経由して原作を読んだ。
中世の西洋をモチーフにしている作品は貴族制度の階級の知識を前提としていることが多く(別に知らなくても楽しく読める)、いまとなっては私でも公爵は偉いということくらいは知っている。ほどほどの分量で楽しく読める。

超人ナイチンゲール/中動態の世界

特集ワイド:ケアって何だろう? 説明できないものを体験できる本「ひらく」シリーズ 医学書院の編集者、白石正明さんに聞く | 毎日新聞
人生8割は偶然 白石正明さん、因果の呪い解く「ケア」の哲学/上 | 毎日新聞
自分より周りを変える方が豊か 白石正明さんと迫るケアの核心/下 | 毎日新聞


医学書院のシリーズ「ケアをひらく」より栗原康『超人ナイチンゲール』と國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』を読んだ。
Twitterを辞める直前、人文系のアカウントがケアを話題にしている時期が多くあった。当時、積極的に話題を追う気力は無かった。しかしながら、上記記事を読み興味を持つに至った。

栗原康『超人ナイチンゲール』

ナイチンゲールについての知識が全く無かった。
著者はアナキズム研究者になり、ネット上等の執筆記事を読んでいたものの、単著を読んだことは無かった。
著者独特の口語調に近い文体はリズミカルで先を読ませる。

一般的にナイチンゲールは看護師、合理主義者の面が強調される一方、本書は神秘主義者の面にフォーカスした評伝になっているという*1
そもそも、ナイチンゲールの看護師としての活動はクリミア戦争(1853年~1856年)のみになり、イギリスに帰国後はクリミア戦争に関して統計学を用いて陸軍の医療改革、病院の設計をしたという。しかし、その行動の源泉は神秘主義になり、実際にそういった記録が残っているという。

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』

第16回小林秀雄賞と紀伊國屋じんぶん大賞2018を受賞している。
平易な筆致が優しく、ゴールデンウィーク後半を掛けて読み切ったことは、随分と哲学書から離れていた身に自信をもたらしてくれた。
それでも議論の流れは追うことが精一杯のところも多かった。

中動態は哲学的な観点からこれまでも顧みられてきた。
現在の能動態と受動態の対立関係は、以前は能動態と中動態の対立関係になり、中動態から派生した受動態がその後に中動態と置き換わった。
本書はフランスの言語学者エミール=パンヴェニストの中動態の定義「能動では動詞は主語から出発して、主語の外で完遂する過程を指し示している。これに対する態である中動では、動詞は主語がその座となるような過程を表している。つまり、主語は過程の内部にある」「主語はその過程の行為者であって、同時にその中心である。主語[主体]は、主語のなかで成し遂げられる何ごとか―生まれる、眠る、寝ている、想像する、成長する、等々―を成し遂げる。そしてその主語は、まさしく自らが動作主〔agent〕である過程の内部にいる」を採用している。
パンヴェニストはサンスクリット語、ギリシャ語、ラテン語、アヴェスタ語に共通する能動態のみの動詞と中動態のみの動詞をピックアップして比較している。ここで能動態のみの動詞は「曲げる」や「与える」、意外に思われるところだと「在る」や「生きる」になる。一方、中動態のみの動詞は上記の定義でピックアップされているものや「死ぬ」「ついて行く、続いてくる」になる。
本書ではここから更に能動態と中動態について考察が続きスピノザ哲学に至る。
能動/すると受動/されるの対立ではなく、刺激を受けて変化し、この変化の影響を受けている、特徴ある個人の行為や思考。これは能動や受動という責任のあり方では捉えられないものになる。

本書の参考文献からのピックアップ。

  • 國分功一郎『スピノザの方法』
  • 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』
  • 國分功一郎『原子力時代における哲学』
  • ハンナ=アレント『精神の生活』
  • ハンナ=アレント『革命について』
  • 萱野稔人『国家とはなにか』
  • カール=マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』
  • ハーマン=メルヴィル『ビリー・バッド』

web小説の読書記録/『酔っぱらい盗賊、奴隷の少女を買う』

新巻へもん 著『酔っぱらい盗賊、奴隷の少女を買う』を読んだ。第6回カクヨムWeb小説コンテスト「異世界ファンタジー部門」大賞受賞。完結済みの作品。
休日に仕事がやりたくないところ、SNSの漫画広告を見掛けて、何となく原作を一気読みする流れだった。
題名の通りの展開の他、ハーレム、実は主人公が歴史から消された有力者の後継者だと示唆される等、きっちりお約束を詰め込んだテンポの良い作品。
kakuyomu.jp

『ドラゴンボール』と『葬送のフリーレン』の投げキッス

鳥山明の急逝を受け『ドラゴンボール』を読み直した。わかりやすい絵、テンポの良い展開が傑作だと思う。そんななか、コメディリリーフとして登場する世界征服を目論むピラフ一味のピラフがブルマに対して投げキッスをするシーンがあった。ピラフ一味は投げキッスをエッチなことと表現していた。この一連のシーンで思い出すのは『葬送のフリーレン』の主人公フリーレンが僧侶ザインをパーティーに勧誘する際の投げキッスである。こちらもフリーレンの投げキッスをエッチなことと表現していた。投げキッスをエッチなことと表現した初出が『ドラゴンボール』かは不明になるものの、フリーレンの投げキッスはピラフの投げキッスへのオマージュではないかと思われる。また更に言えば、ピラフ一味は3人(ピラフ、シュウ、マイ)とフリーレンパーティー(フリーレン、フェルン、シュタルク)の人数も一致しており、コメディパートそのものを参考にしている可能性がある。

三体

劉慈欣 著、大森望、光吉さくら、ワン=チャイ 訳『三体』。前日譚を入れるとシリーズ6作品の1作目になる。

冒頭は文化大革命の描写から始まる。序盤は科学者たちが超自然的な事態に遭遇し、命の危険の代わりに研究を中止するよう促されるという展開。過去と現代(のARゲーム)を行きつ戻りつしながら将来の脅威の正体が明らかになっていく。

序盤の現代パートはアルカジー&ボリス=ストルガツキー「世界終末十億年前」のような展開。鈴木光司の「リング」シリーズのように提示された謎は全てきちんと種明かしされるため、曖昧模糊とした脅威のようなものは無い。

年末年始からSF作品を読み進めているものの、長い物語に手を出してしまった印象。

三体

三体

Amazon
bullotus.hatenablog.com

アルテミス/プロジェクト・ヘイル・メアリー/egg

アンディ=ウィアー著『アルテミス』『プロジェクト・ヘイル・メアリー』『egg』を読んだ。ようやく『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読むことができた。

アルテミス

小野田和子 訳。
月面都市アルテミスに住むジャズは月面EVA(船外活動)の資格取得を目指しながらポーターとして働いている。ある日、ジャズは懇意にしている実業家の依頼を受け月面都市を左右する陰謀に巻き込まれる。
ジャズの他、研究員のマーティン=ズヴォボダが面白い。

プロジェクト・ヘイル・メアリー

小野田和子 訳。
目が覚めるとコンピューターによる質問が続く。天井には室内を管理するロボットアーム。同じ部屋にある2つのベッドには男女の遺体が眠っている。男は自分の名前も思い出すことができない。ふと蘇る断片的な記憶。行動範囲が広がるにつれ自分の置かれた環境を把握した男は自らの目的を思い出すのだった。
著者の長編『火星の人』や『アルテミス』とは全く異なるアイデアの展開がある。興奮した。そうきたか!!
なお、英語のヘイル・メアリーはラテン語のアヴェ・マリアにあたり、アメリカンフットボールにおいては劣勢のチームが一発逆転を狙って投げるロングパスを指すという。

egg

アンディ=ウィアーのウェブサイトで公開されている短編。日本語訳は日本在住のゲームプランナーであるアレックス=オンサガー。
非常に短く素朴な作品。
www.galactanet.com