2014年3月11日~2014年3月18日 8

title:火の七日間
subtitle:デコポン 2014/3/18

足早に追い抜いた女性のベージュのコートの背中にシミを見つける。シミに気がつくのいつだろう。翻って朝スーツを着る際に脇の下に無数の毛玉を見出しだ事がよぎる。前方から歩いてくる女性がショートヘアーになっている。彼女を俺がこの街に住み始めてから朝よく見掛ける女性だ。三月、髪を切る理由にならない理由、気分だ。

上司に渡されたデコポンをデスクの上に置き、鞄に入れた。自宅で文庫本を取り出そうとした時、黄色いデコポンを見つけた時の、小さな驚き。扱いに困り、冷蔵庫に放り込む。冷蔵庫にデコポンを見つけた時、また俺は驚くのだろうか?

耳許で歌う坂本美雨の声で情感にさざ波が起きる。その波紋を最後まで追うことは出来ない。鞄とマフラーを放り出しうずくまる男性、白髪の男性と手をつなぐ子ども、胸元で眠る男の子。視界の端を流れていく人の波、言葉の波、音の波、言葉になる前のなにかが流れていく。足元で避けながら、受けながら、絶え間無く。イヤフォンのノイズキャンセラをオンにして、振動と騒音を殺した。

客先に向かう。外は暖かくマフラーは必要無い。ビル風が上空から叩きつける。建築家たちがこのビル風を考慮しなかったのならどんな理論も思想も無駄ではないか。いや、理論も思想も無ければビル風も考慮されない。人はいない。法律が建物を自動生成させる。はじめに建物があった。建物は欲望と共にあり、欲望は建物だった。

煙草が吸いたい。仕事中に煙草を吸うのを辞めたのは喫煙所での会話を嫌ったからだ。仕事の指示されるのも気に食わない。煙草を吸う時くらい放っておいて欲しい。忙しさに浮き足立つような人たちとは俺は違うのだから。喫煙可の喫茶店で煙草に煙に包まれながら気持ちを落ち着ける。鼻につく煙草の糞のような匂い。吐き気がする。他人の吸う紫煙は嫌いだ。自分の吐いた煙が平気なのは、怪物は自分が吐く熱線で口に怪我をしないの同じ理由だろうか。

花粉症だろうか、鼻がムズつく。昼食を取る為に外出した後から目と鼻がおかしい。

終わりの見えない狂騒、抑えられない動悸、開いた瞳孔。状況が悪くなればなるほど喜びに変わる。選ばれた感覚、突如生まれる使命感、そして脱落していく感情に残る苦笑い。

雨は止む無し。延々と続くアウトプットに息と思考と施工が途切れ、解体されていく。文脈から離れようと、しかし離れることができない。買い物袋から飛び出したネギ、甘いネギ、丸いネギ、玉ねぎ、ネジ、回転するネジ。ネックレス、胸元に光るパールのネックレス、ネイル、淡く塗られたネイル。誰か為に纏われた下着、シダ類が覆った大地、地に伏せ、唇を重ね、空に祈れば。目があった瞬間、避けられた視線、マスクに覆われた口元が引き締まる。家に帰って冷蔵庫に閉まったデコポンを食べよう。忘れる前に食べよう。