2023年3月7日/汎用人型将来補完計画

生保の営業をしている友人と新規の保険契約を交わしがてら雑談をしていたところ、勤務先が今後存続できるかという話になった。私の勤務先は零細企業になり、若手はほとんどおらず、あと10年もすれば大半の社員が退職している可能性がある。中途採用者の定着率も低い。会社の存続は実はかなり危ういのかもしれない。この話を同僚たちにしてみたところ、常日頃の仕事の愚痴が繰り返されるだけで反応は芳しくない。ある同僚は、会社の存続が危ういことも含めて社員それぞれが判断すれば良いと発言した。ここで問題提起をしなければ考えもしなかっただろうに、随分と突き放した発言だなと自分が傷付いたことが判った。一方で、同僚の発言は問題の解決にはならないものの、極々当たり前のものとも言える。会社と自分の将来を案じて退職をすることもあり得るだろう。ただし、その時の自分の年齢や状況によっては、身動きが取れない状況もあり得るのではないか。ここでふと将来的な計画を立てるとは一体どういうことなのだろうかと思った。友人たちに相談したところ、将来に起こる出来事に備えるといった回答があった。ここでいう将来の備えとは、貯蓄や投資、副業をするといった今後起きる出来事に対するリスクヘッジの意味合いが強い。更に友人たちは自分がどのような将来を生きたいと考えているのかが重要ではないかと回答した。ここで私は口をつぐむことになった。将来の計画を立てるとは、自分が思い描く未来を定め、その方向性を生きるためのより良い手立てを考えることなのだ。そもそも、ぼんやりとした将来しか描けない状況で将来の計画が立てられるはずがない。さて、自分に将来の目標等があるのかと問えば、今後も本や音楽を楽しめる生活が送りたいといったことが思い浮かぶ。しかしながら、将来の計画とは言えないものの、やりたいことが全く無い訳でもない。今後は自分のやりたいことに時間を使っていくべきなのだろう。そんなことを思った。