2022年7月20日/再読する生活2

本棚から大学時代の病跡学や精神分析の講義の資料を見つけた。資料の中で目を引いたのは「暗い森」と題された朝日新聞の記事のスクラップだった。なお、その後に調べたところ、『暗い森―神戸連続児童殺傷事件』として書籍化されていた。スクラップを一通り読み進め、気分が落ち込んだ。また、同じ講義の中で東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を扱ったことも思い出した。確か、同事件を下にした演劇の台本を読んだのだ。この2つの事件から、いわゆる三歳児神話が話題に上がったものだが、今なら否定されるだろうか。それにしても、当時の講義の中で自分が何を考えたのか、10年以上経過しているため当たり前なのだが思い出せなかった。

更にジャン=ジュネをシステム論的精神分析の立場から検討した資料を読んだ。この資料に関しては執筆者を特定できず、残念だった。

過去の出来事を思い出して気分を害することが多々ある。しかしながら、ふと、こういった出来事を、過去に読んだ本の内容のように扱うことで、距離を置くことができるのではないかと考えた。ある意味で非人間的だと思ったものの、そこにどのような差があるのだろうか。また、飛躍して、ジョン=ロックが人間をタブラ・ラサを唱えたことを思い出した。ロックのタブラ・ラサという思想は―もちろんロックだけでは無いのだが―人間を分析の対象として、物体のように極めて冷徹な手付きで細かく解体し、非難を受けても構わないという覚悟の下で発表されたのではないだろうか。これまで哲学者や思想家たちの発言の覚悟を考えたことも無かったかもしれない。