思い出のマーニー

米林宏昌監督作品『思い出のマーニー』を観た。
正直に言えば劇場で作品を観ながら。これは小さな子どもが観て楽しいと思う作品では無いなと思った。細い糸を手繰り寄せるような、繊細な物語なのだ。

札幌市在住の杏奈は育ての親のもと周囲と打ち解けられず暮らしている。喘息の療養のため夏休みの間を海辺の町に滞在する事になり、海辺の街の同級性たちと仲違いするなか、古い屋敷を見つけ金髪のマーニーに出会い、何も抵抗無く友人として仲を深める。

あれだけ周囲とは打ち解けられない杏奈はなぜかマーニーにはすぐ心を許してしまう。それは余りにも極端で「マーニーとは一体何物なのか?」という疑問が浮かぶのだが、物語はそれに答えず、ただひたすら引き伸ばそうとする。マーニーが杏奈の想像の産物だとしてもそれは多様なエピソードを織り成した人であり、しかし古い屋敷には誰も居らず、現し世の人では無い事は明らかだ。もちろん杏奈自身もそれに気がついている。物語の終わりに新しい屋敷の主の娘がマーニーの日記を見つけ出し、また海辺で絵を描く老人の昔話から、マーニーが杏奈の祖母である事が明らかになる。マーニーは過去の人であり、杏奈にとって血縁の人であった。しかしそこには、なぜ祖母であるマーニーが杏奈の元に出現したのかという答えは無い。しかし、ただひととき現れ消えてしまう過去のイメージとしてマーニーを捉えた時、それは記録では無く、親が絶対的な信頼のもと子に思い思いに語る、時には美化された懐疑の無き「思い出」と同一だと判る。杏奈は海辺の町で、どこかで聴くはずだった思い出を経験していると考えた時、この物語の疑義を挟む事の無い極端さと繊細さと美しさの意味が明らかになったように思う。