2014年12月10日

コタツで目覚め顔を洗い浅い眠りのため布団に入る。

仕事が無い為に朝から帰ろうとする新入社員の同級生を引き留める。客先から戻った社員から大量の書類を渡される。ワイシャツの形をした黒いファイル。何でこんなファイルなのだという疑問が頭をよぎりつつ新入社員を引き留めて良かったと得意な気持ちになる。

夜洗った衣類を干し自宅を出る。渋滞にはまった観光バスにはたすきを掛けた人々が座っている。近場の宗教施設へ向かうのだろう。駅前では自民党のパンフレットが配られている。電車を待つ列に並ぶと目の前の女性がパンフレットを開いている。アベノミクスの効果を謳った文字列が目に入る。経済政策を鑑みればアベノミクスの継続は当然の事なのだろう。しかしその他の政策を考えた時、自民党を支持するのは躊躇われる。大勢は与党優位というなか自らの選挙区の候補者を見ると考えあぐねたところでどうしようもない事が判る。問題は比例区なのだ。

青いマスカラが目を引く。

残業を終える。同僚を残して去るのはどうかなと後ろ髪引かれつつ帰る。

選挙公報が集合郵便受のゴミ箱に何部か捨てられている。自分の郵便受から選挙公報を取り出し自宅の鍵を開ける。

裁判官国民審査の公報を読みながら夕飯の支度をする。それぞれ判事の関与した主要な裁判を読む限り、選挙の一票の格差の問題について、正当とするか、違憲だが選挙を正当とするか、違憲として選挙を違法とするか、違いがあった。

よくよく考えてみれば、例えば自民党にしても共産党にしても国を破壊するという点では同じなのではと極端な事を考える。

夕食を食べ腹が満ちる。

俺が生まれ育ったこの時代を、政権与党である自民党でさえ戦後レジームからの脱却として否定し、政権与党である自民党政権を批判していたのは共産党だったのでは?そして今のあり様で無いのか?俺が生きた時代は否定されるものでしかないか(もちろん俺自信否定しているのだが。)。これは無闇な二元論、単純化された叩き台で、最早思考では無く、身体的な反射ではないか?そもそも憲法を軸にした保守と革新の勢力で以て政治を語ろうとする事が時代遅れなのだ。しかしもう語る言葉を尽きそうな、たかだか二週間しか、政治を考える術を持たない。