2014年8月20日

深い眠りから目を覚ましたように頭が重い。鈍い頭の中を取り留めの無い単語が飛び交うなかシャワーを浴び着替える。部屋のカーテンに影になった物干し竿が揺れている。

昼の業務は淡々と書類を処理していく事になる。気がつけば定刻を迎え、早々と職場を出る。そこからは簡単だ。猫が住み着いている路地を抜け、電車に乗り、最寄駅からスーパーに寄り自宅で夕食を作り食べシャワーを浴び適当な事をしていると明日という毎日だ。

路地を出るとセーラー服を模した服装の女性。籐の帽子と薄い生地のスカートが風に揺れ涼しげだ。何故かバックパックはミシュラン

ふと電車の中、二十数年、良く生きてこれたなと思う。なかなか死ねないという事かと思いつつ、災害やら何やらあっさり死ぬこともある。たまたま死ななかったに過ぎないのか。結局生きている人間も死んだ人間もその時まで死は他人事に過ぎない。

同級生が亡くなった事を考える。二十数年生き、世の中の仕組みの半分も判っていない。まだまだ学ばなければ、経験しなければならない事ばかりだ。一体どんな絶望が彼を襲ったのか。それどころでは無かったという事は判っている。彼は言うかもしれない。「五十歩百歩の違いでしかない知識や経験を、無数のなかから一つ知っただけで何になる?」それも一理あるだろう。しかし、それでも未練があるとしか言いようが無い。

俺は亡くなった同級生を責めているだろうか。 「なぜ?」という応えの無い問いを突きつけられた人々は、何とか自ら納得出来るよう、周りの人々のどうしようもない一般論に抗い、ムキになって応えようとするしかない。その姿が勝手に見えるのも当然の事なのだと思う。

会社の飲み会に参加する。アルコールは飲まず、ひたすらツマミだけを頬張る。残暑払いとはオツなものだが、これは個人でやりたいものだと思う。