アクト・オブ・キリング

ジョシュア=オッペンハイマー監督作品『アクト・オブ・キリング』を観た。
1965年、9月30日事件を契機に共産主義者、華僑に対して行われた大量虐殺。合法政党だった共産党に対して軍は民間人を扇動、プレマン*1や民間人が虐殺を実行した。

本作はドキュメントタリー映画であり、監督は取材したプレマンに対し「虐殺を演じてみないか?」と提案し始まる。プレマンであるアンワルという老人とその仲間たちはこれに応え演じる。我々のした事を後世に伝える為に有益である、と。そう、彼らは虐殺が正しかったと思っている。実際、インドネシアはこの虐殺について彼らを免責している*2

プレマンは自分たちならどんな映画よりもリアルに虐殺を再現する事が出来ると語り、役者を募り撮影を開始する。同時にプレマンの取り巻きが紹介されて行く。当時共産主義者を密告したという新聞社を経営する男。与党の候補者として選挙に出るも賄賂が足りず無下にされるプレマン。華やかな選挙応援の裏で「金を貰ったから来たのさ。皆、金の為に来たのだ。」と語る若い男。民兵組織パンチャシラ青年団、政治家は青年団の前で警察よりフットワークが軽い彼らを重宝していると語ってみせる。青年団のリーダーは髪を染め上げた女性と写真を撮った後「髪を染めていると売春婦のようだ。」と語った直後に周りの男たちとフェラチオの得意な売春婦について語り笑う。華僑からみかじめ料をせしめるプレマン、広大な土地と宝石を披瀝するプレマン。虐殺の際、14歳の女を見つければ占めたもの、お前にとって地獄なら俺にとっては天国だと語る男。アンワルたちを「効率的に共産主義者を排除した」と紹介してテレビ番組。モニターする女性と男性は毒づく。

この国は無法地帯なのかという考えが頭に浮かぶもののその言葉を飲み込む。似たような現実はどこにでもあると。

撮影を始めるにつれアンワルには変化が訪れる。田舎で首を切り落とした死体の瞼を閉じなかった事を後悔している、今でもあの目を覚えており夢に観るのだと。華僑の恋人の親を殺したと語る仲間はアンワルに「お前は病気だ。医者に行って薬を貰えば治る。」と諭す。共産主義者を演じる役をアンワルは辞退し監督に語る。「俺は殺された人々の気持ちが判った。」と。対して監督は「あなたは演じているだけだ。拷問された人々は殺される事を知っていた。」と返す。それでもアンワルは言う。「それでも俺には判ったんだ。」

撮影の是非を問う仲間。撮影に参加するものの「これは野蛮な映像だ。」と批判する政治家。親戚を虐殺の際に亡くした男の訴え。野外の美しい風景を前にして演じられる虐殺への賛美。

映画の終わり、改めて虐殺現場にアンワルと監督がやってくる。アンワルは吐き気に襲われ、堪えきれない。アンワルの呻き声が劇場に響く。



Act of Killing [DVD] [Import]

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*1:日本で言えばヤクザ。

*2:公式サイトによれば1973年インドネシア検事総長は一連の虐殺の中で共産主義者の命を奪ったものに対しては法的制裁が課されないことが正式に決定されたという。