2014年6月16日

大学への進学に失敗した俺は小学校の特別学級に入る事になった。クラスには年齢関係なく小学校一年生から六年生まで、何らかのハンデを持った者たちが集められているらしい。見た目には何処にでもいる小学生だ。どう考えても歳上の俺を児童の一人が「何年生?四年生?」と尋ねて来たのには笑ってしまった。これは無邪気が為せる問いなのか、このクラスに居る事の証左なのか判らない。眼鏡を掛けた三十代前半の気難しそうな男性が教師らしい。「このクラスは先生2人で学年が異なる皆さんに授業を受けて貰います。それ故に困難が伴います。また先生の一人は現在宇宙飛行士として不在になります。」等と言っている。宇宙飛行士?それはさぞかし優秀な人物なのだろう。しかしこのクラスを受け持たせている意図は何なのだろう?いや、そんな事より何故大学に進学しようとした俺が小学校の特別クラスで授業を受けなければならないのか。算数の能力が著しく欠如している為だろうか?

地震で目を覚ます。スマートフォンをタップすると福島県沖が震源地らしい。雨戸を開けるか迷うがそのまま眠る。

晴れ、シャワーを浴び着替える。もう上着を着ない事にした。自宅を出ると何か足りない感じがする。上着の内ポケットに入れていたスマートフォンは鞄に、鞄の中に財布、ズボンのボケットに定期券、必要なものはこんなものしか無い。別段、裸一貫でも構いやしないのかもしれない。

国会議員の圧力を気にしているようだが…」「西成のように騒ぎを起こせない。マスコミが騒ぎ出す…」「俺たちだけでやれっていうのか?」そんな文字が踊る図書館から借りられた文庫本の一節が目に入る。ヘルメットを膝に載せて座る五十代の男性。電車は動いているが人々は静止している。ただ慣性だけがある。

肉体的にも精神的にも落ち着いていた。全て諦めて期待しない、そして何だか笑えてしまう。面白くも何とも無い事態だ。精神的な退化か仕事に対する興味が本格的無くなってきたか、どちらかだろう。帰りにスーパーに寄りたまたま目に入ったシベリアを買う。「風立ちぬ」にて主人公の青年が親の帰りを待つ子どもたちにシベリアを手渡そうとするのだ。食べてみるとカステラに羊羹を挟んだようなもので満腹感に満たされる。

W杯の初戦に負けると九十パーセントの確立で予選敗退すると昨日の夜友人から電話があった。取り止めの無い会話をし続ける。この会話の先に得られるものら何も無い。しかし思わず口にした言葉が不本意であるけども紛れもない本音なのだ。