2014年5月6日

今日まで起きていたので寝不足。それでも八時に目が覚めた。夢は見ていない。窓を開けると曇天、夜は雨音が聞こえていた。今にも雨が降りそうだ。明日からの仕事の為にワイシャツやらを洗い干さなければならない。また終わるために、それとも、また始まるために、等と引用するまでもない事実。洗濯をして、その間にシャワーを浴び、着替える。

人と感情を共有するとはどういう事だろう。慮り、自らの感情を追憶する事だろうか。感情は生まれながらのものであり、親子や友人やフィクション、つまり社会との関係によって育まれるのだろう。一定の社会基盤を共有しているからこそ、感情の追憶が、人との感情の共有を可能にする。また共有可能だからこそ他人に新たな感情を見出す事が出来る。他方、共有している感情を言葉にする時、一般化されてしまう。しかし経験は一般化されるだろうか。私だけの経験、人は「何で私だけが」とおもむろに言う。共に経験出来ない事は多々ある。しかし個別の経験から感情を培ったのだ。凡百な言葉で傷つけてしまうかもしれない。それでも、共に、側に寄り添いたい。追憶された感情で胸に抱き締め受け止めたいと思う。

買い物がてら散歩に出る。今日は肌寒くジャケットが必要だ。公園のトラックではサッカーのゲームが始まろうとしている。鯉のぼりが凧たちと共にはためく。いつもの路を外れ住宅街へ。小規模のマンションが建ち並ぶ。雨が振りそうだといつもの路に入る。支流沿いは昨夜の雨を吸い緑を膝まで伸ばし、葉緑は曇天のもと暗闇を抱える。バーベキュー場から届く肉の匂いと笑い声。耳許ではジョニー=グリーンウッドのジャジーな「Splitter」なる曲目。野球場で年長のピッチャーが覚束ない足取りで内野ゴロを拾い損ね一塁に暴投、満塁の場面を迎えている。スーパーに寄った帰り道、茶屋の前で茶葉が炒られ良い匂いが漂う。

カラマーゾフの兄弟」、アリョーシャの師、ゾシマ長老は女に実践の愛を説く。頭の中で愛する事は容易である。しかしひとたび現実を目の前にした時、愛は実行されず、憎しみや嫌悪が生まれるものだと。

ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」を観る。ゴジラが音楽にノリながら秘密結社の戦闘機と闘っていた。